
経済大国ドイツの今日の発展基盤となっているとても整備された高速道路網(アウトバーン)がナチスドイツの唯一の「正」の遺産、という言葉を耳にしたことがあります。どんな時代でも、「負」もあれば「正」もあるようです。
ロシア・ソ連のスターリン時代にしても然りです。
前述の大粛清は、スターリン時代の「負」の部分の最たるものですが、そんなスターリン時代にも、「正」の部分はあります。
しかも今日に至るまでモスクワ市民がその恩恵を蒙っているほどの、すごく強力な「正」の遺産です。
それは・・・ロシアが世界に誇る「モスクワの地下鉄」です。
ここ数年のモスクワは道路の渋滞が異常なほど激しく、平日の朝晩など地上の交通は実質麻痺しているような状態が続いています。特に雪が降り積もった冬場はひどいです。
そんなモスクワを唯一救っているのが、地下鉄の存在。
一度、試合に向かう途中のプロサッカーチームのバスが渋滞にはまって立往生してしまい、プロサッカーの選手達が全員そろって地下鉄で移動してスタジアムまで駆けつけたという出来事がありました。
この出来事が象徴しているように、モスクワ市民にとって地下鉄は、唯一のまともな交通手段であり、巨大なメガポリスを完全な麻痺状態から救っている救世主なのです。
もともとモスクワに地下鉄を作る計画は、1890年に持ち上がりました。
しかしこの時は、馬車の御者と、聖職者に猛反対され、この計画は中止されました。
20世紀初頭に再度地下鉄建設計画が取り上げられますが、今度は戦争と革命勃発によって凍結されます。
そして1930年代、急激に人口が増えたモスクワ市にあって、もはや路面電車とバスといった交通手段では間に合わなくなり、1931年に「1933年より地下鉄建設開始計画」がたてられ、それに基づいて1933年より施工されます。
1935年5月15日、スターリンの目が光る中異例のスピードで完成した地下鉄が開通しました。
この時開通した地下鉄の総距離は11km。
2つのライン(赤と水色)線上には、13の駅がありました。
開通の1935年5月15日には一日で、37万人の乗客が、出来たばかりの地下鉄に乗ったという記録が残されています。
日々どんどん人口が増えているモスクワにあって、地下鉄の「朝晩のラッシュアワー」というのも勿論あります。その時は日本と同じくらいか、あるいはそれよりももっとひどい「おしくら饅頭」状態になります。
しかしラッシュアワーの時は、最短で90秒間隔、ラッシュ以外の時間帯では平均して2分30秒くらいの間隔で車両がきますので、「おしくら饅頭」の不快感さえ我慢すれば、目的地に時間どおりに到着する計算をすることはできます。
こちらが現在のモスクワの地下鉄路線図です。(引用はこちらから)

モスクワの地下鉄には、スターリン時代に造られた博物館のような「美しい駅」と、スターリン亡き後に作られた「便利だけれども、特徴のない普通の駅」、そして、ロシア連邦になってから造られた「なかなかお洒落な駅」という三種類があります。
この「美しい駅」と「なかなかお洒落な駅」は一見の価値があります。
特に冬にモスクワを旅する時は、暖かくて快適な地下鉄観光、お勧めです。
トップの写真は、地下鉄を示す「M」のロゴが、もうすぐ大きくなるということを伝えるニュース記事(2009年6月25日付け)より引用しています。
コンサートに関する新情報はこちらまで。
ロシア・ソ連のスターリン時代にしても然りです。
前述の大粛清は、スターリン時代の「負」の部分の最たるものですが、そんなスターリン時代にも、「正」の部分はあります。
しかも今日に至るまでモスクワ市民がその恩恵を蒙っているほどの、すごく強力な「正」の遺産です。
それは・・・ロシアが世界に誇る「モスクワの地下鉄」です。
ここ数年のモスクワは道路の渋滞が異常なほど激しく、平日の朝晩など地上の交通は実質麻痺しているような状態が続いています。特に雪が降り積もった冬場はひどいです。
そんなモスクワを唯一救っているのが、地下鉄の存在。
一度、試合に向かう途中のプロサッカーチームのバスが渋滞にはまって立往生してしまい、プロサッカーの選手達が全員そろって地下鉄で移動してスタジアムまで駆けつけたという出来事がありました。
この出来事が象徴しているように、モスクワ市民にとって地下鉄は、唯一のまともな交通手段であり、巨大なメガポリスを完全な麻痺状態から救っている救世主なのです。
もともとモスクワに地下鉄を作る計画は、1890年に持ち上がりました。
しかしこの時は、馬車の御者と、聖職者に猛反対され、この計画は中止されました。
20世紀初頭に再度地下鉄建設計画が取り上げられますが、今度は戦争と革命勃発によって凍結されます。
そして1930年代、急激に人口が増えたモスクワ市にあって、もはや路面電車とバスといった交通手段では間に合わなくなり、1931年に「1933年より地下鉄建設開始計画」がたてられ、それに基づいて1933年より施工されます。
1935年5月15日、スターリンの目が光る中異例のスピードで完成した地下鉄が開通しました。
この時開通した地下鉄の総距離は11km。
2つのライン(赤と水色)線上には、13の駅がありました。
開通の1935年5月15日には一日で、37万人の乗客が、出来たばかりの地下鉄に乗ったという記録が残されています。
日々どんどん人口が増えているモスクワにあって、地下鉄の「朝晩のラッシュアワー」というのも勿論あります。その時は日本と同じくらいか、あるいはそれよりももっとひどい「おしくら饅頭」状態になります。
しかしラッシュアワーの時は、最短で90秒間隔、ラッシュ以外の時間帯では平均して2分30秒くらいの間隔で車両がきますので、「おしくら饅頭」の不快感さえ我慢すれば、目的地に時間どおりに到着する計算をすることはできます。
こちらが現在のモスクワの地下鉄路線図です。(引用はこちらから)

モスクワの地下鉄には、スターリン時代に造られた博物館のような「美しい駅」と、スターリン亡き後に作られた「便利だけれども、特徴のない普通の駅」、そして、ロシア連邦になってから造られた「なかなかお洒落な駅」という三種類があります。
この「美しい駅」と「なかなかお洒落な駅」は一見の価値があります。
特に冬にモスクワを旅する時は、暖かくて快適な地下鉄観光、お勧めです。
トップの写真は、地下鉄を示す「M」のロゴが、もうすぐ大きくなるということを伝えるニュース記事(2009年6月25日付け)より引用しています。
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