チキチキ読書日記

無駄に読み散らかした本の履歴です。

健康問答 本当のところはどうなのか?本音で語る現代の「養生訓 五木寛之・帯津良一 平凡社

2007年04月13日 15時25分37秒 | エッセイ
少し前から、のどが渇いてからでは遅いので、乾く前に水を飲めと言われている。
しかし、ここ最近それは間違っているとの見解も出始めている。
特に東洋医学の関係者から手厳しい指摘が相次いだ。

水の飲みすぎは身体に水毒をもたらすのでよくないと。

飲む、飲まない。
どちらの意見もその道の権威とみられる先生が書かれているので、我々読者としては何を信じていいのか皆目わからなくなる。

そこへ登場したのが本書だ。

以前から、養生に関しては一家言もっている五木寛之氏と意思の帯津氏との対談であるが、本書を貫く一貫したテーマは「中庸」である。

薬には作用もあれば副作用もある。
アルコールもタバコも人によって、あるいはその飲用シーンによっては毒にも薬にもなる。

つまり、情報を鵜呑みにしたり、自分の体のことを人任せにするのではなく、身体が発する微細なメッセージに注意深く耳を傾けることが大切なのだ。

郊外の社会学 若林幹夫 ちくま新書

2007年04月06日 20時05分50秒 | 建築・都市
郊外で育った作者による、郊外の分析である。
10年前の神戸児童連続殺傷事件の舞台となったのが、郊外の新興住宅地であったことから、郊外と犯罪との結びつきが語られるようになり、それに呼応するかのように、郊外「病」という「病理」が語られるようになった。

しかし、それは本当に病理と呼ぶべき事象なのだろうか。

同じく、地方都市の郊外の団地に育った私は一連の「郊外論」に対して思う所が結構ある。
郊外には郊外のコミュニティーがあり、土地の歴史的な連続性から切り離されているとはいえ、何年かするとしだいに地域に根を張るものである。

そこに醸成される新たなコミュニティーは「希薄なもの」というラベリングがなされるのが常である。

三浦展による一連の著作も、基本的には「郊外性悪説」に基づいているように思う。
しかし、本書は著者自らが郊外出身ということもあり、できるだけフェアに観ようとする努力をひしひしと感じる。

高度経済成長期につくられたニュータウンは軒並み高齢化を向かえ、世代の更新がままならないようである。
人口が減り、都市が縮小傾向に向かっていくこれから、郊外は滅びの一途をたどるのか。
それとも見直されるのだろうか。