「与えられたものは、求めたもの」
これは安田先生がおしゃってた言葉で、聞いた翌日は皆盛んに使ってました。
今の自分の選んできた全ての道は、自分が最終決断を下して今がある。
こんな婿はんどうや?この人を嫁に迎え入れよか?与えられて、決断は自分が下してきたはず。
この学校にしょうか?義務教育を私学にしようとする場合は親が決まれば子が決まる。
親を選んで子は生まれることはできません・・・宿業と呼ばれますが、あんたが私の腹を選んで
生まれたいというから、生まれてきたんやと言うことも可です。
与えられた今の境遇・・・うまいこといかんなぁとぼやく人、みんな思うようにいってたら
つまらんとぼやくでしょう・・この現前の境遇に落在してる自分
数々の与えられたものを思い起こしてみましょう。まず、伴侶、友、職業、あげくはパソコンや食事
物品にいたるまで・・・憎たらしいやつは逆縁であなたを育てているやつです。
ようわからんから勉強する。与えられたものばかり・・・いらないと決断したものも
いらないと求めて捨てたわけで、しまったと後悔するのも求めたもの・・・
ハーレー乗りの人はハーレーが乗りたいと求めて乗ってはる。
与えられた交通法則は時速制限がしてあります。制限以上出すのは
自分が求めたものだから責任は自分にあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/bd/a784ad51457849231ba091ebea826378.jpg)
Mダックスを飼いたいと求めたから私の家に朔太郎がおります。
家族が了解してくれたから与えられたのが朔太郎です。
責任は自分にあるので最後まで面倒みなければなりません。
表現が中途半端ですが・・・私はこの言葉で今までどれだけ救われてきたことか・・・
一人で喜んでないでこのブログの訪問者様へのお中元です。
考えなくても本当はそうなのですね。
決断をする下地は今までに自分が養ってきたものですから・・・
さて、これからの私の決断はどうあるのかな?
おいでになる前に考えてます。
決断を下したものに生きよですよね。
先生は十分に生きとし生けるものを助けてますから、責任を果たされてますと思います。
そうそうその通りです。
分かってはいるんですが、
ついつい、人のせい、周りのせい、自分以外のせい
にしてしまいます。
「与えられたものは、求めたもの」
ありがとうございます。
「与えられたものは求めたもの」
とても深い言葉ですね。
いろいろなことに置き換えながら考えました。
この先も大きな決断・小さな決断を自分で下していくのだから、ひとつひとつ大切に生きていきたいと思います。