MY LIFE,MY SPIRIT by Masato

今までの人生で感じたこと、自分の考え方を率直に語ります

別れの意味

2007-07-27 20:15:46 | Weblog
時間が経つのは早いもので、独立して仕事を始めて今年でちょうど10年になる。最初は何の当てもなく、自分でもやっていけるかどうか不安だった。当時はまさか10年も続けられるとは思っておらず、どうしてもだめだったらサラリーマンに戻るつもりでいた。しかしマイペースで一匹狼タイプの自分には、自営の方が向いているようだ。これからも続けていきたいと思っているが、それでも時折サラリーマン時代が懐かしく思える事もある。

僕はベンチャー企業にいたから、新入社員の数も多く、年春になると100人以上の新入社員が入ってきた。リクルートにいたある年は、なんと一気に1000人以上入ってきた記憶がある。彼ら新人のフレッシュな雰囲気は、マンネリの職場にも活気をもたらしてくれて、いつもより5割増しで仕事をがんばった記憶がある。新卒だけでなく、中途社員も定期的に入ってきた。別の企業にいた人の価値観や仕事ぶりはいい刺激になった。人の出入りが激しく、いろんな人と出会い、仕事をし、そして別れていった。今考えるといい経験だった。自営になってからはそれがないのが寂しいなと感じる。

そこでせめてプレイベートでは自分が新人になろうと、今年の春から友達の紹介で新しいテニスサークルに入り、定期的に参加するようになった。
新しい環境というのは刺激があっていいものだ。このサークルは毎週新しい参加者が来ていて、新しい人にもオープンな雰囲気がある。年齢層も幅広く、雰囲気もさっぱりしていて気に入った。家からは車で20分程度と場所も近くて通い易い。シャワーや待合室のスペースも十分あるし、環境的には申し分ない。少しずつメンバーと仲良くなり、今はこちらがメインになった。

以前から行っていたもう一つのサークルは、最近足が遠のいていた。家から1時間半近くかかり、帰りは渋滞するので、日曜日がまるまる一日つぶれてしまう。元々はもっと近かったのだが、コートが変わるたびに遠くなっていった。

ここは5年ほど前に付き合っていた彼女が紹介してくれたサークルだ。彼女とは山中湖での日帰りテニスで知り合った。初対面でインスピレーションがあり、容姿はそれなりに可愛いし、ちょっと気が強そうな性格が気に入った。向こうも僕を気に入ってくれたらしく、交際を申し込むとすぐにOKしてくれた。

しかし早くも2回目のデートで、彼女は内面的に問題を抱えている女性だというのがはっきりとわかった。彼女はいつも男っぽい話し方や振る舞いをしていて、見た目とのギャップが大きかった。本当の彼女とは全然違うような気がしてならず、どうしてそんな男っぽい話し方をするのか聞いてみた。すると小学生の頃にいじめにあい、それ以来いじめに負けない自分になりたいと強く願い、男っぽい話し方になったという。

それを聞いてなるほど、それが原因だったのかとよくわかった。彼女の男っぽいサバサバした話し方は、自分の弱さを隠すためだった。本当は傷つきやすくて繊細な内面を持っているが、自分が弱い人間であることを周りに知られたくない。だからわざと男っぽい話し方や振る舞いをして隠している。まるで殻に閉じこもっているような性格の女性だった。しかし内面とのギャップで心が二重構造のようになっていた。本心で思っていることと、実際の行動に違いがあり、それが彼女に不幸をもたらしていると確信した。

彼女は素直に自分を出さず、いつも突っ張っていて、自分を必要以上に良く見せようとしていた。一度彼女に「殻に閉じこもるのは止めて、もっと心を開いて素直になったら」とアドバイスしたことがある。しかし彼女は「自分は殻に閉じこもってなんかいない」と頑として認めなかった。僕から見れば殻に閉じこもっているのは一目瞭然なのに、本人はプライドが高く、彼氏の僕にも決して弱みを見せようとはしないのである。

しかしお互いに心を開かずにいい関係を築けるはずがない。僕はできる限り彼女に心を開いてもらえるよう、いろいろ話を聞いたり、親身にアドバイスしたつもりだった。しかし彼女は絶対に自分を変えようとはせず、あまりにも頑固で歯が立たなかった。

彼女も幼い頃、いじめに合う以前は、もっと素直で純粋な部分が全面に出ていたと思う。しかし長年に渡って自ら作り上げた殻は非常に厚く、僕が説得した程度ではとても溶かせないなと痛感した。

結局彼女とはどうしても価値観が合わず、3ヶ月程度で別れた。あの時は僕も彼女も相当傷つき、それが原因で彼女はサークルも辞めてしまった。彼女は毎週のように熱心に参加していて、何年もいた常連メンバーだった。彼女にしてみれば親しい友人もいただろうに、僕が原因で辞めることになってしまったのは申し訳なかったなと今でも感じている。今では彼女がどこで何をしているのか全くわからないが、せめて僕との別れが少しでも彼女の成長になったなら、僕が関わった意味もあったと思う。

もうあれから5年以上経った今では懐かしい思い出だ。それ以来、ずっとこのサークルでテニスをしてきた。最初は彼女が辞めたのに、後から入った自分が続けているのもなんとなく恥ずかしいような感じで、テニス以外の付き合いはほとんどしなかった。しかし時間をかけて慣れていき、2年前はサークルのWEBを作ったり、コーチ役もやるようになった。

しかし今のコートは駅から距離のある辺ぴな場所で、コートコンディションも悪く、シャワーも待合室もなく、更衣室は汚い。おまけに毎回、自分のテニス理論を怒鳴り散らすコーチがいて、みんな嫌がっている。しかし日本人特有の事なかれ主義だろうか、みんな見て見ぬふりで、誰も勇気を出して対処しようとはしない。更に幹部も鈍感で、ずっとこんな状況が続いているから、これが客観的に観てどれほど問題なのかまるでわかっていない。

こんな状況では特に女性は嫌がるだろう。最近は同じようなメンバー同士で固まってしまい、どこか閉鎖的な雰囲気がある。実際、メンバーも少しずつ減り、活気もなくなっている。一時期はこのサークルを盛り上げようと頑張ったが、こんな調子だから最近はどうでも良くなっていた。

このサークルに先月久々に参加した時、ある独特の不思議な感覚がめぐってきた。なぜわざわざ時間をかけて遠くのコートまで行かなければならないのか。なぜ嫌な人間がいるマンネリのサークルをずるずると続けているのか。元々は彼女のサークルだったのに、一体いつまでいるつもりなのか。

それらが突然疑問に感じてとても空虚な感じがした。新しいサークルと比較したのもあるだろうが、なんだか自分がそこに居るのに、精神的には全く別の場所にいるような感じになった。

この感覚はなんと説明したらいいのか難しいのだが、周りの様子がまるでモノクロ映画のようで、自分とは別世界のような感覚なのだ。しかしこの感覚が出るのは初めてではない。僕は時々、こういう感覚になる時があるが、それはそこから離れていくときの前兆を意味している。

例えば会社を辞める直前、あるいは異動が起きる直前によくこういう感覚になった。今までその部署の上司や同僚や部下と一緒に仕事をしてきたのに、なんだか自分が全く関係ない別の会社にいるような感じになる。真剣に仕事をすれば、ここはこうしたらいいとか、これはこう対処しようとか、いろんな意見やアイディアが出るものだが、そうした意欲が全く無くなってしまう。そして別の道があるのではないかと模索するようになり、今までとは別の仕事に興味がわいてきて、目の前の仕事などどうでも良くなるような感じがする。突然どうも自分がこの仕事の当事者ではなくなって、全然関係のない人間になったような感じだ。

そうなった時には、間もなく否応なしに変化が訪れる。自分で異動や転職を望むケースもあるし、上司から突然言われるケースもあるが、どちらにせよ異動や転職がやってくるというパターンに決まっている。

