愛宕神社
愛宕神社(あたごじんじゃ)は京都府京都市右京区の愛宕神社を総本社とし、全国
に約900社ある。
かつて愛宕権現を祭神としていたが、神仏分離後は多くが伊弉冉尊(イザナミ)や
軻遇槌尊(カグツチ)を祭神としている。
イザナミは日本神話の女神で、イザナギの妹であり妻である。
天地に代表される世界が初めて生まれたときの「天地開闢(てんちかいびゃく)」に
おいて神世七代(かみのよななよ)と呼ばれる七代の神が生成され、その最後に
イザナギと共に生まれた。
国産み・神産みにおいてイザナギとの間に日本国土を形づくる多数の子をもうける。
火の神軻遇突智(迦具土神・かぐつち)を産んだために陰部に火傷を負って病に
臥せのちに亡くなる。
死後、イザナミは自分に逢いに黄泉国までやってきたイザナギに腐敗した死体
(自分)を見られたことに恥をかかされたと大いに怒り、恐怖で逃げるイザナギを
追いかける。しかし、黄泉国と葦原中津国(地上)の間の黄泉路において葦原中国
とつながっている黄泉比良坂(よもつひらさか)で、イザナミに対してイザナギが
大岩で道を塞ぎ会えなくしてしまう。そしてイザナミとイザナギは離縁した。
この後、イザナミは黄泉国の主宰神となり、黄泉津大神(よもつおおかみ)、
道敷大神(ちしきのおおかみ)と呼ばれるようになった。
京都愛宕神社は山城・丹波国境の愛宕山山頂に鎮座する。
古くより比叡山と共に信仰を集め、神仏習合時代は愛宕権現を祀る白雲寺として
知られた。
火伏せ・防火に霊験のある神社として知られ、「火迺要慎(ひのようじん)」と書かれ
た愛宕神社の火伏札は京都の多くの家庭の台所や飲食店の厨房や会社の茶室
などに貼られている。
土崎愛宕神社
御祭神:火産霊神(ほむすびのかみ)
宮司:伊藤茂樹
永享10年(1438年)土崎湊城主安東康季建立、愛宕山至宝寺という。
弘治2年愛宕山舞領内をまわるを免許す。
慶長3年6月に造営あり、秋田城之介の眞筆、神額及び9石4斗3升3合を寄進す。
その後、数度類焼あり、明治12年信徒社殿を再建する。
愛宕神社(あたごじんじゃ)は京都府京都市右京区の愛宕神社を総本社とし、全国
に約900社ある。
かつて愛宕権現を祭神としていたが、神仏分離後は多くが伊弉冉尊(イザナミ)や
軻遇槌尊(カグツチ)を祭神としている。
イザナミは日本神話の女神で、イザナギの妹であり妻である。
天地に代表される世界が初めて生まれたときの「天地開闢(てんちかいびゃく)」に
おいて神世七代(かみのよななよ)と呼ばれる七代の神が生成され、その最後に
イザナギと共に生まれた。
国産み・神産みにおいてイザナギとの間に日本国土を形づくる多数の子をもうける。
火の神軻遇突智(迦具土神・かぐつち)を産んだために陰部に火傷を負って病に
臥せのちに亡くなる。
死後、イザナミは自分に逢いに黄泉国までやってきたイザナギに腐敗した死体
(自分)を見られたことに恥をかかされたと大いに怒り、恐怖で逃げるイザナギを
追いかける。しかし、黄泉国と葦原中津国(地上)の間の黄泉路において葦原中国
とつながっている黄泉比良坂(よもつひらさか)で、イザナミに対してイザナギが
大岩で道を塞ぎ会えなくしてしまう。そしてイザナミとイザナギは離縁した。
この後、イザナミは黄泉国の主宰神となり、黄泉津大神(よもつおおかみ)、
道敷大神(ちしきのおおかみ)と呼ばれるようになった。
京都愛宕神社は山城・丹波国境の愛宕山山頂に鎮座する。
古くより比叡山と共に信仰を集め、神仏習合時代は愛宕権現を祀る白雲寺として
知られた。
火伏せ・防火に霊験のある神社として知られ、「火迺要慎(ひのようじん)」と書かれ
た愛宕神社の火伏札は京都の多くの家庭の台所や飲食店の厨房や会社の茶室
などに貼られている。
土崎愛宕神社
御祭神:火産霊神(ほむすびのかみ)
宮司:伊藤茂樹
永享10年(1438年)土崎湊城主安東康季建立、愛宕山至宝寺という。
弘治2年愛宕山舞領内をまわるを免許す。
慶長3年6月に造営あり、秋田城之介の眞筆、神額及び9石4斗3升3合を寄進す。
その後、数度類焼あり、明治12年信徒社殿を再建する。
シリーズで載せる予定ですが、その中に湊城のことも載せてます。
湊城は一般的な砦としての城ではなく、居住のための場所だったのではないかという
発掘調査結果が出ています。
よって、土崎は湊城の城下町としてはなにも役目はなかったのではないかと。
町として発展したのは貿易港時代になってからのことで。
現在の町の形態は商業地として形成されたものなんだと思うよ。
寺内から土崎にかけて寺が直線状に並べられたのは秋田城を海側からの攻めに対し
守るためと言われてるから、湊城と寺の並びは関係ないだろうね。
よって山道通りも湊城に向かうことが目的だったのではないはずで。
逆に寺が途切れたところに城を造ったのかもと。
寺が途切れたところというのが「山」だったのかもしれないね。
そこで出てくるのが「日和山」という名前だ。
それはのちほどのブログにて。