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まさおレポート

ハリー・ポッター  感動的な死生観はとても子供のためだけではない

2020/12/08

きみのように若い者にはわからんじゃろうが、ニコラスとペレネレにとって、死とは長い一日の終わりに眠りにつくようなものなのじゃ。結局、きちんと整理された心を持つ者にとっては、死は次の大いなる冒険にすぎないのじゃ。よいか、『石』はそんなにすばらしいものではないのじゃ。欲しいだけのお金と命だなんぞ!おおかたの人間が何よりもまずこの二つを選んでしまうじゃろう……困ったことに、どういうわけか人間は、自らにとって最悪のものを欲しがるくせがあるようじゃ。

作者のJKローリングが語るダンブルドア先生の言葉はキリスト教的復活ではない。仏教かヒンドゥの輪廻転生を語っている。

「僕は、帰らなければならないのですね?」
「きみ次第じゃ」
「選べるのですか?」
「おお、そうじゃとも」ダンブルドアがハリーにほほえみかける。「ここはキングズ・クロス駅だと言うのじゃろう?もしきみが帰らぬと決めた場合には、たぶん……そうじゃな……乗車できるじゃろう」
「それで、汽車は、僕をどこに連れていくのですか?」
「先へ」ダンブルドアは、それだけしか言わなかった。

ハリーが三途の川を渡るかどうか、渡った先は「先へ」としかいわないダンブルドア、この世の言葉では表せない往還不可の先の世界という意味だろう。

「あなたは、とても勇敢だったわ」
ハリーは、声が出なかった。リリーの顔を見ているだけで幸せだった。その場にたたずんで、いつまでもその顔を見ていたかった。それだけで満足だった。
「おまえはもうほとんどやり遂げた」ジェームズが言う。「もうすぐだ……父さんたちは鼻が高いよ」
「苦しいの?」子供っぽい質問が、思わず口を衝いて出ていた。
「死ぬことが?いいや」シリウスが答えた。「眠りにつくよりすばやく、簡単だ」
[……]
森の中心から吹いてくると思われる冷たい風が、ハリーの額にかかる髪をかき揚げる。この人たちのほうから、ハリーに行けとは言わない。ハリーは知っている。
決めるのは、ハリーでなければならない。
「一緒にいてくれる?」
「最後の最後まで」

「死」を「生」の終わりと見なさない作者のこの考え方はとても感動的だ。

 

2018/2/2 追記

「愛する人が死んだとき、その人は永久に我々のそばを離れると、そう思うかね?」ダンブルドア先生のハリーに対する言葉だが今読み直してみるとこのフレーズこそ作者の虚構の中心だなと理解できる。JKローリングの描く魔法界はキリスト教からみると首をかしげたり否定したくなる世界だが世界に受け入れられた。愛する人が死んだとき、その人は永久に我々のそばを離れないとの思いは特定の宗教を超えて普遍的な信仰になっていると思いたい。日本人もこの思いは共通項だ、つまりJKローリングは世界の信仰の最大公約数を探り当てて物語を作った。 

「炎のゴブレット」で肉体を持たないボルデモートは肉体復活の儀式を行う。最後に必要なのはポッターの血で、脇のそれを大なべに入れるとボルデモートはたちまちに肉体を復活する。ここでボルデモートがかつてポッターを殺せなかったときの理由を述べ、ポッターの母親の「愛」が想定外だったという。母親の愛も又普遍的な信仰になっている。

きみの母上は、きみを守るために死んだ。ヴォルデモートに理解できないことがあ
るとすれば、それは愛じゃ。きみの母上の愛情が、その愛の印を君に残していくほど強いものだったことに、彼は気づかなかった。傷跡のことではないぞ。目に見え
る印ではない……それほどまでに深く愛を注いだということが、たとえ愛したその
人がいなくなっても、永久に愛されたものを守る力になるのじゃ。28

ハリーはやっと、ダンブルドアが自分に言わんとしていることがわかった。死に直
面する戦いの場に引きずり込まれるか、頭を高く上げてその場に歩み入るかのちが
いなのだ。その二つの道の間には、選択の余地はほとんどないという人も、おそら
くいるだろう。しかし、ダンブルドアは知っている――僕も知っている。そう思う
と、誇らしさが一気に込み上げてくる。そして、僕の両親も知っていた――その二つの間は、天と地ほどにちがうのだということを。

 

恐怖が、床に横たわるハリーを波のように襲い、体の中で葬送の太鼓が打ち鳴らさ
れる。死ぬのは苦しいだろうか?何度も死ぬような目にあい、そのたびに逃れては
きたものの、ハリーは死そのものについて真正面から考えたことはない。どんなと
きでも、死への恐れより生きる意志のほうがずっと強かった。しかし、いまはもう
逃げようとは思わない。ヴォルデモートから逃れようとは思わない。すべてが終わ
った。ハリーにはそれがわかっている。残されているのはただ一つ。死ぬことだけ。

 

以下は2008-09-02の掲載記事

第三巻「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」の読後メモです。

1.ボルデモードの手先と見られていたシリウス・ブラックがアズカバンから脱獄し、ハリーを殺しに来たと読者は思わされるが、実はシリウスはハリーの父親の親友であり又名付け親であることが明かされる。シリウスは無実の罪で獄につながれており、ハリーを殺しにきたわけではない。助けに来たのだ。

このあたり、どんでん返しのテクニックが旨いですね。しかしやや複雑なストーリーで大人でさえ迷わされる。たとえば小学生高学年で子供は理解できるのだろうかと少し疑問がわくが。思った以上に理解力はあるのかも。

2.吸血魂(デメンター)から襲われて絶体絶命のときに守護霊が現れてハリーを助ける。この守護霊が実はハリーの父親に似ていたという。
父親は死んだのに何故守護霊になりえるのか疑問に思うハリーにダンブルドア先生は次のように諭す。
「愛する人が死んだとき、その人は永久に我々のそばを離れると、そう思うかね? 大変な状況にあるとき、いつにもまして鮮明に、その人たちのことを思い出しはせんかね? 君の父君は、君の中に生きておられるのじゃ、ハリー。そして、君がほんとうに父親を必要とするときに、もっともはっきりとその姿を顕すのじゃ。そうでなければどうして君が、あの守護霊を創り出すことができたじゃろう?ブロングスは昨夜、再び駆けつけてきたのじゃ」

3.さらにタイムターナー(時間逆行術)でそのときのシーンをみると、守護霊は実はハリー自身から現れ、父親に似ていたというよりも、自分自身であることが明らかになる。つまりハリー自身が守護霊に変身したようにみえる。このことで父親が自分自身のなかに一体となって生き続けていることを覚る。

このあたり、詳しい説明が無いだけに、作者のアイデアが何によっているのかは不明だが、ファンタジーはこれでいいのだろうと思う。妙に理屈をつけることも無いのだし、物語の面白さも損なわれる。

4.シリウスがどういう無実の罪で捕まっているのかは読み飛ばしてしまったのだろうか。それともこれから明かされるのか。

5.第2巻の「暴れ柳」が狼男とシリウス、ハリーの父とかかわっていたことが明かされる。作者はあらすじレベルでは既に全体を作り上げていたことが推測される。

 

ハリーポッター 賢者の石

 

 

 

ハリーポッター 秘密の部屋

 

 

 

ハリーポッター 炎のゴブレット

 

ユニバーサル・スタジオ・ジャパンでハリー・ポッターを楽しんだ

 

 

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