仕事だけでなく、女性と別れる場合も同じような感覚になる。
誰しも付き合っていれば相手の内面をよく知ることになるし、情もわいてくる。相手の喜びも悲しみも、自分のことのように感じて、感情移入するのが普通だと思う。
しかし付き合っていくうちに、相手の内面にどうしても自分とは合わない部分があるということがわかってくる。最初の頃は相性よりも情熱の方が勝っているが、その内に価値観の違い、相性の悪さが少しずつ全面に出てくるようになる。
それをずっと我慢していくうちに、一定の許容範囲を超える。そうなるとこの感覚が起きて、もう終わりだなというのが自分ではっきりわかる。

こうなるとそれまでどんなに親密に付き合ったとしても、ある時期を境に、突然他人になってしまう。まるで相手がパントマイムを踊っているように見えて、自分とは全く別世界の人のように感じる。相手の姿は普通に見えるし、言っていることも頭では理解できるのだが、どうしても心の奥底まで響いて来ない。波長が全然あわなくなって、相手に全く感情移入できなくなってしまうのだ。

それから間もなく自分から別れを切り出すか、相手から振られるかのどちらかが起きると決まっている。このサークルを紹介してくれた彼女や、その次の彼女との別れもこのパターンだった。

でも過去の経験から、こうなったらもう後戻りできないことはよくわかっている。だから下手にあがいて修復しようとはしないことにしている。その時の自分の本心の自然な流れに任せた方がいい結果が出る。

よく離婚する前に、暴力や罵詈雑言の喧嘩を散々して、相手をとことん憎しんで別れる夫婦がいるが、そんな未熟な行為は止めた方がいい。お互いにもう二度と顔も見たくなくなるだろう。たとえ途中で嫌いになったとしても、少なくとも最初は自分が好きで結婚したのだし、何らかの縁があって一緒になった相手である。だから人間としての最低限の良識は保つべきだと思う。

僕も前の彼女と別れる時はいろいろあった。唯物的で体裁を気にする彼女とは価値観が全く違っていて、これを何とかしなければ長続きしないと思った。自分のスピリチュアルな考えをわかりやすく説いたつもりだったが、頑固な彼女は決して受け入れなかった。だからと言って僕がそれを強制したことは一度もない。受け入れるかどうかは本人の自由である。また僕が彼女に暴力を振うとか、非人間的な行為をしたこともない。

今では何ヶ月に一度会う程度だが、お陰で普通には話せる関係にある。汚い言い争いや暴力をせず、別れられただけでも良かったと思う。

僕が付き合う女性は、なぜか頑固で内面に何らかの問題を抱えている女性がほとんどだ。素直な女性を選べばずっと楽なのに、そういう女性は物足りなくて、なぜかこういう問題のある女性を選んでしまう。そして僕と付き合うことで、その女性は自分の内面の問題に否応なく直面するというパターンに決まっている。僕はそうして女性を成長させるという役回りらしい。

しかし相手が自分の考えを受け入れるかどうかは、相手の成長度合いによる。だから結果が悪かったとしても、それは相手にまだ受け入れる準備ができていなかったと考えればいい。
相手に強制する必要もないし、自分を責める必要もない。
自分なりに出来るだけのことをしたのであれば、もう相手から十分学び、相手も自分から学び、お互いの役割を終えたのだと考えた方がいい。
そして別れる時期がやってきたのだと素直に認め、さらりと別れた方がいい。
いつまでも過去に執着し、つかんでいたら決して次のステップには進めない。

僕はよくドライだと言われるが、それは人生を「自分が主人公の舞台や演劇」のような感覚で客観的に捉えているところがあるからだと思う。舞台では劇団員がいろんなキャラクターの役を演じてドラマを繰り広げ、エンディングを迎えるが、この世の世界もこれと同じようなものがある。

我々はこの世に生を受け、地上での役をもらう。演劇の世界では主人公がいれば、脇役もいるが、地上では自分自身が主人公となる。地上という実践の舞台で、様々な人々と出会い、関わり、自分なりの役割を果たしていく。しかしそれが終わったら、地上という舞台から別れなければならない時が必ず来る。

霊的な世界を信じない人や、生まれ変わりを信じない人であっても、万人に死が訪れる事実だけは認めざるを得ないだろう。人間は死の元に平等だというが、その通りだと思う。どんなに愛する人や家族がいても、どれほど多くの財産を持っていても、どんなに高い地位も名誉があろうとも、すべて捨ててあの世に旅立たなくてはならない。究極的には誰でも必ず地上を去る日が来る。

しかしスピリチュアリズムでは、我々が生きている物質的世界が死んでいるようなもので、非常に不安定な世界であり、死後の世界、霊的な世界が本来の実在の世界であると説いている。だからたとえ愛する人と一時的に別れたとしても、またあの世で会えるのだから、そんなに悲しむ必要もないと説いている。だから別れそのものは悲しむことではない。いつかまた会えるのである。

本当に悲しむべきことは、地上という自分が主人公の舞台において、せっかく縁あって地上で関わった相手に対し、自分なりのベストを尽くせなかったり、自分の本心に正直に生きられなかったことではないだろうか。

霊的な世界に還った後、誰しも自分の人生をまるでビデオを見るように振り帰るという。大半の人々は、あの時あの人にああしてあげればおけば良かったとか、自分にチャンスがありながら挑戦しなかったとか、自分が人生においてベストを尽くさなかったことを、涙を流して後悔をするそうだ。

そして多くの人達が、もう一度地上に生まれ変わり、できなかったことを再度やり直したいと望むという。幸い転生輪廻の法則のお陰で、失敗してもやり直すことは出来る。しかし生まれ変わるのは何百年に一度しかチャンスがない。そのチャンスが来る日まで、何百年も残念な想いを引きずることになる。


仏教的に閻魔大王が天国か地獄かを決めるわけではない。
キリスト教的に最後の審判が下されるわけでもない。
自分で自分自身を裁くのである。

永遠の生命を持っている以上、自分自身からは永久に逃れられない。
自分自身を偽って生きた者は、いつかは必ず自分自身の人生に対して償わなくてはならない。

僕は決してそんな後悔はしたくない。だから今できることは今やっておきたい。結果がどうあれ、あの時ああしておいて良かった、自分なりのベストは尽くしたと思える人生でありたいと思っている。


前世リーディング21-旅する魂

2007-07-19 14:26:01 | Weblog
ドイツの前世での仕事は今の自分と全く結びつかないが、仕事以外に持っていた趣味の多く、哲学、自然科学、文学、神秘主義を学んでいたという点は十分理解できる。

18~19世紀にかけてのヨーロッパでは、産業革命が起き、科学が発達し始めた時期である。それまでのキリスト教を中心とした思想から、科学的、哲学的な思想が台頭し、移り変わる時期でもあったと思う。新し物好きな自分は、哲学や自然科学を学ぶ人生を選択するのも納得できる。一匹狼でマイペースでありながら、人との交流を求めていったというのも自分らしい。リーディングにあるとおり、新しい時代の変換期に生まれるのを望み、この変化の時代を十分生き抜いたかったのだと思う。

それともう一つ、このリーディングで印象的なのは、自分の性格の欠点を認識し、それが変わりつつある点だ。僕の2度の前世リーディングでは、男性的、信念が強い、正義感が強い、他人の言うことは気にしない、頑固、知識欲が旺盛、人より知っていることを喜ぶ、マイペースな一匹狼、情が深いなどの特徴が、終始一貫して指摘されてきた。

しかしドイツの前世では、「人との交流において、自分の良さや欠点が浮き彫りになり、考えさせられるようになった」とある。それまでは自分の信念を頑固に貫く人生ばかりだったのだが、かなりトーンダウンしている。
ドイツ時代は堅実な人生を歩みながらも、人と関わることで自分の欠点を認識し、男性的な魂のバランスを修正するという目的だったのではないだろうか。

