MY LIFE,MY SPIRIT by Masato

今までの人生で感じたこと、自分の考え方を率直に語ります

秘密の付き合い

2006-08-31 21:54:13 | Weblog
Tちゃんとの最後の勝負に敗れたことで、もう僕はTちゃんを完全に諦めることにした。
あれほど努力して自分を変えたのに、今までの2年半は一体何だったのか。悔しい気持ちで一杯だったが、自分で決めたことだから仕方ない。Tちゃんに誕生日のプレゼントを渡して、それを気持ちの区切りにした。Tちゃんへの気持ちはすべて心の奥底に封印することにした。

その後、K子に電話し、デートに誘った。K子は僕とTちゃんとの社内の噂が気になっていたらしく、私との事を絶対に他の人に話さないならデートしてもいいという条件だった。
僕も散々社内で噂になって痛い目を見ていたので、望むところだった。それにもし僕とK子が付き合っていることが社内でばれれば、K子が更にいじめを受ける可能性があった。お互い絶対口外しないという約束で交際が始まった。

週末は一緒に横浜で食事をしたり、飲みに行ったり、海へドライブをしたりと、楽しい日々だった。K子は僕とは全く違った感性の持ち主で、率直で自分の考えをストレートに言ってくる。K子独特の感性が面白くて、お互い会話が会話を生んで話は尽きることがなかった。
彼女は非常に感性が優れていた。服や装飾品のデザインや色あいにこだわったり、絵を見たり描いたりするのも好きだった。
また情が深くていつも献身的に尽くしてくれた。特に料理が得意でいつも得意の料理でもてなしてくれた。和洋中何でもござれで、オリジナルのレシピを沢山持っていて、どれを食べても美味しかった。男は料理の上手な女性に弱いというのは本当で、彼女の料理は今でも鮮やかに舌の記憶に残っている。さすがバツイチは伊達じゃないなと妙に感心した。

しかし彼女は情が深い分、やきもち焼きで、Tちゃんの件ではちくちくと何度も嫌味を言われた。彼女は僕とTちゃんの噂を聞く度に相当傷ついていたらしい。
どうしてTちゃんではなくて自分を選んだのかとか、Tちゃんから受けた嫌味とか、いろいろ聞かされた。いつも適当に答えておいたのだが、ある日彼女のマンションでこう言われた。

「あなたはTちゃんのことでこんなに噂になってどうするつもりなの?あなたはこれからどの支店に異動したってTちゃんのことを言われるのよ」

これを言われた時はいつも平静な僕もなぜか平常心を失ってしまい、こう言ってしまった。
「俺は人に何と言われたって構わない!俺にとってあんなにいい子はいないんだから!」
それを聞いたK子は激怒し、僕を突き飛ばしてマンションから追い出した。僕は寒空の中、とぼとぼと一人家に帰るはめになった。
それから1週間かけて彼女に謝って仲直りをしたが、僕の気持ちがまだTちゃんに残っていることを象徴するような出来事だった。

しかし最初は順調にいっていたK子との交際だが、半年も経つと彼女との価値観の違いが明確になってきた。
人生の考え方も、僕はスピリチャリズムの影響でストイックな生き方を善しとする考えだが、彼女は快楽主義的で今が楽しければいいという考え方だった。僕は彼女の生き方や考え方はどうしても短絡的で刹那的な感じがして共感できなかったが、彼女は自分の感性と価値観が絶対で、それ以外の価値観を柔軟に受け入れることがなかった。

彼女といるとどこか精神的なバイブレーションが合わず、一緒にいて疲れるなと感じるようになってきた。また将来ずっと一緒にいるようなイメージもどうしてもわかなかった。
少しずつ価値観の部分でどうしても合わないことが明確になりつつあった。

最後の勝負

2006-08-30 11:23:24 | Weblog
関内支店に来て3年目、もうさすがに業を煮やした僕は、最後の勝負に出ることに決めた。
しかし去年のように二人だけで会いたいと申し込んでも、断られる可能性があったのでそれはできなかった。そこで僕ともTちゃんとも仲の良いAさんを誘って3人で会社帰りに飲み会をしようということにした。

Aさんは僕たちより10歳ほど年上で、非常に聡明で人間的にも魅力ある大人の女性だ。僕たちに理解があり、TちゃんもAさんを尊敬していた。Aさんなら二人の話を聞かれても大丈夫だと思った。或いは二人だけの時よりもAさんを交えたほうがうまくまとまる可能性もある。

最後の勝負の日はTちゃんの誕生日の前月の8月の下旬に設定した。今年こそなんとか誕生日の前に良い関係を築いて、Tちゃんにプレゼントを渡したかった。

無事TちゃんからOKをもらい、最後の勝負のお膳立ては整った。この飲み会で正直に自分の今までの気持ちを全部告白し、それでだめならもう神様が諦めなさいと言っている意味だと考えて、きっぱりと諦めるつもりだった。

