まさおレポート

紀野一義の研究 14 般若心経

下記は紀野一義氏のyoutubeの講演メモです。


ある日学生が東大のインド哲学の先生に紀野先生を紹介されたといって電話してきた。

「僕 死にたいんですけど」と学生。

「こういう人は死にゃしませんよ」と紀野一義。本当に死にたい人は電話なんかしてきませんよ、こうして電話してくる人は心の底では生きたいんですと。

氏がいろいろ話しているうちに

「僕 生きていたくなりました」と学生。

この人の声や話には通常のカウンセラーにはない仏法に裏付けられた凄みと説得力がある。


ある日鎌倉のお寺(奥様の実家)にある人に紹介された寺の娘さんがやってきた。ワンダーフォーゲルで足に異常をきたし、小児麻痺のような症状でまともに歩けなくなり、さらに今風にいえばうつ状態だという。控室で講演時間を待っている氏のもとに暗い顔の娘さんがやってきた。

氏はははん この前に相談のあった娘さんだなと思い、娘さんに対して「ばか さっさとお茶を出すなど手伝いなさい」と。氏は意図せずに思わずそんな言葉が出たという。自分でも知り合いから相談を受けたときにはそんな言葉を出そうとは思わなかったそうだ。

すると娘さんは泣き出すかと思ったが意外な展開になった。

娘さんは最初驚いたようだったがやがて笑い出した。そして「ハイ」と返事してお手伝いを始めたそうだ。そのとき不思議なことに足を引きずっていなかった。

その後娘さんはお寺に帰り、苦手な親父にもにこにこ笑って元気に対応するようになった。そんな話だった。


紀野一義が体験したばあさまのガンが治った話も心に残る。どこかの法座の一こまの話だがばあさまが氏に言う。

「わたしゃガンになりましてな。仏の計らいでガンになったと思うとガンに感謝したくなりました。そしたらな体がみるみる回復してどこかに消えてしまいましたわ」


日蓮上人の彫像を見て紀野一義の感想。涙に洗われた目だという。

「日蓮は泣かねども涙ひまなし」

幕末の池上本門寺貫頭が氏の曽祖父にあたるという。


如来寿量品の「質直意柔軟」を馬鹿丸出しと氏は訳す。まっすぐで柔軟な心、つまり馬鹿丸出しで「一心欲見仏」と渇仰する心がもっとも大切だと言う。

氏はこの仏はキリストの神であってもよいという徹底した柔軟な心の持ち主だ。日蓮でも親鸞でも道元でも一旦決めたら一筋についていけばよいという。

氏自身も法華経を最高としながら題目と念仏のいずれも唱え、禅の修行も朝比奈宗玄を師として生涯怠らない。キリスト教にも関心を寄せる。すこぶるつきの柔軟な心だ。

さらにはUFOや霊の怪奇現象も声高には話さないがさらりと認める。

さらには時として現代の僧の堕落を叱る。


こき使われて終わるサラリーマンに自らはなりたくないといい、一方では男は一本道をあゆむしかないともいう。この矛盾が氏の魅力だ。

宗教的な偉人はすべて一見矛盾しているがそれでよいと言い切る。

日蓮上人は「娑婆即浄土」といい、一方では四条金吾に「霊山浄土でお待ちしよう」と。親鸞上人も道元禅師も矛盾した言葉のなかに真理を説いている。鎌倉の祖師たちはそんなことを気にもしなかった。むしろ矛盾を丸のみする心が必要であり、それでなければ信心決定とはいえないと。

筆者注 ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」に登場する人物はすべてといってよいほど矛盾した性格をもつ。矛盾してこそ生きた人間だといいたげだ。


「空虚の先に空をみる」は氏の口からたびたび述べられる。つまり絶望に近い空虚を味わった人でないと空つまり仏をみることはないと。実に辛口の励ましではないか。

自らは戦争で数々の悲惨を体験する。広島原爆で両親と姉妹を失い、50を過ぎて長男を生後すぐになくし、甥も遭難事故で亡くすという地獄を見る。それでいて両親と姉妹は成仏していると確信する。