そしてリーディングの最後に「ドイツの前世の後半期には、いろいろと実りがあり、自分でも十分体験したと思いました。あなたはそのような時代の大きな転換期に生まれ合わせ、十分にこの世を生き抜こうとする気構えが強かったのです。」とある。地味な人生ながらも、内面的には充実した人生だったのかもしれない。

またドイツの前世は今と近いので、いろいろと共通点が多い。
ドイツでは開かれつつあった哲学や科学を学んだ。今回の日本の人生では、スピリチュアリズムを学んでいる。
内面の問題においても、またドイツでは他人との関係で自分の欠点を認識していった。日本では女性と家庭のカルマを解消するという目的があると思う。
学ぶテーマが変わっているが、基本は共通している。

友達が浅野研究所のリーディングを受けたが、彼は自分の性格をズバリ当てられて驚いたと聞いた。しかし彼は日本の前世がほとんどで、平安時代、鎌倉時代、江戸時代、明治時代と転生してきていると言われたそうだ。

実際に浅野先生の「前世」という本を読むと、転生する場所の選択も魂の傾向性によって特徴があるらしく、日本が好きで日本ばかり転生している人もいれば、ヨーロッパばかり転生している人もいるそうだ。あるいは僕のように世界中をめぐって転生している魂もいる。

僕の場合、リーディングに出てきただけでも、古い順からアトランティス(2万年前)、古代エジプト(1万年前)、メキシコ(8千年前)、イスラエル(4千年前)、ギリシャ(3千年前)、イタリア(紀元1世紀の古代ローマ帝国)、インド(紀元3~4世紀)、中国(時期は不明)、日本(13世紀の鎌倉時代)、スペイン(16世紀)、ドイツ(18~19世紀)とある。それ以外にもアラビア、モンゴルもあると言われた。

傾向としてはヨーロッパが多いものの、世界中に散らばっている。まあ、ある意味で自分らしいなと思う。せっかく生まれてくるのであれば、前と同じことをするのはつまらない。違った国、文化、文明に生まれた方が、学ぶべきことが多い。

職業も技術者、建築家、政治家、商人、貴族など、いろんな仕事を経験してきていて、あまり一貫性がない。しかしその時代の新しいことを学ぼうとする姿勢は、どの時代であっても共通している。

今の日本の人生は、ちょうど人生の折り返し地点を回ったところだろう。21世紀の日本は、世界でも有数の先進国で、科学が発展し、思想的にもスピリチュアリズムが普及し始めている。なかなか経験できない面白い時代だと思う。残りの時間を精一杯経験し、楽しみたい。

日本の人生が終わったら、次はいつ、どこの国に生まれようか、既に考えている。日本、アジア、ヨーロッパ、アフリカ大陸、南米大陸は十分経験した。しかしまだ北米大陸とオーストラリア大陸が残っている。様々な民族が集まったアメリカやオーストラリアは、とても魅力ある国だ。共に新しい国なので、まだ経験していないはずだ。次はこの2つの国のどちらかに転生してみたい。
その時期がいつになるかはわからない。学ぶテーマも変わっていることだろう。そして今の日本で会っている人達とも、きっとそこで再び出会うことになると思う。

来世の人生で初めてあなたと会った時、なぜかどこかで会ったような気がするとか、インスピレーションが閃くとか、すぐに親しみを感じて仲良くなるようなことが起きると思う。もちろんその時にはお互いに今とは顔も名前も変わっている。でもあなたの魂の奥底で覚えていてくれたらうれしい。何世紀ぶりかで、再びソウルメイトとして出会ったのだから。


前世リーディング20-前世の仕事と学生時代のアルバイト

2007-07-13 18:06:58 | Weblog
ドイツの前世は直前の前世だろう。大体200年経って生まれ変わってきたのだが、想像していたよりも短いスパンで生まれてきたのかと思った。
それにしてもスペイン貴族だった前世と比べると、ドイツの精錬工場で働く技術者だったなんて、えらく地味な人生だったなと思う。こんな前世があったとは今でもピンと来ない。しかしスペイン貴族時代、働かずに遊びほうけていたカルマの解消のため、地味でも真面目に働くという目的があったのかもしれない。誰しも毎回裕福な人生など送れないのだろう。

だが僕は同じ作業の繰り返しが一番嫌いである。今の自分からすると、精錬工場で働くなど考えられない。自分なりに考え、創造していく仕事が好きである。だが同じ作業の繰り返しの仕事は、学生時代のアルバイトでよくやっていた。

大学1年の時、大学から歩いて通える品川駅前のマクドナルドでバイトしたことがある。マックのハンバーガーを作る一連の作業は本当に合理的に出来ている。一秒たりとも無駄な動きをしないよう、すべてマニュアルできっちり決まっていて、アメリカ風の合理的オペレーションシステムに驚いた。しかし一通りオペレーションを覚えると、後は単調な作業の繰り返しで本当につまらなかった。まるで自分が機械になったようで、時間が経つのがものすごく遅く感じた。これならわざわざバイトに作らせず、工場のようにすべて機械で作ればいいだろうと思った。

機械に任せることは最大限機械に任せ、人間は創造的な仕事をするべきだと思うが、マックの仕事には創造性のかけらもない。マニュアル以外の余計なことはしてはいけないのだ。しかし僕はせめてお客さんが喜ぶよう、量の多いビックマックを作ろうと、レタスをめい一杯入れて作った。しかしその程度が精一杯だった。

当時は作ってから一定時間経過したハンバーガーやポテトは、ウェイストと言ってどんどん捨てていた。客に新鮮なものを提供するという方針はいいと思うが、世の中には飢えている人が大勢いるのに、これはもったいないと思った。せめて捨てたハンバーガーくらい、バイトの食事として提供すれば士気も上がるのに、そういう待遇は一切なかった。こっちは学生でお金がなくて腹をすかせているのに、冷たい会社だなと思った。

マックの社員も機械のようなタイプの人間ばかりだった。とにかくバイトはマニュアル通り、指示通りにきっちりやればいいという考えで、性格が冷たい人間が多かった。こういう会社にいると機械的な人間になってしまうのだろう。

マックでは正社員でも単調な仕事だったが、その割には社員はすごい高額なボーナスをもらっていると聞いた。大して仕事の内容に差がないのに時給550円でこき使われているバイトの待遇がばかばかしくなった。

せめてバイト仲間に可愛い女の子でもいれば楽しく仕事ができるのだが、そんな子は皆無だった。これなら学内の方がよほどましだ。この店の2階はアンナミラーズが入っていて、可愛い女の子はみんなアンミラに奪われ、アンミラを落ちた子がマックに来るというもっぱらの噂だった。

結局マックのバイトは3ヶ月で辞めてしまった。短い期間だったが、自分にはこういう単調作業の繰り返しは向かないと思い知ったアルバイトだった。

学生時代は他にもいくつかバイトをした。長続きしたのは、高円寺の公民館の警備員のバイトだった。警備と言ったら聞こえはいいが、日曜利用する区民のため、朝から晩までただ居るだけでいい仕事だ。秒刻みで働くマックの後だっただけに、世の中にこんな楽なバイトがあるのかと思った。
小さな警備会社だったが、ここからは磯子プリンスホテルのプールや代々木オリンピックプールのロッカー警備などの仕事ももらった。代々木オリンピックプールのロッカー警備の仕事では、休憩時間になると夏はプール、冬はスケートを無料でやらせてもらえて楽しかった。親会社から定年後に出向で来ていた年配のおじさんやおばさんに可愛がられ、結局卒業まで3年間続けた。しかし仕事は楽な反面、時間を提供しているだけで、何のスキル向上にもつながらない仕事だった。その時は楽なバイトで得したと思ったが、今思い返すと、マックの3ヶ月の方がいい経験になったと思う。

