チキチキ読書日記

無駄に読み散らかした本の履歴です。

健全な肉体に狂気は宿る―生きづらさの正体 角川Oneテーマ21

2005年10月27日 15時13分12秒 | 哲学・思想
身体に関する意識は年々高まる一方である。
哲学、思想の分野から市井のジムやヨガ教室に至るまで。

電子メディアが発達したおかげで生身の身体を介在させることなく、他者とのコミュニケーションが可能になった。
あらゆる買い物から銀行の振込み、友人との連絡のやり取りもすべてはキーボードの操作で可能になる。
メールの場合、他者の表情も声色も分からない。
身体から発せられる言葉なら、表情や瞳の微妙な変化、声色、その他手足のちょっとした所作などから無数の情報を読み取っている。
しかしメールだとそれは不可能である。
文章しか判断材料が無いだけに、少しの言い回しを邪推したりするきらいがある。
それが最も過激な形で現れるのは2チャンネルなどの掲示板であろう。
宮台真司はメールなどによる最近のコミュニケーションを「不安ベースのコミュニケーション」と読んでいるが、身体を介さないコミュニケーションはまさに不安ベースである。
それを和らげるために顔文字などが生みだされ、若年層を中心に多様されている。
女子中高生などのメールはもはや顔文字絵文字のオンパレードで、文面の解釈に時間がかかる。
古代、言語は絵文字から始まったが、ここへきてまた古代の絵文字のコミュニケーションに回帰しているような気がする。
なかなか面白い現象である。

個人的には「身体」には多大な興味がある。
ゆえにジムにも通う。
身体の変化は精神の変化をもたらす。
逆もまたしかり。
どちらも身をもって体験した。

身体を消すことは出来ない。

ボッタクリ資本論―ゼニが来るヤツ逃げるヤツ 青木雄二 知恵の森文庫

2005年10月25日 13時16分05秒 | 社会・生活
『ナニワ金融道』『カバチタレ』でおなじみの青木雄二の本。惜しくも亡くなられたんだよなあ。
もっと長生きして欲しかったって思う人は何人かいるが、青木雄二はまさにその中の一人である。
長年のプロレタリアートとしての視点から、まさに地を這うような視線で街場の実体経済や人間模様や欲望羨望嫉妬その他魑魅魍魎とした現実社会を著してきた。
それはマンガ『ナニワ金融道』であり、本書のような「啓蒙書」である。
青木はカネのことをゼニという。
ゼニという言葉の響きは、お金やカネという言葉の持つそれよりも遥かに強烈だ。
汗だくになって稼いだ皺まみれの千円札を想像する。
学生時代に土嚢を造るバイトをしたことがある。
30キロくらいある土嚢を一つ作れば50円。3時間くらい泥と汗にまみれて50個作って2500円貰うのがいつものパターンだった。
50個つくると事務所にいるオヤジのところに報告に行き、皺くちゃの1000円札二枚と500円玉を受け取る。
これまでいろんな仕事をし給金を貰ってきたが、この時ほどゼニの重みを感じたことは無い。
労働力と引き換えに資本家から賃金を得る。
まさにマルクスの資本論の世界である。
青木はガチガチのマルキストであった。最近新書などでもマルクスや資本論に関する本が相次いで出版されている。
マルクスが再評価されてきているのだろうか。

とにかく青木の本はぬるま湯に付けられて、政府と会社に搾取されることに慣れきった我々にとって必読の書である。

海辺のカフカ 下 村上春樹 新潮文庫

2005年10月20日 12時56分46秒 | 文学・小説
上から続く

本書はこれまでの村上作品の王道を行くような傑作である。
いたるところにこれまでの作品の断片のようなものを感じる。
夏、海、少年、少女、記憶、森、夢、過去、失われてしまったもの……。
そして甘美ですらある死の風景。
これらを陳腐な言葉で表現するならノスタルジーであろう。
ノスタルジーは『世界の中心で愛をさけぶ』でその効果の大きさが改めて浮き彫りになった。
失ったもの、戻らない時間への郷愁はいつでも人を切なくさせる。
本書のラストはまさにノスタルジックな表現で満ちている。
それぞれの別れと過去との決別。
しかし主人公は15歳。その後に待っているのは未知なる未来。

