MY LIFE,MY SPIRIT by Masato

今までの人生で感じたこと、自分の考え方を率直に語ります

転生輪廻の意味

2007-03-23 13:09:48 | Weblog
江原さんのスピリチュアルブームの影響か、書店に行くと多くのスピリチュアル書籍の新刊が発売されている。僕は書店に行くと必ずスピリチュアルのコーナーに立ち寄るが、20年前はこれほどではなく、こうした書籍は紀伊国屋などの大型書店でないとあまり多くは置いていなかったように記憶している。しかし今は自宅のある東戸塚のリプロには多くの書籍が並んでいる。こうした書籍のブームも波があるようだが、全体から見れば伸びていると思う。

しかしスピリチュアルといっても玉石混交で、きちんとした本もあれば、どこか変な方向に行っているような本もある。僕は大体目次を読んでパラパラッと斜め読みすれば、きちんとした本かどうかは大体わかる。

前回紹介したエドガー・ケイシーなどは有名だが、エドガー・ケイシー関連の本は、研究者の観点から書かれていて、余計な記述も多く、初心者にはわかりにくい部分もある。
また転生やカルマについても当時のアメリカ人の例しか載っていないので、もっと身近な現代の日本人の転生やカルマについてわかりやすく書かれた本はないか、ずっと探していたのだが、なかなか見つからなかった。

しかしちょうど先週、「過去世リーディング」という本を見つけた。これが現代日本人の転生やカルマについてわかりやすく書かれていて面白かったので紹介したい。
著者の高江洲薫氏はもとは獣医だが、妻と娘を火事で亡くすという、悲しみのどん底に落とされる体験をした後、人の過去世の様子がビジョンで見えるという能力をさずかったという。その後3000件におよぶ過去世リーディングを行ったそうだ。
書籍では様々な転生のパターンを紹介しているが、興味深いのは直前の過去世だけでなく、数代遡ってその人の過去世の変遷を紹介していることだ。なんと9代まで遡って紹介している例もある。
例えばある女性の7代前の過去世では、モンゴルの兵士で人を残虐に殺した人生を送る。そのカルマの償いで次はインドの虐げられた女性としての人生を送る。しかし次の人生ではその反動でもう弱い立場の人生はこりごりだということで、今度はオスマンの将軍となる。
加害者と被害者を交互に繰り返し、双方の立場の人生を経験することで学んでいる人の過去世を紹介していた。ちょっと極端過ぎる過去世のパターンで、普通の人はもう少し平坦なパターンの過去世が多いと思う。まあ、わかりやすさとか、本の売れ行きを考慮してこうした例を紹介したのかもしれない。
その他、家族や配偶者とうまくいかなかった原因、病気や苦難の原因が過去世にあることをいくつも紹介している。一部にはちょっと違うのではないかと感じる箇所もあったが、まずまず参考になった。興味ある人は読んでみたらどうかと思う。

転生輪廻やカルマの法則については、こうした一般人のカウンセリングをし、書籍を出して広める人もいるし、江原さんのようにテレビやマスコミに出て広める人もいる。元々は深夜番組だった「オーラの泉」も、放映時間が4月からゴールデンタイムに移るが、それほど視聴率が良いのだろう。この番組では江原さんが芸能人の過去世をリーディングし、人間関係の問題、心の問題点を過去世でどんな人生を送ったかという視点から原因を明らかにしている。
番組に出てくるのが芸能人だけに、興味本位の視聴者が多いとは思うが、それでも転生輪廻やカルマの法則、霊的世界の真実について多くの日本人が触れることができるのはとてもいいことだと思う。やはり本だけではスピリチュアルなものに興味あるマニアック層にしか広がらないという限界がある。やはり一般的な多くの人々に広まってこそ意味があると思う。

僕のブログは何度も転生輪廻やカルマの法則について多く書いているが、なぜこれほどまでこの考えが重要なのか。
その理由の一つは、人間の抱えている不幸の原因が、実は自分自身にあること。それが偶然ではなく、その人の学びに最もふさわしいものとして必然的にあると理解することで、物事をポジティブに捉えることができるからだ。
スピリチュアルな考えでは、人それぞれ生きてきた魂の歴史が違うので、抱えているカルマが違う。人間はそれぞれ自分が抱えているテーマを解決するのにふさわしい環境で生まれてくる。貧困、病気、失恋、離婚、死等、人生には様々な悲しみや苦しみがあるが、不幸や試練が偶然起きているわけではない。そうした状況において学ぼうとテーマを決めて生まれてくるから、それらは必然的に起こっている。
もちろん生まれてきた時にはそのことは忘れている。しかしどんな不幸があっても、それには意味があり、自分を成長させるための試練であると考える。こう考えると物事を前向きに捉えることができる。

