外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

イスラエル製品ボイコットの順列組み合わせ

2010-12-21 15:36:43 | パレスチナ

スーパーのチラシ

イスラエル占領下のパレスチナでのイスラエル製品ボイコット…それはほとんど不可能に近い挑戦である。

イスラエル製品をボイコットするための条件はなんだろう。
中東在住の消費者という立場の私が考えつくのは、次の2つである。
(1)まずイスラエル製品が身近に存在すること。
(2)そして非イスラエル製品が豊富に出回っていて、イスラエル製品を買わなくても困らないこと。

シリアに住んでいたころは、ボイコットなど考えたこともなかった。だって基本的にイスラエル製品がないんだもん!シリアとイスラエルの間には国交がないので、上の(1)の条件を満たしていないのである。シリアの場合はシリア政府がイスラエル国家の存在自体をボイコットしているので、個人が行う余地がないのである。あるとしたらせいぜいイスラエルの旗くらいなものだが、これはもちろん飾ったり振ったりするためにあるのではなく、もっぱらデモで焼くために存在するのである。ガザの戦争中には、公道に敷いて通行人に踏ませ、「踏み絵」をやる、という使い方も見かけた。

シリアからトルコに移り住んでから、「新帝国主義国、イスラエルの製品をボイコットしよう!」というポスターを毎日見ることになり(借りたアパートの冷蔵庫に貼ってあったので)、ああそうか、ここにはイスラエル製品があるのだ、と気がついた。トルコはイスラエルと国交があるので、上の条件を2つともクリアーしているのである。だがその頃の私は(といっても今年の話だが)、ボイコット運動に微塵も関心がなく、そんなことしてもイスラエル経済は痛くもかゆくもないだろうに、まったくセンチメンタルな、と冷ややかに眺めるだけだった。イスラエルのやってることは許せないけど、マクドのハンバーガーは食べる。それはそれ、これはこれである。元来割り切った性格なのである。

しかしパレスチナにやってきて、占領下にある人々の苦労を目の当たりにするにつけ、パレスチナ製品を購入することで、わずかでも地元産業の活性化に貢献したい、イスラエル側にお金を落としたくない、という気持ちが自分の中に自然に生まれてきた。一般にイスラエル製品のほうが高価なので、経済的な理由もあるが(あくまで現実的な私)。おりしも国際的にイスラエル製品不買運動のキャンペーンが盛り上がっているし、ここはひとつ私も参加してみようではないか。

そうはいっても、ここはイスラエル占領下の東エルサレムである。パレスチナ人の経営する商店に入っても、陳列棚をみると、解読不能のヘブライ語のラベルの商品がずらっと並んでいる。乳製品、お菓子、ホンムス(パンにつける、ヒヨコマメのペースト)、ジュース、缶詰類、洗剤・・・イスラエル製品だらけである。私は一体何を買えばいいの?ボイコットなんて無理やん!そう、占領下のパレスチナは上に挙げた条件の(2)を満たしていないのだ。

気を取り直して冷静に観察すると、パレスチナ製品もそれなりに存在することに気づいた。そのほとんどはヘブロン産である。西岸地区南の都市ヘブロンは、パレスチナ産業の要であり、町のどまん中にイスラエルの入植地があるというハンディキャップに苦しみつつも、パレスチナにヘブロンあり!と気炎を上げている。パレスチナ製品以外にも、トルコのお菓子、サウジアラビアのスナック菓子、エジプトのジュースなど、他のアラブ・イスラム諸国の食品も買える。私はトルコのお菓子のファンなので(どれを食べてもおいしいんだもん)、見かけると条件反射で手が伸びる。しかしいかんせん、イスラエル製品のほうが数・種類ともに勝っていて(残念ながらクオリティも高い)、ツナ缶や洗剤などのある種の品目をほぼ独占しており、完全に避けて通ることは不可能に近い。

東エルサレムを縦横無尽に走っているアラブバスには、「エルサレムは永遠にわしらのもんや!プライドにかけてもイスラエル製品なんか買わへんで!」と書いた強気なキャンペーン・ポスターがべたべた貼ってあったりするが、実際のところパレスチナ人はこういうことに頓着せず、無造作にイスラエル製品を購入しているようだ。うちの大家さんたちもそうである。あまり細かいことを気にしていたら生きていけないのだろう。その気持ちはよくわかる。

