小学5年のとき、海洋少年団に入っていた。
そのときに「秋田博」が開催され、開催日の前日に海洋少年団として
会場に招待されて、海上保安部の巡視船「みくら(?)」で臨海の
会場に行き、パビリオン風のところの見学をさせてもらった。
そのときにこれから新しくなってくるものとして、テレビカメラが
設置されていて、テレビ画面に自分が映ってるのを見て驚いた。
また「テトラパック」なるピラミッドのような紙パックに入った
牛乳を初めて飲んだ。
後に給食でも登場したけどね。
でもなんだか並べるとやたら不便な形。
やったり流通に向かないという理由なのか、数年で見なくなったっけ。
それが、「テトラパック」というスウェーデン創業のる国際企業の
商品なんだそうで、食品用紙容器の開発・製造をしてるその会社は
今でも創業してるようだ。
あのピラミッドのような三角錐のパックは、今は「テトラ・クラッシック」
という商品名だそうな。
ところで「秋田博」としていたけど、秋田博覧会じゃなかったんだね。
どうやら「八郎潟干拓記念 秋田農業大博覧会」というのが正式名称?
開催日:1969年8月2日(昭和44年)
八郎潟は琵琶湖に次ぐ日本で2番目に広い湖で、江戸時代から小規模な
干拓が行われ、戦後、食料増産の目的でオランダの干拓の技術援助で
大規模な干拓事業が行われた。
1957年に着工し1964年(昭和39年)9月15日に「干拓式」と題する式典を開催。
国鉄の奥羽線、男鹿線の駅「土崎」から秋田港に貨物輸送のために
引き込み線があったので、それを延長し、観客を輸送するために作ったのが
臨海鉄道で、秋田博終了後はさらに向浜まで延長し、工業地からの貨物の
利用に役立てている。
というような流れなんだな。
あの海洋少年団のころは小学5年生。
まだ秋田港が護岸工事をやっていて岸では落ちてるテグスと針で「ぐんじ」が
釣れたっけ。
餌は落ちて干からびた小さな草フグやガムでも釣れた。
釣れたぐんじを小さく切って共食い。
たまにカレイやボラも釣れたり。
そのときに「秋田博」が開催され、開催日の前日に海洋少年団として
会場に招待されて、海上保安部の巡視船「みくら(?)」で臨海の
会場に行き、パビリオン風のところの見学をさせてもらった。
そのときにこれから新しくなってくるものとして、テレビカメラが
設置されていて、テレビ画面に自分が映ってるのを見て驚いた。
また「テトラパック」なるピラミッドのような紙パックに入った
牛乳を初めて飲んだ。
後に給食でも登場したけどね。
でもなんだか並べるとやたら不便な形。
やったり流通に向かないという理由なのか、数年で見なくなったっけ。
それが、「テトラパック」というスウェーデン創業のる国際企業の
商品なんだそうで、食品用紙容器の開発・製造をしてるその会社は
今でも創業してるようだ。
あのピラミッドのような三角錐のパックは、今は「テトラ・クラッシック」
という商品名だそうな。
ところで「秋田博」としていたけど、秋田博覧会じゃなかったんだね。
どうやら「八郎潟干拓記念 秋田農業大博覧会」というのが正式名称?
開催日:1969年8月2日(昭和44年)
八郎潟は琵琶湖に次ぐ日本で2番目に広い湖で、江戸時代から小規模な
干拓が行われ、戦後、食料増産の目的でオランダの干拓の技術援助で
大規模な干拓事業が行われた。
1957年に着工し1964年(昭和39年)9月15日に「干拓式」と題する式典を開催。
国鉄の奥羽線、男鹿線の駅「土崎」から秋田港に貨物輸送のために
引き込み線があったので、それを延長し、観客を輸送するために作ったのが
臨海鉄道で、秋田博終了後はさらに向浜まで延長し、工業地からの貨物の
利用に役立てている。
というような流れなんだな。
あの海洋少年団のころは小学5年生。
まだ秋田港が護岸工事をやっていて岸では落ちてるテグスと針で「ぐんじ」が
釣れたっけ。
餌は落ちて干からびた小さな草フグやガムでも釣れた。
釣れたぐんじを小さく切って共食い。
たまにカレイやボラも釣れたり。
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