面白かったのは、大学4年の時にやった、中野にある小さな内装会社のアシスタントのバイトだった。着物チェーン店舗「やまと」の下請けで、首都圏のショッピングセンターにある店舗の内装を請け負っていた。ここの社員は運転手と内装工事と営業のすべてを一人でやる。毎朝トラックに畳や飾り付けの品を積み込み、首都圏にあるやまとの各店舗を回る。

僕はトラックの助手席に乗って、店に着いたら搬入や飾り付けの手伝いをする仕事だった。社員とトラックに乗って、東京、千葉、神奈川、静岡まで、いろんな所に行けて楽しかった。時給は安かったが移動時間も時給になったからうれしかった。

しかし僕は週に1、2日程度の仕事で、責任もないので楽だが、社員は毎日夜遅くまで働いている。これを繰り返していると思うと、大変な仕事だなと思った。その割に給与は安いが、7人前後しかいない小さな会社だから仕方ない。社員は人間っぽい面白い人が多かったが、質は低いなと思った。

30歳位のある男性社員は缶コーヒーが好きで、1日に10本も買って飲んでいた。安月給なのにコーヒー代だけで1日千円使うのはもったいないと思い、家に余っていたインスタントコーヒーをポットに入れて毎回その人にあげたら可愛がられ、よくその人から指名された。

しかし彼は人柄はとてもいいのだが、少し頭が弱く、仕事の要領が悪かった。毎回のように仕事でミスを連発しては、得意先から怒られている。ガス欠でエンストしたり、鍵を車の中に入れてロックしたり、ヤクザっぽい人にからまれたり、この人といると必ずと言っていいほど何かトラブルが発生した。社内での評判も芳しくなく、職場の人間関係で悩んでいて、少し鬱病気味なところもあった。いじめられっ子の小学生がそのまま大人になったような人だった。

この人が可哀相に思い、トラックで移動中に「こういう場合はこうした方がいいんじゃないですか」と10歳も年下の僕が、彼にいろいろとアドバイスした。すると彼は「そうだよね~、須藤くんのいう通りだよね~」とはいうものの、根本的に理解力がないらしく、全く改善されなかった。

もう彼は営業も兼ねているような仕事は絶対に向かないと思った。身体は丈夫で仕事は真面目なので、宅配便の配送ドライバーとか引越しの仕事の方が、単純だが給与も高くて向いていると思った。この会社にいても将来性はないし、思い切ってそういう別の会社に転職したらどうですかとアドバイスした。

そうしたらその人は、僕と会社の人が組んで、自分を辞めさせようとしているんだろうと疑い出した。こちらが善意でアドバイスしたのに、全く見当違いの疑いをかけられて、僕もさすがに頭に来た。それ以来その人とは縁が切れた。

学生時代にはマスコミとかモデルのような高給で華やかなバイトをしている同級生や先輩もいたが、自分は社会の最底辺に位置するような地味なバイトが多かった。高校時代まで田舎で育った自分には、そんな華やかな仕事が自分にできる能力はないと考えていたから、時給が安くても単純なバイトを選ぶしかなかった。また学生時代は華やかなバイトをするよりも、むしろこういう地味なバイトの方が良い経験だと思っていた。

これらのバイトをして感じたことは、世の中には学歴がなく、頭も悪く、能力が劣る気の毒な人が現実にいるということ。そういう人は箱庭のような小さな無名の会社で、安月給で劣悪な労働条件の下でも、一生働き続けなければならないんだなということを肌身で感じた。
そして自分は決してこうはなるまいと堅く心に誓った。

ドイツの前世の精錬工場での地味な仕事のリーディングを聞いて、学生時代の数々のアルバイトを思い出した。

社会人になったら地味な学生時代のバイトとはガラリと変わり、ベンチャー企業に足を踏み入れることになった。リクルートの江副さん、パソナの南部さんは一代で大企業を作り上げた天才的経営者だった。カリスマ経営者の下、毎年売上は急増、毎月のように新会社が立ち上がり、社員がどんどん入ったり辞めたりして、もう目まぐるしく変化に富んでいた。最初は戸惑ったが、慣れるとこれはこれで楽しかった。

今の仕事はなんとかやっていけてはいるものの、サラリーマン時代にいたベンチャー企業のような急激な売上の伸びや、ダイナミックな変化はない。この程度の仕事では男として情けないなと思うことがある。

しかしドイツの前世の地味な仕事に比べれば、今の仕事は変化があるし、自分で好きなようにできて幸せなのかもしれない。


前世リーディング19-ドイツの前世

2007-07-12 15:43:53 | Weblog
前世リーディングの最後は、最近のドイツの前世について語りだした。

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最近の前世では、18世紀後半から19世紀の前半にかけて、中部ヨーロッパに生きていました。
ドイツの中部のあたりです。あなたは技術者でした。しかし仕事をする傍ら、様々な興味を持っており、自然科学全般、また哲学や思想、神秘主義、音楽や詩などといったように、多くのことに関心がありました。それで仕事の合間に自分で調べたり探求し、そのうち仲間も出来て仲間たちと議論したり、意見や情報を交換し合ったり、確認し合うことが行われるようになりました。

音楽も多少聴きました。しかしどちらかというと関心は文学や神秘主義、哲学、また新しく開かれつつあった自然科学でした。あなたは人間を追及し、考えたり、思索するのが好きだったのです。最初は一人で読書をしたり思索していたのですが、飽き足らなくなって出向いていき、あちこちの人々と討論したり、意見を交換するようになったのです。

考えが合う時もあれば、ぶつかるとき、相容れないときもありました。面白くないときもあれば、すごく共鳴したり、心が温まったり、充実したひとときを過ごすこともありました。
それ以外に人間の人生について考え、また新しく起きつつあった科学について調べて、それらがあなたの知識欲を満たしたり、人生が充実していると感じられるようになりました。

基本的には一匹狼的な存在の人でしたが、それなりに仲間ができ、ある程度距離を保つ姿勢は崩しませんでしたが、わが道を行くあなたも、いろいろと交流する中で、参考になったり、考えさせられることがありました。
また他者とのかかわりで自分という者も浮き彫りにされ、自分の特色や良さや課題、弱点なども人との関わりで認識されるようになりました。
マイペースに変わりはなかったのですが、そのようにしてその前世の後半期には、いろいろと実りがあり、自分でも十分体験したと思いました。

当時はゲーテの影響も強く、またゲーテに続くシュラーも評価されつつありました。
また哲学の方ではフィフィテ、天才のシュリングなどが脚光をあびつつありました。
音楽家ではベートーベンが知られるようになった頃でした。
隣のフランスでは革命が勃発し、また北米ではアメリカ合衆国が独立宣言をしました。
あなたはそのような時代の大きな転換期に生まれ合わせ、十分にこの世を生き抜こうとする気構えが強かったのです。

仕事としては職人の一人で、主に金属関係の鋳造や加工の仕事に就いている地道な仕事でした。冶金術が主でした。精錬工場で働いていました。また地質の調査なども行うことがありました。そのためドイツの主だった鉱山などに、あるいは別の工場にも出向き、それがあなたの楽しみの一つでした。仕事や調査ということで、別の所に行けて景色を眺めたり、新しい人と話をしたり、普段得られない体験が待ち受けていたからです。旅行などが結構好きだったのです。また調べ物もあなたの趣味でした。