しばし論理的(?)に検討した結果、ある程度の妥協は仕方がないという結論に達し、買い物をするにあたっての、自分なりの優先順位を決めることにした。それは以下のとおりである。

(1) パレスチナ人のお店でパレスチナ製品を買う。
(2) パレスチナ人のお店で非イスラエル製品(トルコ、エジプト等)を買う。
(3) パレスチナ人のお店でイスラエル製品を買う。
(4) イスラエル人のお店でパレスチナ製品を買う。
(5) イスラエル人のお店で非イスラエル製品を買う。
(6) イスラエル人のお店でイスラエル製品を買う。

なんだか数学の「順列組み合わせ」とか「場合わけ」みたいになった。
もちろん(1)がベストだが、ダメだったら(2)、それでもダメだったら(3)・・・というように段階が進んでいく。パレスチナ人の商店で買い物するのが基本である。

うちに泊まりに来た韓国人の女の子2人組に、この悩みを打ち明けた。彼女たちは韓国のパレスチナ支援団体に所属していて、2週間の予定ではるばるここまでやってきて、デモに参加したり、オリーブ摘みのボランティアをやったりしていた。ISMのトレーニングの場で知りあい、アジア人同士気があって連絡を取り合っていたのだ。
「イスラエル製品をボイコットしたいんだけど、ここではむつかしいよねえ」とため息をつく私に、「ムリムリ。ここでは無理よ。パレスチナ人だって買ってるのに」と、2人とも笑いながら首を振り、「パレスチナ支援活動をしているイスラエル人たちは、入植地で作った製品だけボイコットしてるよ」と教えてくれた。おお、それはいい考えである。イスラエル人全員が敵なわけではないし、全製品をボイコットするのは理にかなっていないと、私もうすうす思っていたのである。
「で、それはどうやるの?」と尋ねると、「商品のラベルを読んで製造地をみればわかるらしいよ」とのことだった。そんなあ・・・暗号みたいなヘブライ語のラベルを解読して、地名から判断するなんて、外国人の私には到底無理である。あきらめるしかない。
彼女たちのうち1人がふと、「中国製品をボイコットするのって不可能だよね」と言い出す。そりゃ無理だと、もう1人と私もうなずいて皆で笑う。それはもう、絶対に不可能でしょう。

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イスラエルのとおりゃんせ

2010-12-21 15:26:03 | パレスチナ

イスラエルの猫


イスラエルは非常に特殊な国であり、その特殊性はあらゆる場面で発揮される。出入国もそのひとつである。

イスラエルに空路で入国するのは赤子の首をくいっとひねるように容易いが、出国は手ごわく、一筋縄ではいかないらしい。「とおりゃんせ」の歌詞を覚えていますか?「行きはよいよい帰りはこわい、こわいながらもとおりゃんせ、とおりゃんせ・・・」これはイスラエルに飛行機で出入国する人のテーマソングであったか!と目からウロコが落ちますね。昔の人は慧眼であった・・・。
それとは逆に、バスなどで陸路入国するのは難しいが、出国するのはラク。これらはこの国を旅する人々の常識であるらしい。
しかし呑気な私はそういうことを知らなかった。テロリストでもなんでもない、ただの個人旅行者である自分の入国に問題があるわけがないさ、見た目も普通のかよわい女性だし、とタカをくくって、なんの準備もしていなかった。
私はイスラエルという国をわかっていなかったのである。

今年の9月の終わりに、私はカイロからバスに乗ってターバ国境を越え、イスラエル側でセキュリティー・チェックを受けた。機械に荷物を通し、別室で女性兵士によるボディー・チェックを受ける。この辺まではまあ普通である。そのあと担当の女性(むろん彼女も兵隊)が私のスーツケースを開け、その中にアラビア語の辞書や本が数冊あるのを発見してから事態がややこしくなり、近くにいた上官が呼ばれて、英語での尋問がはじまった。