飲み会当日の朝、どうか今日の飲み会がうまくいきますようにと神に祈った。

ところが飲み会の直前に、突然TちゃんがNさんも誘ったという。
嫌な予感がした。Nさんが入ったら、彼女の性格からして、おちゃらけで場の雰囲気が壊れてしまうはずだ。照れ隠しかもしれないが、どうして勝手にNさんを誘うのか。しかし断るわけにもいかず、4人で行くことになった。

悪い予感は的中した。Nさんが入ったことで、場の雰囲気が完全に壊れ、全然まじめな話ができる雰囲気ではなくなってしまった。TちゃんもNさんに引きずられるような形で、僕の気持ちを切り出そうとしても、全然取り付く縞もなく、まるで殻の外側の彼女と話をしているような感じだった。

最後の勝負は完敗だった。
言いたいことも満足に言えずに終わってしまった。
どうしてこんな大事な最後の席で心を開いてもらえないのか。あれほど祈ったのに神様はなぜ僕の願いをかなえてくれないのか。悔しい気持ちで一杯だった。
しかしもう神様が諦めなさいという意味だと受けとめるしかなかった。

帰りの電車の中で僕はずっとうつむいたままだった。

迷いの狭間

2006-08-29 19:39:22 | Weblog
Fさんが辞める少し前にK子という女性が契約スタッフとして入社してきた。彼女にも最初会った時から何か惹きつけられるようなインスピレーションを感じた。
美人でスタイルが良く、服装のセンスも良くて華やかな人だった。僕より2歳年上で、離婚経験があった。そのためか独特の色っぽさがあって、今までこんな色気のある女性は会った事がなかった。TちゃんともFさんとも違う魅力にあふれていた。
でも会社の飲み会で話をしてみると、意外と率直でストレートな性格で、思ったことをポンポン言うので外見のイメージとは全然違っていた。K子とは会話をしていて楽しかった。

しかし僕は当時Tちゃん一本に絞る決意をしていたから、どんなにK子が魅力的でも決してアタックするつもりはなかった。

しかしK子はその美しさと色っぽさから社内の女性社員の嫉妬を受けていて、事あるごとに周りから嫌がらせを受けていた。特にTちゃんとは犬猿の仲で、Tちゃんは最初からK子が嫌いだったらしい。TちゃんがK子に嫌味を言うのを何度か目撃したことがある。K子も入社したばかりだったし、ほとんどが大卒の社員の中で、高卒のコンプレックスがあったらしく、何を言われても我慢していた。

そんなK子を見て可哀相で痛々しくて、なんとかしてあげたかったが、下手に手助けをすると更にいじめを受ける可能性があったのでそれもできなかった。

Tちゃん一本に絞ると固い決意をしたものの、2年以上いくらがんばっても振り向いてももらえない。そんな中、僕はTちゃんとは対照的な魅力のあるK子に次第に惹かれていった。

K子も僕に惹かれていることは何となく雰囲気でわかっていた。朝会社で挨拶をするときと外回りから戻ってきたときは、彼女は必ず真っ直ぐに僕の眼を見つめてきた。僕も必ず彼女の眼を見つめ返した。

目は口ほどに物を言う。きっと付き合ってほしいと言えばOKしてもらえるだろう。でもK子と付き合ったら最後、Tちゃんとは完全に終わることを意味していた。それだけは避けたかった。

Fさん、Tちゃん、K子と短期間に立て続けに3人も好きな人ができるというのは不謹慎だと思うかもしれない。でも僕にとっては3人とも出会った時からインスピレーションを感じる魅力ある女性で、みんな好きだったというのが正直な気持ちだった。

これは僕にとっては大きな不運だった。何も同時期に同一職場に現れなくてもいいのに、神様はなぜもっと時期と場所を離してくれなかったのかと思った。でも3人のうちどれか一人を選べと言われれば、間違いなくTちゃんだった。

K子が入社して1年以上はお互い惹かれ合いながらも何もない状況が続いた。K子の魅力は抗し難いものがあった。しかしTちゃんは相変わらず心を閉ざしたままだった。もういいかげんにTちゃんを諦めてK子と付き合うべきか、二人の狭間で迷っていた。

Tちゃんと出会ってから2年半、もうさすがに我慢の限界に来ていた。そこで僕は最後の勝負をかけることに決めた。

環境が変わる

2006-08-28 12:54:02 | Weblog
自分を変える決意をし、まずは仕事を頑張った。少し頑張った程度では効果がないから、目に見えて成果がでるように努力した。不思議なことに、動機はTちゃんに好かれるためにがんばった仕事なのだが、やっているうちに本当に仕事ができるようになってきた。

それまでは人に言われるままにやっていた仕事が、自分から主体的に取り組むように変わっていった。自分にこんなに仕事ができる能力があったのかと、自分でも意外だった。こういうのを怪我の功名というのかもしれないなと思った。

