20代の始めの頃に井の頭公園から数キロ離れた三鷹台のアパートに住んでいた。電電公社の借り上げ社宅だが二間に台所がへばりついて風呂はない。そのアパートは玄関を出ると前に2メートルくらいのコンクリート壁があり、その上は雑木林になっていた。そこにのらの三毛猫が暮らしていた。可愛い顔をしているのだがなかなか人に慣れない猫で、人間に関心はあるのだが決して近づいてこない。残り物を置いておくといつの間にかなくな . . . 本文を読む
(9月25日庭で写)妊娠中の妻が肥りすぎにならないように日頃特に甘いものを摂りすぎないように気をつけている。散歩を兼ねた買い物の途中に洋菓子の成城風月堂と和菓子の虎屋がある。彼女の視線は必ずその店に向かう。しかし私は通常は無視して通り過ぎる。25日は中秋の名月 15夜だというので月見団子を買って食べた。しかし厳密には昨日の27日が満月らしい。あいにくの小雨で残念ながら満月は見れなかった。古来 . . . 本文を読む
「地獄の思想」を20代の頃読んで以来梅原猛の著作は比較的多く読んでいる。もう記憶がかなり薄れてきているがこの著作の中で日本人の宗教感を語っている。外来宗教として入ってきた仏教を日本人がどう取り入れたか。多くの仏説の中から日本人古来の宗教感に合致する教説を受け入れたとする説が今でも印象に残っている。アイヌの死者が転生する宗教感や沖縄の古い考え方には共通項があり、「よき人」ほど早く転生するということで . . . 本文を読む
昨日の5時から安倍首相の会見中継を見た。慶応病院内で行われた首相の顔には生気はなく、声はかすれ体調の思わしくないことをあからさまに示していた。ここまで衰弱しきった首相に記者団は首相の説明後、通常の質問を浴びせていたが、彼らに惻隠の情という言葉はないのかとの思いもちらと頭を掠めた。記者も仕事だと言えばそれまでだが記者クラブの申し合わせで質問は退院してからとかの計らいはできないものなのか。それにしても . . . 本文を読む
2006年3月29日 ベトナムではガイドを雇った。気まじめな仏教徒の青年で各地を几帳面に説明してくれる。特に寺院の説明ではいっそう熱が入った。大抵の日本人も仏教説話のいくつかは知っている。しかしそれをあくまでも説話と軽く受け取っている。しかしベトナムガイド氏は本当に真剣にその話をする。日本で聞くのとまた違った感じで新鮮であるがときに閉口するときもある。あまりに真剣すぎるのでこちらの感覚がついていか . . . 本文を読む
1982年当時は電電公社データ通信本部勤務であり大阪に転勤になった。初めて役職がつき研修を受けた。その時にカリキュラムの一貫としてある広報担当課長の話を聞いた。当時大阪で大々的な不正経理事件が発覚し連日紙面を賑わしていた。南町奉行と自称の秘書課社員が電電公社幹部と組合の飲み食い費用をカラ出張等の不正経理で捻出し夜な夜な北の新地やミナミで派手な遊びを切り拡げていた。この事件が何故発覚したのかその発端 . . . 本文を読む
レストラン「蟹漁師の家」で旧知4人で飲み会となる。外苑前の2番出口を出るとドトールがありそのすぐ横の路地を入ると看板が出ている。雑居ビルのエレベータを降りると何も書いていないドアがあり見当をつけて入るとそこがこの店であった。6時集合というのに6時前には3名が既に集まった。安倍首相 家族の介護 子供の成長 お互いのビジネスの状況などをとりとめもなく話しているうちに5時間はあっという間に過ぎた。久しぶ . . . 本文を読む