もう一つの理由は、人間が様々な時代や地域を変えて転生していくという事実を知ることによって、国や人種の違い、宗教の違いが何の意味もなくなるからだ。

スピリチュアリズムでは、誰しもヨーロッパで生まれてクリスチャンだったり、中東に生まれて回教徒だったり、アジアに生まれて仏教徒だったりと、様々な時代や国を経て学んでいると教えている。

現代の宗教界では、なんとか教の教えが最高で、他の宗教はだめだとか、他宗非難ばかりやっているが、そういう人であっても、過去世では非難している宗派を信じていたかもしれない。
また世界には戦争が絶えないが、自分が過去世で戦争している相手の国民だったかもしれない。戦争している相手が、自分の過去世の子孫であることも十分あり得るのだ。
そして転生の過程では、魂はいろんな人種に生まれてくる。だから白人だから優秀だとか、有色人種だから劣っているということもない。人間の本質は肉体ではなく魂である。
つまり国や人種の違い、宗教の違いがナンセンスであるということを理解できるようになる。この思想が当たり前のように世界の人々に広がれば、人種差別や戦争がなくなるということを意味している。

転生輪廻やカルマの法則を知ることで、個人と人類全体の両方を救うことができる。この思想は実に合理的で利にかなっているし、至って単純で、難しいことは何もない。しかし現実にはそんなものは古代人の考えだとか、絵空事だとか言う人が多いと思う。

唯物主義者は目に見えないこと、非科学的な事は一切信じない。死んで肉体がなくなればすべて亡くなると思っている。
前述した僕の弟は、科学の世界にどっぷり浸っているから、ガチガチの唯物主義者である。科学的に証明できないことは信じないと言ってはばからない。しかし彼の内面は弱く、不安で一杯だと思う。科学は人間の生活を便利にはするが、人の心は救えない。
以前付き合った女性もそうで、彼女は自分が死んだら何も亡くなるから死ぬのが怖いと言っていた。僕は死ぬのは全然怖くないが、自分の存在が消えると考えているなら怖くて当然だろう。しかし彼女は今のままなら一生死の恐怖から抜け出せないだろう。
現代人の多くは、未発達の科学的思考と誤った共産主義が唱える唯物思想に影響され過ぎている。

だがそういう人であっても、死ねばこうした事実がわかるようになっている。自分が死んで霊的な存在になった時、自分の過去世の記憶が甦り、自分の今回の人生が予定通りうまくいったのか、失敗したのかは自分でわかるようになっている。
その時後悔するくらいだったら、今から受け入れた方がよほど充実した人生を歩めるのではないだろうか。

エドガー・ケイシーの業績

2007-03-21 17:45:52 | Weblog
皆さんはエドガー・ケイシーという人物を知っているだろうか。日本のテレビでも以前特集があったらしいが、スピリチュアリズムでは有名な人物である。1877年にアメリカで生まれ、写真技師の仕事をしており、経験なクリスチャンで、日曜は牧師の仕事もしていた。その一方で彼は病人の治療方法、予言、転生輪廻等に関する多くの記述を残している。

彼はベッドに横たわり、催眠状態になると、病人の名前と生年月日を伝えるだけで、治療方法を語りだす。病人がどこにいるかは関係ない。タイピストが言葉を記録し、その手紙を依頼者に送る。治療方法はその当時の一般的な治療方法とは異なる。彼は無学で医療の知識は全くない。これをリーディングと呼ぶが、彼自身も何を言ったのかは記憶がない。
しかし依頼者がその処方箋通りに治療を行うと、病気が治ってしまうという現象が次々と起きた。全米中から治療の依頼の手紙が舞い込み、ケイシーは無償あるいはわずかな謝礼でそれに答えていった。