戦争中に1753発の不発弾処理でも不思議と死ななかった。いくら戦争中で緊張感の中に生きることが日常だとはいえ尋常のストレスではない。しかも2年近くにわたってだ。だれもが発狂したりしても不思議ではない過酷な状況だ。

こうしたことを潜り抜けることで「自分はなぜか死なない」との一種の悟りを得る。それでいて「いつ死んでもよい」覚悟で毎日を絶対肯定で超楽天的に生きる。

これはただならぬ強運ではないか。

そして「わたしは運が良いので皆さん持って帰りなさい」と集まってくる人に接する。カルトとは無縁の存在だ。

そして91歳で寿命を全うする。


親鸞はくちべらしで出家した。法然はかたきに狙われないように出家した。動機は崇高なものではない。動機はどうでもよいのだ。


おばあさんの話 紀野一義大師と書いた手紙がきた。家族中に冷かされた。息子や嫁に大事にされずに夫に先立たれて死にたいと言って薬を飲んだりして死のうとしたりしていた。大事にされたいという気持ちを捨てると楽になった。

死ぬ時がきたら怖くないですよ。安心していきなさいと氏は言う。その婆さんは一年後に亡くなった。葬式にも家にも行っていない。仏に帰ったのだから墓などに行く気がしなかった。

この話は深くて凄い。


寺には大人4人が回れるほどの大きな松の木と銀杏の木があった。その木を叩いて家に入るといつも絶妙のタイミングで母が座っていた。紀野一義の母の話として何度も出てくる。


三好達治の詩 わが名をよびてたまはれ が紀野一義の講演にたびたび引用される。氏は母に対して、あるいはもっと根源的には仏からに対するよびかけだとする。

わが名をよびてたまはれ
 いとけなき日の呼び名もて我が名をよびてたまはれ
 あはれいまひとたびねがいとけなき日の名を呼びてはまはれ
 風の吹く日のとほくよりわが名をよびてたまわれ
 庭のかたへに茶の花のさきのこる日の
 ちらちらと雪のふる日のとほくよりわが名をよびてたまはれ
 よびてたまはれ
 わが名をよびてたまはれ


西行 待賢門院 白川上皇 鳥羽天皇 清盛 頼朝 保元の乱についての見解を語る。彼らの歴史を通して愛欲の業を説く。西行は愛欲の業に苦しんでよい歌を作ったが、若い時の歌はさえないと。

氏は自分では歌をよむことができないという。その理由は超楽観的だからだともいう。1753発の不発弾を処理してきた経験からくる超楽観主義だ。しかし西行や吉野秀雄などの暗い歌も好む。これが魅力だ。それでいいのだという声が聞えてきそうだ。


戦争中に爆撃を受けて逃げながら題目を唱えていたら部下が尋ねる。なにかぶつぶつおっしゃっていましたがあれはなんですか。」

「お題目だ。これを唱えていると弾があたらないんだ」「わたしも唱えてあたらなくなりますか」「題目でなくても真宗だったら念仏でもいいんだよ」「でもなんまんだぶだとあっちに行きそうです」「じゃあ題目をあげろ」以来部下も爆撃されたり危険な局面ではお題目を唱えるようになったという。氏は聴きようによってはコントのような話を。


59歳の述懐。22,23で死んだ仲間より何年生きたんだと思うとき、歎異抄を読みたくなった。

阿含経、歎異抄、エピクテトスを清沢満之は三部経といった。

阿含は最も古い経典で釈迦の教えの原点であると。


井上円了、新島襄、内村鑑三、清沢満之いずれも薩長土肥出身でないので出世できない。こうした人が坊さんになって出世したと氏は語る。清沢満之は傑出した真宗の僧だとも。


氏は空や無我などの学問的研究などあまり興味がないと。空や無我は仏の世界であるとすればそれで充分だと考えている。

それより現実に悩んでいる人たちをどう救うのか、氏は救うなどとは決して言わないが言外にその気持ちが現れている。


法華経の肯定、肯定、絶対肯定のもとに道元、親鸞、日蓮を全肯定する。これが氏の鎌倉祖師たちへの思いだ。これは各宗派が眼を剥きそうな氏の断定だが氏が述べたことに反発はない。これからの宗教はそうあるべきだろうとの範を示した。


