まさおレポート

紀野一義 不思議を語る

紀野一義は「私の周囲にも、怪異はいくらも起きている。口を噤んで語らないだけのことである。」という。氏はさまざまな著書や講演で話の挿話のように怪異を語ることがある。それを集めてみるとなかなか信じがたいような不思議な世界が広がる。

氏は下記のような驚くべき解釈ができる人だ。通常、仏教学者や僧はシャーリー・マクレーンのアカシック・レコードをおそらく避けるだろうと思う。しかし氏はそんなことは頓着していない。思うところをそのまま話している、それがいいのだ。

空海が土佐海岸洞窟で体験した、明星の如くなる大宝珠が入ってくるという体験を日蓮上人も重ねていると言う。

生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給わりし事ありき。日本第一の智者となし給えと申せし事を不便とや思し食しけん。明星の如くなる大宝珠を給いて右の袖にうけとり候し故に、一切経を見候しかば八宗並に一切経の勝劣、粗是を知りぬ 清澄寺大衆中

こうした逸話をこれまでのように伝説と片付けてはならない、大いなる真実だと氏は語る。アーカシャという眼に見えない空間におどろくべき世界があることを「法華経」の作者は知っていた。シャーリー・マクレーンのアカシック・レコードがどうかかわってくるのかは今後に待たねばならないが日蓮上人も「虚空」の中からなにかを読み取ることができたのであろうと記す。

キリスト教の世界では奇跡は認定される。しかし仏教の世界では認定などは聞いたことがない。氏は不思議な奇跡をそのまま受け入れることを日蓮上人理解の必須要件だとする。

怪異を経験

わたしは、今でも自分のまわりに父母や姉妹が居るような感じを持っている。それは証明しろといわれても証明のしようがない。証明しようがないだけそれだけわたしにとってはどうすることもできない真実である。

梅原猛との対談でもミスティックなものが生命だと述べる。

梅原 この前、日本哲学会で田辺元、和辻哲郎の仏教理解について道元を中心に研究発表したときにも、そのことにふれましたが、和辻さん田辺さんにはそれがないんですよ。二人ともミスティックなものを全部合理的に解釈するのです。それでは道元の持っているものは、ほとんど消えていくのですよ。

紀野 それはたしかに味わいがなくなっちゃいますよ。味わいがなくなるだけならいい。けれども、生命がなくなったんじゃ意味がないから。日蓮の思想と行動  紀野一義/梅原猛

さらに災難に誘い込む鬼にまで言及する。

悪鬼ばかりいる世界には、悪いことばかり起きるのである。わたしの逢った交通事故についていうと、わたしがぶつかった所は、深大寺の表参道へ出てくるところなのであるが、そこは、過去何回となく同じ事故が起こっている。同じことが起こるということは、人を同じ災難に誘い込む鬼がいるのではないだろうか。ただ人間の不注意というだけでなしに、もっと何か不可抗力のようなものが動いているのである。恐ろしいことである。 ある禅者の夜話

戦争中の怪異を「名僧列伝(二)」では次のように語る。

この病兵はかつて中国戦線にあった時、討伐に出た連隊の兵全員が深夜に帰隊した時の、身の毛もよ立つような話を語り続けた。

血と泥にまみれて帰隊したその深夜、広場でボロボロの軍旗に捧げ銃の礼をした瞬間に軍旗は突如燃え落ち、整列した兵全員が、形容しがたい呻き声をあげて一斉に大地にメラメラと吸い込まれてしまった怪異を語り、僧侶である師に彼らの供養を依頼して死んだという。

この怪異を目撃した病兵(討伐には参加しなかった)らは、翌日すぐに地獄のガナルカナル島に転属させられ一人も生きては帰らなかった。軍の幹部は彼らの口をふさいだのである。しかし、くだんの病兵だけはなんらかの理由でガナルカナル島送りを免れ、ビルマ戦線に連行され、この怪異を語ってまもなく死んだのである。 

米爆撃機の投下した爆弾の中の不発弾1750発を信管外しという荒業で全部処理した私の周囲にも、怪異はいくらも起きている。口を噤んで語らないだけのことである。血気盛んな現役兵が限界状態の中で無理矢理死を迎えさせられる時、怪異が起こらない方が不思議である。名僧列伝(二)

山本五十六はブーゲルヴィル島ブイン上空で、アメリカのP38戦闘機16機に襲撃されて亡くなった。このP38戦闘機には氏も何度も襲われた。このP38戦闘機について次のような怪異を紹介している。

又次の話も。

ドイツ軍にP38戦闘機12機が爆撃された。3機が撃墜を免れて米軍基地まで戻ってきた。基地の将校はその報告を受けた。ところが別の連絡官がやってきて「残念な報告があります。P38戦闘機12機がすべて爆撃されました」と報告した。

