思い出をあける鍵 Ⅱ

晴れた日はオートバイで、雨の日はサックスを。

大津市の昭和を見る

2018年12月30日 | 日記















たまたま行った本屋さんで、
たまたま目にとまったチラシを見て。


高っ・・・・
迷いながらも。


まだ3ヶ月ある、その間に9990円貯められると・・自分に言い聞かせ、
予約を入れたのは9月の事でした。
「限定」の二文字は、悪魔の呪文です。


本屋さんから連絡があったのは、今月の中旬ごろ、
取りに行ってきました、「大津市の昭和」


ちょっとづつ、紹介しましょうかね。


昭和38年頃の、丸屋町商店街の入口です、
母親の実家がこの近くやったからね、小っちゃい時の思い出がいっぱい、
正月のお年玉を握りしめて、弟と二人で走って「おもちゃ屋さん」へ行ったもんです。
瀬田のド田舎から見ると、ほんまに都会やった。


去年の4月、思い出探しに行った時の同じ場所の写真、
閑散とした風景に、時の流れを感じます、
淋しいけどね。


昭和45年の頃の同じ場所、
「チンドン屋さん」田舎では見られませんでしたね。


昭和50年頃の丸屋町商店街、この頃はまだまだ活気があった頃、
僕はまだ、中学3年生でした。


昭和51年、同じ商店街のイベント、
本場の徳島県から踊り子さんを招待したそうです、
盛り上がったやろね。


琵琶湖文化館、頂上の「トンボ」がシンボルマークでした。
昭和39年の写真、今は、閉館中です。
まわりの風景はずいぶん変わったけど、建物は同じ場所にあります。


昭和30年代の比叡山ドライブウエィ。
バスがね、凄い!!


昭和の時代、ぼくらの時代の白黒のテレビ。
エイトマン、遊星仮面、レインボー戦隊ロビン、鉄人28号、
チャンネルは、ガチャガチャと手で回しました。
見ぃひん時は、幕をおろしてありましたね。


昭和43年、びわこ大博覧会、
晴嵐小学校の「遠足」に来た児童達の写真。
僕は、8歳ですね。


昭和44年、国鉄「瀬田駅」が出来ました。


小学生です、学校から紙製の「日の丸」を持って
みんなで旗振りに行ったのを憶えています。


パノラマプール、昭和46年の写真。
高校生の頃、KH400で行った思い出の場所です。
平成になって閉鎖されました、跡地は今の浜大津アーカスです。
40年以上前の思い出が蘇ります、
懐かしいなぁ。

来年に、つ・づ・く。















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