壱騎町の町名の由来とされる「一騎当千の武士が住んでた場所」。
「一騎当千」とは。
一騎で千人の敵を倒すほどの強さを表した言葉で、武士の強さを
たとえた言葉だが、転じて人並みはずれた能力や技術を持つ者にも
用いられるようになった。
室町時代ころから使われるようになった言葉で、仏教の聖典にある
「一人当千」が語源とも言われる。
その「一騎」。
昔の戦国時代の戦いは「一騎打ち」が主流だったそうで。
武士は馬に乗り、お互いに名乗りあってからの戦い。
馬上からの弓の打ち合いに始まり、矢が尽きて刀を合わせる。
刀は刃こぼれして人を切れるものじゃなくなるんだと。
もちろん、矢を打ち合っても鎧の上からまともに刺さることもなく、
刀で簡単に切れるような鎧兜でもなかったようだ。
馬から落として最後の決着で切り合うのが脇差なんだと。
脇差で首を切るのが本来の切りあいだったようだ。
時代劇に出てくるような、つわものがばったばたと人を切るって
どう考えても刀がもたないし、そんなに多く切れるような刀じゃないし。
ましてや鎧の上から切られてその場で致命傷って無理だろうな。
まぁ有名な武将が戦の先陣で突っ込むはずもないけどね。
それはともかく・・
一騎当千の武士の住んでいた場所。
壱騎町は湊城の周り。
居住区としては湿地で向かない。
城の堀の周りに武士の居住区ってあんまりないだろうし。
城がなくなってからは畑に開放してもらったようだし。
城跡だから武士というのも安易かもね。
こんなことを言えば町名つけたころの大先輩たちに怒られるかな。
それより存命かどうか・・・
「一騎当千」とは。
一騎で千人の敵を倒すほどの強さを表した言葉で、武士の強さを
たとえた言葉だが、転じて人並みはずれた能力や技術を持つ者にも
用いられるようになった。
室町時代ころから使われるようになった言葉で、仏教の聖典にある
「一人当千」が語源とも言われる。
その「一騎」。
昔の戦国時代の戦いは「一騎打ち」が主流だったそうで。
武士は馬に乗り、お互いに名乗りあってからの戦い。
馬上からの弓の打ち合いに始まり、矢が尽きて刀を合わせる。
刀は刃こぼれして人を切れるものじゃなくなるんだと。
もちろん、矢を打ち合っても鎧の上からまともに刺さることもなく、
刀で簡単に切れるような鎧兜でもなかったようだ。
馬から落として最後の決着で切り合うのが脇差なんだと。
脇差で首を切るのが本来の切りあいだったようだ。
時代劇に出てくるような、つわものがばったばたと人を切るって
どう考えても刀がもたないし、そんなに多く切れるような刀じゃないし。
ましてや鎧の上から切られてその場で致命傷って無理だろうな。
まぁ有名な武将が戦の先陣で突っ込むはずもないけどね。
それはともかく・・
一騎当千の武士の住んでいた場所。
壱騎町は湊城の周り。
居住区としては湿地で向かない。
城の堀の周りに武士の居住区ってあんまりないだろうし。
城がなくなってからは畑に開放してもらったようだし。
城跡だから武士というのも安易かもね。
こんなことを言えば町名つけたころの大先輩たちに怒られるかな。
それより存命かどうか・・・
土崎の町名って、あんまり安東に由来してる名前がないような?
佐竹か田村麿か…
揉み消されたべが?(笑)
寺内から相染まで秋田湊だったし。
そのころあったのは馬苦労町くらいだろうか。
一般住民が住めるようなところじゃなかったみたいだよ。
東京にも「馬喰町」ってあるけど、「馬喰」「博労」ともいって馬や牛の良し悪しをみる人、馬や牛の売買をする人のことをそういうとか・・・
だから「馬喰町」っていったら馬や牛の売買やってたところですよね
馬苦労っていうのも字面や音からいっておんなじようなところだったのかな?城下に構えてるところが多かったようですよ
違う話ですんません
町名は町内で決めた名前。
由来も決めた方たちが言い出したことのはずで。
言い伝えや聞き覚えが基になってるのかと。
永覚町の永覚坊ってどこの寺にいたやつなのか疑問だし。
葦町が肴町になった理由もよくわかんない。
清水町だって清水が湧き出ていた場所はいろいろあったはずだから、
そこだけじゃなかっただろうし。
まぁ本来は蝦夷が暮らしてたところだから、そのころの地名があってもいいとも思うけどね。
新町の由来見れば、えびだの小魚だのはやざっこだのと出てきますね。
専売権与えられたんだすっけか?
新町が本来なら肴町?みたいな感じで(笑)
永覚坊も気になる…
安住の町に辿りし永覚坊、って灯籠さ書いてあったけども。