馬鹿なことをいうな、今3機が撃墜を免れて基地まで戻ってきた報告を聞いたばかりだ。「お言葉ですが中将、現地からの報告で全機撃墜されたと」つまり3機は幽霊になって帰ってきた。

日本の仏教界あるいは世間全般にその種の話はタブーとまではいかないが低級な話、きわものとして躊躇させる空気があるようだ。しかし氏はリアルを伝えたいのだろう。そういったことも躊躇せず次のように語ってくれる。

親友が亡くなったあとに津山の姉の嫁ぎ先でその友の霊が出た。それも丑三つの二時に。二十二歳の氏は成仏してくれとさけぶ。凍りつくような冷気が襲い、胸を押さえつけられる気がして跳ね除けて起き上がると紀野と呼びかける友人の声が聞こえた。氏は妄想かもしれないと慎重にのべている。そして語らないだけでいくらでもその種の経験をしていると記す。

「手のひらを広げて歩きますとね、波動がビンビン来るんですよ。大菩薩峠には特別な土地の波動がありますね。中里介山はああいうところにいてああいう小説をかいたんだな」と言う。

京都で知り合いと泊まった。その知り合いは裏の部屋で、わたしは表の部屋に泊まった。知り合いの朝顔色が冴えない。どうしましたと聞くと12時ごろに部屋の障子の向こうでがやがや音がする。

なんだろうと思ったが他人の家を詮索するのもなんだのでそのまま寝てしまった。あくる日の朝その障子をあけると墓場だった。それで知り合いは少しショックを受けたのか顔色が悪い。

氏が知り合いに「背中が痒くなかったですか」と尋ねると「いいえ」「それなら墓の下に眠る人が「よく来てくれました」とあいさつされたんですよ。なにも気持ち悪がることはありませんよと答えている。

氏は「わたしゃ寺の息子ですから墓で人の声が聞えたりは日常茶飯でしたから、なんともないんです」と。

インドのチター奏者と結婚された女性から鎌倉に住みたいので家を探していただけませんかと頼まれた。どうぞ借りてください、家賃はいりませんといわれた家は武将の幽霊がでるという。その夫婦は幽霊は平気だという。どうですかと夫婦に尋ねると「出ていらっしゃいます」と平気で答えたと言う。

臨死体験

臨死体験を紹介している。この女性ヘレンはいまから患部の切開を始めると言う医者の声を記憶している。そのあと彼女はベッドの上にいて見下ろしている。切開なんてしてほしくないといったのを覚えているという。

そのあと谷のようなものの中に入っていった。その谷であるひとに出会った。ある人は自ら祖父と名乗った。一度もあっていない人でした。後に祖母がそれは祖父に違いないと証言してくれた。

祖父はまだヘレンを迎えるのに準備ができていない、だからあなたは帰りなさいといった。音楽が聞こえてきました。教会音楽みたいでした。どんな楽器か、歌はありましたかとの質問に「畏敬の念を思わせる音楽でした」と答えている。上から見下ろしてみている臨死体験は日米共通している。

紀野一義の主催する真如会であるひとが臨死体験を告白された。花園で10年前に死んだお姉さんが待っていた。あなたがくるのはまだ早い。たべものがのどをとおらなくなって死んだというとお姉さんが「馬鹿をいいなさんな」とおかゆを飲ませてくれた。するとおかゆがのどをしゅっと通っていった。おかゆを全部食べさせてくれた。どんと背中を叩かれた瞬間もとにもどった。

看護婦に「のどがかわいた」といったところ吸い飲みで飲ませてくれ、ごくごく飲んだ。ついで重湯も飲んでしまった。さらにおかゆも食べてしまった。それからめきめき回復して今に至りました。こんな話をすると変な顔をされるのでいままで黙っていました。

この話を聞いた後に氏の真如会は大変なことになったという。

死んでしまうと先に死んだ親や兄弟、祖父母にあうケースは非常に多いですねと語る。そして花園を歩くケースが多い。あわい色のトンネルのようにみえる中をジェットコースターで通り抜ける感覚で螺旋形のトンネルを抜けていきます。あらゆる光が見えました。トンネルを入って宇宙空間にでていく体験ですと語る。

紀野一義が小学校3年のときに樹木にぶつかって死にそうになったときの体験。

頭のうしろからうしろに真っ黒な中を落ちていく。とんでもないところに行くなと。医者がご臨終だといわれて母がわたしの名を呼び始めた。遠くでわたしの名を母らしき声が「かずちゃん、かずちゃん」と呼んでいる。その声に返事すると氏は生き返った。あれは母親の声かほとけの声か定かでない。