またストレスで増えてしまった体重を減らすため、ダイエットに挑戦することにした。平日は食事制限をし、土日はマウンテンバイクで20kmを走ってトレーニングした。週1Kgペースで減量し、3か月後には10kg減量に成功した。学生時代のようなスリムな自分が復帰した。

2ヶ月、3ヶ月経つと僕の周りの評価が少しずつ変わり始め、半年後には完全にがらりと変わった。社内の女性達から白い目で見られることはなくなっていった。直属のアシスタントからは「須藤さん、成長したわねー」「仕事、頼れるようになったわねー」と言わるようになった。
まさかTちゃんに好かれたいから頑張ったとも言えず、「男は仕事がんばらないとね」とか言って適当に返事しておいたが、その話がTちゃんにも伝わったのだろう。Tちゃんの態度も柔らかくなってきた。もう無視するようなことはなくなり、普通に会話できるようになった。

自分が変われば環境が変わるというのは本当だった。なんとか誤解は解け、最悪の状況は脱することができたと実感した。

8月下旬頃、もうそろそろ二人で話をしても大丈夫だろうと思って、Tちゃんに電話をした。今までのことを謝りたいので、一度二人で会って欲しいと頼んだのだが、やはり彼女の返事はNoだった。

見直してくれたとはいえ、やはりまだFさんの件が尾を引いていたのだろう。また社内中で誰も知らない人はいないくらい噂になっている状況では、僕と会うのは抵抗があったのかもしれない。なんとか関係を改善して彼女の誕生日にプレゼントを渡したかった僕には残念な結果だった。

その頃僕はもうほとんどFさんとは話をしなくなっていた。Tちゃん一本に絞る決意をしたから意識してそうした。本当はFさんも素敵な女性だったし、嫌いになったわけではなかった。噂を広められたり、いろいろと意地悪されたりもしたが、僕に対する好意の裏返しだと思っていたから恨みに思う気持ちは全然なかった。Tちゃんと時期が重ならなければもっといい関係を築くことができたかと思うと残念だった。でも自分のパートナーは一人しか選べないから仕方ない。

僕の気持ちがもうFさんに向いていないことがわかったのかどうかはわからないが、出会ってから約2年後、Fさんは会社を辞めた。

それでもTちゃんと僕が近づくことはなかった。出会ってから2年半、最初の1年間のような最悪の状況は脱したものの、それから1年半はずっと膠着状態が続いた。会社で毎日顔を合わせてはいるが、それ以上の関係にはなれない。

それでも僕の想いはずっと続いていた。でも一体これ以上何をやればいいのか、こんな状況がいつまで続くのか、次第に不安とあせりを感じるようになっていった。

それにその頃、Tちゃん一人に絞ったはずだったが、僕にはもう一人、どうしても気になる女性がいた。

自分を変える

2006-08-27 09:20:55 | Weblog
時はバブル絶頂期、仕事はそれほど努力しなくても入ってきた。数字も普通にやれば達成できた。世の中全体が浮かれていた時代だ。

僕はその頃、恋愛というのは明るくて可愛くて好きな子と一緒に楽しく、軽く、いつも笑って過ごせればそれで十分だと考えていた。アタックして振られたとしても、気にせず気持ちを切り替えて次を探せばいい。世の中他にいい女はいくらでもいる。何も一人にこだわる必要などないと信じて疑わなかった。
自分自身も特定の女性に惚れこんだりするようなタイプではないし、何でもドライに割り切れるクールな人間だと自己評価していた。しかし本当の自分はそんなカッコいいものではない、自分で自分がわかっていなかったことを思い知らされることになった。

例の一件で、僕の周りの環境は最悪だった。Tちゃんからは何を言っても完全無視をされ、口も利いてもらえない。社内のアシスタントの女性からは僕はいいかげんな男だと白い目で見られる。もう針のむしろにいるようで毎日が辛くて、自暴自虐になり、ストレスで体重も増えていった。

もういっそのことTちゃんも諦めようと思ったが、胸の奥からこみ上げてくるような感情を止められず、どうしても諦めきれない。こんな感情は中学の初恋以来だったが、それよりも遥かに重く、深く、辛かった。彼女を諦めきれない自分が嫌でたまらなかった。彼女は可愛いだけではなく、内面も素晴らしかった。本心ではどうしても彼女と付き合って結婚したかった。

そんな状況がしばらく続いたが、ある日もういいかげんに彼女を好きなことを素直に認め、逃げずに前向きに努力してみようかと考えるようになった。客観的に見て、どう考えてもTちゃんの方がレベルが上だった。履歴、家柄、容姿、知性、人間性すべて彼女が上だった。
Tちゃんと付き合うためには彼女と同等かそれ以上の自分にならなければバランスが取れない。本物の女を手に入れるためには、自分自身が本物の男にならなければならない。

