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奇跡の聖マリア像

2010-04-15 | 番外編 ★ロシア以外★
リトアニアの首都ヴィリニュスの旧市街は1994年に世界文化遺産に認定されました。
その美しい街並みの中でもとりわけ目をひくのが、夜明けの門通り(Aušros Vartų gatvė)=アウシュロス・ヴァルトゥー通り。


(奥に見えるのが「夜明けの門のチャペル」。よく目をこらすとガラスごしに奇跡をおこす聖マリア像が見えます)



ここはローマ法王ヨハン・パウロII世も訪れたという、カトリック教徒の巡礼地のひとつで、夜明けの門の2階には小さなチャペルがあり、「奇跡をおこすマリア像」があります。信者の方が冷たい大理石の階段を跪いて祈りながら一段、一段上がっていく姿がとても印象的です。


(聖マリアの聖画像はWikipediaのこちらから)

とにかく、わずか数百メートルの通りには、3つの異なる宗派(カトリックが2つ、ロシア正教が1つ)の聖堂・修道院が建ち並んでいるという、驚くような場所です。いずれもバロック様式の建造物で、特にロシア正教会(聖霊聖堂・修道院)の「バロック様式」は珍しいので必見です。


(珍しい「バロック様式」のロシア正教会。写真はWikipediaのこちらから)

またこの夜明けの門通りには、国立フィルハーモニーもあります。「帝政ロシア」時代に建てられた大変美しい建物です。


(向かって右側の建物です)

ここの舞台ではかつて、ロシアの偉大なオペラ歌手シャリャーピンが歌い、ヴィルニュス出身の20世紀最大のバイオリニストの一人であるヤッシャ・ハイフェッツ が演奏しました。
今でも、旧ソ連圏で最も権威ある舞台のひとつとなっています。

■昨日のの答え=・・・Хентай・・・ヘンタイ(変態)(=日本語からロシア語の中に入って定着した「外来語」です)

■今日の=次の単語を発音してみましょう。
Ниндзя

(答えは・・・明日のお楽しみ)

チュルリョーニスの美しいピアノ作品op.20-3はこちらから視聴できます

ドストエフスキーの記念板

2010-04-14 | 番外編 ★ロシア以外★
ヴィリニュス市の美しい旧市街。

市庁舎がある広場に面した建物のひとつには、『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』で有名なロシアの大文豪ドストエフスキーが1867年、奥さんと一緒にドイツに向かう途中ヴィリニュスに立ち寄って宿泊したという建物もあります。


(奥の方に見える白い建物が市庁舎です。左の黄色っぽい建物が、ドストエフスキーが宿泊したという建物。)



それにしても、ヴィリニュス市、それも特に旧市街は・・・とにかく教会・聖堂の宝庫のようで、カトリックの教会、ロシア正教の聖堂が、ほとんど隣接しているかのような印象を与えるくらい沢山あります。

こちらはその内のひとつで、聖カジミエル教会。



カトリックのイエズス会が造ったヴィリニュス最初のバロック様式の教会です。
その後(1868年)、一時期ロシア正教会に変わりその時教会の上にロシア正教特有の「たまねぎ頭」がつきます。
ソ連時代は「宗教は阿片」だということで、ただの博物館となり、そして1991年、リトアニア独立後に再び一番最初のイエズス会系カトリックの教会に戻っているという、興味深い歴史をもった美しい教会です。



そしてこの聖カジミエル教会すぐ近くには、ロシア正教会の聖ニコライ教会があります。




■昨日のの答え=・・・Рикша・・・リキシャ(力車)(=日本語からロシア語の中に入って定着した「外来語」です)

■今日の=次の単語を発音してみましょう。
Хентай

(答えは・・・明日のお楽しみ)

チュルリョーニスの美しいピアノ作品op.20-3はこちらから視聴できます

スタンダールの記念板

2010-04-13 | 番外編 ★ロシア以外★
中世から続く歴史的な建造物が印象的なヴィリニュス市の旧市街。
あちらこちらに興味深い記念板が目につきます。

・・・ということで、こちらは、ヴィリニュス市の旧市街で見つけたフランスの文豪スタンダールが1812年、ロシア攻略に向かうナポレオン軍に同行して宿泊したという建物。



現在、ここには「フランス文化会館」も入っています。

また同じ建物のスタンダールの記念板のすぐ横には、ペテルブルク生まれの有名なロシアの地中海文化専門の美術史家、哲学者であるレフ・カルサーヴィン教授の記念板があります。



カルサーヴィン教授はヴィリニュス大学、ヴィルニュス芸術大学で教鞭をとりながり1940年から1949年までこの家で暮らしていました。
しかし、1950年には「反体制的」だということで逮捕され、ロシア北西部のコミ共和国の強制収容所に送られ、1952年にそこで亡くなりました。



■昨日のの答え=・・・Караоке・・・カラオケ(=日本語からロシア語の中に入って定着した「外来語」です)

■今日の=次の単語を発音してみましょう。
Рикша

(答えは・・・明日のお楽しみ)

