チキチキ読書日記

無駄に読み散らかした本の履歴です。

頭はよくなならない 小浜逸郎 洋泉社

2005年09月29日 11時52分36秒 | 生き方・ハウツー・スキルアップ
昨日読んだ本を全否定するような身も蓋もないタイトルである。
塾の講師の経験のある著者が、自らの経験を踏まえてズバリ本音を語っている。
頭はよくならない。たぶん本当のような気がする。
僕も1000人以上の生徒を見てきたが、頭のいい子はいい。そうでもない子はそうでもない。
小浜がいうには数学ができる子は頭がいいらしい。これには文句はあるが賛成である。
自分は算数、数学の類は苦手である。今はさほどでもないが中学高校はとにかく苦手であった。数学とは言語を抽象化した数字や記号を用いて、解答へと至る一連の作業である。
数学は抽象化した思考であるゆえ、頭の中で推論を組み立てていかなければならない。
それができるというのはやはり頭がいいのであろう。
子供時代一貫して算数、数学が苦手だった自分は頭が悪いということだろう。
小浜がいう意味に置いて。

後半部分は小浜がアタマがいいと思う知識人とアタマが悪いと思う知識人を列挙している。
アタマが悪い知識人の中に柄谷行人の名前があった。
柄谷のことを悪く言う人が最近多いような気がする。
宮台氏も柄谷は西欧の哲学を「紹介」してるだけだと言っているし。
柄谷の本は誰に向けて書かれているのか分からない。
もちろん分かりやすく、よい本もあるが。
自らの頭のよさに酔ってこねくり回した議論を展開するような本は不要だ。


そんな感じで低スペックな頭であるが、読書と経験と意志である程度カバーできると信じている。
高度に抽象化された高等数学や理論物理などは全く無理だが、建築のようなフィジカルな世界ならなんとかなりそうだ。
なるんかな。
なるか。
なるさ。

「頭がいい人」は脳をどう鍛えたか 保坂 隆 中公新書ラクレ

2005年09月28日 13時30分00秒 | 生き方・ハウツー・スキルアップ
それにしても「頭がいい」というタイトルのついた本の多いこと。
本書もそうである。
こんな本を読んでもどうせ…と思いながらもしっかりレジに持っていってる自分も自分だ。
本書を貫く通奏低音は「脳も体の一部だから鍛えることができる。よって賢くなれる」というものである。
分かりやすい例がキントレである。
これは自分もやっているから良く分かる。漫然とした、自己流トレーニングでも三年も続けてればそれなりに筋力がついてくる。
本書もやはりキントレの例をあげていた。
つまり、使えば発達するし、使わなければ退化する。
実に分かりやすい。
さてどうやって鍛えるのか。
というよりは、気がつけば脳も鍛えられる日常の習慣について本書では述べている。
食生活、気持ちの持ち方、日常生活のすごし方などである。
早寝早起き、味噌汁、納豆を食べる、規則正しい生活、適度な運動などなど、どれもこれも小中学生のころはきちんと出来ていたことばかりである。
大人になるとなかなかこれが出来ない。

もっともこれらを実践すると「臓器」としての脳は鍛えられようが、「頭のよさ」は少し違う次元のような気がする。
たとえば情報処理能力、情報加工能力などであろう。
それは臓器としての脳を鍛えるだけではダメだろう。
高スペックのパソコンを所有しても、ソフトがダメだとそのパソコンはタダの箱である。
それに近いのではないか。

建築手法 安藤忠雄 GA

2005年09月04日 23時54分22秒 | 建築・都市
久々の建築本である。
もうかなり前に買い求めて、チビチビ読んでようやく読了した。
安藤の著書はほぼすべて読んでいるが、この本もその延長上。
いつもの安藤節が響き渡る。
建築界の御大、二川幸雄によるインタビューがメインである。
それにしてもこの人、今度は中田英寿のニューヨークのアパートメントの改修を引き受けたそうだ。
まだまだ走り続ける安藤さん。
低迷する関西のためにも、もう一頑張りしてください。
その後は僕がバトンを受けます。なんてね。


帰ってきたもてない男 小谷野 敦 ちくま新書

2005年09月04日 22時20分32秒 | 哲学・思想
前著、『もてない男」で一世を風靡した小谷野が帰ってきた!前著を上梓した後結婚し「裏切り者」と揶揄され、罵倒された著者も離婚し、再び僕たちの元に帰ってきた。ご丁寧に扉に「帰ってきたウルトラマン」の写真つき。これには笑った。

前著と本書を通じて筆者が言いたいのは、ようするに「恋愛至上主義」とでもいえるこの現状をなんとかしろ!ということだ。
恋愛をしない若者は人にあらず、といわんばかりである。
男性誌はいうまでもなく、女性誌なども最近は「モテ」がキーワードになっている。
すべての行動は異性にモテるためなのである。

評論家の森永卓郎はこの辺りに注目して、このようなモテるための消費、つまりれんあい市場こそ景気を引っ張るプル要因だと力説している。
確かにそれはあるかもしれない。
趣味も、教養も、ファッションも何もかも、異性にモテるためとだと言われれば否定するに足る積極的な根拠は無い。

これらは恋愛を肯定する論であるが、小谷野はそこから「あぶれて」しまった恋愛弱者なのだ。
恋愛弱者はじゃあどうすればよいのか?
世の中のステレオタイプとして恋愛弱者=オタクという図式が流布している。
そして、彼らオタクは現実の女性に興味は無く、ゲームやアニメの中の二次元の美少女に「萌え」ることによって異性への想いを満たしている、などと語られる。
確かにアニメイトなどに行くとそれっぽい人は大勢いる。

しかし、しかしだ。
小谷野も言っているが、恋愛弱者が皆オタクで二次元美少女に「萌えている」とは限らない。
現実の女性と恋愛したいのである。
なのに出来ない。どうしてか?
多くの人はコミュニケーション力が足りないからだという。
小谷野はどうのこうの言ってそれを否定しているが、僕は恋愛とはコミュニケーション力に尽きると思う。
小谷野は出会い系サイトなどに挑戦したり、お見合いサークルに入ったりしてみたようだがうまくいかなかったようだ。
小谷野は文章からももてないオーラが出ている。
東大卒であること、学者であることが、彼の自我のかなりの部分を占めているようだが、それでは女性はよってこないだろう。
そして、女性を特別視しすぎている。

そしてモテたければそれなりの「自己」投資はすべきだろう。
最低限、身だしなみの。
後はコミュニケーションの力。
これに尽きる。

ただ、読み物としてはかなり面白く一気に読んでしまった。
小谷野氏の今後が楽しみである。