寒い日が続いている。ブログを始めたこともあってか、今年になってからゴルフクラブに触っていないことに気付く。先日、ゴルフ仲間のSさんからメールがあった。彼のホームコースが今年のパブリック選手権の会場に設定されているという。彼は、私が昨年初挑戦した際、かなり遠方にもかかわらず、練習ラウンドに付き合ってくれた恩人である。Sさんのホームコースは昨年1回プレーしているし、何よりも、「あなたが今年も出場するのであれば、自分もエントリーするし、事前のラウンドも付き合うよ」という有り難い話。何よりもコースを知悉している方の存在は心強い。「是非に!」と返事を出しておいた。公式サイトを見ると、申込み開始は3月1日からとなっている。
昨年1年間のゴルフは、計18回のラウンドで平均スコアが93.2。
80台も何回か出たので、少しは上達してきたという自覚がある。それにしても昨年は「記念受験」とはいえ、よくあんなレベルで出場したと思う。(同伴競技者の方、ご免なさい)
実は、昨年の惨敗後、お世話になった方だけに限定して、当日の模様を報告するため、駄文を書き残していた。今読み返してみると、苦笑を禁じ得ないが、今年のパブ選参戦記はこのブログに書こうと思っているので、この際昨年のレポートも、ここに転記しておこう。(原文はかなり長いので、大幅にカットしてある)
「プロローグ」
常磐自動車道を友部JCまで走って東水戸道路に乗り換える。ひたち海浜公園ICで高速を降りて10分ほど。車窓からは見えることはないが、カーナビの画面では茨城の海がすぐ近くに迫るロケーションに、勝田ゴルフ倶楽部は位置している。
パブリック選手権とは伝統あるアマチュアゴルフ競技の大会で、歴代の本選優勝者には中嶋常幸、丸山茂樹、星野英正などトッププロの名前も見ることができる。優勝者にはプロツアーのマンダムルシードや日本アマへの出場権が与えられるという。日本アマにつながっているということは、あの日本オープンにもつながっているということだ。私には関係のない話だが。
正式には全日本パブリックアマチュアゴルフ選手権東日本地区予選、通称「パブ選」は今年から出場資格が大幅に緩和され、どこぞのコースのメンバーであることも公式ハンデを持っている必要もなくなり、「ハンデキャップ20.0程度以上の実力があること」という自己申告で出場できることになっていた。いつかは本格的な競技に出ることを考えていた私にとってこの規制緩和は好機となった。ただ、当時指南役もいなかったというより、周囲には内緒で大会出場を画策していたので、初めてなだけに、エントリーの仕方、会場の選定などわからないことだらけ。東日本地区予選の各会場名と日程を眺めながら、アクセス、プレー料金、日程の3点で適当に決めた。「思えば遠くへ来たもんだ♪」と口ずさみたくなる勝田ゴルフ倶楽部への道のりは、片道3千円の高速代を要する。
エントリーしてからの最大の難問は練習ラウンドをどうするかということだった。プロでさえ、過去に何度も出場した大会であっても練習ラウンドで本番に備える。それがベストスコア90の私の経験と技量で、ぶっつけ本番はありえない。競技挑戦自体が無謀であっても、参加フィー6千円を払い、有休休暇までとって出場するのだから、可能な限りの準備はしておきたい。そう考えたものの、前述のようなロケーションで平日にお付き合いをお願いできる方は限られた。頼りにしていた自営業を営む、日大ゴルフ部出身で私のゴルフの師匠ともいうべき友人は、生憎体調を崩し長期入院していて、少し前に退院したばかり。途方にくれていたところ、フリーライターのSさんが私に救いの手を差し伸べてくれた。練習ラウンドの誘いを快諾してくださったのだ。自分もパブ選に出場するわけではないのに。。。これは本当にありがたかった。彼とは何回かご一緒したことがあるのだが、非常にステディーなゴルフをされる理論派である。流麗なフォームから繰り出されるミスの少ないゴルフはまさにショットメーカーで、昨年の夏から冬にかけてアプローチの腕を格段に上げられていた。しかし何より私が彼を尊敬してやまないのは、ゴルフとなれば場所や日程を選ばないその類い稀なる情熱である。誤解を恐れずに言えば、この方は完全な「ゴルフバカ一代」といっても言い過ぎではないと思う。