ところが催眠状態で病気の治療方法を語っているうちに、その病気の原因が実は過去世にあることまで語りだすようになった。
例えば、幼い頃に小児麻痺にかかり、背中が丸くなってしまった女性をリーディングしたところ、この女性の過去世で、ローマ時代のコロッセオで、人間同士との戦いや人と猛獣の戦いを見て、それを嘲笑したことに原因があると答えた。人の苦しみをあざ笑ったことで、今度は自分が嘲笑される立場になったのである。
他にも両目の不自由な男性をリーディングすると、剣闘士として生きた過去世で、猛獣の目をつぶした過去世の償いとして、今度は自分の目が見えないという経験をさせられていた。
また水に恐怖心を持つ女性の原因が、クリスチャン時代に水攻めで殺された過去世が原因だったことや、高所恐怖症の多くが、過去世で高いところから落ちて死んだことが原因だったことなどを語った。

ケイシーは催眠から目覚めた後、自分の口から出た言葉を読んで驚愕する。転生輪廻やカルマの法則といったキリスト教の教義に全くないことが次々と出てきたからである。敬虔なクリスチャンであり、日曜は牧師をしていたケイシーは、はじめは悪魔の言葉ではないかと恐れおののいたらしい。しかし何千件というリーディングを続けていくうちに、これが真実であると納得するように変わっていった。

リーディングではカルマを解消した例も紹介されている。
ある看護婦の女性は、裕福な家の精神薄弱の男性の担当になる。しかしこの患者は鉄格子に入れられ、話も出来ず、眼つきも異常で、服を引きちぎり、わめき、看護婦の言うことは全く聞こうとしない。看護婦はこの患者の食事や身の回りの世話をしようとするが、どうしても嫌悪感や吐き気がしてできない。
ところがリーディングは看護婦と患者が二度過去世で会っていると告げる。2回前の過去世では、エジプトで患者は看護婦の息子として生まれているが、その時彼女は息子に愛情を注ぐことがなかったという。そして1回前の過去世では、患者は中東で裕福な家に生まれ、ハーレムで多くの女性を性欲の対象にしていたが、看護婦もその時の対象の女性だった。彼女の感じた嫌悪感は、その時の恥辱が甦ったからだという。男は中東の過去世のカルマの報いで、今生では精神薄弱として生まれている。
彼女は仕事を辞めようとするが、リーディングはこう答えた。
「この仕事を辞めることは何の解決にもならない。二人のカルマはこのまま続き、未解決のまま将来の生に持ち越されるだけである。病んだ心も愛を感じる能力を持っている。もしあなたが自分のカルマを解消したいと願うなら、患者を愛することを学ばなければならない。」
看護婦はなんとか患者に愛情を注ごうと努力し続けた。結果、患者も彼女の愛情に反応を示すようになり、異常な行動は治まっていった。彼は自分が愛されるということがわかり、心が穏やかに変わっていった。
患者は2年後に心穏やかに亡くなったそうだが、看護婦が愛情を示すことで、二人の関係を改善し、立派にカルマを解消したという。

こうして今日の医学では解明できない病気や悩みの原因が、過去世をリーディングすることで解明し、それを知らされた人々も、心の安らぎを得られるようになっていった。
これらのリーディングを通して判明したことは、過去世において他人に対して残忍であったり、冷酷であったりすると、必ずその刈り取りをさせられるということである。
また誠心誠意、良心的に生きている人は、必ずその人の徳となり、素晴らしい人格として出てくるようになる。
イエスの言った「蒔いた種は自ら刈り取る」という言葉が示すとおり、物事には必ず原因があって結果がある。また人間が霊的な存在であり、様々な時代や地域を変えて生まれ変わってくるとリーディングのメッセージは伝えている。

リーディングではその他にも予言、夢予知、聖書に書かれていないイエス・キリストの様子、アトランティス文明など、普通では知りえない膨大な情報が出てきた。ケイシーは亡くなる1945年までリーディングを続け、その何千、何万件というデータはエドガーケイシー財団に保管され、彼のリーディングの内容は誰でも閲覧できる。ケイシーの貢献で、キリスト教国であるアメリカをはじめ、世界中の人々に霊的世界の真実が明らかにされた。現在のアメリカのニューエイジ運動にも少なからずケイシーの影響があると思う。

日本でもスピリチュアル書籍コーナーには必ず彼の書籍が並んでいる。僕は23歳の頃にエドガー・ケイシーの本に出会い、こんなことがあるのかと驚き、片っ端から読みあさった。
興味のある人はぜひ一度読んでみることをお勧めしたい。


須藤家の憂鬱

2007-03-16 19:08:00 | Weblog
先週の日曜は雨でテニスが中止になったので、久々に実家に帰った。
幸い両親とも健康で、僕とは仲が良いからいつも歓迎してくれる、しかし須藤家は4歳下の弟の困った問題を抱えている。実家に帰るたびに弟の件では毎回両親から愚痴を聞かされる。