「創価学会は最近折伏にきませんが、この人たちの眼は池上の日蓮像の涙に洗われた眼と随分違いますね」やんわりと当時の創価学会に皮肉なコメントもしている。


人間すこしくらい変なとこがあってもいいところがあればついて行った方がよい。道元の話のなかで。


人間追いつめられたら龍が玉をはくごとく命をはく。相田みつを

とつきあって心の洗濯をさせてもらいましたと述べる。


ヒューマニズム あまり好きじゃありません。人間はみな同じ あいつが人間ならわたしも人間なんてわたしは考えません。ほとけの前でみな同じ。人間同士の間には明らかに差がある。

筆者注 立川武蔵もヒューマニズムについて同じことを言っている。


みずから修行しているのではない。仏に修行させていただいている。

提婆達多品 提婆達多は善知識である。逆縁の善知識。ああいう風にはなりたくないと氏は言う。

当時もいい加減な弟子が多くいたので提婆達多についていった。目連が弟子を取り返しに行き、提婆達多が寝ているうちに目連が弟子に説教したら弟子が釈迦のもとに戻った。


五障 龍女 変性男子とは男子にならなければ成仏しないとの意味ではない。男は女に、女は男にならないと成仏しない。つまり今のままでは成仏しない。変わらなければならない。それが変性男子の意味するところだ。

足し算の人生がある年から引き算が始まる。それで成仏する。


わたしは戦争に行って損したと思ったことがない。転んでもただじゃあ起きない。


般若心経の講義から。

現在とはなにか 重要な出会いや体験そのものが現在。そういう出会いのない瞬間瞬間は現在ではない。

ユダヤの学者マルティン・ブーバー「我と汝」 日本語訳は「孤独と愛」汝は神あるいはほとけと読み替えてよい。運命は呼ばれること、よびかけられることで出会いでもある。

師をもたない仏法はない。「我と汝」のない時間はないものと同じ。


氏はインテリはお好きじゃない。木偶の坊が好きだ。インテリは人を導く助けにならないからだろう。


金剛般若経「仏説般若波羅蜜、即非般若波羅蜜、是名般若波羅蜜」「般若波羅蜜というのは、すなわち般若波羅蜜ではない、そして般若波羅蜜と名づける」

こういう言い方を「即非の論理」と言います。

「無明は無明ではない、そして無明と名づける」

分別智を超えた認識方法、時空を超えた認識方法。空に至って認識できる世界のことか。


親父はまっすぐに生きた男。岡山の住職時代にある労働争議で労働者側についた。知事やxxを巻き込んで結局終結した。お礼のごちそうの席で「坊主にしておくのはもったいない。政治家になれ」「政治家にしておくのはもったいない。坊主になれ」と氏の父は言った。

広島の海が母親で寺の松と銀杏の大樹が父の象徴だという。


大乗について非仏論が学問的にはいまだ議論が続いている。曽我量深が明快に述べている。釈迦以前にも仏教はあった。それを釈迦以降の教えとむすびつけたのだ。文学的才能のある出家が集まり結集したのが大乗。それが維摩・華厳・般若・法華。


三蔵法師 経 律 論に通じたものの意。学問的に優れたものが優れた僧と考えられだした。本来の人を救済するという使命から逸脱していった。


東南アジアの仏僧はたとえ国王がきても頭を下げない。日本は互いに頭を下げる。仏僧は本来はこうじゃなくてはいけません。


 