こんな事態を招いたのはフラフラしていた自分に原因がある。彼女が怒るのも無理はない。もうTちゃん一本に絞り、他の子には一切目もくれないようにしようと誓った。だからといって彼女はもう口も利いてもらえないから、それを直接言うこともできないし、言ったところで今更信じてはもらえないだろう。

どの状況をどう打開すればいいか悩み、考えた。スピリチャリズムでは「環境を変えたいと思うならば、まず自分自身を変えなさい、そうすれば環境が変わっていく」と教えている。これがヒントになった。

そうだ、まず自分を変えて、周りの環境を変えればいいのだ。その頃の僕は自暴自虐になってしまい、仕事で手を抜くことが多く、アシスタントからの評価もがた落ちだった。もう一度心を入れ替えて、仕事をバリバリ前向きに取り組むことによって、周りの人達の僕の評価を上げて行こうと考えた。そうすれば幸い同じ支店にいるわけだから、Tちゃんにも自ずと伝わるだろう。そうすれば僕が直接言わなくても、彼女の僕に対する見方も変わっていくだろう。

自分を変える決意をしたのは2月頃だったと思う。彼女の誕生日が9月だったので、彼女の誕生日までの半年後を完成目標にした。
須藤 正人改造計画が始まった。

似た者同士

2006-08-26 11:48:29 | Weblog
例の一件で、Tちゃんとの噂が社内中に広がり、僕はTちゃんからは完全無視、Fさんからは意地悪され、社内の女性達からは白い目で見られる日々が1年近く続いていた。

その頃ある事件が起こった。Fさんと同じチームの女性が突然会社に来なくなった。僕は他チームで事情がよくわからなかったが、どうやらFさんがその女性を気に入らなかったらしく、その人の悪口を社内中に言いふらし、味方を募って彼女を辞めさせるように仕組んだらしい。

彼女が会社を休んでいる間、ちょうど僕が彼女からの電話を取ったことがあるのだが、彼女は泣きながら僕に訴えてきた。僕もまだ若かったので大した慰めの言葉は言えなかったが、Fさんにはめられた彼女が気の毒になった。僕もFさんに言いふらされて肩身の狭い思いをした経験があるからよくわかる。結局その人はしばらく休んだ後、会社を辞めていった。

仕事をしていれば人間関係でいろんな衝突はあるだろうが、堂々と話をして解決すればいい。いくらなんでもあんな陰湿なやり方で辞めさせるなんてと、Fさんの人間性が嫌になってきた。いくら明るくて華やかでも、裏であんなことをやっているような人ではとてもついていけない。あの一件でFさんに対する気持ちが冷めていった。

Tちゃんは一見あっけらかんとしていて、今風の言葉遣いをする人だから、彼女を下に見ていたところもあった。だが何かもっと奥深いものがあるような気もして、ずっと気になっていた。だが1年近く経っても、それが何なのかは相変わらず理解できなかった。しかしある社内の年上の女性が言った一言がヒントになった。

「Tちゃんは本当に人に気を遣う人よ」

Tちゃんが人に気を遣う?一見あっけらかんとしていて人に気を遣っているようにはとても見えない。むしろマイペースのように思えるのだが、一体どういう意味なんだろう?何日も心を澄ませて深く考えてみたら、やっとその意味が理解できるようになった。

Tちゃんは本当は純粋でまじめで人に気を遣う人なのだ。それが本来の彼女の姿なのだ。ただ気を遣っているのを他人に悟られるのが嫌で、あえてあっけらかんとして見せているだけなのだ。一見馬鹿っぽく見えるのはあくまでも表面上の彼女に過ぎない。内面は限りなく純粋で、まじめで、知的な女性だということがようやくわかってきた。

中身は全然大したことがない人が、それを隠して自分を良く見せようと見栄を張るケースはよくある。そんな人はすぐわかる。だがそれとは全く逆で、内面が素晴らしいのに、それを隠して自分をあえて下げてみせようとしている。心が二重構造になっているようで、今までに全く会ったことのないタイプの女性だったし、またこれほどレベルの高い女性は初めてだった。

考えてみれば僕も似たようなタイプの人間だった。まだこんなに悪い状況になる前、本社での研修の帰りに二人きりになり、Tちゃんが僕にこう言ってくれたことがある。

「須藤さん、可愛そう、会社で損をしている」
「えー、損?別に俺、損なんかしていないけど」
「本当は真面目な人なのに、みんなに誤解されている・・」

ちょうどその頃、支店内は山根支店長の異様な雰囲気の影響で、社員は40人位いるのにも関わらず、シーンとしていて活気がなかった。だから大宮支店の時と同じように、僕は支店長のいない時を見計らって、みんなを笑わせて雰囲気を明るく盛り上げようと努めていた。他の人たちは僕が元々そういう馬鹿なことばかり言っている面白い人と思っていたようだが、僕は気を遣ってあえて道化師の役を演じていただけだった。