練習ラウンド当日は前日からの大雨が朝まで降り続き、大いに気を揉んだものの、スタート前にはほとんど上がるという状況で敢行。強烈な距離のチャンピオンティーと勝田名物の高速二段グリーンに悩まされたが、後半はパーを4つとることができた。終盤の17番ホールで3連続OBを叩いたため、スコアはそれほどよくなかったが、このホールは極端に右が狭くフェアウエイを外したらすぐ池かOBという打ち下ろしの難所で、2発目からは本番に備え、どの程度スライスしたらやばいのかを実験してみた結果ということもあって、自分の中では、本番もうまくすれば90台前半で回れるのではという手応えを感じていた。
4月に入ってからというもの、行き帰りの通勤電車では日経新聞も読まずに、ルールブックをひたすら読んだ。付け焼き刃ではあるが、なにせ初めてのマーカー制ということで、プレーよりもこちらの方がプレッシャーを感じていた。アンプレやラテラルウオーターハザードなど処置の手順を夜中の公園で練習したこともある。前の週に参加した会社のゴルフ部のコンペでは間違って暫定球を打ってしまい、手痛い誤球2ペナルティをくらったこともあり、番号の違うボールを4球づつ揃え、各3箇所に入念なペイントを施しもした。(私の使用球はキャスコのROCKETSⅢというマイナーなボールであるのだが・・・)人事を尽くして天命を待つ。前日はもちろん練習には行かず、早く床に就いた。こうして、いよいよパブ選当日を迎えることになった。
「スタート」
私はOUTの5組目で8:30のスタート予定だったが、7時ちょっと過ぎには会場入りした。フロントの横には大会の受付があり、出席を確認したうえで、「PGS2005」のロゴ入りのキャップをもらった。ネットの掲示板では評判が悪い参加賞の帽子だが、ニワトリを連想させる色使いはいまいちだが、デザイン自体はそれほど悪くはない。こんな記念品はいらないから参加料を安くしろと言う声もあるようだが、たしかに自分自身も2回目の出場からは貰ってもあまり嬉しくないかもしれない。
受付を済ませて着替えてから、早速練習場に行く。人はまだ多くなかったが、鳥かご式ですぐに天井ネットに直撃してしまうので、25球ほどで終了し、パター練習場へ移動した。腕に覚えのありそうなおじさんたちが、続々と集まってきた。学生ゴルファーと思しき若者も何人かいたように思う。友人曰く「トップアマや超上手い人はパブ選には出ないよ。所属コースの月例や日刊アマなど出場する試合がたくさんあるからね。」と解説してくれていたが、たいていの出場者は私よりも上手いだろう。そうしているうちに、第1組がスタートする時間になったようで、そちらに目をやった。いかにもアスリートゴルファーという風情の2人が右に左に相次いで大きく曲げて、暫定球を打っていた。やはり皆が緊張しているのだとわかって、少し気が楽になった。
ここで私の師匠である前述の友人が前夜にメールでよこしたメッセージを紹介したい。というのも競技経験豊富な彼の言葉は、大変含蓄に富んでおり、無鉄砲な友人を思いやる愛情に溢れたもので、今読み返しても胸が熱くなるほどだから。以下一部を引用する。
「スタート時は周りも大変緊張しているので、同伴者の様子を客観的に観察していると自分が冷静になれるかも。あとコースに着いてからはすべての動作をゆっくりする。歩くのも、トイレも、素振りもいつもの倍の時間をかけ、その感じを一日保つ意識をもつ。決して焦ってはいけない。マスターズでのタイガー・ウッズのように自分の打順の時は「おれが主役」くらいの間合いはとること。おそらく競技ではハーフ3時間も珍しくないので、くれぐれも自分だけが慌てないように。あとハーフに一回は大叩きのピンチはあるけど、それは皆一緒。想定の範囲内ということで冷静に乗り切ってください。きっと貴重な経験ができるでしょう。がんばってください。」
当日私はこのメールをプリントアウトしたものをポケットに忍ばせていた。スタートまではこのアドバイスをほぼ忠実に実行できていたと思う。1番ホールまでは・・・。