海辺のカフカ 上 村上春樹 新潮文庫

2005年10月20日 12時38分58秒 | 文学・小説
久しぶりの村上春樹。
しかし村上春樹の文学の感想あるいは書評などを書くのはひどく難しい。
去年、芸大の卒業設計課題で村上春樹の文学館を計画したが、おそろしく難しかった。結果は破綻したものになってしまったが…。また再度挑戦してみたい。
本書は少年が主人公で、しかも旅をして成長していくというようなあらすじをちらっと聞いていたので、ヘルマン・ヘッセの一連の作品のような、いわゆるビルドゥングスロマンを創造していたのだが違った。
物語は少年の章と、もう一人(一組)の登場人物ナカタさんとホシノ青年の章が交互に展開する。
この辺りは『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を想起させるが、どうやら本柵は『世界の……』の続編として計画されたものらしい。
この上巻では少年とナカタさんは交わることがなくパラレルに話は展開していく。
少年はやがて何かに導かれるまま四国は高松を目指す。
それからのち舞台はほとんど高松である。
村上春樹の小説に、僕のふるさとである高松という地名が出てくることに違和感を感じたが、高松の中身はうまく誤魔化されている。
以下 下へ続く

攘夷と護憲「歴史比較の日本原論」 井沢元彦 徳間書店

2005年10月19日 14時40分14秒 | 歴史
逆説シリーズでおなじみの井沢の書き下ろし。タイトルに護憲という文字があるので護憲論者に対するバッシングかと思いきや、それには直接触れず、歴史を振り返ることにより、いかに空理空論を振りかざす「頭の固い権力者」が頭の柔らかい新興勢力にとって変わられたかが書かれている。
戦国時代を制した織田信長から幕末、明治維新にいたるまでの歴史のダイジェストとしても読める。
日本人は「言霊」によって雁字搦めになっているというのが井沢がいつも力説するところである。
いかに日本人が「言霊」にとらわれ、そしてそれによって多くのものを失ってきたかが本書を読めば分かる。
いわば逆説シリーズのダイジェスト版であるが、コンパクトにまとまっているので歴史を参照したいときに役に立ちそうな一冊である。

脳と魂 養老孟司 玄有宗久 筑摩書房

2005年10月14日 15時09分56秒 | 哲学・思想
養老孟司と僧侶で作家の玄有氏との対談。カテゴライズに困ったがとりあえず哲学・思想でいいか。
最近出す本出す本あたりまくっている養老先生であるが、本書ではそれをすっかり自覚してらっしゃり、いささか自信過剰なところが見え隠れする。それはそれでよいのだが…。
本書全体を通じて、両者の意見があまりよく噛み合わず、少しずれたほうに議論が展開しているのが気になった。
養老先生の十八番、脳=都市という図式が繰り返される。脳は自身で制御できるものを作る。それが都市である。都市は人為で制御できないもの「自然」を排除しようとする。男女でいうと男が都市で女が自然だ。女は月経、妊娠、出産と自然の生命サイクルを日々体現している。ゆえに都市化が進んでいく中世から徐々に都市から排除=差別の対象になっていく。
都市化が早くから進んだ中国の孔子の言葉に「女子と小人は養い難し」というのがある。これがまさに都市化が女性差別を生むという分かりやすい証左であろう。

日本社会の歴史 上 網野善彦 岩波新書

2005年10月13日 00時02分06秒 | 歴史
少し前に惜しくも亡くなられた歴史家、網野善彦氏による日本通史。従来のような支配階層を重点的に描く歴史とは異なり、女性や老人、障害者など一般的に弱者とされる人々にも光を当て、その時々に彼らがいかに扱われたのかについても言及が多い。
これまで単一民族、単一国家として二千年の歴史があるという漠然とした共通認識があるのだが、それを本書を通じて否定していく。
古代はまず、日本どころか国という概念すら希薄である。朝鮮半島との交流も思っていたよりも盛んで、ものすごい数の渡来人がわたってきている。
右よりを公言する論客が元気だし、なんとなく国全体が右傾化し、閉じたナショナリズムが加速している。それは朝鮮半島、中国の人々への差別「意識」となって現前する。
『網野史観』は一つのイデオロギーであるかもしれない。頭から鵜呑みにするのはよくないかもしれないが、国全体が分けも分からず右傾化している現在、改めて読んでもよい一冊であろう。

