政治家の知人曰く「選挙中に倒れる候補者はいない」んだそうです。政治家(になろうとする人)は心身ともにタフな方ばかりですが、選挙は候補者にとって寝る暇もないほど超ハードワークといえど、期間中は気が張っているのでドッと疲れが出るのは終わってからのようです。だからこういうパターンは珍しいですね。
小泉進次郎氏と対決の横粂氏、新型インフル疑いで休養(asahi.com)
折りしも沖縄で新型インフルの死者が出たニュースがあり、明日が公示日のタイミングですから本人は大いに焦っているでしょう。でも逆転の発想で横粂氏はいっそのこと投票日まで一切の街頭活動をやめたらどうでしょうか。何もしないというのではなく、外に出ない代わりに政見放送と討論会に全力を傾注し、今から間に合う法定内のビラを練りに練るのです。また、各種団体や媒体から送られてくる夥しい数のアンケートや調査の類を丁寧に自ら回答するのです。元気で飛び回っている時であれば、スタッフや秘書に任せるのでありましょうが、こういうのは○×やイエス・ノーで済むものは殆どなく、結構考えて書かないといけないものが多いですから。
握手でインフルに感染するものではありませんが、検査の結果が無事であっても、横粂氏が今後人の輪の中に入っていくのを嫌がる有権者も少なくないと思うので、それを逆手にとって引きこもるのです。小泉純一郎元首相の倅に同い年の民主党候補者が挑む神奈川11区は、全国屈指の注目選挙区のため、ここまでの時点で散々報道されています。本人は「あいのり」にも出ていた人みたいですしね。少なくとも地元の横須賀では既に横粂氏の名前は相当に浸透しているでしょう。ここからラスト2週間、ワンパターンのパフォーマンスを展開するのは、意外と票を減らすだけかもしれないので、災い転じて福となすよう実験的に自粛してみるのです。
先の仙台市長選で惜しくも敗れた佐藤崇弘さんが、自身のブログで選挙の総括をしておられます。佐藤さんが指摘するように、候補者は公職選挙法に両手両足を縛られる格好になっているので、本当に歯がゆい思いをするようです。「選挙カーでの名前の連呼」と「握手」以外にやることがないので(あとは土下座くらい?)、どうしてもエスカレートしちゃうんですよね。新人は現職に比べ知名度に劣るのに、ネットも使えないわ、創意工夫の余地が殆どない。それで焦って、終盤戦はウグイスやカラスが街中を絶叫して住民の顰蹙を買うという悪循環・・・。
時間的にそろそろ日付が告示日が近づいているので、私が日頃から最もナンセンスと思う選挙の風物詩「握手」に絞って論じてみたいと思います。ニュースでもやたら握手の絵ばかりが映されますが、考えてみるとこれは不思議な悪習ですね(なんて駄洒落を云っている場合じゃないケド)。だって白昼堂々いきなり異性の手をとって両手でモミモミしちゃうなんて、選挙でもなければ痴漢で捕まるような行為ですよ。オラが地域の代表とは肌と肌が触れ合うスキンシップが不可欠だと本気で考えている人は、今や少ないんじゃないかな。
アイドルの握手会みたいにファン相手だったら、このコミュニケーションは成立しているのですが、普段から電車のつり革にも絶対に触れないようにしているという人もいるご時世で、知らない人間が握手を求めてくるのに嫌悪を覚える人もいるでしょう。単なる通行人だったら一団を避ければいいのですが、お店を開いている方は気の毒です。商店街に行くと候補者は必ず店の奥の方まで突進して手を握ってくるものですが、商人はそこでなかなか拒絶できないものです。
4年前の郵政選挙で立候補した幼なじみの手伝いをしたことは度々このブログにも書いていますが、今でも思い出すのは握手をする人を必死で探したことです。公示日の第一声を市の中心街で上げてから、桃太郎(候補者と取り巻きがのぼりを立てて街をねり歩くこと)をやったのですが、故郷は地方都市のご多分に漏れず郊外化が進んでおり、駅前は予想以上に空洞化していました。首都圏であれば、土曜日といえど駅前にはそれなりに往来があるものですが、本当にあの時はnot a soul was to be seen(人っ子一人いない)というイディオムが頭を渦巻きました。そこから皆で必死に人探しですよ。路地でぽつんと一人で歩いていた年配の女性を発見したので、候補者と走って突撃すると、その老婦人はさすがにギョッとしていました。困惑しているのにお構いなく手をとって両手で包み込んで「よろしくお願いします!」って云っても、ただキョトンとされるばかりでした。これって果たして意味あるのかしら???
