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まさおレポート

49日とキリスト教

縁者が亡くなって先週に49日を終えた。




仏教では中有の時期をすぎて三途の川をわたり来世へ移っていくとされている。本来の釈尊の教えた仏教でそこまで説いているとは思わない、もっとシンプルに輪廻するかしないかだったがその後の解釈の変遷でそう伝えられてきている。

地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏と10分類された進路が待っているが最終審判者は閻魔大王だ。

キリスト教では死ぬと審判が下され、天国か地獄に行き先が2分される。仏教とキリスト教の違いは輪廻するかしないかで大きく違うがこれもやはりニケア公会議以降の整理らしい。

元々仏教とキリスト教で輪廻感に違いはなかったと考えてもそう大きく間違ってはいないだろう。当時の人々の受け入れやすい考え方で整理されたと理解した方が良さそうだ。だから三途の川も理解し易いように作られたお話だが輪廻を倫理と絡めて分かりやすくしたフィクションだろう。

初期仏教でも輪廻するかあるいはしないかだけの2分類だったと理解している。その後に天台大師が地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏と10分類したと仏祖統紀が伝えるがこれはなんと1269年に著されている。

つまり地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六道は輪廻し、声聞、縁覚、菩薩、仏は輪廻しない、あるいは菩薩、仏は自分の意思で輪廻しないと考えられるようになる。







中国では死者は地獄つまり地獄・餓鬼・畜生の三塗へ行く途中に通るのが三途の川『日本書紀』の中で禊ぎが行われた三津瀬の説もある。中国古来やマニ教の冥府、仏教の地獄、中陰、道教信仰が総合され、当時の官僚機構の組織も取り込み『地蔵十王経』ができた。

三途の川に死者が差しかかるのは二七日で
三途の川を渡り終えるとまた七日ごとに別な審判王の審査をうけ、三十五日には閻魔大王の前に立つ。生前の悪行が残らず映しだされる画面で嘘をつくとも舌を抜かれる。

最終の四十九日目の判定は六つの鳥居を自由に選ばせ先には地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天となる。

行く先三悪道が六道に増えている。キリスト教が懺悔すれば許すという変遷と同じか。


 三途の川の渡し賃「六文」は平安時代には歩いて渡リ無料だったが地獄の沙汰も金次第となり室町時代に船で六文はその船賃となる。

時代と共に書き加えられていったフィクションだ。


 
「川の博物館」では、奪衣婆が幕末からは所願成就の流行神に変質したことも併せて示す。

縄文時代後期から晩期の遺跡に、住居域と墓地域の境に人工の川を作った痕があり『日本書紀』の三津瀬からも日本人は中国より以前から他界との境に川を見ており、それが地獄思想などの影響でいったん中国的にイメージが拡大したものの、時を経てまた元の日本的な川に戻ったとの説明は面白い。


古代エジプト人はナイル川の西岸をあの世とし、ギリシャ神話はステュクス河、ゲルマン人の死者はギョル川に架かる橋を渡リヒンドゥー教の神話では地下のヴァイタラニー川、ゾロアスター教ではあの世へ行くにチワント橋を渡る、ダンテの『神曲』でもあの世の川だ。

浄土思想は曇鸞 臨死体験から成立したと考える学者もいるという。

日本人は死者がよき来世を迎えると信じたいのだと云う人もいるがそれで良いではないかと思う。 

 きっと親しかった人達が迎えに来てくれる。

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