弟は大企業のメーカーのエンジニアで、つくば学園都市に住んでいるが、仕事上の問題で精神病を患っていて、実家の近くの精神病院に毎月診断を受けに来ている。
先月つくばから車で1時間半かけて病院に来たにもかかわらず、実家には寄らずに帰ってしまったという。せっかく近くに来たのにどうして寄らないのかと両親は憤慨していた。

両親の言うのももっともだ。多分弟は機嫌が悪くて寄りたくなかったのだろう。病気も一時期よりはましになったが、やはりおかしいことに変わりはない。

弟はいつも顔色は悪く、むくれていて、目が死んだ魚のようで活気がない。体重は100KGを超えて超肥満だ。掃除も洗濯も全然やらないからいつも汚い。部屋は汚れっぱなしでタバコの煙で充満している。その代わりネット、ゲーム、アニメが異常に好きで、いわゆる典型的なオタクである。
性格も暗く、ひねくれて素直さがまるでない。いつもぶすったれていて、態度は横柄で、特に両親には偉そうなことばかり言っている。誰でも一目見ただけで変人だと思うはずだ。
僕は彼が近くに来ると嫌な波長を敏感に感じて気分が悪くなるので、あまり彼とは長く居られない。

あれでは同じ職場にいる人達も一緒にいて気分が悪いだろう。会社も何の連絡もなしに突然何週間も休むらしい。切れて上司と喧嘩をしたこともあるという。心配した上司がうちの両親に電話してきたことは何度もある。2年前は1年間休職していた時期もあった。

こんな人間は早く首にすればいいと思うのだが、会社も首にはしない。全く仕事ができないわけではなく、好きな仕事であれば集中してやるらしいが、仕事が行き詰まると、その反動が出て投げ出してしまうようだ。
しかし一番の原因は職場の人間関係で、ストレスがたまって定期的におかしくなるらしい。しかし彼の性格や身なりを考えれば人間関係がうまくいかないのは当然だ。こういう人は技術屋にはよくいるらしいが、この会社のエンジニアが全員そうなるわけではないから、本人に一番原因があるのは間違いない。

彼は小さい頃から肥満児で、極端に内向的で、運動神経が鈍く、学校ではよく虐められていた。
ところが学校の成績だけは良く、特に理数系では飛びぬけていた。同級生からはあんなデブで頭が良さそうには全然見えないのにどうしてだろうと不思議がられていたらしい。
しかし小さい頃からのいじめや体型の劣等感が彼の心を曇らせていて、深層心理にかなり影響しているはずだ。

両親も弟の育て方を間違えたと後悔している。小さい頃からいじけてはいたが、あそこまでは酷くはなく、まだ素直さがあったのに。もう少し伸び伸び育ててくれるような環境で育っていれば、もう少しまともになったかもしれない。

僕も彼とは性格が合わず、小さい頃から仲が悪かった。大人びていた僕は、とろくてガキっぽい弟にいつもいらいらさせられた。それでも小学校の頃は彼をいじめた同級生を仕返しに行ったこともあるし、彼が大学に入ったときは、美味しいものを食べさせたり、バイクを貸したりしてあげた。
自分の経験から、絶対にサークルに入って友達を作れとか、バイトをして社会経験をしろとか、何度も何度もアドバイスした。今のうちに多少社会経験を積んで対人関係を学び、内向的な性格を直しておかないと、彼の性格では社会人になって苦労することは明らかだった。

しかし彼は一切やらなかった。彼は昔から自分の好きなことしかやらない。人と関わることは一番苦手なのだ。アパートと大学の往復だけで、アパートにこもってファミコンばかりやっていた。ファミコンを買い与えたのは僕だが、これは僕も後悔している。
卒業後は何の社会経験もないオタクが突然社会人デビューしたものだから、人間関係がうまくいかないのは当然である。会社に入ったら上司とうまくいかず、ストレスがたまり更に体重が増えた。性格もどんどんおかしくなっていった。

でももうここまで来たらどうしようもない。両親や僕が何を言っても一切聞く耳を持とうとはしない。普通はこれくらいの年齢になったら、親の気持ちがわかるようになり、親をいたわるようになるのものだ。しかし彼は学生時代よりも横柄な口の聞き方をしている。ちょうど中学生の反抗期のような感じだ。