ガンも生活習慣病も体を温めれば治る! 石原 結實 角川oneテーマ新書

2005年10月05日 14時46分56秒 | 健康・栄養・スポーツ
こういう本をよく読む。まるで隠居後の爺さんだ。爺さんはあんまり読まないか。婆さんか…。
何故ゆえにこのような本を読むかといえば、虚弱であるからだ。
もっとも学生時代は運動部、50m走は6秒を切るし、1500m走は五分未満で走れる。しかも今もジムで鍛えることを怠らない。
それでも虚弱である。
ここ二年ほどで急速に丈夫になってきたが、とにかくよく風邪をひく。
すぐ熱が出る。
そしてすぐに病院にいく。
小さな症状に気が向くのは主に女性らしい。女性は元来の生命力の強さに加えて、生への執着も強い。
だから僕も生への執着が強いのだろう。すぐに医者に行くから。

さて本書は主に男性に向けて書いてある。
しかも漢方ベースの医学で書かれている。ゆえに西洋医学的常識と真っ向から対立することが結構書かれている。
たとえば朝食を抜くということ。
筆者は体過剰にモノを入れる。つまり食べることが諸悪の根源だと説く。
それよりも排泄を重視しろと。
たしかに排泄には爽快感が伴う。
もちろん食事も快楽が伴うが爽快感でない。しかも食べすぎた後は不快感である。。
腹八分目の医者要らずというが、まさに正鵠を射た発言である。
この、腹八分目、キントレ、ウオーキング。これが大事らしい。
早速今日から実践だ。
といいつつもう腹10分目まで昼食をとってしまったが……。

小さいことにくよくよするな! リチャード・カールソン サンマーク文庫

2005年10月03日 23時40分20秒 | 生き方・ハウツー・スキルアップ
ちょこっと前にずいぶんと流行ってた様子のこの本。ブックオフで投売りされていたので買って読んでみた。
著者はアメリカ人の心理コンサルタントである。
前向きで楽天的であることを求められるアメリカ人に向けた書かれた書物である。すべてのページにわたって上滑りするような、まったく心に引っかかってこない言葉が続く。
ようするに目の前の問題を相対化して、少しでも軽く感じるようにせよとのメッセージである。
言わんとするところはよく分かるのだが、実際にピンチになれば右往左往するし、ミスをすれば落ち込む。
しょせん、すべては小さなこと。確かにそうだ。
そんなことは分かっている。
自分を悩ませている問題など、世界を考えれば、宇宙を考えれば、永遠を考えれば……と無限に相対化しどこまでも観念の上では矮小化できる。
しかし、問題が降りかかっている当人にとっては世界は自分とその問題のみである。
もちろん多少の相対化はできよう。

解釈次第で物事はどうにでもなる。
確かにそうだ。
しかし、それはどこかでルサンチマンの匂いもする。
弱者の自己防衛である。
一昔前に『脳内革命』なるトンデモ本があったが、遠からずである。
こんな本で救われる人って一体……。

いかん あかん よういわん わかぎゑふ 集英社文庫

2005年10月02日 13時23分12秒 | エッセイ
中島らも亡きあと、リリパットアーミー、そして関西演劇界を支えるわかぎのエッセイ。
通勤の暇つぶしように買ったが暇つぶしにもならなかった。
英単語でも覚えてるほうがよかった。

基本的に女性のエッセイはつまらない。
卑近な話題が横溢しているか、みずからの「男勝りぶり」を露見して悦に浸っているものが多いからだ。
その最たる例が「酒豪自慢である」
女性が「酒豪」を自認し、そしてそれを自慢気に語るのを見聞きするのは痛いし辛い。
本著もご多分に漏れず、つまらない女性エッセイ本のエッセンスがつまっている。