般若経→般若→般若の面→人間の心にひそむだれでも持っている闇→夫婦喧嘩はときどきした方が解毒になり、仲がよい。


業の足し算の人生があるとき引き算に転じる。ゼロになると成仏してもう転生しない。

日蓮上人は佐渡流罪の苦難を過去世で法華経の行者を迫害した罪とお書きになっている。

長生きする人は業が深い人、業の浅い人ほど早く死ぬ。すこし冗談めかして老人の多い場の聴衆に話す。このあたり一見矛盾したことをさらりと話す凄みがある。ご自身は91歳まで生きられた。

朝比奈師も禅だけではどうしようもない時に念仏を唱えられた。重要な修行ではあるがそれだけではダメなときもある。


生まれてくるのも迷いだが涅槃に達したひとも人を救済するためにまた生まれてくる。


日蓮上人は人には退路を残してあげるが自己には退路をたつ生き方をした。佐渡に流されたときの入道に対する配慮。船泊御書


どんなに追い詰められてもにっこり笑う。にやりと笑うのではなくにっこりと。いいねえ。


氏は母親の後ろにほとけをみる。

あるひとが仏壇に向かうと「おかーさん」と言ってしまう。僧侶にそんな風に言うもんではないとたしなめられる。紀野一義にそのことを尋ねると「おかーさんと言ってなにが悪い」と諭される。

母親が中宮寺の観音様にそっくりだと述べ、うしろにほとけさまをみているとも。人間の感情をそのまま受け入れる姿勢に感銘を受ける。


親父は大男で20歳まで適わなかった。悪さをすると殴られ土蔵に押し込められたが母親がいつもそっと助けてくれたとも。

母親の後ろにおじいさんの姿をみるとも。これはほとけが両性具有であることを示しているのかも。

母親は金沢小町と言われた美しい女性だったと。

人は母親あるいは恋人、あるいは妻に観音様を見、そのうしろにほとけをみると。

キリスト教でもマリアは絶大な人気と信仰の対象に。仏教でもインドでは父性的であったが日本人は観音さまを大事にして母性的な対象を求めたとも。


脈がだんだん弱くなり頭を後ろ向けにして落ちていく感じがしていた。遠くで母の「かずちゃん かずちゃん」と必死で叫ぶ声が聞える。親父から呼ばれた時には大きな声で返事しろと叩き込まれていたので声をだそうとするが声にならない。そのうち声がでたら脈もしっかりしてきた。母の呼ぶ声で生還できたと氏は言う。


18歳の時に母親に反抗した。母はご飯を食べなくなった。2階で裁縫をしていたが帰ったのに気づいていない。「一ちゃん私死にたい」とつぶやいたのを聞くと母親に抱き着いてわんわん泣いた。「こんなに優しいのに こんなにやさしいのに」と2回繰り返した。


東慶寺に縁切りをお祈りしに行った女性が半日祈っていたら相手に譲る気になった。井上住職が言う。そこまで心が開けたらきっと旦那さんはかえってきますよと。


広島の親分から頼まれてクラブのお姉さんたちに話をしたことがある。それから3年ほどして電話がかかってきた。

「死にたいんです」「死にたけりゃ死にゃあいいじゃありませんか」「そんな言い方ないでしょう」「わたしは仏法者ですからそういう言い方しかできません」そのうちお姉さんは笑い出した。姉さんは「母と変わります」といって母がでた。ほんとうにありがとうございますと言われた。


ラフカディオ・ハーンは母方のマリア信仰に惹かれており、父のアイルランド人の父性信仰になじめなかった。日本にやってきて観音信仰に惹かれて日本の土に骨をうずめたという。


人はなぜ生きるのか。氏は徳を積んで輪廻転生を繰り返すことだという。


比叡山である学僧が「法華経の文字数を知っているか」と聴衆に問うた。「そんなこともしらずに法華経を学ぶとは心構えがない」と叱ったそうだ。氏は「何を馬鹿なこと言ってんだ。そんなどうでもよいことを言うな」と心の中で思ったそうな。ときに僧侶に辛辣な批判を投げかける。


比叡山で紀野夫妻が見た虹が忘れられないとも。臨終のときはこのときの話を妻にしながら気がついたら死んでいたというのが理想だと言う。「はたしてそんなにうまくいきますかね」