Tちゃんは僕のことがよくわからないと言いながらも、僕の内面を見抜いていた。表面的なことに惑わされず、物事の本質がわかる女性だった。

また僕の場合はどん底の社会人1年目に目覚めたスピリチャリズムの影響で、神の存在、霊性の向上といったスピリチャルなテーマが心の中の大部分を占めていたが、そんな話を誰にしたところでわかる人がいるはずがない。話したところで変わった人だと思われるだけだ。だから粗雑な外の人々とうまくやっていくためには、内面を隠して殻の外に別の自分を作らなければ、どうしても周りと調和してやっていくことができないのだ。
僕も殻に閉じこもって内面を隠し、外に別の自分を作っているタイプの人間だった。それ故に人からはよく分からない人だと言われる。僕はTちゃんに自分と同じような匂いを感じた。

それに気が付いた時、自分が本当に求めている女性はTちゃんなんだと気が付いた。僕にあんなことを言ってくれた人は初めてだった。自分の内面をきちんと見てくれた人になんてことをしてしまったのかと、心底後悔し、自分を責める日々が続いた。

読めない内面

2006-08-25 18:03:10 | Weblog
派遣会社の営業マンは毎週のように新しい登録スタッフと会い、企業に同行して面接に行く。契約開始後もうまくいっているかどうか職場に行ってフォローをする。僕はスタッフからは話をしやすいタイプらしく、派遣先での仕事内容や人間関係の悩みを相談されたり、将来の仕事の希望や恋愛の問題等、いろんなプライベートな相談も受けた。僕も結構親身になって答えたから、スタッフからは評判の良い営業マンだったと思う。実際そうしたまめなフォローが、スタッフから信頼され、「どの部署で人が足りないらしい」、「友達でいい人を登録させたい」といったいろんな有益な情報が入ってくるから重要な仕事である。

派遣先企業の担当者からも、スタッフの仕事ぶりをヒアリングする。担当者からはこのスタッフはまじめできちんと仕事をしてくれるとか、このスタッフは頼んだ仕事を全然やってくれないとか、いろんな評価を聞く。数をこなしていくうちに、大体スタッフのタイプによって傾向性がわかるようになった。

派遣会社の登録要件は実務経験2年以上ということになっているが、実際2年程度の実務経験では現場での必要なスキルを満たしていない。最低でも4,5年は必要だから、20歳そこそこのあまり若いスタッフは後でクレームになるケースも多い。だからあまり若いスタッフは要注意である。

それから1社しか経験がなく、そこでずっと長く働いていた人は、前の会社の風土や仕事のやり方があまりにも染み付いてしまって、派遣先になかなか順応できないケースが多い。ただし派遣先に慣れ、うまくはまればずっと長く仕事をしてもらえる。

短期間に何社も渡り歩いてきたような人は要注意だ。大体どこに行っても使えず、派遣先でもクレームになって、途中解約か契約期間が来たら終了になるケースがほとんどだ。

前の職場がのんびりした会社や、男性社員が多くて女性に優しい会社にいた人は、注意して派遣先企業を選定しなければならない。そういう職場にいたスタッフを非常に忙しい会社や、男女関係なくバリバリ働かせるような会社に派遣してしまうと、能力が追いつかずに潰れてしまうこともある。

逆に非常に忙しい職場にいたスタッフは鍛えられているから、どこの企業に派遣しても大丈夫だ。

それから容姿のあまりに可愛いスタッフ、綺麗なスタッフも要注意だ。そういう人は幼少の頃から周りからちやほやされているので、わがままで自己中心的な性格になっているケースが多い。派遣先では最初はうまくいっていても、時間が経つとその性格は周りとうまくいかなくなり、クレームになることが多い。ほとんどの新人の男性派遣営業マンは、最初可愛い子はいいスタッフだと思って派遣したはいいが、企業からクレームになって愕然とする。そうした経験を何度も積むと容姿では惑わされなくなってくる。容姿が良くて、なおかつ性格も良いスタッフはかなりのレベルだが、実際はなかなかいないものだ。

安心できるのは、30歳過ぎで実務経験が8年以上、2,3社程度の経験がある既婚のスタッフだ。これくらいなら社会経験とスキルは十分だし、結婚していると家庭という安らぎの場所があるので精神的にも安定している。ただこれ位の年齢のスタッフは、出産を機会に契約終了になるケースが多く、あまり長く働いてもらえないのが痛いところだ。

企業に面接に行く際には、予めスタッフの履歴データを読んでおき、その人のイメージをつかんでおく。その上で実際会えば、その瞬間に大体どんな人でどの企業に合うのかは直感的にわかるようになった。僕の人選方法は、データはあくまでも参考程度で、ほとんどインスピレーションでやっていたが、これがよく当たった。
仕事柄、毎日こうした経験を積んでいたから、女性を見抜く眼にはある程度自信があった。