これは何語の本ですか?(アラビア語です)
どうしてアラビア語の本を持っているのですか?(アラビア語を勉強しているからです)
どうしてアラビア語を勉強しているのですか?(語学の勉強が好きだからです)
どうしてイスラエルに来たのですか?(観光です)
どこに行く予定ですか?(エルサレムです)
どこのホテルに泊まる予定ですか、予約はしましたか?(まだ決めてません)
どうして決めてないのですか?(自由気ままに旅をするのが好きだからです)
ホテルを予約するのが普通でしょう。(私はあまり普通ではないのです)
・・・うんぬん、かんぬん。

今思うと、なんだか英会話の初心者コースみたいな趣きのある会話である。
返事に納得しなかったのか(まあそりゃそうだろうとも)、私の態度になにか反抗的な気配を感じ取ったのか、別の男の上官が呼ばれ、パスポートが入念にチェックされる。
私のパスポートはアラブ諸国のスタンプで大賑わいだが、なかでも「イエメン共和国」のビザがお気に召さなかったらしく、それについて根掘り葉掘り聞かれた。北部砂漠の、サウジ国境近くにあるアルカイダの自爆テロ養成所に行ってました、と冗談を言ってみたい!という激しい衝動に一瞬駆られるが、大人なので我慢して、「観光です。すごく素敵な国なんですよ!」と正直に答える。イスラエルに来る前、エジプトで何をしていたかもしつこく訊かれ(アラビア語の学校に通ってましたが、学校名はもう思い出せません。何だったかな・・・)、さらに徹底的なボディー・チェックを受ける。ズボンをパンツの下までさげろというので抗議したら、「これはノーマルなことだから、恥ずかしがる必要はないのよ」と軽くいなされる。そりゃあなたたちにとっては普通でしょうが・・・これがノーマルなことになってしまうイスラエルって、コワい国。

その後金属探知機や化学物質検知器(らしきもの)を駆使しての、徹底的な荷物検査が私を待っていた。担当兵たちは慣れたもので、マニュアルどおりに丁寧かつ手際よく、私の所持品をひとつ残らず機械にかけていく。スーツケースになにも隠してないか、入念に全体を指で押しながらチェックし、化粧水や乳液の中味を分析し・・・しかし危険なものは何も出てこなかった(当たり前)。
この段階でもう私の入国許可が出てもよさそうなものだったが、担当の若い男はさらに細かい質問をし、その結果をまとめてメールで上司に送って返事を待ち、上司の指示に従って不足事項(父親の名前や、父親の父親の名前など)を私に質問し、それをまたメールで報告し・・・という具合で、どうもイスラエルのビューロクラシーの穴に落ちてしまったようだった。そうこうしているうちに担当官の交代の時間が来たりして、ダメ押しするかのように事態を悪化させるのだった。

ながいながい待ち時間のあいだ、入国管理局付属のオープン・カフェで刻々と色を変えていく紅海を眺めながら、私は「もう入国できなくてもいい、エジプトに帰るう、めそめそ、もし入国できたらテロリストになってここを爆破してやるう」などと、疲れた頭で力なく考えるのだった。

結局、晴れてイスラエルの入国スタンプを手に入れたのは、入国管理局に足を踏み入れてから8時間後。エジプトで通っていた学校名を思い出せなければ、あそこで一晩過ごすことになったかもしれない。待っているうちに、学校長の名刺が財布に入っていることに気がついてよかった。何が幸いするかわからないものである。
私をエルサレムまで運ぶ予定だったバスはとうの昔に待ちくたびれて行ってしまい、公共のバスもない時間だったので(夜11時)、国境の町エイラットまでタクシーで出てホテルを探す羽目になり、ずいぶん高くついた。イスラエルに賠償請求したいくらいである。ほうら、エルサレムのホテルを予約しないで正解だったじゃないの!

