「1Q84」の読後感について私の過去ブログに次のような言及がある。
生霊の徘徊は彼の作品で繰り返されるテーマ。ふかえりや青豆、牛河のところにも父の生霊がNHKの集金人としてやってきた。海辺のカフカにも生き霊が出現する。なぜ、父が生き霊とならなければならないのか。なぜ空気さなぎに包まれて父のベッドに仄かに発光する青豆がいたのか。父と青豆はなにか関係があるのか。
父の生霊がNHKの集金人としてやってきたのはなぜかと当時疑問に思ったが、誰もが疑問に思うらしくネットでも質問や回答が溢れている。
そこは村上春樹の世界で誰も明快な説明などできるものではない。わたしもいつの間にか忘れていたが立花孝志のYoutubeで去年にNHKの集金人制度は無くなっていたと知らされた。
小説の持つ予見性とでもいうのか、時間の必要な説得性とでもいうのか、人によってはどうでも良いことだがわたしは妙に感心してしまった。