MY LIFE,MY SPIRIT by Masato

今までの人生で感じたこと、自分の考え方を率直に語ります

前世リーディング20-前世の仕事と学生時代のアルバイト

2007-07-13 18:06:58 | Weblog
ドイツの前世は直前の前世だろう。大体200年経って生まれ変わってきたのだが、想像していたよりも短いスパンで生まれてきたのかと思った。
それにしてもスペイン貴族だった前世と比べると、ドイツの精錬工場で働く技術者だったなんて、えらく地味な人生だったなと思う。こんな前世があったとは今でもピンと来ない。しかしスペイン貴族時代、働かずに遊びほうけていたカルマの解消のため、地味でも真面目に働くという目的があったのかもしれない。誰しも毎回裕福な人生など送れないのだろう。

だが僕は同じ作業の繰り返しが一番嫌いである。今の自分からすると、精錬工場で働くなど考えられない。自分なりに考え、創造していく仕事が好きである。だが同じ作業の繰り返しの仕事は、学生時代のアルバイトでよくやっていた。

大学1年の時、大学から歩いて通える品川駅前のマクドナルドでバイトしたことがある。マックのハンバーガーを作る一連の作業は本当に合理的に出来ている。一秒たりとも無駄な動きをしないよう、すべてマニュアルできっちり決まっていて、アメリカ風の合理的オペレーションシステムに驚いた。しかし一通りオペレーションを覚えると、後は単調な作業の繰り返しで本当につまらなかった。まるで自分が機械になったようで、時間が経つのがものすごく遅く感じた。これならわざわざバイトに作らせず、工場のようにすべて機械で作ればいいだろうと思った。

機械に任せることは最大限機械に任せ、人間は創造的な仕事をするべきだと思うが、マックの仕事には創造性のかけらもない。マニュアル以外の余計なことはしてはいけないのだ。しかし僕はせめてお客さんが喜ぶよう、量の多いビックマックを作ろうと、レタスをめい一杯入れて作った。しかしその程度が精一杯だった。

当時は作ってから一定時間経過したハンバーガーやポテトは、ウェイストと言ってどんどん捨てていた。客に新鮮なものを提供するという方針はいいと思うが、世の中には飢えている人が大勢いるのに、これはもったいないと思った。せめて捨てたハンバーガーくらい、バイトの食事として提供すれば士気も上がるのに、そういう待遇は一切なかった。こっちは学生でお金がなくて腹をすかせているのに、冷たい会社だなと思った。

マックの社員も機械のようなタイプの人間ばかりだった。とにかくバイトはマニュアル通り、指示通りにきっちりやればいいという考えで、性格が冷たい人間が多かった。こういう会社にいると機械的な人間になってしまうのだろう。

マックでは正社員でも単調な仕事だったが、その割には社員はすごい高額なボーナスをもらっていると聞いた。大して仕事の内容に差がないのに時給550円でこき使われているバイトの待遇がばかばかしくなった。

せめてバイト仲間に可愛い女の子でもいれば楽しく仕事ができるのだが、そんな子は皆無だった。これなら学内の方がよほどましだ。この店の2階はアンナミラーズが入っていて、可愛い女の子はみんなアンミラに奪われ、アンミラを落ちた子がマックに来るというもっぱらの噂だった。

結局マックのバイトは3ヶ月で辞めてしまった。短い期間だったが、自分にはこういう単調作業の繰り返しは向かないと思い知ったアルバイトだった。

学生時代は他にもいくつかバイトをした。長続きしたのは、高円寺の公民館の警備員のバイトだった。警備と言ったら聞こえはいいが、日曜利用する区民のため、朝から晩までただ居るだけでいい仕事だ。秒刻みで働くマックの後だっただけに、世の中にこんな楽なバイトがあるのかと思った。
小さな警備会社だったが、ここからは磯子プリンスホテルのプールや代々木オリンピックプールのロッカー警備などの仕事ももらった。代々木オリンピックプールのロッカー警備の仕事では、休憩時間になると夏はプール、冬はスケートを無料でやらせてもらえて楽しかった。親会社から定年後に出向で来ていた年配のおじさんやおばさんに可愛がられ、結局卒業まで3年間続けた。しかし仕事は楽な反面、時間を提供しているだけで、何のスキル向上にもつながらない仕事だった。その時は楽なバイトで得したと思ったが、今思い返すと、マックの3ヶ月の方がいい経験になったと思う。