入国管理局のイスラエル兵たちの態度は冷たくて機械的だけれど、非人道的というほどではなくて、一応こちらを人間的に扱ってくれ、お腹は減ってないか、カフェテリアで休憩してきたらどうか、などと気を使ってくれたことを明記しておく。それもマニュアルどおりの行動という可能性はあるけどね。
入国者の列の整理係のおじさんは、1人ぼっちでたそがれている私を見かねたのか、黙って熱いコーヒーをおごってくれたし、出口のところにいた陽気な日本びいきの係員に、8時間も待たされたと文句を言ったら、申し訳ないと気の毒そうに謝ってくれた。悪いことばかりではないのである。

余談だが、8時間にわたる私の観察によると、イスラエルの女性兵たちはアイスクリームの食べすぎでお腹が出ている。ダイエットのために食事の時間にサラダだけ食べても、おやつの時間に盛大にアイスクリームを食べてたら意味ないのよ、と心の中でたしなめる私だった。余計なお世話ですね。彼女たちは兵役のためにここエイラットにやってきて入国管理局で働いている、ごく普通の可愛い女の子たちであるが、仕事中はイスラエル国家の「安全」のためなら人権蹂躙などいとわない、非情な異分子探知機に変身する。毎日こんな仕事していると将来ろくな大人にならないよ。女の子だけじゃなくて、もちろん男の子も同じだけど。

入国後しばらくは、私はまだぷんぷん怒っていて、妹や友達にメールで愚痴っては憂さを晴らしていたが、1週間くらいするとすっかり気を取り直し、まあいいか、結局入れたんだし、次はもっと上手くやろう、などと考えるようになった。のど元を過ぎたのである。

あれからはや3ヶ月がたとうとしている。あと1週間もしたらバスに乗って出国し、隣国ヨルダンに移動する予定である。陸路での出国は簡単だとみんな口をそろえて請合うので油断しているのだが、さあどうなることか。行きも帰りもこわい、変形とおりゃんせになったりして。
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イマーンさんの手料理のと・り・こ

2010-12-19 17:15:59 | パレスチナ


庭でヤギを屠る人たちと、生き延びたヤギ、そして肉のおこぼれを待つ猫。





「完ぺき」という言葉を体現するもの、それはうちの大家さんの奥さん、イマーンさんの料理である。正確を期すなら、それは「完ぺきな家庭料理」だが。
大家さん一家は私のアパートの階上に住んでいて、しょっちゅう彼女の手料理のおこぼれにあずかるのだが、一度として味つけが濃すぎたり(または薄すぎたり)、煮込み具合が足りなかったりしておいしくなかったためしがない。アラブ世界に暮らして2年余りになるが、いままで食べた中で彼女の料理が一番おいしい、このアパートを借りることにしたのはホントに正解だった、と自分の「借家運」の良さを実感する日々である。

イマーンさんは40代半ば、娘1人(結婚してサウジアラビアに在住)と息子2人の母親で、週2回アル・アクサー寺院に、コーランの読み方のレッスンを受けに通っている敬虔なムスリマ(イスラームの信徒の女性)である。
彼女は「私は食べるのが好きでやめられない、中毒患者なのよ」とこぼす。実際彼女は太っているというほどではないにしても、ぽっちゃりとして頼りがいのありそうな、アラブのお母さん体型である。自分は食べ物にあまり執着がなく、料理はいつもテキトーにやる、と私が言うと、「あなたは自由でいいわねえ、うらやましい!私は夫と息子2人を食べさせなきゃいけないから、毎日料理しないわけにはいかないし、作ったらいっぱい食べちゃうし・・・」、とため息をつくのだった。あんな美味しい料理を毎日作ってたら、そりゃ食べすぎて太るだろうよ、と私も思うが、それにしては彼女のだんなさんと息子たちは全然太っていない。一体なぜなんだろう。

本当のところは、私だって食い意地が張っているし、料理もけっこう好きなのだが、最終的に、「おいしいものを食べるためにエネルギーや時間やお金を費やす」ことにあまり興味が持てないのだ。私にとって、料理がおいしいかおいしくないかは結果の問題であって目的ではない。もちろんおいしいに越したことはないが、まずくても別段差し支えないのである。ともあれ、美味しい手料理がタナボタ式に転がり込んでくるのは大歓迎なので、「今日ナニナニを作ったんだけど、食べる?あなたもう食事した?もしまだだったらどうぞ。」と声をかけられたら、食事が済んでいようがいまいが条件反射で、「もちろんいただきます!あなたの料理はいつもおいしいもの。ありがとう!」と即答することにしている。

