トップページにはりついているこの言葉。
釈尊の書いた「スッタニパーダ」の1節です。
音声に驚かない獅子のように
網にとらえられない風のように
水に汚されない蓮のように
犀の角のようにただ独り歩め
犀の角というのは目の前にありますよね~。自分の顔がどんな方向を
向いていても。目の前の角が自分の行く方向を示している。
その方向に向かってただ独り歩いていきなさい。
ただ独り歩むことは時として辛いことではありますが、その独り
の苦しさを乗り越えてこそ初めて廻りにいる他者を救う者になれる。
その姿こそが真の仏の姿である。という意味と私は解釈しています。
日々忙しく流れていく日常で。時々こんなことを思っては
自分の方向を改めて確認してみたり、自分を取り巻く周りの人たちに
感謝してみたり。
大切なのは自分が与えられた命を、どのように生きるかということに尽きますね
釈尊の書いた「スッタニパーダ」の1節です。
音声に驚かない獅子のように
網にとらえられない風のように
水に汚されない蓮のように
犀の角のようにただ独り歩め
犀の角というのは目の前にありますよね~。自分の顔がどんな方向を
向いていても。目の前の角が自分の行く方向を示している。
その方向に向かってただ独り歩いていきなさい。
ただ独り歩むことは時として辛いことではありますが、その独り
の苦しさを乗り越えてこそ初めて廻りにいる他者を救う者になれる。
その姿こそが真の仏の姿である。という意味と私は解釈しています。
日々忙しく流れていく日常で。時々こんなことを思っては
自分の方向を改めて確認してみたり、自分を取り巻く周りの人たちに
感謝してみたり。
大切なのは自分が与えられた命を、どのように生きるかということに尽きますね