 


LGBTと変性男子について 男子に変わるというより性を超えるという点にポイントがある。性を超えるという観念が伝わりにくかったのとインドの男性優位社会で理解させるために変性男子という言い方になったと氏は言う。


親父はそうとうな暴力をわたしにふるったけどそれは私がわるいことをしたのであり、親父が並みよりそうとう力が強かっただけであり、親父がちっとも悪くおもったことはない。母は観音さまだった。


真剣すぎるのもよくないですね。湯川秀樹はノーベル賞をもらったあと京都大学の役職につき事務処理など繁忙な事務をすることになった。ぼーっとしていて暇にみえたんでしょうね。でもそういうぼーっとした時間がないと創造的な仕事はできないですね。


柴山全慶師が氏の狭い氏の家に講演にきたときのこと、日程を間違えていらっしゃった。

「紀野、今日は講演だというから待っておったが誰も迎えに来なかったぞ。だからこうしてやってきたぞ。」

「お昼はなにを召し上がりますか」「なんでもよい」「ラーメンでもよろしゆうございますか」「らーめん?いいぞ」ど柴山全慶師はどうもラーメンをお知りにならなかったんですね。ちかくのラーメン屋から来たラーメンがおいしかったのか全部お食べになりました。ひっくりかえして丼の裏までご覧になっていた。


朝比奈老師が32歳のときに村田和尚のもとで念仏の修業した。一日おかゆ一杯で座っていた。老師が思い出を語った内容だ。

この村田和尚のエピソード。やくざが和尚のところにきて「おれは死ぬことはちっともこわくない」といってドスを畳に突き刺した。和尚はまったく動じずに黙っていた。帰る間際にやくざが「寒いな」とつぶやいた。和尚は「死ぬことがこわくないのに寒いか」

聴衆の一人が村田和尚になにか質問をした。聞こえていないのか無視している。再度問うと「皆さんに日々の幸せの話をしている。むつかしい話は大学へ行って先生方に聞け」と答えた。

この人は奥さんが亡くなってもお骨を放り込んで檀家にも知らせずにいた。檀家が驚いて葬式をだした。

娘が結婚するときに奥さんが着物など持参させるものを和尚に頼んでいた。当日になって「わたすものがある」と娘に言った。奥さんは「やはり娘のことを考えていてくれたんだ」と内心ほっとした。ところが和尚は「これを持っていけ」と小さなお経を渡した。「お前が必要なものはこのお念仏だ」


織田信長は殺人鬼ですね。比叡山で女子供にいたるまで皆殺しにした。配下の武将の中で一人だけ女子供を逃した武将がいたんですが。だから光秀に殺されたのですね。


たとえ壊れた仏像でも拝まなければならない。破戒無慚の僧でも礼拝すべきである。


亀井勝一郎はすばらしい先生でわたしも何回もお話をお聞きしました。だがちょっと理屈っぽ杉るんですね。講義の前に今日の話はこれこれと箇条書きにして板書する。そしてそのとおりに講義をすすめていく。なんだか映画の前にあらすじを聞かされる感があり、今一つ感動がないんですね。

亀井勝一郎が暁烏敏に仏教の話をする。わたしはこう思うとか話してもふんふんと聞いているだけ一向に反応がない。亀井勝一郎がこれではしょうがないとがっかりして「では」と帰ろうと立ち上がり出口に立ったその後ろ姿に「あんたの師匠は誰だね」と問う。亀井勝一郎はいろいろ考えていますと答えて帰った。

紀野一義はこれが不満で「なぜ、その場で師匠を決めなかったのか」と問う。師匠のない仏法はないという。

<iframe style="width: 120px; height: 240px;" src="//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=amazonasomasa-22&language=ja_JP&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=B0BHJB4W65&linkId=dbb033ac7157172e6032ceaad75927b0" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" sandbox="allow-popups allow-scripts allow-modals allow-forms allow-same-origin"></iframe>

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「紀野一義 仏教研究含む」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事