イマーンさんは私の顔を見ると「あ、食べ物をあげなきゃ」と思うらしい。私がなにかの用事で彼らのアパートを訪れたら、必ずなにかしら食べ物を分けてくれるのだ。鍋に料理が残っていたら温めて皿に盛ってくれるし、そうでなくても台所をごそごそ探して、果物やお菓子を持たせてくれる。私がしばらく彼らを訪れないでいると、下の息子をお使いによこして、うちまで料理を届けてくれるのだ。そのせいか、パレスチナに来てからなんだか太ってしまった。冬が来て食欲が倍増したせいもあるが、それにしてもお腹が苦しくて仕方がない。子供もいないのにお母さん体型になっても困るんですけど・・。イマーンさんは庭にやって来る野良猫にもいつも餌をやっているが、私を餌付けするのもその延長上なのかもしれない。

今まで食べた彼女の料理の中で、私が気に入ったベスト3を選ぶとするなら、1位はなんといってもヤギ肉の煮込み、2位はザアタルとチーズのパイ、3位はマンサフというところだろうか。

1.ヤギ肉の煮込み
この料理は、イスラムの犠牲祭(イード・ル・アドハー)のときにご馳走になった。このお祭りの間、羊や牛などを殺して神に捧げ、肉や皮の一部を貧しい人に施すのは、ムスリムの義務のひとつである。羊を屠るのは以前見たことがあるが、ヤギはこれがはじめてだった。
今年の犠牲祭は、パレスチナでは11月16日から19日までであった(太陰暦であるイスラム歴によって定められるが、国によって開始日が1日ずれたりする)。うちの大家さんはイードの1週間ほど前にヤギを3匹購入し、そのうち1匹を犠牲としてアッラーに捧げ、残り2匹は庭の囲いの中で飼うことに決めた。彼はニワトリも数羽飼っていて、よく庭で放し飼いにしているし、野良猫もしょっちゅう入りびたっているしで、うちはミニ動物園みたいな様相を呈している。日本人もひとりいるしね。

前置きが長くなったが、イード2日目に大家さんは親戚や息子を駆りだして、一番年上のヤギを庭で屠った。私もそばにいて写真を撮らせてもらったが、首にナイフを入れた瞬間ぴゅうぴゅうと鮮血が噴き出して、獣くさい匂いがあたりに立ち込め、なかなか迫力があった。死体の皮をはぐのを見届けた後、私は1泊2日の旅行に出かけたが、その後イマーンさんは親戚の女性たちと協力してその肉をせっせと細切れにしたそうだ。ご苦労様である。その大部分は冷凍してしまったが、残りは調理してイードのご馳走にしたらしい。翌日の夕方帰ってきたら、これはあなたの分よと言って、ご馳走の載ったお盆を渡してくれた。お皿に盛った黄色い味付きごはんに、煮込んだヤギのかたまり肉が添えてある。別のお皿に入った肉のスープも並んでいる。肉もスプーンで食べれるからね、との説明つきであった。
3時間煮たというだけあって、その肉はスプーンで簡単に千切れるくらい柔らかく、よく脂ものっていて、まろやかに口の中で溶けるのだった。ヨーグルトやタマネギで臭みを消してあるせいか、とても食べやすい。ご飯にのせ、スープをかけて混ぜながら食べる。ヤギを食べるのはこれが初めてだが、こんなに美味しいものだったとは、いや恐れ入った。
日本の居酒屋で私が必ず頼むものといえば、豚の角煮・ナス田楽・揚げ出し豆腐の3点セットであったが(つまり味の濃い、脂っこいものが好き)、豚の代りにヤギの角煮というのはどうだろう。ヤギ肉も脂っこいから砂糖醤油で煮込むと案外いけるかもしれない。調味料にみりんや酒を使わなければ、ムスリムの人たちも食べられるね!おや別に食べたくないですか、それは失礼しました。じゃあヤギの田楽とか揚げ出しヤギっていうのは?…だめですね、はいすいません。

