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まさおレポート

AIのゆくえ AIは心を持てるのか

AIは心を持てるのかという問いかけに対して心とは一体何を指しているのかを明らかにしないといけないが、人それぞれに心をとらえているようだ。

わたしは心とは我があるというその感覚だと思っています。デカルトの「我思う故に我あり」に近く、さらには輪廻する主体だとも。あるいはクオリアにも近い。

SNS等で発信されている色々な意見を眺めているが人の心や我に対して大きく3に分かれる。

1. 我はない(アナッター論)

仏教の一部の教義では「我」(自己)というものは存在しないとされています。佐々木閑氏をはじめとするこの見解では、自己は単なる幻影であり、実体としての「我」はないとされます。これは、五蘊(物質、感受、表象、形成、識)が集まって一時的に形成されるものであり、恒常的な自己というものは存在しないという考え方。

2. 我あるいは心はあるがそのありようは未解明(クオリア問題)

茂木健一郎氏によると、心や我は確かに存在するが、それらの性質やメカニズムは科学的に完全には解明されていない。特に、クオリア(主観的意識の質感)という概念は、現代の科学技術では観測や説明が難しいとされています。

3. 我はある

宮元啓一氏などの見解では、我や心は実在するものであり、輪廻や転生といった概念と結びついています。この立場では、自己は確固たる実体を持ち、時間を超えて存在し続ける主体として捉えられます。心は単なる脳の機能や化学反応にとどまらず、異なる次元での存在として認識されている。

心とは物理的・化学的現象を超えたもののようだ。主観的な体験や意識を含む複雑な現象であると考える。わたしは赤を赤と認識する不思議さを常に感じる。デカルトの「我思う、ゆえに我あり」は、意識と自己の存在を確認する重要な宣言だが、現代の科学と哲学に対してはそれをさらに深める必要がある。

AIが心を持つかどうかについては「持てない」と考える。AIは高度なデータ処理とパターン認識能力を持つものの、主観的な体験や自己認識といったクオリアを持つことはないと。AIはアルゴリズムに基づいて動作し、その動作は物理的なプロセスとして理解されるべきだから。

心とは主観的な体験と自己認識を伴う複雑な現象であり、心を持つ存在としてのAIは存在しないという立場を取るのが賢明だと思う。


現代物理学において、心や意識の解明が物理学的に可能かどうかは、非常に興味深い問題で、ブラックマター(暗黒物質)やブラックエネルギー(暗黒エネルギー)、そして量子力学の進展は、宇宙の根本的な理解を深める可能性を持ってはいるが、これが直接心や意識の問題にどのように影響を与えるかはまだまだ不明。

暗黒物質と暗黒エネルギーは、宇宙の質量とエネルギーの95%と大部分を占めていると考えられているが、その性質についてはまだ多くが謎に包まれている。これらの存在が明らかになれば、物理学の基本的な理解が大きく進む可能性があるが、それが心や意識の問題に直接的に関連するかどうかは現在のところ不明。

量子力学は、非常に小さなスケールでの物質の振る舞いを説明する理論であり、その奇妙な特性(例えば量子もつれや重ね合わせ状態など)は、いくつかの哲学者や科学者によって意識の理解に関連付けられてきた。特に、ペンローズ・ハメロフ理論(Orch-OR理論)は、意識が量子レベルでのプロセスに関係している可能性を示唆している。我はどこにもないと言い切るにはまだまだ広大な未知の分野はそのままだ。一抹の光明が見えるといったレベルか。

現代物理学では、一般相対性理論と量子力学を統一する「量子重力理論」を探求している。この統一理論が確立されれば、宇宙の最も基本的な構造を理解する手助けとなるがそれが直接的な心や我に解答をもたらすかどうかはまだわからない。

未来における科学の進歩が、これらの問題に対する新しい視点を提供することを期待しているが今生きているわたしにとってはどうも間に合うことはなく従って今生きているわたしには有益ではなさそうだ。

従ってAIに我があるとは考えない立場でAIのゆくえに対処していくのが賢明なようだ。

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