思い出をあける鍵 Ⅱ

晴れた日はオートバイで、雨の日はサックスを。

大津市の昭和を見る Ⅱ

2019年05月01日 | 日記















5月になって、元号が「平成」から「令和」になりました。
人のこころが、おおらかな時代になればいいですね。


今日は、久しぶりに「大津市の昭和」を開いて見ました。
いつでも見られると思うと、中々・・・そう言うもんです。


「昭和の原風景」から順番に。


旧東海道の「京町通」の写真。
JR大津駅のすぐ近く、母の実家のある通りです。
道路はまだ舗装されていません、昭和10年前後の写真ですから、
母が生まれる前の写真です。


同じ「京町通」
小学生くらいの子ですね、
二人とも、足には「ゲートル」左側の子は。高下駄を履いてます。
雨上がりの水たまりを、何を話しながら歩いてるのやら。
昭和7年頃の写真。


昭和10年代の、菱屋町商店街。
小さい頃、毎年、正月の2日に母の実家から「お年玉」を握りしめて、
弟と二人で走って「模型」を買いに行ったもんです。


昭和10年代後半の浜大津駅前の写真、
大戦末期の頃です。


昭和10年前後の、JR大津駅前。
当時で言うところの「乗合自動車」(バス)が停まっています、
乗合自動車、昭和7年の営業開始だったそうです。


違う角度から見た、大津駅。
母方の祖父母が見たら、さぞ懐かしい風景写真でしょう。


昭和14年頃の、滋賀県庁本館。
「堅忍不抜」「挙国一致」の垂れ幕が、時代を表してますね。


昭和8年頃の、逢坂山峠。
当時、滋賀の田舎から、京都の街に出るにはこの道しかありませんでした。


昭和9年頃の、JR膳所駅。
郵便ポストの横には、局員さん。


昭和10年前後のJR石山駅。


同じ頃の石山商店街、
松並木は、もうありません。


その頃のレストラン「ユニオン」


同じ頃の「瀬田村」
現在の学園通り、昔「ヒカリヤ」があった辺りの風景です。
左には、「火のみ櫓」が見えます、
時代劇のセットのような、昭和の初めの「瀬田」です。


昭和初期の頃の瀬田唐橋。
幌船と屋形船が対照的ですね。


同時期の写真です、
今はアスファルトになり、夕方になると車の渋滞なんて風景です。


昭和18年頃、瀬田唐橋をバックに記念写真のようです、
戦時中の写真ですが、みなさん、きれいにお化粧をしてますね。

つづく。



















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