候補者は丈夫なのに越したことはないですが、こんな真夏に耐久レースみたいなことをやって体を壊すのも馬鹿らしい。横粂氏以外にも体調不良の人はいるような気がします。有権者も拡声器に悩まされず静かな生活をしたいので、毎度ながら公職選挙法は改正の余地が大いにあると思います。
小泉進次郎氏と対決の横粂氏、新型インフル疑いで休養(asahi.com)
折りしも沖縄で新型インフルの死者が出たニュースがあり、明日が公示日のタイミングですから本人は大いに焦っているでしょう。でも逆転の発想で横粂氏はいっそのこと投票日まで一切の街頭活動をやめたらどうでしょうか。何もしないというのではなく、外に出ない代わりに政見放送と討論会に全力を傾注し、今から間に合う法定内のビラを練りに練るのです。また、各種団体や媒体から送られてくる夥しい数のアンケートや調査の類を丁寧に自ら回答するのです。元気で飛び回っている時であれば、スタッフや秘書に任せるのでありましょうが、こういうのは○×やイエス・ノーで済むものは殆どなく、結構考えて書かないといけないものが多いですから。
握手でインフルに感染するものではありませんが、検査の結果が無事であっても、横粂氏が今後人の輪の中に入っていくのを嫌がる有権者も少なくないと思うので、それを逆手にとって引きこもるのです。小泉純一郎元首相の倅に同い年の民主党候補者が挑む神奈川11区は、全国屈指の注目選挙区のため、ここまでの時点で散々報道されています。本人は「あいのり」にも出ていた人みたいですしね。少なくとも地元の横須賀では既に横粂氏の名前は相当に浸透しているでしょう。ここからラスト2週間、ワンパターンのパフォーマンスを展開するのは、意外と票を減らすだけかもしれないので、災い転じて福となすよう実験的に自粛してみるのです。
先の仙台市長選で惜しくも敗れた佐藤崇弘さんが、自身のブログで選挙の総括をしておられます。佐藤さんが指摘するように、候補者は公職選挙法に両手両足を縛られる格好になっているので、本当に歯がゆい思いをするようです。「選挙カーでの名前の連呼」と「握手」以外にやることがないので(あとは土下座くらい?)、どうしてもエスカレートしちゃうんですよね。新人は現職に比べ知名度に劣るのに、ネットも使えないわ、創意工夫の余地が殆どない。それで焦って、終盤戦はウグイスやカラスが街中を絶叫して住民の顰蹙を買うという悪循環・・・。
時間的にそろそろ日付が告示日が近づいているので、私が日頃から最もナンセンスと思う選挙の風物詩「握手」に絞って論じてみたいと思います。ニュースでもやたら握手の絵ばかりが映されますが、考えてみるとこれは不思議な悪習ですね(なんて駄洒落を云っている場合じゃないケド)。だって白昼堂々いきなり異性の手をとって両手でモミモミしちゃうなんて、選挙でもなければ痴漢で捕まるような行為ですよ。オラが地域の代表とは肌と肌が触れ合うスキンシップが不可欠だと本気で考えている人は、今や少ないんじゃないかな。
アイドルの握手会みたいにファン相手だったら、このコミュニケーションは成立しているのですが、普段から電車のつり革にも絶対に触れないようにしているという人もいるご時世で、知らない人間が握手を求めてくるのに嫌悪を覚える人もいるでしょう。単なる通行人だったら一団を避ければいいのですが、お店を開いている方は気の毒です。商店街に行くと候補者は必ず店の奥の方まで突進して手を握ってくるものですが、商人はそこでなかなか拒絶できないものです。
4年前の郵政選挙で立候補した幼なじみの手伝いをしたことは度々このブログにも書いていますが、今でも思い出すのは握手をする人を必死で探したことです。公示日の第一声を市の中心街で上げてから、桃太郎(候補者と取り巻きがのぼりを立てて街をねり歩くこと)をやったのですが、故郷は地方都市のご多分に漏れず郊外化が進んでおり、駅前は予想以上に空洞化していました。首都圏であれば、土曜日といえど駅前にはそれなりに往来があるものですが、本当にあの時はnot a soul was to be seen(人っ子一人いない)というイディオムが頭を渦巻きました。そこから皆で必死に人探しですよ。路地でぽつんと一人で歩いていた年配の女性を発見したので、候補者と走って突撃すると、その老婦人はさすがにギョッとしていました。困惑しているのにお構いなく手をとって両手で包み込んで「よろしくお願いします!」って云っても、ただキョトンとされるばかりでした。これって果たして意味あるのかしら???
候補者は丈夫なのに越したことはないですが、こんな真夏に耐久レースみたいなことをやって体を壊すのも馬鹿らしい。横粂氏以外にも体調不良の人はいるような気がします。有権者も拡声器に悩まされず静かな生活をしたいので、毎度ながら公職選挙法は改正の余地が大いにあると思います。
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