朔太郎の気楽な一日

ミニチュアダックスフンドの朔太郎です。よろぴく!

煩悩の実演

2010年10月01日 | 黒革の手帳
※「根は八百屋、花は花屋で、葉は味噌」
蓮~蓮根のことでこれは
貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)がみんな
変わるということの喩え。
信心により貪(むさぼり)は清浄、瞋(いかり)は歓喜
愚痴は智慧に転じて、何一つ無駄がない事。

※愚痴は煩悩の一番底
 (愚痴は煩悩の根)
仏壇の花は根が切ってあるわね。
放っておけば枯れる・・・成仏するんですわ。
根が切れていれば業をおこさん
根があると花が咲き実を結ぶように流転は尽きませんわ。
縁があれば煩悩はおこるもので、放っておけばいいのです(笑)

いつも言っておられました。
※「立派な農家を営むことが大事です。
多く収穫をしょうとするから、いくら獲れても
不足が出る。
「米をとろうと思うな。立派なイネを作れ。」
それは立派な農業を営めということです。

※「煩悩があってこそ智慧(信心)が要る。」
野菜も魚もないのに包丁は要らない。
材料がなければ、また料理をしないから
包丁はいらない。錆びるだけ。
煩悩の始末をつけるのは智慧です。

※「数珠の百八つのこと」
お数珠を手に掛けるのは
煩悩を手にかけて仏の前に差し出す。
つまり仏様の前へみんな投げ出す
それが拝むということです。
拝むと心が軽くなるんです。