ジャン・アーゼンクランツ、そういった響きの名前だったように捉えられます。


今回の前世リーディングでは、このように紀元以降の主だった前世が紹介されました。その他古代のエジプトの影響も強く受けているわけです。

リーディングを終了します。

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前世リーディング18-ソウルメイトとの関係

2007-07-10 16:07:49 | Weblog
スペインはまだ行ったことはないが、歴史があり、気候も温暖で、景色が良く、食べ物も美味しいと聞いていて、以前から一番行ってみたい国だった。スペインの前世は、今回のリーディング中で最も気に入っている。16世紀の貴族で、ダンディな感じの紳士で、ギターを弾き、飲み屋で遊び、物知りで、世俗的なことと崇高なことの両方に通じているなんて、ずいぶんいい人生だったと思う。毎回こんな人生ならいいなと思う。

スペイン貴族の前世のテーマは、世俗とキリスト教を学ぶ人生だったのだろうか。世俗的な友人の相談に乗り、教会や修道院との橋渡しをしたそうだが、貴族なら働く必要もなく、遊んで暮らせるわけだから、これくらいの善行はやって当たり前だろう。

キリスト教を学んだのは大学からだが、聖書の内容も既に知っているような気がして、すっと自然に入るような感じがした。教会の荘厳な雰囲気も好きだったが、これも前世の記憶から来るものだなと納得した。

スペイン時代の性格は、今の自分そのままだと思う。風来坊風で、他人と距離を保つのは、全く今の自分と同じだ。今も人と交わるのは好きだが、自分のペースを崩したくない。
世俗的な自分と神聖なものを求める自分との両方があり、自分の中で双方のバランスを取るようにしていたというのも、自分らしい。今も世俗的なテニス友達とスピリチュアルな友達の両方がいる。

プライベートでは昔からテニス関係の友人が多い。テニス好きな人の性格は、明るくてさっぱりしていて、飲み会でも大学生のように大騒ぎをする。テニス仲間は現実を楽しんで生きている人が多い。

しかし土日休めるサラリーマンが多く、僕のように独立して自ら仕事を作り出し、すべての責任を自分で負わなければならない立場の人間から見ると、彼らの感覚は表面的で底が浅く、まだ深い経験が足りないと感じる。
また人にもよるが、テニス仲間の多くはスピリチュアルな話題にはあまり関心がないようだ。年齢的にも若いこともあるが、何だか中学生と会話をしているようで、物足りない。

最近スピリチュアルサークルに入って多くの友達ができた。スピリチュアルな思想の普及に真摯に取り組んでいて、中には毎日のようにサークル活動をしている人もいる。彼らとの会話は非常に深く、広く、先進的で勉強になる。これだけのハイレベルな会話ができるサークルはそういないだろう。時代の最先端を行っていると確信している。

しかしメンバーのほとんどはまともな人なのだが、一部に実社会では使い物にならないような変わった人もいる。こだわりが強い粘着気質の性格で、こういうタイプの人とあまり関わると気分が悪くなって心身のバランスを崩してしまうので、関わるのもほどほどにしている。

僕はさっぱりした性格のテニス仲間とわいわい話をしたり、ジムでスカッとしないととても持たない。彼らは僕のように定期的にスポーツでもやって、すっきりしたらいいのにと思うが、スピリチュアルマニアはスポーツが苦手な人が多いようだ。

16世紀のスペインの前世と、21世紀の日本の今世を比べると、世俗的な友達はスペイン時代の飲み屋の友達からテニス仲間に代わり、崇高なものを求める友達は教会関係者からスピリチュアルサークルに代わった。
しかし世俗と神聖さの両方を求めていることには基本的に変わらない。僕にとっては両方が必要だ。双方のバランスを取るようにしている。

それからスペインの前世で気になるのは、大学時代からの友人で今も一緒に仕事をしている小林との関係だ。小林とは大学1年の時に会って以来、もう25年近い付き合いになるが、彼とはスペインの前世で会っているような気がする。多分、スペイン時代は貴族同士で、世俗的な遊び仲間だったのではないだろうか。

小林は既にスペインに新婚旅行で行っていて、食事は美味しいし、過ごし易くていい国でもう一度行きたいと言っていた。彼も多分潜在意識の中にスペイン時代の前世の記憶があったのだろう。二人とも南欧風の料理が好きで、小林と会うといつもイタリアン料理ばかり食べている。お互い新しい話題が好きで、最新テクノロジーから経済情勢、教育や家庭の話題に至るまで、いろんな話をする。

小林は遊び好きで、大らかで豪快で、仕事よりも家庭を最優先にする男だ。自分の趣味を満喫する一方、子供達と遊んだり、送り迎えをしたり、食事を作ったりといった家庭サービスを怠らない。小林はスペインの前世でも貴族で裕福で、遊びながらも、しっかりと家庭を大事にする人生を送ったのではないだろうか。
どこか崇高なものを求める僕は、どうも家庭サービスは苦手だ。スペイン時代も家庭問題はおろそかになっていたのかもしれない。

二人の今の関係から推測して、僕は小林から暖かい家庭の築き方を学び、小林は僕から仕事のやり方を学んでいるのかもしれないと思うことがある。

先週のオーラの泉では、少年隊の東山さんがゲストで出ていたが、江原さんの鑑定では錦織、植草とは前世で兄弟だったという。仕事での親しい仲間が前世で兄弟だったというのはよくあるケースだ。移り変わりの激しい芸能界で、いろいろありながらも長年解散せずにやってこれたわけだから、兄弟という縁の深い関係だったとしても納得できる。

こういう仲間をスピリチュアリズムではソウルメイトという。ソウルメイトとは、親子、夫婦、恋人、兄弟、友人等、前世で深く関わった人のことを言う。ソウルメイトとは、グループを組んで時代や国を変えて一緒に転生していく。
初めて会ったのに、どこかで会ったような気がするような人、すぐに意気投合して仲良くなる人とは、前世でも関わったソウルメイトである可能性が高い。必ずしも前世とは同じ関係ではないが、立場を変えて再び生まれ変わり、お互いに学んでいくとされる。

そう考えると、人生は完璧なキャスティングがされたドラマのようだなと思う。

前世リーディング17- スペインの貴族の前世

2007-07-09 18:26:08 | Weblog
日本の鎌倉時代の行商人の前世の次は、スペインの貴族だった前世が出てきた。このスペインの前世あたりから、格段に情報量が多くなっている。性格的な部分も今の自分そのままではないかと思えるくらいそっくりなのには驚く。

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それ以前は16世紀のスペインに生きていました。
あなたはダンディな感じの紳士の一人でした。貴族の一人でした。
そこでも一人旅などを好み、別の所に赴いて、人と会話をしたり、意見を交換するのが趣味でした。ギターを弾いて、吟遊詩人のように弾き語りをする趣味がありました。叙情的なものに惹かれていました。

フラメンコなどのダンスはあまりしませんでしたが、そのような雰囲気は嫌いではありませんでした。アルコールを口にし、おつまみを食べながらダンスや弾き語りの雰囲気の中で、人とおしゃべりをしたり、自分で瞑想のように物思いにふけって静かにそのような雰囲気の中で過ごしたり、時にはトランプのようなゲームも行ったりしました。

世俗的なことも結構好きでした。しかしどこか孤立して風来坊風で、交じり合っているようでいてどこか距離を保ちつつ、自分を味わっている人でした。
頑固で譲らず、完全に溶け合っているとはいえませんでした。しかし自分なりにその雰囲気を楽しみ、自らそのような場に赴きました。

しかし一方、宗教心も備え、教会や修道院を訪ねて祈りをささげたり、神様のお話に耳を傾けることがありました。あなたの中にこのように世俗的な自分と、神聖なものを求める自分との両方があったのです。自分の中で双方のバランスを取るようにしていました。

あなたは両方に友人や知り合いがいたのです。遊び友達と、神様や真理を追究する修行の友達や先生など、その両方をあなたは持っていました。
例えば世俗的なことでうまくいかなくて悩み事があったり、身内のことで気がかりがあると、教会や修道院を訪ねたものでした。またそのような中で霊的なこともある程度知るようになり、今度は逆に世俗的なことにいるときに、他の人の悩み事を聞いて相談に応じるということも行うようになりました。
あなたは世俗的な仲間や友達の中で、自分の手に負えないような人を教会や修道院に連れて行って、神父さんや牧師さんに引き合わせて、相談に応じさせたりもしました。