「暗転」
初めての競技ゴルフの緊張感は筆舌に尽くしがたいと経験者はいう。ネットなどで体験談を読んでも、手足が震えてどうしようもなかったとか、1番のティーショットを前に本気で帰りたくなったなどと書いてある。しかし、スタート直前になっても不思議に緊張感が湧かなかった。競技委員と同伴競技者の2名(前の組から2名欠席が出たようで我々の組から1名繰り上がっていた)以外のギャラリーが全くいない状況なのだ。これなら会社のコンペの方がよっぽど緊張すると思った。人間の恥の感覚は「知っている人の前で格好の悪い所を見せてしまう」ことへの恐れが大部分を占めているのだろう。
遂に自分の番が来た。ティーグランドにゆっくりと上がる。今日まで何度もシュミレーションした「フェアウエイ左サイド」を心の中で呪文のように唱えながら素振りをして、ドライバーを振り切ると、左の土手の方に飛んでいくのがみえた。ボールははっきり見えていたので、暫定球は打たなかった。
当日までは共用キャディーが1人つくのかと思っていたのだが、どうも競技というのは自分たちだけでまわるものらしい。だが、私よりひどく球を曲げた同伴競技者が、「気楽に申告しながらやりましょう」というのを聞き、ちょっとほっとしていた。自分の打数を数えるのも一杯一杯なのに、マーカーの全軌跡を勘定できるのか?というのが、事前の心配事のひとつだったからである。
こうしてリモコンつき乗用カートに3人が乗り込み、まずは各々の1打目のボールを探すと、はたして私のボールはかなりの急斜面の中腹にあった。思い返せば、この時、もっと落ち着いて対処すべきだった。まずはトラブルショットの虎の巻を思い起こし、つま先下がりの打ち方を一つ一つ反芻しながら、もう少し慎重に打たなければならなかった。「たられば」の結果論は不毛だが、その後の悲惨な状況を思うと、1打犠牲にしたとしても、フェアウエイに出して仕切り直しした方がよほどましだったに違いない。緊張していないつもりでもやはり平常心でなかったのであろう、何とも中途半端に6番アイアンで打った2打目は無常にも右にすっぽ抜けて反対側斜面上の林にほぼ一直線に飛び込んだ。これですっかり気が動転した私は、その後どのようにグリーンに到達したのか、今では思い出すことができない。スコアカードには2パットと記されているので、7オンだったのであろう。ホールアウト後、次のホールに向う途中、あまりの私の惨状にいたく同情した同伴競技者の方は、しきりに「慌てなくていいですからね。落ち着いてやればいいですよ。」と優しい声をかけてくれた。慌てなくていいという励ましは昼食まで続いたので、「決して慌ててはいけない」という師匠の金言をほとんど実践できていなかったことになる。右に左に走り回ったお陰で、この時点で冷たい汗と熱い汗がミックスしてシャツがびっしょりになった。結局、前半の5ホールは9・4・7・7・9と何と早くも16オーバー。ボギーペースを基本に、出だしの緊張を勘案して6オーバーくらいを考えていた私にとっては完全に想定の範囲外のスコアである。残り4ホールも5・7・5・7とパッとしなかった。
まるで、失敗→焦って→暴走→爆死とJR西日本の高見隆二郎運転士のような軌跡を辿り、私の競技ゴルフデビュー戦を90台前半でまわるという夢が、ここでついえた。
「教訓」
「最初が肝心」という格言は太古の昔から言い伝えられてきたのであろうか。無敵の大横綱、朝青龍もインタビューで「初日が重要」と語っている。あの周防正行監督の秀作「Shall we ダンス?」にもこんなシーンがあった。草刈民代扮するダンス教師が社交ダンスの競技に初出場するべく特訓してきた教え子のペア(役所広司と渡辺えり子)に練習時から直前まで「スタートが全て」と口を酸っぱくして指導し、いざ競技本番、見事にオープニングのステップが決まった瞬間に思わずガッツポーズまでして歓喜した場面である。これの意味するところはこういうことだろうと思う。常勝球団がペナントレースの開幕戦を落としても、本当の地力が備わっている者は十分挽回していける。