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まさおレポート

バリの火葬ガベンの持つ深い意味

火葬ガベン
ある日にいつもの散歩コースをビーチに向かうと、店にはカリマンタン籠バッグ屋の親父がいた。
「このところいなかったね どうしたの」
「ウブドの近くのバツブラン村まで帰っていたんだ」
5年に一度の葬儀のためだというので何のことか分からない。よくよく聞いてみると次のような話だった。

バリでは亡くなると一旦埋葬する。その後5年たってから白骨化した遺体を取り出し火葬にするのだという。村中の火葬を一斉にするので150体ほどの集団火葬になる。何故そんなことをするのかと尋ねると火葬費用を節約するためだという。一回の火葬に20万円程度かかるので個人では大変な出費となる。集団で行うと一人あたりは割り勘になり当然安くなる。余裕のある家は個人で火葬にするのだという。

家族が白骨化した遺体を深さ1.5メートルの地下から掘り起こすのは数時間かかるとのことだ。その模様を籠屋の親父はリアルに説明してくれた。現代の日本人だとグロテスクに感じてしまうだろうが、この親父は村の祭りのダンスの振り付けを説明するように手振りを交えて淡々と述べる。その葬儀の珍しさよりも親父の淡々とした説明ぶりに感心してしまった。バリ人のメメント・モリは生活の中に自然に根付いている。5年というのは意味のある数字だと思う。熱帯のバリでは5年立つと完全に白骨化するのだろう。十分に白骨化していない遺体は火葬には適さない。

掘り出した白骨は神輿に乗せて激しく揺らして火葬場に運ぶ。日本の火葬場を連想すると全く異なる。いわば野焼きを行う。
「御輿が激しく揺れながら上下にぐるぐる回り始めたのは、死者の魂が戻ってこれないように惑わせる意味があった。葬儀=ガベンは祝うべき新しい旅立ちなのだ。」と「サムライ、バリに殉ず」 にあったことを思い出す。
こうした死を祝う祭りは世界でも唯一と言えるのではないか。バリ人の生活に根差した輪廻観によるものだ。

そんな考えをまとめていると次の大橋力氏の記事を発見して驚いた。まだ十分に結びつかないが前段のガベンとどこかで関係しそうなのでメモをしておきます。

 

死をプログラムした生存戦略(大橋力氏の記事)
(大橋)
 生物は、環境との関わりで進化的適応をするので、環境が変われば、当然、生物の行動反応も変わるでしょう。ある範囲までの環境の変化に対しては、ストレス反応によって眠っている別の遺伝子を立ち上げて適応できるけれど、その限界を超えた場合、死のプログラムを立ち上げて、自己解体する。一度、自己解体モードに入ったら、なるべく効率的に自己を解体してしまおうとする。そういう局面にいま注目しています。
 そこで、自己解体する機能をもった人工生命をつくり進化シミュレーションをしてみると、死のプログラムを持つもののほうが子孫が繁栄するという興味深いことを見つけました。つまり、「死」が進化的に保存されているとすれば、そこに何らかの進化上の有利さがあるはずです。
(中村)
 実際の生きものの進化の過程でも、個体の死が登場することが、新しいものを産み出すことと関連していますからね。

ノイマンによる自己増殖オートマトンという人工生命の発想は、DNAのセントラルドグマに10年も先行します。この天才は、遺伝情報に余分な記述を加えてみて、それが有効だったら進化になると完璧なことを言った。

私は、これに少し手を加えて、生命に寿命が来たら、あるいは不適合な環境に出会ったら、自分を分解し、そこに生まれる部品は他の生命が利用できるという人工生命を搭載した生態系を組んだのです。ノイマン型は不老不死で、大橋型は死と自己解体を行う。実は、均質な人工生態系でのシミュレーションでは不老不死型生命が繁栄するのですが、人工生態系を不均質状態にしてみるとどうなるか。地球生態系と同じように、温度、物質の分布を不均質にすると、生きものの基本設計と環境との適合・不適合が将来を大きく左右します。ある不均質な環境に、ノイマン型と大橋型を1匹ずつ放すと、大橋型は、死のプログラムが働いているので、当然、劣勢になる。ところが、シミュレーション時間を長く取ると、形勢が逆転し、やがて大橋型のほうが増えていく。その背景は、個体が死ぬと子孫が生きるチャンスが増え、突然変異の累積も多くなり、新しい環境に適応できるものが出る可能性が高まることです。だから環境が不均質な限り、死のプログラムを持つ生命のほうが有利なのです。

ところがこのシミュレーション結果を発表したら、キリスト教圏の学者が、「内容は優れているが思想的に不健全だ。死を肯定するというのは倫理に反する」といいだした。一方、インドから東の研究者は輪廻思想の影響下にありますから、「素晴らしいじゃないか」と。がっぷり四つに組んで両者とも譲らず、最終的に、この研究はポスター発表という形で発表が認められました。人工生命は何でもありの真に自由な学問世界だといっていた西洋人たちがいきり立ったのですから、びっくりした。いい教訓でした。

いろいろな人工生態系を造ってシミュレーションをすると、ほとんどの場合、死のプログラムを持つ生命のほうが優勢になりますが、素朴な生命体は死のプログラムなどというしゃれたものを持っているはずがない。ただ増えるだけだったはずです。進化によって、あるところで死を獲得し、それが生存戦略上うまくいったのだとも考えられる。これを確かめるために、人工生態系の中に棲む不老不死の人工生命の中に、1匹だけ死を覚えた生命が出たらどうなるかを試してみると、打率7割くらいで、死のプログラムを持つほうが有利でした。あまりよいものとは思われていない死が、実は非常にしゃれた強力な生存戦略だというわけです。自己解体という生存戦略は、自分の種だけを増やすのでなく、自分より優れた子孫を作っていくシステムなのですね。
(中村)

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