僕から見れば彼の内面は一目瞭然だ。小さい頃から知っているから手にとるようにわかる。
彼は非常に気が小さく、内向的な人間だが、それを周りに知られたくないと思っている。気が小さいのを知られるのが恥ずかしいのだ。
しかし良い学校を出ているだけに、自分は頭が良いというプライドだけは異常に強い。自分を追い越して出世していく同僚や後輩への嫉妬心や劣等感もあるはずだ。
だがあんな自分自身すら管理できない人間が、部下を持てるはずがない。当然会社での評判は良くないから、自己評価と周りの評価のギャップがあまりにも大きく、それに耐えられないのだ。

しかし彼は気が小さいから転職する勇気すらない。また自分が悩み苦しんでいることを周りには決して知られたくない。だから弱い内面を隠すため、態度のでかい別の自分を作り上げ、それがいつもは外に出ている。しかしそれは本当の弟ではない。本当の気が小さい自分は殻にこもっている。
弱い内面の外側をプライドで凝り固めたような二重構造の性格になってしまっている。弱い犬ほどよく吠えるというが、彼がその典型だ。それが人間関係を悪くしているのに彼は気付いていない。

この事を一度ズバリ指摘しようと思っているが、多分口を曲げてヘラヘラと笑うか、怒り出すかどちらかだろう。僕とは正反対の性格で、人間として嫌いなタイプだが、それが自分の弟だというのも皮肉なものである。

両親は一番苦しんでいるのは本人だから、本人が一番可哀相だと言う。
しかしこういう問題は病院に行っても抜本的な解決にはならない。
自分で自分を変えようとしない限り、治ることはない。

須藤家の憂鬱はまだまだ続きそうだ。


上司の死と20代の思い出

2007-03-13 12:12:39 | Weblog
先月、10年以上前に勤めていた会社の神奈川支社内の飲み会に呼ばれて大手町まで出かけた。メールを読んだら「山根支店長をしのぶ会」とあり、最初は冗談だと思った。支店長が亡くなったとはつゆ知らず、それが3年前と聞いて更に驚いた。現役の頃はあんなに元気だったが、会社を定年退職したとたん、急速に身体が弱っていって亡くなったという。

山根支店長は神戸の海運会社の役員をしていたが、出世競争に敗れ、この会社にスカウトされてきた。神奈川支社を任され、その営業力と押しの強さで抜群の売上を上げ、社内でゴッドファーザーと呼ばれるほど圧倒的地位を築いていた。自分の信念を決して曲げないし、人の意見はほとんど聞かないが、親分肌で男らしく、本社から何を言われても山根支店長がなんとかしてくれるというような頼もしさがあった。性格的には出っ張りのある人だったが、あれほど仕事に情熱を傾ける人は見たことがない。山根さんから学んだことは大きかった。僕は山根さんが好きだった。

あの人が定年後の人生を悠々自適に楽しむとはイメージできない。仕事に命を掛けていた企業戦士の山根さんらしい最後だなと思った。男は仕事を終えたら早く死んだ方がいいというのが山根さんの美学なのだろう。
そういえば最近山根さんから怒られる夢を2回ほど見た。どうして今頃になって山根さんが夢に出てくるのか不思議だったが、天国の山根さんが、最近仕事では不甲斐ない僕に活を入れようとしてくれたのかと納得した。

飲み会では懐かしい神奈川支社の先輩、後輩、同僚が30人以上集まった。まだ同じ会社に居る人が7割位、その他別の会社に転職した人が3割位来ていた。老けてガラリとイメージが変わった人もいれば、全く変わらない人もいた。
僕は辞めてからほとんど前の会社の人達と連絡を取っていなかったが、みんなから全然変わっていないと言われてうれしかった。まあ、20代の頃から老け顔だったから、こういう顔は歳をとっても変わらないのが利点だろう。

この会社は人を扱う派遣会社で、ベンチャー企業だけに、ホットで人間臭い人が多くて面白い。コンピュータシステムとか、伝統ある企業にいる社員とは全くカラーが違うと思う。
現役の人に聞いたら、上場したこともあり会社の体制もずいぶん変わったそうだ。後輩達もいつの間にかいろんな役職に就いて偉くなっていた。
だが僕は会社を辞めてからはサラリーマンとは全く違う経験をしてきたから、彼らを見ると雇われているという感覚から抜け出ていないなと感じる。
まあ、サラリーマンが向く人もいれば、自営業が向く人もいる。人それぞれ、自分に合ったところに落ち着くのだろう。