チュルリョーニスの美しいピアノ作品op.20-3はこちらから視聴できます

天才画家チュルリョーニス

2010-04-12 | 番外編 ★ロシア以外★
日本ではまだあまり知られていないチュルリョーニスですが、ロシアでは19世紀末文化「銀の時代」を象徴する、代表的な画家・音楽家の一人として、評価がとても高いです。
リトアニアの第二の街カウナスのチュルリョーニス美術館で観たチュルリョーニスの原画は・・・圧巻でした!!!
絶対お勧めです!!!
・・・ということで、少しこの孤高の天才チュルリョーニスを紹介させてください。

ミカロユス=コンスタンティナス・チュルリョーニスは1875年、リトアニア南部で生まれました。ちなみに、当時リトアニアはロシア帝国の一部でしたので、ロシアでは「ロシア銀の時代の芸術家」というカテゴリーに入ります。

チュルリョーニスの父親はリトアニア人で、大の音楽愛好家でした。彼はカトリック教会でオルガニストをしており、そこでドイツ人であるチュルリョーニスの母親と知り合います。

幼いチュルリョーニスは、音楽の最初の手ほどきをこの父親から受けました。
そして7歳の頃には、幼いコンスタンティナスは自由自在に楽器を操れるようになっていたといいます。

13歳になった時、コンスタンティナスはオーケストラの学校に入り、その後1893年には当時ロシア領であったワルシャワのワルシャワ音楽院のピアノ科に入学しました。音楽院でコンスタンティナスは作曲に手を染め、一年後にはピアノ科から作曲科に転科します。

1899年、チュルリョニスは優等で音楽院を卒業しました。
彼は音楽学校の校長先生の職を勧められますが、それを断ります。
そして1901年の秋にはドイツに移り、今度はライプツィヒで真剣に絵画に興味を抱き始めます。

1902年の秋、チュルリョーニスはワルシャワに戻り、そこで母校ワルシャワ音楽院での教職の口を提供されますが、再びそれを拒み、ピアノの個人レッスンで生計を立てながら細々と暮らしていくことになります。

そしてこの頃、音楽を続けながらも、絵画教室に通い始め、1904年美術大学(アカデミー)に入学します。そこでは例えば、石膏デッサンは一切行わない等、大変ユニークな教育方針がとられていました。
そして学生達はもっぱら雰囲気、性格或いは動作といったものを伝える為の訓練を受けました。

1905年の夏、ワルシャワでこのアカデミーによる絵画展が開催され、チュルリョーニスの絵は大きな注目を集めました。



そして1908年の秋、チュルリョーニスはペテルブルクに移り、そこでベヌアやバクストといった著名な画家達と知り合うことになります。

一方コンサートでは、スクリャービンやメトネルの作品と並んでチュルリョーニスのピアノ作品が演奏されるようになっていました。

1908年の年末にチュルリョーニスはリトアニアに戻り、1909年の元旦に結婚します。新婚夫婦は結婚式の後すぐに再度ペテルブルクに移り住みますが、冬には再度リトアニアに戻ります。
その後チュルリョーニスは妻をリトアニアに残したまま単身で今一度ペテルブルクにやって来ますが、その年の秋、アパートの一室で病に倒れ、廃人同然となっているのを友人によって発見され、妻が彼を迎えに来てリトアニアへと連れて帰り、精神病院に入院します。

1911年4月10日、ミカロユス=コンスタンティナス・チュルリョーニスはこの精神病院の一室で36年の短い生涯を閉じました。

(チュルリョーニスの絵は二枚ともこちらからの引用になります)

■昨日のの答え=・・・Аниме・・・アニメ(=日本語からロシア語の中に入って定着した「外来語」です)

■今日の=次の単語を発音してみましょう。
Караоке

(答えは・・・明日のお楽しみ)

チュルリョーニスの美しいピアノ作品op.20-3はこちらから視聴できます

チュルリョーニスの家

2010-04-11 | 番外編 ★ロシア以外★
本ブログの4月3日、4月4日にロシアの飛地領カリニングラードを取り上げました。
カリニングラードはポーランドとリトアニアにはさまれているわけですが、このリトアニア、かつては「ソビエト社会主義共和国連邦」を構成する15共和国のひとつでした。

リトアニアは、バルト海に面した自然豊かで大変美しい国です。
巨大なメガポリスであるモスクワの喧騒に疲れた時など、リトアニアを訪れると心がとても落ち着きます。

そしてリトアニアといえば・・・何といってもリトアニア音楽の父、そしてリトアニア美術の父でもあるリトアニアが生んだ天才画家・作曲家チュルリョーニスの存在が思い浮かびます。



チュルリョーニス美術館がある美しいカウナス市や、チュルリョーニスの家博物館がある緑豊かなドゥルスキニンカイ市・・・リトアニアのあちらこちらにチュルリョーニスの記念像や記念板がありますが、首都ヴィルニュスにもちゃんとあります・・・チュルリョーニスの家博物館と、その外壁についている記念板。
時代を感じさせる旧市街の路地は、それ自体ものすごく絵になります。

■昨日のの答え=・・・Аниме・・・アニメ(=日本語からロシア語の中に入って定着した「外来語」です)

■今日の=次の単語を発音してみましょう。
Караоке

(答えは・・・明日のお楽しみ)

チュルリョーニスの美しいピアノ作品op.20-3はこちらから視聴できます