あなたには両方の世界が必要だったといえます。そして双方の橋渡しをして、それぞれ十分に生をまっとうすることが必要だと思えたのです。

世間的なことに関する知識は豊富で、話題に事欠きませんでした。地理や様々な地域に関することも詳しく、食べるものに関することも詳しく、生活習慣のことや美術的なこと、衣装のこと、はては健康に関することの知識も持ち合わせていました。

教会や修道院に行くと俗っぽいと見られ、世俗的な場に行くと霊的で神妙な部分も持っている人と見られ、あなたは両方を自分の中に兼ね備えながら生きていたのです。
あなたにとってはどちらも捨てがたく、必要だったのです。

シャルルマーニュ・ド・ハンセン そのような名前だったように捉えられます。


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前世リーディング16-日本の鎌倉時代の前世

2007-07-06 13:25:49 | Weblog
中国の前世の次は、日本の鎌倉時代の前世について教えてくれた。

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それ以前には13世紀の頃の日本に生きていました。鎌倉時代前半期です。あなたは行商の仕事に就いていました。また機密文書などを扱ったり保管したり届けたりする役目も果たしていました。

関東に住んでいました。あなたは社交的で人との会話や交流を求めていました。また好奇心が旺盛で、何にでも首を突っ込むタイプの人でした。他の人と話をして話についていなかったり、
知らないということが自分にとって一番嫌でした。むしろ他の人は知らないけれども、自分は知っていて、また理解している、より正確な情報を持っている、より細かい詳しい情報を知っている、そのようなことを内心喜び、誇りにも感じている人でした。

しかしそのようなあなたの姿勢を感じで厭う人達もいました。しかし特にあなたはそれによって傷つくことも尾を引くこともなく、比較的平然として自分の姿勢を崩さず、いろんなところに赴いていきました。

困っている人や弱っている人には、助けの手を差し伸べる誠実さや世話好きな面がありました。人情味を感じさせるような場面や状況を好みました。映画の寅さん的な性質を備えている人でした。それでも淡々とした感じの人でした。

その前世でも世俗的なことから崇高なことまで、また古い伝統的格式を重んずることからその時代の流行や新しい話題に至るまで、聞きかじりも含めていろいろと知っている人でした。

名前はとらえにくいのですが、「杏」そのような漢字で伝わってきています。

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日本の前世は1回目のリーディングの時もあったが、鎌倉時代初期だったとわかった。今回のリーディングでは、ローマ帝国、インド、中国、日本、スペイン、ドイツと、6回の前世について教えてくれたが、この日本の前世あたりから、今の自分に近づいてきているように感じる。時代を経るにしたがって、リーディングの内容も詳しくなっている。

鎌倉時代の行商人だったそうだが、商売人だった前世の知恵が生きているのだろうか、サラリーマンの家庭に生まれて商売がどういうものか全く知らずに育ったが、今も事業を何とか続けている。しかし人情味があって寅さん的な性質だったとはちょっと意外だ。困っている人を助けられたのは、経済的に裕福だったのではないだろうか。

好奇心が旺盛でいろんな情報や知識を豊富に持っているという点は今も共通している。確かに昔から様々な知識を吸収するのは好きだし、重要だと思っている。

ブログではスピリチュアルなテーマを中心に書いているが、結構世俗的な話題にも強い。あまり俗っぽい話題はうといが、日経関連の雑誌を読むのは好きで、一時は日経の雑誌を毎月10冊も買っていて、読むだけでも大変だった。今週も日経トレンディを読んだが、2007年上半期のヒット商品ランキングが乗っていた。最近の流行が順位別に解説されていて面白く、毎回、この特集があるとむさぼるように読んでしまう。

今までの仕事も、特定の業界に限定されず、幅広く、いろんな業界を見る仕事が多かった。人材を扱う仕事をしていたときでは、業績の良い業界にアプローチすればオーダーにつながりやすい。それ以来、景気の動向はまめにチェックする習慣がついている。情報、知識は事業をする上での判断材料になる。正しい情報や知識がないと、仕事上で的確な判断ができない。

ただ情報・知識が豊富なことが自慢だったようで、それを厭おう人もいたという。この欠点はローマ帝国の時代の性格に共通している。しかしそれを気にすることもなく、平然として自分の姿勢を崩さないところは、今の自分も同じだ。僕は人に何と言われようと、あまり気にすることはない。自分は自分、人は人だと思っている。

小さい頃は全く逆の性格で、他人が自分をどう思うか、いつも小さなことでくよくよ気に病むタイプの子供だった。高校・大学時代まではずっとそうだったと思う。上京以来、なんとか克服して、他人に惑わされない今の自分の作り上げてきたつもりだった。しかしリーディングのお陰で本来の自分の魂の中にある性質だとわかった。

僕は今でもあくまでも自分の基準を大切にしている。他人の基準に合わせて生きるのは無意味だと思っている。
他の人のレベルが自分よりずっと上だったら、人に合わせて生きるのも意味があるだろう。その方が学べるし、向上できる。しかし平均的な一般人のレベルは低く、そういう人々に合わせてしまうと自分のレベルが相当下がってしまう。

世の中の平均的な人々は認識力が低く、唯物的、この世的な価値観に惑わされている。人生を今だけしかないとしか考えていないし、大して意味のない物質的なものを後生大事にしている。他人が持っていない高価な車や装飾品を持っていたり、人より社会的地位が高いことを誇りにしているような人がいる。

しかしそんなものは死ねばすべて無くなってしまうものだ。こういうタイプの人と会話をすると、「まだわかっていないな」と感じることが多い。

しかし今はそれを一々指摘したり、相手より知識があっても自慢することはない。僕も鎌倉時代の前世よりは多少進歩してきたのだろうか。
それでもなかなか自分と話が合う人が少ないのは寂しいなと思う。



前世リーディング15-中国の前世とスピリチュアル的運命論

2007-07-04 12:19:09 | Weblog
リーディングは中国の織物業者だった前世について語りだした。

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中国にも生きていたことがありました。
歴史物が好きでした。物語や小説、古典などです。あなたは占いなどにも凝っていて、人の運命を読み取ることに関心がありました。人生相談的なことに興味がありました。人間の運命について考える人でした。

織物業者でした。そこでも話題に事欠かず、人との会話で自分がいろいろ知っていることを喜びました。また人と意見の交換をすることが楽しみでした。

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自分が中国で織物業者だったというのは意外だった。前回のリーディングでも、織物に非常に詳しい時期があったと言われた。今の自分は衣料品に全く興味がないが、当時は織物が価値のあるものとされていたのかもしれない。僕はその時代の最新の物を学ぼうとする傾向の強い魂らしいので、中国のこの時代であれば、この仕事を選ぶのも納得できなくはない。それに今の自分にとっては、技術者よりも商人の方がしっくり来る。

しかし趣味や関心のあるものは、今でも共通している。中国の前世では物語、小説、古典、占いなどが好きだとあるが、今でもこの類のものは結構好きだ。人間の運命について考えるというのも、今の自分と共通している。占いは中国式の易学に凝っていたのかもしれない。

運命は決まっているのか、それとも自分で作り上げるものなのかという議論がある。科学が発達した現代においても、あれほど占いが流行っているのも、人間は誰でも自分の未来について知りたいと望むからだろう。