しかし、未熟な技量と乏しい経験しかない者こそ、絶対にスタートをうまく滑り出さなければならない。何故ならスキルの高い人は自分の型を持つがゆえに、躓いても修正できるのだが、技量のない人は拠って立つものが脆弱なため、スタートでコケた時に、焦るとともにあれやこれや余計なことを考えて迷ってしまうのだと思う。私が陥ったのはまさにこのパターンだった。『ドラゴン桜』でも「試験は開始から3分以内に落ち着けるかどうかで全てが決まる」と先生が言っていた。私が下手で、課題が山積しているのは事実だが、もしもはじめの3ホールをボギーペースで漕ぎ出していたらどうだっただろう。その後はかなり違う展開を見せていたのではないかと思う。
惨憺たるスコアを残して、私の長い長い一日が終わった。
「エピローグ」
練習ラウンドに付き合っていただき、色々とアドバイスもしてくださったフリーライターのSさんに結果を報告した際、「また来年も勝田が予選会場になったら、挑戦したい!」と意気込みを語ると、「もっと易しいコースにすればいいじゃないですか」とたしなめられた。ただ、未熟なまま怖いもの知らずで単身のりこみ、競技ゴルフに初挑戦した勝田ゴルフ倶楽部にはやはり愛着を感じてしまう。たぶん来年も私は未熟なままであろうが、勝田はその姿を変えずに待っていてほしいと思う。(完)
と、直後には書いたのだが、前述の通り今年は
4/18(火)市原後楽園ゴルフ&スポーツ の部でエントリーする予定。
昨年1年間のゴルフは、計18回のラウンドで平均スコアが93.2。
80台も何回か出たので、少しは上達してきたという自覚がある。それにしても昨年は「記念受験」とはいえ、よくあんなレベルで出場したと思う。(同伴競技者の方、ご免なさい)
実は、昨年の惨敗後、お世話になった方だけに限定して、当日の模様を報告するため、駄文を書き残していた。今読み返してみると、苦笑を禁じ得ないが、今年のパブ選参戦記はこのブログに書こうと思っているので、この際昨年のレポートも、ここに転記しておこう。(原文はかなり長いので、大幅にカットしてある)
「プロローグ」
常磐自動車道を友部JCまで走って東水戸道路に乗り換える。ひたち海浜公園ICで高速を降りて10分ほど。車窓からは見えることはないが、カーナビの画面では茨城の海がすぐ近くに迫るロケーションに、勝田ゴルフ倶楽部は位置している。
パブリック選手権とは伝統あるアマチュアゴルフ競技の大会で、歴代の本選優勝者には中嶋常幸、丸山茂樹、星野英正などトッププロの名前も見ることができる。優勝者にはプロツアーのマンダムルシードや日本アマへの出場権が与えられるという。日本アマにつながっているということは、あの日本オープンにもつながっているということだ。私には関係のない話だが。
正式には全日本パブリックアマチュアゴルフ選手権東日本地区予選、通称「パブ選」は今年から出場資格が大幅に緩和され、どこぞのコースのメンバーであることも公式ハンデを持っている必要もなくなり、「ハンデキャップ20.0程度以上の実力があること」という自己申告で出場できることになっていた。いつかは本格的な競技に出ることを考えていた私にとってこの規制緩和は好機となった。ただ、当時指南役もいなかったというより、周囲には内緒で大会出場を画策していたので、初めてなだけに、エントリーの仕方、会場の選定などわからないことだらけ。東日本地区予選の各会場名と日程を眺めながら、アクセス、プレー料金、日程の3点で適当に決めた。「思えば遠くへ来たもんだ♪」と口ずさみたくなる勝田ゴルフ倶楽部への道のりは、片道3千円の高速代を要する。