Fさんの内面はわかりやすい。見たとおりそのままで、派手で華やかで人前に出るのが大好きで明るい。僕のように内向的な人間が努力して外向性を身に付けたのではない、天性の明るさ、華やかさを持っていた。自分に無いものを持っているから、そこに惹かれたのだと思う。
気になったのはお嬢様育ちでプライドが高くわがままで、自分の思い通りにするためには裏で多少汚い手段を使ってもやるようなところがあった。

しかしTちゃんの内面はよくわからなかった。見た目は可愛いが、性格は派手ではなく、むしろ地味で堅実だった。話し方はあっけらかんとしていて、ギャル風だから知的とは感じられない。最初はおそらく見た目そのままの子で、顔は可愛いくても中身は大した子ではないのだろうと思っていた。

でも本当にそれだけなんだろうか。もっと奥深くに何かがあるような気もする。だからといって本当はどんな子なのかさっぱり読めなかった。仕事柄、女性の内面を見抜く目を持っていたつもりだったが、Tちゃんに対しては全くお手上げ状態だった。

Tちゃんも僕に対して「何を考えているんだかよくわからない人ね」とよく言っていた。お互いがお互いをよくわかっていなかったようだ。

会社で週5日顔を会わせていたにもかかわらず、Tちゃんの内面が理解できるようになったのは出会ってからちょうど1年後の頃だった。

愛と憎しみと未熟さ

2006-08-24 14:01:34 | Weblog
5月の連休のTちゃんとのテニスデートの日、朝起きると外は雨だった。天気予報も一日雨、前から楽しみにしていたけどこの天気じゃあ仕方ない、今日は雨で中止だなと思って彼女に電話をした。

「今日は雨だから仕方ないけどテニスは中止だね」

「いいわよ、仕方ないじゃない、じゃあね」

すぐにガチャンと電話を切られ、全然残念そうな感じもなく、あまりにもそっけない口調に、なんだか僕とのテニスデートが楽しみでなかったみたいな感じがして、ちょっとカチンと来た。彼女のそっけない口調に何だかむしょうに腹が立ち、「俺とテニスをするのがつまらないんだったらTちゃんはやめてFさんにすればいいや」と考えてしまった。

人間は自分が好きな人から冷たい態度をとられたり自分に振り向いてもらえなかったりすると、逆に好きな人を傷つけるような行動を取ることがあると思う。愛情の反対は憎しみというが、その時の僕がまさにそれだった。本心ではTちゃんが好きなくせに、そっけない態度をとられたことでFさんと仲の良いところを見せつけてTちゃんを傷つけたいと思ったのかもしれない。

だがFさんとも歓迎会の一件でこじれてしまい、僕に対して冷たい態度を取るように変わってしまった。その後Fさんをデートに誘ったのだが、
「あたしじゃなくてTちゃんを誘えばいいでしょ!」とすごい剣幕で断られてしまった。今まではあんなにフレンドリーだったのに、えらい変わりようだった。

その後すぐにFさんが「須藤さんから誘われて本当に迷惑してるんだから」と社内で散々言い振らし、それがTちゃんにも伝わってしまった。

それ以来Tちゃんも僕に対して冷たい態度を取るように変わってしまった。Tちゃんは僕が仕事以外の事で声を掛けたら、
「お前なんか嫌いだよ!」と言ったきり、その後はいくら声を掛けても完全無視で、口を利いてももらえない。これには本当に傷つき、落ち込んだ。

この一件の噂があっという間に支店内に広まり、それから神奈川支社はもちろん、東京の方にまで広まってしまった。直属のアシスタントはもちろん、支店内の女性アシスタント全員から白い眼で見られ、せっかく最初良かった僕の社内評価は一気に急降下していった。

まさに「二兎を追うものは一兎をも得ず」

あの頃はまだまだ学生気分が抜けず、軽薄な人間だった。いい加減な行動が自らの破滅を招くことになったのだ。起きてしまった最悪の事態に真っ青になったが、もう時既に遅かった。

今にして思えばなぜあの時機転を利かせてテニス以外のデートに変更して誘わなかったのか、その後もどうしてあんな軽率で短絡的な行動に出てしまったのか悔やまれる。

今の自分なら決してあんな行動に出たりはしない。今の自分なら何を言われてもその場はじっと耐え、とりあえずその場をニュートラルな状態に留めておく。

その後落ち着いて自分の本心がどこにあるのか、自分の内面を奥深くまで見つめていく。そして相手の内面を探り、相手の真意がどこにあるのか理解するよう努める。

それが出来たら自分の置かれた状況を客観的に分析し、再度戦略を練り直す。そして次のチャンスが来る時まで辛抱強く待ち続ける。

本当に好きな相手だったらそれくらいの辛抱はするべきだと思う。

でもあの頃の僕にはそんな余裕は全くなかった。とにかく結論を早く出したかった。物事を表面上の出来事だけで判断していた。

当時25歳、若くて未熟だった僕は、まだまだ多くの手痛い経験を積んで学ぶ必要があった。

最大のインスピレーション

2006-08-23 16:23:14 | Weblog
20代後半の頃は一番もてた。会社の飲み会で座ればすぐに両脇に女性が座ってお酌をしてくれる。飲み会が終わると腕を組まれる。外では派遣スタッフからデートに誘われる。もう何でこんなにもてるのか不思議だった。男だらけの暗黒の高校時代を経験した僕にとっては、ほっぺたをつねりたくなるような感じだった。