スピリチュアルな思想では、人間は生まれ変わる際に、必ずある程度どんな人生をたどるか決めてくるとされる。大体何の仕事に就いて、誰と結婚するか、寿命が何歳位かは誰でも決めてくる。また人生で直面する課題や試練、病気、怪我、失恋、離婚、失業、倒産、愛する人の死、こうしたことも決めてくるという。人それぞれ抱えているカルマが違うため、自分が成長するのにふさわしい試練や課題を人生プランの中に入れることになっている。
そして人生上で必ずそうした試練に直面するようになっている。

例えば前世で自殺をしたような人は、自殺のカルマを持っていて、必ず今世でも自殺をしたくなるような場面に出くわす。そこで踏みとどまり、前向きに生きることができるかどうかが問われる。

また前世で人を傷つけたカルマを持つ人は、今世では自分が同じように傷つけられるような場面に出くわす。自分が逆の立場になることで、傷つけられた人の気持ちを味わい、カルマ的なバランスを取ろうとするわけである。

僕の場合は、女性や家庭に関するカルマを持っている。今回の人生ではそれを徹底的に学ばなければならないらしい。仕事や健康のことではほとんど問題なく行っているのに、この点では苦労させられている。

試練や不幸は誰でも嫌がるし、できれば避けて通りたいものだが、それがないと霊的に成長しできない。試練や不幸は、その体験によって学び、霊的に成長することが最も重要だとスピリチュアリズムでは説明している。

そういった意味では、ある程度運命は決まっているとはいえる。しかしその試練に対してどう立ち向かうか、それがうまくいくかどうかは実際に地上で実践していみないとわからない。それさえも運命的に決まっているのであれば、わざわざ地上に生まれてくる意味がない。

つまり運命は、霊界にいた時に決めたプランがあるという点では決まっているが、それがうまくいくかどうかまでは決まっていない。地上に出た人間の自由意志と自助努力によっていくらでも変わってくる。
そういった意味では、運命は決まっていない、自助努力の余地があるといえる。

占いで運命がわかるかに関しては、エドガー・ケイシーが興味深いスピリチュアルメッセージを出している。占いが全く当てにならないわけではない。確かに星占いなどはある程度参考にはなる。人間の生年月日で、星の影響が決まり、人生に影響を与えるのは事実だという。しかし、星占いには2つの弱点があるとしている。

一つは星占いは各個人のカルマの影響を考慮していないこと。
同じ生年月日に生まれても、同じ運命をたどるわけではない。それは各自のカルマが違うためだという。
もう一つは、どんな星の影響であっても、その人の意志を超えることはないこと。その人が強い意志でやろうと決めたら、そちらが優先されるという法則がある。
例えば、この時期は結婚には向かないと占いにあったとしても、その人が強い意志で「この時期に結婚する」と決めたら、その人の意志が優先されるわけである。

スピリチュアル的運命論は、運命論と自力の両方がミックスされているが、僕はこれが真実だと思う。実際こう考えると、試練や不幸に対しても、逃げず、恐れず、前向きに取り組もうとする姿勢になる。

今、試練や不幸の中にいる人は、これが自分にとって何を意味するのか、それによって何を学ぼうとしているのか、客観的に自分を見つめてみてはどうだろうか。
どうしてもわからない、問題解決のヒントが欲しいという人は、こういう信頼できるスピリチュアル専門家に相談するのも選択肢の一つだと思う。



前世リーディング14-インドでの転生と霊的進化

2007-07-02 17:20:34 | Weblog
リーディングでは次にインドでの転生を語りだした。

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紀元3、4世紀の頃のインドにも生きていました。

あなたは凝り性で、物事にのめり込む人でした。物事のやり方にやかましい人で、やや形式ぶったところがありました。あなたは理屈っぽかったり、くどい性格の人でもありました。しかし真面目にきちんと行う人でした。人に説明するのが好きな人でした。宗教の儀礼にも凝っていて、秘伝とかやり方にも事細かい人でした。

バラモン教や仏教など、様々な宗教に関心がありました。聖典なども読んだり声を上げて読述しました。
儀礼などにも凝る人でした。また時に礼儀作法やしきたり、人との関わり方にも事細かいところがありました。それでなんとなく周りの人から見ると窮屈な感じを与える人でした。
しかしただ生真面目で堅い人ではなく、いろんな人生上の楽しみや遊びにも精通している人でした。

バイデラ・バーシン、略してビィラティなどと呼ばれていました。

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インドはそれほど関心がある国ではなかったが、長い転生の歴史ではインドに生まれたとしても不思議ではない。仏教はどこかの時代で学んだと想像していたが、インドで学んでいたのかと納得した。またバラモン教(古代ヒンズー教)も学んでいたという。

しかしインドの前世は、好きではない。物事のやり方にやかましく、形式ぶっていて、理屈っぽく、くどい性格の人間など、僕の嫌いなタイプの人間だ。こんなタイプの人は誰でも敬遠すると思う。儀礼、儀式、秘伝などにもこだわったそうだが、今の自分はそういったものは無意味だと思っている。

自分がこんな人間だったとは正直恥ずかしいが、多分性格が真面目過ぎたのだろう。それ故に礼儀作法やしきたりに事細かったのではないだろうか。今の自分は物事の形式や教義に対しては全く違った考えを持っている。

現代でも宗教の世界においては儀礼、儀式、秘伝が必須である。仏教であれ、キリスト教であれ、お経の唱え方、祈りのやり方、礼拝のやり方、賛美歌、いろんな作法や教義が事細かに決められている。その他長年の伝統で作り出されたしきたりや様々な教義が数多くあるだろう。

しかし宗教の本質はあくまでも人の心のあり方を説くものである。儀礼や儀式、教義は後世の人が勝手に作り上げた形式的なものに過ぎない。近代スピリチュアリズムは、それらはほとんど無意味だと説いている。

学生時代、友人に騙されて大きな仏教系宗教団体の集会に連れて行かれた。そこでは全員正座して大声でお経を唱えていた。僕も半強制的に唱えさせられた。全く意味もわからないお経を朗読したところで、何の意味もないと思った。しかし友人は両親がその団体の信者だったので、小さい頃からそうすることが大事だと教え込まれているから盲目的に信じ込んでいる。狭いアパートにも仏壇を入れて毎日お経を唱えているという。それで気持ちが落ち着くとかいう効果はあるだろうが、そんな形式的なことをして悟れるわけがない。どう考えてもおかしいと感じた。

しかしその数年後にスピリチュアリズムと出会い、儀式や形式が無意味なことをきちんと説明していていた。その時の直感は正しかった。

細木数子などは、芸能人のカウンセリングで、よくなくなった誰それのお墓に行ってお参りしなさいとよく言っているが、これもあまり意味がない。故人がお墓に住んでいるわけではない。わざわざお墓に行かなくても、故人を思えばそれでいいのである。

ある宗教団体では、単なる普通の仏壇だのご本尊だのが、ご利益がある素晴らしいものだとかいって法外な値段で買わせている。ある人に聞いたら、その団体のペンダントが20万円、教祖のでかい写真のご本尊が何と100万円もして、それを会員に買わせているという。またそれらの売上額によって支部長のランクが決まるらしい。またその団体では常に教祖の写真に向かって両手を合わせて合掌しているそうだ。全く言語道断で、そんな物質的なものや教祖に対する崇拝など全く意味がない。

スピリチュアリズムでは、物質的なものに大した意味はなく、霊的、精神的なものが最も大切だとしている。また教祖を崇めたててはいけない、法そのものに忠実であればいいと説いている。


現代の宗教界では大して意味もない儀式や儀礼を重視したり、誤った教義を唱えているケースが多く、これが宗教の発展を阻害している。

キリスト教の教義では、生まれ変わりを否定している。しかしイエスが生まれ変わりを否定した記述はどこにもない。生まれ変わりの否定は後世の神学者が勝手に作り上げたに過ぎない。しかしキリスト教の信者に対し、生まれ変わりがどうこう言うと、それは仏教徒やヒンズー教徒の異教徒の思想だと、大抵がけげんな表情を浮かべるだろう。