2.ザアタルとチーズのパイ
ザアタルとは香草のタイムのことである。シリアやパレスチナではザアタルを食べる機会が多かった。ちぎったアラブパンをオリーブオイルに浸し、ザアテル・ミックス(乾燥したザアテルの粉末にゴマや他のスパイスを混ぜたもの)をまぶして食べるのだ。シンプルだがくせになる味で、広く皆に愛されている。家になにもないとき、パンとオリーブオイルとザアテル、それにオリーブの漬物などがあればこと足りるし、卵を焼けば立派な食事となる。卵を焼くのは、おかずの足りないときに急場を凌ぐための、パレスチナのお母さんの知恵なのかしら?ビリンでお邪魔した家でも、ナビー・サーレフでお世話になったお母さんもそうしていたけれど。

イマーンさんのパイに入っていたのは、乾燥モノではなくて生のザアタルの葉っぱである。私も葉っぱの掃除を手伝ったが、ザアタルの小枝を指でしごいて葉っぱをはぎとるという、地道な単純作業であった。イマーンさんはこういう作業をするときも、いちいち「ビスミッラー・・・」と小声でお祈りの文句を唱えながらやる。信心深いのである。枝は沢山あったので、けっこう時間がかかった。
その後イマーンさんはパイ生地をこねて、このザアタルの葉っぱを練りこみ、四角く形作ってから塩辛い白チーズのかけらを包み込んで、オーブンで焼いた。
ザアタルの葉の香りがさわやかで、チーズの塩味が効いた香ばしいパイであった。焼きたてが、甘い紅茶にとてもよく合う。でもこんなものをおやつに食べていたら、太るのも当然だよな。

3.マンサフ
マンサフはヨルダンの名物料理だそうだが、ここパレスチナでもよく作られ、スークでも、ジャミードの白い固まり(乾燥したヨーグルトスープの素、マンサフに欠かせない)を売っているのをよく見かける。
マンサフはベドウィン的な料理である。羊肉を煮込んで、そのスープで炊いたごはんにのせ、その上にこってりしたヨーグルトスープ(ジャミードで作る)をかけて食べる。マクルーベと同様、お客さんが来たときにつくるご馳走で、イマーンさんも金曜日に親戚を招待した機会に作っていた。彼女のマンサフは、例によってよく煮込んであるので、肉が柔らかく、スープの塩加減も絶妙。ごはんに散らしたカシューナッツがアクセントになっていて、食が進んでしょうがないのだった。

一般にアラブ人は、ちょっと親しくなると食事に招いてくれるのだが、あまり親しくない他人の家庭に上がりこんで食事をするのが、私はどうも苦手である。その点イマーンさんは多忙なせいか、あっさりとした付き合いを好み、自宅に食事に誘うのではなく「おすそ分け」という形で分けてくれるので、私としては気楽である。自分のアパートで食べると、お酒も飲めるしね!ムスリムの家はふつう禁酒なので、「ああこの美味しい料理を、お酒を飲みながら食べられたらどんなに素晴らしいことか・・・!」と身もだえして苦悩する(おおげさ)ことが多いのである。
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パレスチナのちらし寿司

2010-12-19 17:03:22 | パレスチナ

ビリン村の散らし寿司タイプのマクルーベ

パレスチナでは家庭料理を食べる機会が多かった。一番の理由は、大家さんの奥さんが料理上手で、よくおすそ分けしてくれることだが、それ以外にもビリン村やナビー・サーレフで、地元の人の家に上がりこんで食事のご相伴にあずかることが多かったからである。

アラブの美食界の横綱といえばレバノン、そしてシリアであり、その洗練された前菜の数々や、種類が豊富で繊細なアラブ菓子は有名であるが、家庭料理に関して言うならパレスチナ料理だって負けてはいない、と私は思う。レストランで食べたことはない(だってお金ないもん)ので分からないが、家庭料理はうっとりするほど深い味わいで、「パレスチナ料理ってアラブで一番おいしい!」と家から飛び出してオリーブ山のてっぺんから大声で叫びたくてうずうずする!というのは誇張ですが、ともかくおいしいんですのよ。

パレスチナは歴史的に「大シリア(BILAD AS-SHAM)」の一部とされていて、シリア・レバノン・ヨルダンと共通の文化圏に属しており、方言や文化風習が似通っている。地理的に近いため、エジプトの影響もみられるようだ。だから料理もシリアやヨルダンやエジプトですでに口にしたものばかりだったけれど、ここパレスチナで食べたものが一番私の口に合った。