親が子を呼ぶくらい美しいものはない。トンネルかどうかはわからないが真っ暗な中を落ちていく経験から臨死体験の話はなるほどなと思う。

氏は三浦雄一郎が富士山の山頂から滑空して転落したときの話を紹介している。両手で岩肌を捕まえようとした。生爪がはがれた。生首がとんだ、松の木に噛みついたのをみた。それをみて生首に負けてはいかんと思い岩肌を捕まえたらとまった。

おまえの見た生首は三浦一族の三浦荒次郎が油壷に主君を逃し北条勢に首をはねられた。神主が「お前のみたのは三浦荒次郎に違いない」彼の魂が死の世界に飛んでいくというのを表していると云う。

臨死体験をすると人はいい意味で変わってしまうようですね。命がけの座禅での思いは臨死体験に近いかもしれない。そういう体験をしないで論理的に考える人とは別のところにいくんではないか。座禅しない人でもこういう経験をしたひとは座禅と同じ気持ちになったのではないかと氏は云う。

氏は生理学的な洞察も加える。

エンドルフィンは脳の神経細胞の中で作られる一種のホルモンであって体に苦痛が生ずる時に急速に増えてくる。そしてモルヒネと同じような強い作用を発揮する。したがって人間は死ぬときは思うほど苦しいものではないということを言う人がある。人間の体っていうのは我々が想像する以上に不思議な働きを持っていますね。でこういうものがいまはのきわに出てくるとすれば例えば昔の侍が切腹をする時のあの苦痛と恐怖感から侍たちが救われていくのはエンドルフィンの効果であるでしょうかと話す。

よく死んでしまった顔が非常に穏やかな満足しきったような顔している。あの人間の穏やかさが薬の作用だというふうに言われるのもちょっと抵抗があるんですけれどもそういう働きがまあないとは言えないと思いますねと言う。

ゲーテは死ぬときにもっと光をと云ったことに次のような解釈をしている。それを人は死ぬ時に目の前が真っ暗になってくるのでもっと明かりをつけて明るくしてくれと言ったんだというふうに理解している。けれども実はこの光は闇の向こうから輝いてくる光であったに相違ないと言う。

最も信じがたい共通の要素は非常に輝かしい光との出会いである。その光がある存在であることに疑問を表明した人はいない。しかもそれは極めて明らかに人格を有している。その存在から発して死にかけている人に降り注ぐ愛と暖かさは全く表現を絶しているもので人はそれによって完全に包まれ抱擁されるとも言う。

旧約聖書の初めに神は天地を創造された。神は言われた「光あれ」こうして光があったということはこういうことで考えられるのではないかと思うんですね。

死んでからそう遠いところへ行くんじゃないと思いますよ、そして天にいってそしてその次(誰の子宮にはいるか)入るところを探しているそうですけど。

シルバー・パーチは「人間は死ぬと、この世界が非常に美しく見える。・・・それは高いところに行くに従って、どんどん美しくなってゆく」 「ええなあ!という人生」p30

不思議な出来事

こちら寺の息子ですから大勢の人が死んだところとかね、死ぬ人とかねそういうのだいたいわかるんですけど。で大勢の人が死んだような感じがしないなぁと思っていると浅野長政が切腹した場所っていうのが天守閣じゃないんですよ。50m ほど降りて左へまた行った家老の家で切腹したんですねと語る。

UFOが地球に平和をもたらすと考えているひともいるし、氏もそう考えていると述べる。よびかけをそのようにとらえることができる。「未知との遭遇」を観て、宇宙人が地球を救済するという話は興味深いと述べている。

海外の話で150キロ離れたところで盗難にあった時計があった話を紹介している。時計はその人がもっとも長い間身に着けているものでそういうものは何かしら呼ぶ力を持つんですねと言う。

氏のビデオカメラを京都に行ったときに失くした際も、いくら小田急線や新幹線に連絡して探しても見つからなかったが、東京駅でふとひらめいたので連絡したらあったと言う。


序品
是の如きを我聞き。一時、仏、王舎城・耆闍崛山の中に住したまい。

王舎城・耆闍崛山を説明する。インドの王舎城(ラジギール)で見た霊鷲山の思い出を語り、霊鷲山は風葬の地でハゲタカが死体をついばむ場所だと氏は説明する。そしてその地にいって波動を吸収しなくてはほんとうのところはわからない。頭だけで考えたのでは間違うと言う。

下記は追記20230316

上高地を奥様と二人で車を走らせていると赤いスポーツカーが遠くに見えたのでまもなくくるかなと予想したがこなかった。二人で顔を見合わせて「こないね」と言った。

後で人に話すとここは赤いスポーツカーが事故死した場所だと教えられた。

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