エントリーしてからの最大の難問は練習ラウンドをどうするかということだった。プロでさえ、過去に何度も出場した大会であっても練習ラウンドで本番に備える。それがベストスコア90の私の経験と技量で、ぶっつけ本番はありえない。競技挑戦自体が無謀であっても、参加フィー6千円を払い、有休休暇までとって出場するのだから、可能な限りの準備はしておきたい。そう考えたものの、前述のようなロケーションで平日にお付き合いをお願いできる方は限られた。頼りにしていた自営業を営む、日大ゴルフ部出身で私のゴルフの師匠ともいうべき友人は、生憎体調を崩し長期入院していて、少し前に退院したばかり。途方にくれていたところ、フリーライターのSさんが私に救いの手を差し伸べてくれた。練習ラウンドの誘いを快諾してくださったのだ。自分もパブ選に出場するわけではないのに。。。これは本当にありがたかった。彼とは何回かご一緒したことがあるのだが、非常にステディーなゴルフをされる理論派である。流麗なフォームから繰り出されるミスの少ないゴルフはまさにショットメーカーで、昨年の夏から冬にかけてアプローチの腕を格段に上げられていた。しかし何より私が彼を尊敬してやまないのは、ゴルフとなれば場所や日程を選ばないその類い稀なる情熱である。誤解を恐れずに言えば、この方は完全な「ゴルフバカ一代」といっても言い過ぎではないと思う。
練習ラウンド当日は前日からの大雨が朝まで降り続き、大いに気を揉んだものの、スタート前にはほとんど上がるという状況で敢行。強烈な距離のチャンピオンティーと勝田名物の高速二段グリーンに悩まされたが、後半はパーを4つとることができた。終盤の17番ホールで3連続OBを叩いたため、スコアはそれほどよくなかったが、このホールは極端に右が狭くフェアウエイを外したらすぐ池かOBという打ち下ろしの難所で、2発目からは本番に備え、どの程度スライスしたらやばいのかを実験してみた結果ということもあって、自分の中では、本番もうまくすれば90台前半で回れるのではという手応えを感じていた。
4月に入ってからというもの、行き帰りの通勤電車では日経新聞も読まずに、ルールブックをひたすら読んだ。付け焼き刃ではあるが、なにせ初めてのマーカー制ということで、プレーよりもこちらの方がプレッシャーを感じていた。アンプレやラテラルウオーターハザードなど処置の手順を夜中の公園で練習したこともある。前の週に参加した会社のゴルフ部のコンペでは間違って暫定球を打ってしまい、手痛い誤球2ペナルティをくらったこともあり、番号の違うボールを4球づつ揃え、各3箇所に入念なペイントを施しもした。(私の使用球はキャスコのROCKETSⅢというマイナーなボールであるのだが・・・)人事を尽くして天命を待つ。前日はもちろん練習には行かず、早く床に就いた。こうして、いよいよパブ選当日を迎えることになった。
「スタート」
私はOUTの5組目で8:30のスタート予定だったが、7時ちょっと過ぎには会場入りした。フロントの横には大会の受付があり、出席を確認したうえで、「PGS2005」のロゴ入りのキャップをもらった。ネットの掲示板では評判が悪い参加賞の帽子だが、ニワトリを連想させる色使いはいまいちだが、デザイン自体はそれほど悪くはない。こんな記念品はいらないから参加料を安くしろと言う声もあるようだが、たしかに自分自身も2回目の出場からは貰ってもあまり嬉しくないかもしれない。
受付を済ませて着替えてから、早速練習場に行く。人はまだ多くなかったが、鳥かご式ですぐに天井ネットに直撃してしまうので、25球ほどで終了し、パター練習場へ移動した。腕に覚えのありそうなおじさんたちが、続々と集まってきた。学生ゴルファーと思しき若者も何人かいたように思う。友人曰く「トップアマや超上手い人はパブ選には出ないよ。所属コースの月例や日刊アマなど出場する試合がたくさんあるからね。」と解説してくれていたが、たいていの出場者は私よりも上手いだろう。そうしているうちに、第1組がスタートする時間になったようで、そちらに目をやった。いかにもアスリートゴルファーという風情の2人が右に左に相次いで大きく曲げて、暫定球を打っていた。やはり皆が緊張しているのだとわかって、少し気が楽になった。
ここで私の師匠である前述の友人が前夜にメールでよこしたメッセージを紹介したい。というのも競技経験豊富な彼の言葉は、大変含蓄に富んでおり、無鉄砲な友人を思いやる愛情に溢れたもので、今読み返しても胸が熱くなるほどだから。以下一部を引用する。