パレスチナ料理の代表選手は何と言ってもモロヘイヤスープとマクルーベだと思う。モロヘイヤスープは、モロヘイヤの葉っぱのみじん切りを鶏のスープで煮込んだもの。スプーンですくってご飯にかけて食べたり、パンを浸して食べたりする。モロヘイヤ特有の苦味とレモンの酸味を、コクのある鶏のだしとニンニクの風味が背後からがっしり支えた、奥行きのある大人の味で、食べだすとどうにもやめられない、かっぱエビせん的料理である。一見不気味な暗緑色の、ぬるっとした得体の知れないスープだが、これがどうして、あなどれないのである。モロヘイヤスープではエジプトが有名だが、エジプトのレストランで食べたものより、ビリン村の貧しい農家で食べたもののほうが数段おいしかった。
モロヘイヤスープがパレスチナの家庭で普段食べられる、典型的な「ケの日」の料理だとすると、マクルーベのほうはお客さんが来たときに出す、「ハレの日」のおもてなし料理だと言える。「マクルーベ」とは「ひっくり返したもの」という意味であり、大きな型に茹でた鶏肉か羊肉のぶつ切り、揚げたナス(カリフラワーの場合もある)などを敷き、その上からごはん(肉のスープで炊いてある)を詰めて大皿の上でひっくり返し、上に炒めた松の実を散らした、見た目にもインパクトのある祝祭的な料理だが、国や地域によって色んなバージョンがあるらしい。私がビリン村で食べたのは、型に詰めるのを省略して、ごはんを大皿に盛って上に具を散らした、ちらし寿司タイプのマクルーベであった。すると型に詰めたものは箱寿司?いずれにせよ手間ひまがかかるので、そうしょっちゅうは作れないようだ。そう、パレスチナ料理に限らず、アラブ料理は手間と時間がかかる!2,3時間煮込むなんて当たり前。そんな重労働を毎日毎日やるなんて、私には一生できん。アラブの女性に生まれなくて本当に良かった・・・。そんな訳で、私はアラブ料理を覚えることを最初からあきらめ、食べるほうに徹することにしたのである。

今これを書いている最中(午後2時すぎ)に、大家さんの下の息子(14歳)がやって来て、お昼ご飯がまだだったらどうぞと言って、魚の切り身のフライとトマトソースが入ったお皿を、かわいい笑顔で差し出してくれた。この子は私のお気に入りで、「こんな子供なら私も産んでもいい!」とこっそり思うほどだ。階上に住んでいる大家さんの奥さんは、よくこうやって中学生の息子経由で料理をおすそ分けしてくれるのである。パンでトマトソースをすくって食べるといいと言われたので、冷凍してあったパンを温め、紅茶を淹れる。魚を食べるのはものすごく久しぶりである。カラッと揚がった白身魚と手作りのフレッシュなトマトソースが、薄いアラブパンによく合う。昼間っから魚を揚げて、トマトソースを作るのかあ・・・やはり私はアラブ人の主婦にはなれそうにない。

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パレスチナでノドとココロを潤すには

2010-12-18 17:01:13 | パレスチナ
パレスチナのマクハー(喫茶店)や路上の屋台で紅茶を頼むと、たいがいハーブの枝付きの葉っぱを入れたものが出てくる。マラミーヤ(セージのこと)かナアナア(ミントのこと)である。このマラミーヤ・ティーはどこかショウガ茶っぽい風味(そう思うのは私だけ?)で、飲むとふっと心がなごみ、身体もほんのり温まる、そんな優しい飲み物なのである。ミント・ティーならエジプトでよく飲んだけど、マラミーヤ入りはここパレスチナで初めて飲んだ。マラミーヤ・ティーといえばパレスチナ、パレスチナといえばマラミーヤ・ティーなのである。うちの庭にもマラミーヤの茂みがあって、好きなだけとっていい、と言われているが、葉っぱをちぎって洗い、紅茶に入れる手間が億劫なので、めったに使わない。我ながらものぐさである。以前うちのヤギにこのマラミーヤの葉っぱをやったら、いそいそと嬉しそうに食べていた。さすがパレスチナのヤギである。