誰でも一生に一回位はもてる時期があるというが、僕はあの頃がそうだった。またあの頃は出会った瞬間にインスピレーションがわくような魅力的な女性が次々と出てきた時期だった。今では4、5年に一度あるかないかなのに。

しかし僕がもてたというより、社内の7割が女性で、扱う商品も全部女性という恵まれた特殊な環境によるのが大きい。しかし皮肉なもので、あまりにも女性が多い環境だと逆に女性に興味がなくなってくる。女性が多いと社内での女性同士の人間関係の確執等も多い。得意先では派遣スタッフの仕事ぶりが悪くてクレームを受けることもあるし、派遣スタッフから派遣先企業での待遇でクレームを受けることも多い。それに派遣スタッフに手を出したりしたのがばれれば、社内の女性に総スカンをくらって全然仕事が回っていかない。

とにかく仕事中はずっと女性に気を遣いっぱなしだった。実際そんな女性の現実を目の当たりにして、入社したての男性社員は一時期女性不信になることが多いし、僕もそうだった。
僕が女性に対して厳しいとか好みがうるさいと言われるのは、この派遣営業マン時代の影響が大きい。女性の嫌な部分を散々見せつけられた経験があるからだ。

その一方、生涯でも最大級の好きな女性と出会い、女性の本当の素晴らしさを実感した時期でもある。その女性の影響で僕自身が変わり、大きく成長することになった。今の自分があるのは彼女のお陰だったと言っても過言ではない。その反面、地獄の淵に落とされたような深い悲しみを味わい、本当に辛い経験をした時期でもある。

僕が関内支店に配属になってちょうど1ヶ月、支店長が翌日に中途採用の社員が入ってくるという。どんな人なのかは言わなかったし、男性か女性かもわからなかったのに、その時なんとなくいい人が来るような予感があった。

翌日は僕は一日中外回りをしていたので会えなかったが、その翌日の3月2日の朝、彼女を始めて見かけた時、突然胸に暖かい光が差し込むような強烈なインスピレーションを感じた。初対面でのインスピレーションは何度もあったが、今だかつてあんな強烈なインスピレーションを感じたことはない。もう頭の先から足の先まで完璧なまでに僕の好みで、世の中にこんな可愛い人がいたのかと思った。完全に一目ぼれだった。

すぐに彼女の方から一言だけ「Tです、よろしくお願いします」と挨拶をしてきたが、僕は「僕も先月来たばかりですがよろしくお願いします」と平静を装うので精一杯だった。
今までFさんがいいなと思っていたが、Tちゃんの方が遥かに好みだった。後で聞いたら父親が会社を経営している元町生まれの元町育ちのお嬢様だった。僕と同い年で有名短大を出て大手出版社に数年勤めていたらしい。
Tちゃんは経歴に比べて性格や服装は派手ではなく、ごく普通のタイプだった。ただ話をしてみるとサバサバというか、あっけらかんとしているというか、ちょっと今風の流行り言葉を使った話し方をする人で、見かけの可愛らしさとは全然違っていた。人間の知性は大体話し方でわかる。もう少し知的な女性かなと思っていたので少しがっかりしたが、とにかく可愛くて僕好みの容姿だったのでそれほど問題ではなかった。

ある日曜日、支店のみんなで石川町でテニスをすることになった。Fさんは華やかなピンクのスコート姿、Tちゃんは地味な紺のジャージでやって来た。Fさんは学生時代からテニスをやっていたが、Tちゃんはバスケットボールをやっていてテニスは遊び程度だった。ところがTちゃんはテニスはそれほど上手くないのにボールに向かってよく走る。意外にガッツのある女性だなと思った。

テニス好きのFさんは僕がテニスが出来るのが意外だったらしく、見直したような、尊敬したような感じで、更に僕にテニスのことで話をしてくるようになった。

後日Tちゃんの歓迎会があった。僕が座るとすぐ隣にFさんが座った。しばらくはFさんと話をしていたが、僕はどうしてもTちゃんと話をしたくて、途中でTちゃんの隣に席を移動してしまった。それがFさんには気に入らなかったらしい。それ以来、Fさんとは少し険悪な雰囲気になってしまった。