「スタート時は周りも大変緊張しているので、同伴者の様子を客観的に観察していると自分が冷静になれるかも。あとコースに着いてからはすべての動作をゆっくりする。歩くのも、トイレも、素振りもいつもの倍の時間をかけ、その感じを一日保つ意識をもつ。決して焦ってはいけない。マスターズでのタイガー・ウッズのように自分の打順の時は「おれが主役」くらいの間合いはとること。おそらく競技ではハーフ3時間も珍しくないので、くれぐれも自分だけが慌てないように。あとハーフに一回は大叩きのピンチはあるけど、それは皆一緒。想定の範囲内ということで冷静に乗り切ってください。きっと貴重な経験ができるでしょう。がんばってください。」
当日私はこのメールをプリントアウトしたものをポケットに忍ばせていた。スタートまではこのアドバイスをほぼ忠実に実行できていたと思う。1番ホールまでは・・・。
「暗転」
初めての競技ゴルフの緊張感は筆舌に尽くしがたいと経験者はいう。ネットなどで体験談を読んでも、手足が震えてどうしようもなかったとか、1番のティーショットを前に本気で帰りたくなったなどと書いてある。しかし、スタート直前になっても不思議に緊張感が湧かなかった。競技委員と同伴競技者の2名(前の組から2名欠席が出たようで我々の組から1名繰り上がっていた)以外のギャラリーが全くいない状況なのだ。これなら会社のコンペの方がよっぽど緊張すると思った。人間の恥の感覚は「知っている人の前で格好の悪い所を見せてしまう」ことへの恐れが大部分を占めているのだろう。
遂に自分の番が来た。ティーグランドにゆっくりと上がる。今日まで何度もシュミレーションした「フェアウエイ左サイド」を心の中で呪文のように唱えながら素振りをして、ドライバーを振り切ると、左の土手の方に飛んでいくのがみえた。ボールははっきり見えていたので、暫定球は打たなかった。
当日までは共用キャディーが1人つくのかと思っていたのだが、どうも競技というのは自分たちだけでまわるものらしい。だが、私よりひどく球を曲げた同伴競技者が、「気楽に申告しながらやりましょう」というのを聞き、ちょっとほっとしていた。自分の打数を数えるのも一杯一杯なのに、マーカーの全軌跡を勘定できるのか?というのが、事前の心配事のひとつだったからである。
こうしてリモコンつき乗用カートに3人が乗り込み、まずは各々の1打目のボールを探すと、はたして私のボールはかなりの急斜面の中腹にあった。思い返せば、この時、もっと落ち着いて対処すべきだった。まずはトラブルショットの虎の巻を思い起こし、つま先下がりの打ち方を一つ一つ反芻しながら、もう少し慎重に打たなければならなかった。「たられば」の結果論は不毛だが、その後の悲惨な状況を思うと、1打犠牲にしたとしても、フェアウエイに出して仕切り直しした方がよほどましだったに違いない。緊張していないつもりでもやはり平常心でなかったのであろう、何とも中途半端に6番アイアンで打った2打目は無常にも右にすっぽ抜けて反対側斜面上の林にほぼ一直線に飛び込んだ。これですっかり気が動転した私は、その後どのようにグリーンに到達したのか、今では思い出すことができない。スコアカードには2パットと記されているので、7オンだったのであろう。ホールアウト後、次のホールに向う途中、あまりの私の惨状にいたく同情した同伴競技者の方は、しきりに「慌てなくていいですからね。落ち着いてやればいいですよ。」と優しい声をかけてくれた。慌てなくていいという励ましは昼食まで続いたので、「決して慌ててはいけない」という師匠の金言をほとんど実践できていなかったことになる。右に左に走り回ったお陰で、この時点で冷たい汗と熱い汗がミックスしてシャツがびっしょりになった。結局、前半の5ホールは9・4・7・7・9と何と早くも16オーバー。ボギーペースを基本に、出だしの緊張を勘案して6オーバーくらいを考えていた私にとっては完全に想定の範囲外のスコアである。残り4ホールも5・7・5・7とパッとしなかった。
まるで、失敗→焦って→暴走→爆死とJR西日本の高見隆二郎運転士のような軌跡を辿り、私の競技ゴルフデビュー戦を90台前半でまわるという夢が、ここでついえた。
「教訓」
