今回密かにバリのヒンドゥと仏教の繋がりの一端が何か分かれば良いなあと考えていた。熱射病で2度もヘロヘロになりながらも大きな収穫はあった。それはバリでよく使われるサマサマという言葉だ。
平等は、「へいとう」と読まないで、「びょうどう」と読む。前者は漢音だが、後者は呉音の読み方である。漢音でなく、呉音の読み方がなされるということは、「平等」が仏教用語であることを意味している。それは、サンスクリット語のサマ(sama、平等な)、あるいはその名詞形であるサマター(samata、平等)の漢訳語である。
バリ人はテレマカシ(ありがとう)とサマサマ(どういたしまして)をよく使う。サマサマをどういたしましてと訳すると平凡だがsama、平等と訳すると意味が一段と深い哲学色、仏教色を帯びてくる。何かを人にしてあげることは平等だよ、だから何も気を遣う必要がないと返しているのだ。
中村元は、「人類の歴史において『平等』ということを最も明瞭な自覚を以て最初に唱えたのは、インドの仏教徒であった」と。確かにヒンドゥはカーストだからこんな言い方は不自然だよな。こんなことからバリへの仏教の影響は相当強いと根拠なく考えるに至ったのだが、これが今回のヘロヘロになりながらの収穫の一つだったようだ。