休眠しました。

mem-papaのきままな自分用メモ帳
13年目に突入
固いこと柔らかいことそのとき

原発と祈り

2012-04-22 08:45:16 | books

昨朝は、激コミだったので本日ホンダへ。上はN BOX。
タイヤの細さにパチリ。


価値観再生道場 原発と祈り(内田樹/名越康文 聞き手:橋口いくよ)
という対話本を読み切りました。
祈りというような主観的体験のテーマなことだけに説明する気になれない
というか、それより読後の自分の変容が大事だろうなと思うものですが
タイミングがぴったりで勘がよかったなと思いました。

面白かった言葉は、心には時間と空間がなく、だから「居着き」という
問題を抱えやすいという話が1つで、そこは下のような導入から。
「リアリストって結局のところすごいペシミスト(悲観主義者)になって、
疑心暗鬼になっていくでしょう? あれはやっぱり『僕は頭の中で作って
いることなんて認めない。現実だけが現実だ』って言ったって、結局、リア
リストのほとんどが現実を断片的にしか理解していないんですよね。一面的
なものを現実として捉えていて、それはリアリストではなくて、断片リスト
なんでしょうね。立体的に捉えられていない。」(名越、P.55)
「そこを込みじゃないと、今ここで見えているものの意味がわかんないじゃ
ない。そういう想像をさ、どこまでたくさんするかだよね。」(内田、P.57)

2つめは、仕事とは病(名越)で職業は症状(内田)、病は消せるわけでなく
症状が流動化しやすい状態にするのがよい(P.106-108)
「例えば、人に対する嫉妬とか憎しみが、芸術作品を作るほうに昇華するこ
ともあるし、膝とか肩の痛みにあることもあるし。病って、変幻自在なんだ
よ。精神の病が身体症状になることもあるし、行動になって出ることもある
し、言葉になることもあるし。」(内田、P.106)

というところ。意味とは目的のカテゴリなのか。直前に書いてましたが
それについても、いい答えがありました。

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