プライベートな話も聞いてみたら、20代で社内結婚したカップルのほとんどは既に離婚していたり、再婚したりしていた。あの頃はあんなに仲が良かったのにと残念だったが、それぞれやむを得ない事情があったのだと思う。
僕も実は未婚の父だと言ったら、みんな驚いていた。昔の僕のイメージとは違ったらしく、須藤さんにしては波乱万丈の人生ですねと言われた。
僕だって好き好んでこんな結果になったわけではないが、こうして相手から学び、それが終わったら別れていくのも人生だから仕方ない。

久々に懐かしい昔話にも花が咲いたが、当時、新入社員だった後輩の女性から、「須藤さんにとってTちゃんはどんな存在だったんですか?」と質問攻めにあったのには参った。
確かにあの頃、Tちゃんとの噂は支社内で誰も知らない人はいない状況だったけれど、あれから14年近く経っているのに、まだ言われ続けるとは・・・。

でも最後が悲劇的な結末だったことあって、みんなにとっても印象的な出来事だったのかもしれない。もう隠しても仕方ないし、どうせ今は辞めて何の利害関係もない。だから自分の気持ちを正直に語った。
「Tちゃんに好かれるために自分を変えようとして・・」「Tちゃんが結婚したと聞いたときは毎日泣いて泣いて・・・」「Tちゃんのお陰で自分は成長したよ」というような話をしたら、みんな興味深そうに話を聞いてくれた。
まあ、40過ぎてこんな中学生の初恋みたいなピュアな話をする男もいないだろうし、それで新鮮に感じたのかもしれない。

僕は振られた方だから、普通だったら「いやあ、あの頃はまだ若かったから・・・」とか「周りが言うほどは好きでもなかったけどね・・・」とか格好つけて適当にお茶を濁すのかもしれない。
しかし僕は自尊心やプライドが全然ないので、自分の気持ちを正直に語っても全く恥ずかしいとは思わない。もし変なプライドで自分自身を偽ったような返事をしたら、Tちゃんとの思い出を汚すことになる。今更そんなことはしたくない。

でも確かにあの事件は僕にとって人生のターニングポイントであったことは間違いない。あの頃は会社で揉まれていくうちに、いろんな自我やプライドが出てきた時期だった。まだ自分自身がどういう人間なのかまるでわかっていなかった。
しかし彼女に相手にされなかったことで、今までの自分を冷静に分析してみた。するとどう考えても彼女には不釣合いな男であると認めざるを得なかった。
それでも彼女をどうしても諦めきれず、彼女と付き合うには自分自身を変えるしかない。それまでの自我やプライドを完全に捨て去り、別の自分に生まれ変わる位のつもりでないと、彼女とは付き合えないと悟った。

あの頃は自分を変えようと、我ながらがんばったと思う。そうして努力しているうちに自分が変わり、いつの間にか彼女を超えたという感覚になったときがあった。
あの経験のお陰で、自分の魂を隠していた自我やプライドが完全にはがれ、自分の内面に隠れていた魂が、完全に開放されたように思う。

スピリチュアリズムでも、自らの霊性を向上させるためには、ただ本を読んで学んでいるだけではだめで、実践において学ばなければ身に付かないとあるが、その意味がわかった。

あの経験がなければ、自分は今頃どうなっていたのか想像すると、背筋が寒くなる。きっと軽薄で薄っぺらな人間のままだったと思う。
悲しみが何なのかを知らず、人を表面的にしか判断できず、自分自身がどんな人間かすらもわからない、底が浅い人間のままだっただろう。

僕は平均的な人よりも、直観力、洞察力、認識力が優れていると思うが、それはこの時に深い悲しみを体験し、自分の魂の奥深くまで耕されたことによる効用だ。悲しみと引き換えに、霊性を進化させることができた。
今は世間体や周りの雑音に惑わされず、自分の本心がどこにあるのか、真っ直ぐに見つめることが出来るようになった。本心と違った行動をするようなこともなくなった。

久々に前の会社の人達との飲み会は楽しかった。懐かしいみんなと話をしたら、あの頃の自分を思い出した。
しかし飲み会にはもちろんTちゃんは来なかった。彼女には会いたいような、会いたくないような、複雑な気持ちがする。会って話がしたいし、改めてお礼を言いたいのはもちろんだが、あの頃のイメージを壊したくはない。会わなければ僕の中でTちゃんはずっと20代のままでいられる。

やはり次に会うのは天国でいいのかもしれない。