まさおレポート

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「無我」というよりも「非我」

2024-06-08 | 紀野一義 仏教研究含む

佐々木閑氏は我と言うものはどこにもない、無我だと断言する。同時に輪廻もないと言う。原始仏教について非常にわかりやすい説明をする方なのでどう言うことなのかと植木雅俊氏の著作を読んでみたら以下のように説明されている。これは「無我」というよりも、「非我」(何かが我なのではない)と訳されるべきものだと断言している。

しかし両氏の説を比較してみると共通点もある。五蘊の中には我はないと言う点で同じに見える。佐々木氏は五蘊以外のものを認めないから無我となる。植木氏は「何か実体的なものを自己(つまり我)として想定し、それに執着することを戒めたもの」であり、実体的でない自己(つまり我)は認める。

大乗を認めるかどうかの分岐点だなと理解した。もちろんどちらの見解を取るかは好みというしかない。わたしは実体的でない自己(つまり我)を認める。だから輪廻も認める。


インド仏教史の概略は、次のように要約できる。

①釈尊在世(前四六三~前三八三)のころ、および直弟子たちによる原始仏教(初期仏教)の時代。

② 前三世紀、アショーカ王の命で息子(あるいは弟)のマヒンダによってセイロン(現スリランカ)に仏教が伝えられる (パーリ語による原始仏教の保存)。 

③仏滅後百年たったころ(前三世紀)に行なわれた第二回仏典結集の会議で、ヴァ じょうぎぶ だいしゅ イシャーリーの出家者たちが、戒律に関して十項目について緩やかにすべしと主 張して対立し、保守的な上座部と進歩的な大衆部に分裂した(根本分裂)。その後も十八部にまで分裂を繰り返す(枝末分裂)。

④ 前三世紀末ごろに部派仏教(後に小乗仏教と貶称される)の時代に入る。⑤前二世紀ごろ、「覚り(bodhi) が確定した人 (sattva)」、すなわち成道前の釈尊 を意味する小乗仏教の哲慮(bodhi-sattva)の概念が現われる。

⑤前二世紀ごろ、「覚り(bodhi) が確定した人 (sattva)」、すなわち成道前の釈尊 を意味する小乗仏教の哲慮(bodhi-sattva)の概念が現われる。

⑥紀元前後ごろ、菩薩の意味を「覚り(bodhi) を求める人 (sattva)」と読み替え、 覚りを求める人はだれでも菩薩であるとする大乗仏教が興る(大小併存の時代)。般若経の成立。

⑦紀元一~二世紀ごろ小乗仏教を弾呵する『維摩経』、紀元一~三世紀ごろ小乗と 大乗の対立を止揚してだれでも成仏できることを主張する『法華経』が成立。

⑧七世紀以降、呪術的世界観やヒンドゥー教と融合して密教が興る。 

⑨一二〇三年のイスラム教徒によるヴィクラマシーラ寺院襲撃をもってインド仏教 は壊滅する。

 

中村元博 士は、日本の仏教の受容の仕方について、所詮はシャーマニズムの域を出ることがなかったと指摘する。

 

原始仏教が目指したことの二点目は、「真の自己」の覚知による一切の 迷妄、苦からの解放であったといえよう。仏教はアナッタン(anattan)、あるいはアナートマン(anātman)を説いたと言われる。前者はパーリ語で、後者はサンスクリット語だ が、これが「無我」、すなわち「我が無い」と漢訳された。

このため、仏教は自己を否定するものという誤解を生じた。ところが、原始仏典を読んでいると、「自己を求めよ」「自己を護れ」「自己を愛せよ」などと積極的に「自己の実現」「自己の完成」を説いていて 「無我」という表現は見当たらない。

「我」も「自己」も、アッタン(attan)、あるいはア ートマン(atman)と言う。これに否定を意味する接頭辞 anを付けたのが、アナッタンとアナートマンである。

これは「無我」というよりも、「非我」(何かが我なのではない)と訳されるべきもので、何か実体的なものを自己として想定し、それに執着することを戒めたものである。 p174


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