チキチキ読書日記

無駄に読み散らかした本の履歴です。

入門日本の経済改革 佐藤光 PHP新書

2005年03月29日 11時33分07秒 | 政治経済
この手の本というのは新しさが命である。その点本書は1997年発行という点で、もはや死んでいる。普通なら読まないのだが実家に帰っていて何も読むものがなかったので手に取った。10年近く前に書かれているとは思えないほど佐藤氏が本書で述べている問題はタイムリーである。特に企業概念の日米欧比較というものがある。今ホリエモンとニッポン放送のバトルの中でしきりに「企業は株主のものであり、株主の利益を最大にすることが企業の役目」などという台詞を聞く。本書によればアメリカの経営者は企業を利益追求の機能集団でかつ、株主のものとみなす傾向が強い。イギリスの経営者はこれに似ているが企業を共同体として考える傾向が強い。それに対して日独仏の三国の経営者は企業を全利害関係者のものであり共同体であると考える傾向が強い。堀江がニッポン放送をスレスレのグレーな方法で奪取した言い訳に、企業とは株主のもの、そして経営者は企業の価値を高めるために仕事をするということをやたら強調する。これはアメリカ型の発想であり、確かに正論ではあるが共同体的な企業社会でやってきた日本人にはなかなかなじめないことであろう。

春琴抄 谷崎潤一郎  新潮文庫

2005年03月27日 23時27分08秒 | 文学・小説
春琴抄。これまで幾度と無く、あらすじなどを聞きかじってきたが、一度も原典にあたったことがなかった。谷崎といえば、耽美的で背徳的なエロスを日本(上方)の伝統的な美的世界の中で描いているなどと評される。全くその通りであった。西洋にも倒錯性を描いた物語はたくさんあるし、その中の何冊かは読んだことがあるが、やはり舞台が日本のほうが「しっくり」くる。春琴は盲目ゆえに鋭くなった感性を三味線にぶつける。しかしときに、鬱屈した感情を暴発させる。その感情矛先は寡黙な奉公人の佐助である。彼は春琴からうける厳しい仕打ちにいつしか喜びを感じていく。こう書くとなんだかSM小説風であるが、どちらかというと愛に殉じる心中物に近いと思う。愛するという行為に歓びを感じる佐助は果たして倒錯者なのか。それとも真に愛することを体現した幸せな男なのか。ともあれ究極の愛の形の一つであることには間違いない。

超・偉人伝  福田和也 新潮文庫

2005年03月27日 23時10分39秒 | 歴史
歴史上のいわゆる偉人を福田和也が新潮社のオバハン編集長に分かるように易しく解説している。本の中で下品な大阪弁を操るこのオバハン編集長というのがどこまで本当でどこからがフィクションなのかが良く分からないが、実在してしかも結構濃いキャラクターであるのは事実のようである。
まあそれはともかく、「なんとなく」子供の頃に読んだ偉人伝を改めて読むのも悪くない。偉人の伝記というのは波乱万丈でエキセントリックなエピソードにも事欠かないからいつまでも読み継がれるのであろう。

ピカソ 瀬木慎一 集英社新書

2005年03月25日 19時52分31秒 | 人物・評伝
日本において初めて本格的なピカソの展覧会を企画実施した瀬木氏によるピカソの評伝である。本書を読んで何よりも驚いたのは彼の身長が150センチそこそこであったという事実である。その精悍な顔つきから勝手に身体もいかつい偉丈夫を勝手に想像していた。しかし小柄ながらも骨太で頑強な身体であったことは改めて写真をみるとよくわかる。
彼は大変な多作家であった。寸暇を惜しんで絵筆を振るった。ひと夏に書き溜めたデッサンがひと冬の薪になったという有名なエピソードにそれは象徴されている。彼の絵画にはほとばしる「生」のエネルギーを感じる。それは彼自身がそういうあふれるエネルギーを存分に仕事にプライベートに惜しみなくぶつけたところから派生するものであろう。

年をとるのが愉しくなる本 森毅 ベスト新書

2005年03月08日 15時53分38秒 | 生き方・ハウツー・スキルアップ
京都大学名誉教授の森毅先生の本。最近全くお目にかからないから少し心配。この新刊が出てたから健在かと安心したのもつかの間、元の原稿は結構前のもの。本当に達者でいらっしゃるのだろうか?と心配してみるのだが、本書ではそんな最近の「元気な年寄りを期待する声」に真っ向から反論している。「年寄りだから元気が無くてもいいやん」などという主張は森センセイらしい。昔はあった「隠居」という制度が無くなり年寄りはいつまでも「元気で達者」という社会の強者の論理に組み込まれてしまっている。江戸時代のように隠居という制度があったらもっと楽に暮らせるのにと思う。森センセイは近頃の若い人たちに対する危惧として「退屈する習慣がない」ということを挙げられている。確かに仕事もプライベートも予定がびっしり詰まっていないと不安だと思う人は多い。ときには何もしないでゆったりとした時間をすごしてみるのも悪くない。でも貧乏性の僕はそれが出来ないのである。

ホンモノの思考力―口ぐせで鍛える論理の技術 樋口裕一 集英社新書

2005年03月07日 12時55分38秒 | 生き方・ハウツー・スキルアップ
小論文対策で浪人生時代お世話になった樋口裕一氏の本。10年以上前浪人生だった僕は『ぶっつけ小論文』という小さな本を片手にZ会の小論文口座を受講していた。だいたい200点中70点、80点。まったく話にならないレベルであった。当時第一志望の大学が小論文を課していたのでその対策であった。大学は落ちたけど、よい勉強になったことは間違いない。
 さて、本書であるが、斎藤孝の著作に内容はよく似ている。要するに思考の型を身につけ、その型に則った形で思考や発言を展開していこうというものである。具体的に氏が提案するのは3W1Hというものである。「それは何か・定義」「何が起こっているのか・現象」「何がその結果おこるのか・結果」これらが3W。そしてHは「どうすればよいのか・対策」である。これらを用いて情報を整理し、そして解決のための提案が出来ればそれで一つの思考の完成である。本書を座右において常に参照しながら論理的な思考方法を身につけていきたい。

必読書150 浅田彰・柄谷行人ほか 太田出版

2005年03月07日 12時31分20秒 | 哲学・思想
柄谷行人、浅田彰、岡崎乾二郎、島田雅彦らによるブックガイド。150冊の内訳は人文・社会科学から50冊、日本文学50冊、海外文学50冊である。ほとんどがいわゆる古典である。プラトン、アリストテレスからサイードまで。海外文学に至っては、『イリアス・オデュッセイア』やイスラム文学の『ルバイヤート』あるいはラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語』など世界史の授業で無理やり覚えた名前が列挙されている。ここに列挙されている本を消化しなければ「知識人」にはなれないのかもしれない。確かに古典は読まれるべき名作だから現代まで存在し続けているのは事実であり、だからこそ含蓄もうんちくも含まれるのだろう。しかし古代から中世は出版物の絶対数が少なかったわけだし、現代まで残っているから即すばらしいと短絡するのはいかがなものか。古典にイマイチ触手が伸びないのは印刷が悪いからである。岩波文庫などは新しい版でも初版が刷られた時代そのままに、読みにくい豆粒のような活字で組まれている。根性無しと呼ばれればそれまでだが、もっと読ませる努力も出版側には必要だろう。でもコスト面で難しいのかな。