それでもどうしてもTちゃんと仲良くなりたかった僕は、5月の連休にTちゃんを二人だけでテニスに誘った。Tちゃんも僕に対してまんざらでもなかったらしく、すぐにOKしてくれた。これを機会に個人的に仲良くなれると胸を躍らせた。Tちゃんが彼女だったら僕は大満足だ。

しかしせっかく期待していた初デートだったが、これが4年間に及ぶ不運の始まりだった。


憂鬱だった横浜行き

2006-08-22 18:36:07 | Weblog
全損事故のショックも覚めやらぬ1988年1月、突然横浜関内支店のチームリーダーとして赴任するよう異動命令があった。

最初は池袋支店に行く予定だったらしいが、いろいろあって関内支店に変更になったらしい。池袋支店なら大宮支店と同支社グループなので交流も多いが、横浜関内支店では全く別支社だからもう会うこともほとんどない。大宮支店では僕は人気者だったから、アシスタントの人達はみんな寂しそうだった。僕もいろいろと良くしてくれたアシスタントの人達と別れるのは辛かった。その時はせっかく盛り上がっていた支店もしんみりした雰囲気になってしまった。

それに僕はそれまで横浜にはあまり馴染みがなかった。サークルの飲み会で一度中華街に行った程度だった。横浜の人達は横浜にプライドを持っていて、閉鎖的で僕のような地方出身者には冷たいというイメージがあって、正直あまり行きたくはなかった。地方出身者の集まりの東京の方が気楽で良かった。
そうはいってもこのまま小さな大宮支店にいるよりも、規模の大きい関内支店に行った方が仕事も大きくて勉強になるだろうし、また新しい環境で新しい人と出会えるだろうと、気を取り直して行くことにした。

それにしても最初は横浜に行くのが憂鬱だった僕が、今では横浜大好き人間になり、12年以上も住み続け、仕事をしているのは不思議な気がする。僕が横浜にこだわるのは僕に最も大きな影響を及ぼした女性が横浜出身だからかもしれない。

新松戸から会社の独身寮のある元住吉に引越し、東横線で関内支店に通勤した。関内支店のトップはYさんという初老の支店長で、社内でもその仕事ぶりとワンマンは超有名で、ゴッドファーザーと呼ばれていた。人事からは支店長の下で勉強してきなさいと言われていた。

実際に関内支店に配属になると、支店長は一番奥のデスクにどっぷりと腰を下ろしていて、社内では禁止されているはずのタバコを堂々と吸っていて異様な雰囲気をかもし出していた。
タバコを吸い終わると今度は慌しく顧客リストに眼を通し、ドスの効いた関西弁で、このスタッフはいつ契約が終了するから次を探せとか、この会社のスタッフとの打ち合わせはわしが行くとか、細かい指示を出していた。普通支店長クラスになるとあまり実務には口を出さないものだが、支店長は違った。

会議の席でも支店長の独壇場で、他のチームリーダーの意見を求めず、ほとんど自分の意見を言って終わってしまう。すべて自分の思うとおりに事が進まないと気がすまない人で、まるでヤクザのような振る舞いに誰も逆らえなかった。こりゃ大変な支店長のいる支店に来ちゃったなと、最初はびくびくものだった。

ただ仕事では超熱心だし、言っている事は正論だし、親分肌で男らしく、面倒見が良くて決断力があった。まあこれも勉強だと思ってここでやるしかないなと思った。

関内支店は4つのチームがあり、それぞれのチームがエリアを分けて担当する。僕のチームは横浜の山下町や鎌倉・三浦半島を担当し、アシスタントには僕よりずっと年上の30代と40代の女性2人がついた。当時僕は24歳だったが、ずっと年上の彼女達をどううまくまとめるかがチーム運営の鍵となる。

配属になった初日、他のチームの中にFさんという明るくて華やかな感じの女性がいて僕の眼を引いた。なんだか彼女の周りだけが光っているような感じで、さすが横浜に来るといい女がいるなーと期待に胸を膨らませた。

後で聞いたら大手保険会社に勤めた後、イベントのキャンペーンガールや司会をやっていた人で、歳は僕より1歳上、逗子に住む一流企業の重役の娘だった。社内でもイベントがあると司会をよくやっていて、明るくて華があって人前に出るのが大好きな人だった。華やかな女性に憧れていた僕は、なんとかFさんと仲良くなれないかなと思っていたが、彼女も僕に関心があったらしく、僕がどんな人物なのか、他のチームリーダーにいろいろ聞いていたという。

当初横浜や湘南エリアの地理に疎かった僕は、Fさんに湘南エリアの地理の質問をするような形で話をしていき、すぐに仲良くなっていった。関内支店に配属になって1ヶ月、Fさんに一度デートを申し込もうかなと考えていた矢先、僕を大きく変える最大の女性と出会うことになる。