面白かったのは、大学4年の時にやった、中野にある小さな内装会社のアシスタントのバイトだった。着物チェーン店舗「やまと」の下請けで、首都圏のショッピングセンターにある店舗の内装を請け負っていた。ここの社員は運転手と内装工事と営業のすべてを一人でやる。毎朝トラックに畳や飾り付けの品を積み込み、首都圏にあるやまとの各店舗を回る。

僕はトラックの助手席に乗って、店に着いたら搬入や飾り付けの手伝いをする仕事だった。社員とトラックに乗って、東京、千葉、神奈川、静岡まで、いろんな所に行けて楽しかった。時給は安かったが移動時間も時給になったからうれしかった。

しかし僕は週に1、2日程度の仕事で、責任もないので楽だが、社員は毎日夜遅くまで働いている。これを繰り返していると思うと、大変な仕事だなと思った。その割に給与は安いが、7人前後しかいない小さな会社だから仕方ない。社員は人間っぽい面白い人が多かったが、質は低いなと思った。

30歳位のある男性社員は缶コーヒーが好きで、1日に10本も買って飲んでいた。安月給なのにコーヒー代だけで1日千円使うのはもったいないと思い、家に余っていたインスタントコーヒーをポットに入れて毎回その人にあげたら可愛がられ、よくその人から指名された。

しかし彼は人柄はとてもいいのだが、少し頭が弱く、仕事の要領が悪かった。毎回のように仕事でミスを連発しては、得意先から怒られている。ガス欠でエンストしたり、鍵を車の中に入れてロックしたり、ヤクザっぽい人にからまれたり、この人といると必ずと言っていいほど何かトラブルが発生した。社内での評判も芳しくなく、職場の人間関係で悩んでいて、少し鬱病気味なところもあった。いじめられっ子の小学生がそのまま大人になったような人だった。

この人が可哀相に思い、トラックで移動中に「こういう場合はこうした方がいいんじゃないですか」と10歳も年下の僕が、彼にいろいろとアドバイスした。すると彼は「そうだよね~、須藤くんのいう通りだよね~」とはいうものの、根本的に理解力がないらしく、全く改善されなかった。

もう彼は営業も兼ねているような仕事は絶対に向かないと思った。身体は丈夫で仕事は真面目なので、宅配便の配送ドライバーとか引越しの仕事の方が、単純だが給与も高くて向いていると思った。この会社にいても将来性はないし、思い切ってそういう別の会社に転職したらどうですかとアドバイスした。

そうしたらその人は、僕と会社の人が組んで、自分を辞めさせようとしているんだろうと疑い出した。こちらが善意でアドバイスしたのに、全く見当違いの疑いをかけられて、僕もさすがに頭に来た。それ以来その人とは縁が切れた。

学生時代にはマスコミとかモデルのような高給で華やかなバイトをしている同級生や先輩もいたが、自分は社会の最底辺に位置するような地味なバイトが多かった。高校時代まで田舎で育った自分には、そんな華やかな仕事が自分にできる能力はないと考えていたから、時給が安くても単純なバイトを選ぶしかなかった。また学生時代は華やかなバイトをするよりも、むしろこういう地味なバイトの方が良い経験だと思っていた。

これらのバイトをして感じたことは、世の中には学歴がなく、頭も悪く、能力が劣る気の毒な人が現実にいるということ。そういう人は箱庭のような小さな無名の会社で、安月給で劣悪な労働条件の下でも、一生働き続けなければならないんだなということを肌身で感じた。
そして自分は決してこうはなるまいと堅く心に誓った。

ドイツの前世の精錬工場での地味な仕事のリーディングを聞いて、学生時代の数々のアルバイトを思い出した。

社会人になったら地味な学生時代のバイトとはガラリと変わり、ベンチャー企業に足を踏み入れることになった。リクルートの江副さん、パソナの南部さんは一代で大企業を作り上げた天才的経営者だった。カリスマ経営者の下、毎年売上は急増、毎月のように新会社が立ち上がり、社員がどんどん入ったり辞めたりして、もう目まぐるしく変化に富んでいた。最初は戸惑ったが、慣れるとこれはこれで楽しかった。

今の仕事はなんとかやっていけてはいるものの、サラリーマン時代にいたベンチャー企業のような急激な売上の伸びや、ダイナミックな変化はない。この程度の仕事では男として情けないなと思うことがある。

しかしドイツの前世の地味な仕事に比べれば、今の仕事は変化があるし、自分で好きなようにできて幸せなのかもしれない。


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