またキリスト教では死んだら天国か地獄に行くというだけで、霊的世界の存在についての説明があいまいである。世界最大の宗教であるキリスト教が、霊的世界の説明があいまいで、生まれ変わりを認めていないため、世界中の何十億人もの人々が霊的真実を知らずにいる。

この穴を埋めるため、近代以降、スウェーデンボルグ、アランカルデック、エドガーケイシーやシルバーバーチなどの霊媒師が西欧諸国において活躍し、霊的真実を伝えた。彼らが説いた霊的信実はキリスト教の教義と違うので、世間から大変な非難を浴びた。最初は彼ら自身も信じられなかったくらいである。

しかし伝統ある教義の悪影響は大きく、まだまだ霊的真実を知らない人々が圧倒的多数を占めている。しかしどちらが正しいかは、全員が死ねばわかることである。

21世紀にもなるのに、まだまだ宗教界は遅れているなと悲しくなる。しかしそういう僕も、紀元3、4世紀頃には、まだまだこの程度レベルだったのかと思った。しかし当時のインドはそうした礼儀作法やしきたりが大切だとされていたのだろう。インドという国や時代背景を考えれば、仕方なかったのかもしれない。当時の本人にしてみれば、ただ真面目に生きたつもりだったのかもしれない。人はどうしても生まれた国や時代の習慣や価値観に影響を受けるものだ。生まれた時からそう教え込まれれば、どうしても盲目的に信じ込んでしまうものだろう。

今の自分は儀式や形式に対してインド時代の自分とは全く逆の考えを持っているが、1700年という長い年月を経て、やっとここまで進化してきたのかと感じた。

以前ブログに書いた、ジョーマグモニーグル氏の「未来を透視する」の本では、1000年後の未来の地球の宗教は、儀式的なことはほとんど亡くなっていると書いてあった。当然そうあるべきだと思うが、そんなことは現代のスピリチュアリズムでとっくに説かれている。スピリチュアルな思想はある意味で1000年先を行っているといえるが、あまり進み過ぎると現実社会では理解されない。イエスキリストなどは、進み過ぎてその時代には理解されず、罪人として十字架に掛かって死んだ。彼の死後、その評価が認められるのに数百年はかかったという。2000年経った今では神格化が進みすぎ、これがまた弊害をもたらしている。

人類が進歩するには、大変な長い年月の忍耐が必要だなと思う。


前世リーディング13-ローマ帝国の前世

2007-06-28 14:33:29 | Weblog
前回、浅野総合研究所で受けた前世リーディングを紹介した。
リーディングの情報は衝撃的で、自分でも気付かなかった内面の奥底まで見られたようだった。自分より遥か高次元の存在が、愛を持って語ってくれたような感じがした。

リーディングではアトランティスの通信技師、古代エジプトの政治家、イスラエル、南米の商人、ギリシャの学者、日本の商人だった人生を教えてくれたが、紀元前がほとんどだったこともあり、あまりにも昔で実感がわかない。今の自分に共通する部分もあれば、今の自分とは少しかけ離れているなと感じる部分の両方が入り混じっていると感じた。

しかし紀元後の前世であれば、もう少しイメージが近いかもしれない。紀元後はどのように変わってきたのか、どうしても知りたかったので、2回目の前世リーディングを申し込んだ。そのテープが先日送られて来たので、また前世リーディングシリーズとして紹介したい。

今度のリーディグでは、紀元以降の6つの前世を教えてくれた。テープには今に最も近い前世から昔に遡って説明しているが、ブログでは進化の過程がわかりやすいように古い順番から紹介してみたい。

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紀元1世紀のローマ帝国にも生きていました。
ギリシャからイタリアにかけて、一人旅を好み、そこでも情報通の人となって、それを内心喜ぶ人でした。またそれが自分の心を満たしたり安定させると自分でも感じていました。またその情報を使って他の人を導いたり、間違いに気付かせたり正したりすることもできると思っていました。

それは一部正しく、しかし一部あなたなりのとらえ方や主観でした。歓迎されたときもあれば、そうでもないときもありました。しかしあなたは特に気付こうとせず、そのようなやり方で一生を貫きました。それがあなたにとっての誠実さだったからです。

それでも多くのことを学びえました。あなたはところどころで他の人に知らせたり、道案内の役目を果たしました。イタリアやギリシャでいろんなところに行きました。初代のクリスチャンたちにも、ユダヤ教徒にも、ギリシャの神殿関係者にも、知り合いができました。
もちろん普通の市民や国民の多くとも交流しました。趣味的なことも好きでした。
しかし自分なりの価値判断をしっかり持っていて、何でもいいという人ではなく、その意味では執着やこだわりや癖はありました。信念の人でもあったのです。

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古代ローマ帝国の時代は、ギリシャから続く文化の高みにあった時代だと思う。そのローマ帝国に生きていたといわれ、「やはりそうだったのか」と思った。世界史の中でもこの時代は昔から好きで、自分でもなんとなく惹かれるものがあった。

中学時代に見たローマ帝国時代を描いた映画「ベンハー」の印象は強烈だった。今でも自分の好きな映画である。最近ではローマのコロッセオを舞台に描いた映画「グラディエーター」も良かった。映画館にはめったに行かず、大抵DVD化されるのを待つ自分も、この映画だけは映画館まで見に行った。またテレビのドキュメンタリー番組でローマ帝国の特集があると、関心があって食い入るように見てしまう。ローマ時代の建築様式や街の雰囲気、当時の人々の衣装にはなぜか惹きつけられてしまう。

何年か前、観光でローマに寄って、フォロロマーノやコロッセオを見学したが、日本とは全く町並みも文化も違うのに、あまり異国の地という感じはしなかった。自分にはローマの町並みがごく自然に感じた。

人は前世の記憶を消して生まれてくるが、それでも全くなくなるわけではない。潜在意識の奥深くに眠っているだけである。ある特定の国や時代に強い関心があるという場合、前世でその国や時代に生まれていたケースが多いという。オーラの泉でも何度もそういうケースが出ている。

自分もやはりローマ時代に生きていた前世があったのかと、うれしかった。特に紀元1世紀のローマ帝国は、五賢帝が統治したパクスロマーナ(ローマの平和)と言われるローマの安定期である。

この前世ではイタリアやギリシャに行き、初代のクリスチャンたち、ユダヤ教徒、ギリシャの神殿関係者、普通の市民や国民の多くとも交流したという。何の仕事をしていたのかわからないが、一人旅が出来たり、多くの人と交流したり、人が何と言おうと自分の信念を貫いているところから考えると、地方の豪族とか、身分的にはそれなりにあった人だったのではないだろうか。この時代にしてはなかなかダイナミックで面白い人生だったと思う。今回のリーディングでは結構気に入っている前世だ。

しかしこの前世でも、前回と同じような指摘がされている。
自分の得た情報を使って他の人を導いたり、間違いに気付かせたり正したりしようとしたが、それは一部正しく、一部は自分の主観だったという。それが周りに歓迎されなくても、それに気付こうともしなかったという。

前回のリーディングでも、信念が強く、男性的で強い魂ではあるものの、人を規制しようとする傾向があると言われたが、この前世でもそういった傾向がある。なんだか「モーゼの十戒」の映画に出てくるモーゼのようだ。

確かに今の自分はあまり人に合わせるのは好まず、自分の信念に基づいて行動する。しかし人を自分の思い通りに正そうとはしないし、人の意見にはとりあえず耳を傾ける。これはビジネスをやる場合の鉄則で、人々が何を考え、何を求めているのかといったニーズを探るのはとても重要だと思う。今の自分とは少しイメージが違う。

しかしこれもこの後の前世で、少しずつ今の自分に近づいて来ている事がわかった。詳細は次回以降のブログで紹介したい。