パレスチナ産のビールといえば、タイベー・ビールである。
これはラマッラー近郊のタイベー村というキリスト教徒の村で生産されている。中東諸国のキリスト教徒の皆さん、いつもお世話になっております!少数派の暮らしは色々大変だと思いますが、これからもがんばってアルコール類を造り続けてくださいね!
タイベー・ビール製品で、市場に一番よく出回っているのは小麦ビールであるが、実は色んな種類が生産されていて、工場まで出向けば手に入るらしい。唯一のパレスチナビールなので、これを飲みたい!のはやまやまなのだが、1瓶(何mlか忘れたが、500mlより少ない)10シェケル(240円くらい)もするのでなかなか手が出ない。10月初めに開催された、タイベー・ブルワリー主催の「オクトーバー・フェス」にも行きたかったのだが、エジプトからの到着直後で家探しに忙しく、結局行きそびれてしまった。不覚である。
私が普段飲んでいるのは、オランダ製の「ORANJEBOOM」と名前の、1缶6シェケル(500ml)の輸入ビール。味は可もなく不可もなしと言うところか。

シャワーの後、夕食を食べるときに欠かせないのはビールだが、寝る前に飲みたくなるのはアラクである。アラクはアニス風味の透明な強いお酒で、水で割ると白くにごる。同じお酒がトルコではラク、ギリシャではウゾーと名前を変える。最近飲んでいるものは、その名も「ラマッラー」という、ラマッラー製のもので、アルコール度50%!油断して飲みすぎると胃が痛くなる。
ここしばらくの私の数少ない娯楽は、寝る前にアラク(もちろん水で割って)をちびりちびり飲みながら、トルコの連続恋愛ドラマのDVD(アラビア語シリア方言吹き替えで、聞き取るのが一苦労)を鑑賞し、登場人物に突っ込みを入れることである。なんでそこで告白せんのん?!とか、さっさと警察に電話したほうがいいんとちゃうん!とか、突っ込みを入れるときはどうしても関西弁になる。今見ているのは「アースィー」という、トルコのシリア国境に近い田舎の農場主の娘アースィーと、イスタンブルからやって来て隣に住み着いた若いビジネスマン、アミールの恋物語である。全部で150話もある大河ドラマなので、みてもみても終わらない。みているうちに、いつか原語のトルコ語でみれるようになりたい!そのためにトルコ語をがんばって勉強しなきゃ!という埒のない野望さえふつふつとわいてくる。そう、トルコの恋愛ドラマは魔性なのだ。奥が深すぎて溺れてしまいそうになる。そしてこれを見る際に欠かせないのがアラク、というのが私見である。トルコドラマとアラクで2重に酔っ払ってから眠りにつく日々。全て世はこともなし。

ワインはぜいたく品なので、めったに買わないが、買うときはベツレヘム産の「クレミザン」の赤を選ぶ。これは一瓶30シェケルで、味はまあまあってとこである。西エルサレムの大きなスーパーに行ったら、もっと安いワインがよりどりみどりなのだが、どうせならイスラエルワインでなくパレスチナワインを買うべきだと思うので、我慢する。一度西エルサレムの酒屋で、「パレスチナのワインありますか?」と聞いてみたところ、ないね、というすげない返事が返ってきた。まあそうだと思ったけどさ。

うちの大家さんは敬虔なムスリムなので、アパートを借りるとき、家の中では酒を飲まないように言い渡された。しょうがないので、こっそり隠れて飲み、缶や瓶のごみは黒いポリ袋に二重に包んで捨てている。酒の買出しには山を降りて、ダマスカス門の外側にあるミニスーパーか、旧市街のキリスト教地区まで行く。うちの近所で買うと大家さんにばれるかもしれないからだが、そもそもオリーブ山はムスリム地区なので、酒屋がない可能性が高い。
イスラエルという酒飲み天国(ユダヤ教はワインを飲むことを奨励しているそうな)を横目で眺めながら、あえて東エルサレムのムスリム地区に住んでこっそり酒を飲む、これが私のパレスチナへの愛の形である。


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