机が4つありその管理者の席が私だ。正方形に向かい合っている。だれも着席していない。転任の書き込み用紙があるが鉛筆しかない。ボールペンで書きたいのだが手元にない。上着にも入っていない。事務所の後ろはバリの店舗風で頭の上にまで売り物がぶら下がっている。事務所の外はお汁粉色の川で紙を持ったまま立ち泳ぎで辺りに散歩ならぬ散泳に出かける。この川の浮力が強くて首の上まで浸かると自然に泳げる。バリの店舗風の主人 . . . 本文を読む
南青山の仕事場でラーメンが食いたくなったが頭の中に思い当たる所がない。そこで玄関にいる20代と思しきドアマンに「このあたりでうまいラーメン屋はない?」と尋ねてみた。すると「ありますよ。日本一になったこともある店で武蔵といいます」と思いがけない返事が返ってきた。なんだか紹介するのがうれしそうだ。一時を過ぎているので安心してその店に行ってみることにした。いくら旨いからと言って待たされるのはかなわないか . . . 本文を読む
先月に行った江田島の海上自衛隊術科学校にある教育参考館には興味深い品が展示されている。なかでも印象に残っているのは一枚の写真だ。ある部屋に入ると広瀬中尉の褌一枚の大きな写真があり、その左側に一枚の写真があった。10*15センチくらいではなかったか。
広瀬 武夫(ひろせ たけお、旧字体: 廣瀨武夫、1868年7月16日(慶応4年5月27日) - 1904年(明治37年)3月27日)は、日本の海軍軍 . . . 本文を読む
築地の「すし三昧」に家族で出かけた。銀座松屋のベビーコーナーなどを覗いた後にぶらぶらと築地場外に向かって歩く。新大橋通りを渡ろうと路地を曲がったらこの店の名前が目に入った。ここにも何号店かが進出している。店の前には何人かの客待ちも見える。一時間程度の待ちと言われたが名前を登録しておき、近くの同名の店を回ってみたがどこも満員の盛況だ。築地場外近くだけでもかなりな数を開店している。
6年ほど前に日本 . . . 本文を読む
ブログを読み返してみると今年の7月9日にノウゼンカズラが咲き終えたとある。しかし再び咲いている。なんだか得をしたような気がする。二度咲きというよりもあまりの暑さに一旦花を咲かせるタイミングを待っていたのかもしれない。この色合いを日本古来の色の表現ではなんと表現するのか。とりあえず朱と言ってみるが朱色でも非常に微妙な違いで多くの呼称がある。潤朱(うるみしゅ)真赭・真朱(まそお)銀朱(ぎんしゅ)等々名 . . . 本文を読む
もう30年以上前のことになる。宮崎に住む叔母の家に滞在した事がある。既に80歳を超えていた彼女から興味深い話を聞いた。それによると叔母と父の母つまり私にとっての祖母は八尾姓を名乗る一族の娘であったらしい。それまでうっすらと聞き及んでいたがその八尾一族なるものが何者かはさっぱり知らなかった。 彼女がいわく楠正成と一緒に湊川の戦いで殉節した13人の一人で八尾正治なる武将だという。後年多少の興味を覚え . . . 本文を読む
「四年前は大変お世話になりました」と私はxx医師に挨拶をする。
「四年間もおまたせして申し訳ありませんでした」と医師は頭を下げる。
ひと月ほど前のことだ。四年も何の連絡もないのでしびれを切らして病院の事務に電話すると、検体の病理解剖所見は遺族に説明することにはなっていないと断定調で言われた。そんな馬鹿な。当時の担当医は丁寧に医学の発展の為にと私に頼まれた。解剖所見は追って説明しますとはっきり言わ . . . 本文を読む
娘が出産したときによく物を忘れると経験談を語っていた。また授乳時にも同じく仕事面での頭の働きが鈍るとも言っていた。調べてみるとこれはオキシトシンなる脳内ホルモンの作用であることを理解した。私には聞きなれない用語オキシトシンは哺乳類の社会行動に重要な働きをする。
メスとオスが出会った時に警戒心を解かせ交配に導いたり、出産のときに陣痛や母乳の出をよくしたり、幸福感をもたらしたりと誠にありがたい脳内物 . . . 本文を読む