「最初が肝心」という格言は太古の昔から言い伝えられてきたのであろうか。無敵の大横綱、朝青龍もインタビューで「初日が重要」と語っている。あの周防正行監督の秀作「Shall we ダンス?」にもこんなシーンがあった。草刈民代扮するダンス教師が社交ダンスの競技に初出場するべく特訓してきた教え子のペア(役所広司と渡辺えり子)に練習時から直前まで「スタートが全て」と口を酸っぱくして指導し、いざ競技本番、見事にオープニングのステップが決まった瞬間に思わずガッツポーズまでして歓喜した場面である。これの意味するところはこういうことだろうと思う。常勝球団がペナントレースの開幕戦を落としても、本当の地力が備わっている者は十分挽回していける。しかし、未熟な技量と乏しい経験しかない者こそ、絶対にスタートをうまく滑り出さなければならない。何故ならスキルの高い人は自分の型を持つがゆえに、躓いても修正できるのだが、技量のない人は拠って立つものが脆弱なため、スタートでコケた時に、焦るとともにあれやこれや余計なことを考えて迷ってしまうのだと思う。私が陥ったのはまさにこのパターンだった。『ドラゴン桜』でも「試験は開始から3分以内に落ち着けるかどうかで全てが決まる」と先生が言っていた。私が下手で、課題が山積しているのは事実だが、もしもはじめの3ホールをボギーペースで漕ぎ出していたらどうだっただろう。その後はかなり違う展開を見せていたのではないかと思う。
惨憺たるスコアを残して、私の長い長い一日が終わった。
「エピローグ」
練習ラウンドに付き合っていただき、色々とアドバイスもしてくださったフリーライターのSさんに結果を報告した際、「また来年も勝田が予選会場になったら、挑戦したい!」と意気込みを語ると、「もっと易しいコースにすればいいじゃないですか」とたしなめられた。ただ、未熟なまま怖いもの知らずで単身のりこみ、競技ゴルフに初挑戦した勝田ゴルフ倶楽部にはやはり愛着を感じてしまう。たぶん来年も私は未熟なままであろうが、勝田はその姿を変えずに待っていてほしいと思う。(完)
と、直後には書いたのだが、前述の通り今年は
4/18(火)市原後楽園ゴルフ&スポーツ の部でエントリーする予定。
以前もお話ししましたが、「もっと易しいコースにすれば」とはいっておりません。私はそんなにだいそれたことはいいません(笑)。「勝田まで行くくらいなら、千葉で近いところがありますよ」とはいいましたが。
いずれにしても、今年も頑張りましょう!
ブログがたくさんの方に支持されることをお祈りしています。
音次郎さんのチャレンジ精神にただただ感服しています。
英会話上達と同じように高いレベルでの実践がスコアアップの鍵かもしれませんね。
今年もご指導のほど、よろしくお願いいたします。(TBさせていただきました)
>ケイジさん、毎度です。
あなたこそ、アスリートゴルファーです。
練習環境にも恵まれているし。
お互いに頑張りましょう!
文章や、お子様への愛情だけでなく、ゴルフの腕前も素晴らしいのですね。お子様とのふれあいを大切にしながら、ゴルフにも精進されていることに驚愕いたしました。
様々な分野でのご活躍をこのブログで拝読できることをこれから楽しみにいたします。
「花鳥風月」またお邪魔します。
今後ともよろしくお願いします。
シモさんのページより寄せていただきました。
公式競技の緊張感は説明できないものがあるとおもいす。
わたしは 5年間ほどですがく月例競技Bクラスに参加しましたが、 第1打を打つまでの時間の長かったをいまでも鮮明に思い出され TEE グランドの情景も同じように蘇ってまいります。
故あってメンバーを外れましたが、 1人ですべてやらねばならないあの緊張感が今でも好きです。 そのためかパブリックでの初めての方とのプレーを今も続けています。 今後も精進してすばらしい体験をしてください。
友人に登録させていただいてよろしいでしょうか?
陣
競技の先達ならではの励ましに力が湧いてきました。友人登録もちろんお願いします。
シモさんは心の師匠です。技はライバルですが(笑)
いつかラウンドご一緒できたらと思います。
今後ともよろしくお願いします。