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小さな幸せが嬉しいなぁ~*♪

わんちゃん大好きです。

だんだん苦しくなってきて。

2017年11月07日 | 日記

腎瘻を付けてから二日経った七日の日。

尿はたくさん出てきていた。

でも腎臓の働きは依然として最悪で。

尿が出でるからといって良い訳ではないことは分かっていた。

呼吸もだんだん苦しそうになって来た。

そのため口を開けぱなしで呼吸をしているので、口の中もカラカラになっている。

口の中を湿らすスポンジで...パパさん舌を出して~湿らせるよ。と言うと

ペロペロと出したり引っ込ましたりしてふざけた。

もうほとんど口もきけないくらい苦しいのに

そんな時なのに....私たちに面白い事をして笑わせ様とした。

それがなんだかいじらしくって胸がいっぱいになって涙を流しながら笑った。

もうひとつ笑ったことがある。パパさん~ちょっと目を開けてと言うと

パッチリと大きく見開いて笑わせてくれた。

看護師さんも今日はご主人様に笑わせてもらったんですよっ。と言っていた。

この日は苦しいと言ってもそれの点滴をしてもらっていたのでまだ何とか持っていた。

ところがその点滴が切れるとまた呼吸が苦しくなってしまうというこの繰り返し。

肺にも水が溜まっていると言われた。

パパさん苦しいね。頑張ってね。辛いね。

息子は可哀想だと言っておいおいと泣き続ける。

余りにも泣く息子に...本当は余命半年って言われていたの。

今まで言わないでごめんね。パパさんにも言っていなかったんだ。

知らないで良かった...ありがとう....言われたら僕は仕事にならなかったから。

そして....

お父さん!  ぼくはいっぱい心配かけちゃったね。

ごめんね.....と叫ぶように言ってまた泣いた。

父親がもうすぐ死ぬなんて思ってもいなかった息子だから。

きっと....どうしょうもなく悲しかったんだと思う。

これまでも息子は熱心に色々と調べて父親に尽くしてきた。

それは私も驚くほどの執念の様なものだったから...

だけど....だけど...まだ死んでもいないのに..泣きすぎだよっと私と娘は思っていた。

 

この日から....

兄たちや弟からのラインが頻繁になって来た。

この後ずっと...最期の時まで生々しいラインメールが続くことになってしまった。

え....どうしてこうなっちゃったの!!!

持って数日ってどういうこと!!

泣きたい時は泣いた方がいいよっ。だけどみいやんは気丈だね。

これからすぐ会いに行くからね。

この日の午後に兄夫婦と姪たち三人が駆けつけてくれた。

このときは丁度点滴も効いてきた時だったから

ほら...パパさんが大好きな人たちが来てくれたよ。と言うと。

本の一瞬だったけど、にこっと笑ったような気がした。

夜になってますます苦しそうになって来た。

弟も少しでも楽になるようにとエネルギーを送ってくれた。

だけど....私はもう.....この日から家に帰っちゃいけないと思った。

娘と息子は出来る範囲一緒に付き添ってくれたので本当に嬉しかった。

身体の様子を計っている機械....

一晩中.....気になって仕方がなかった。

数値が悪くなると赤い点滅で警告音が病室に鳴り響いた。

それはナースステーションでも同じ様に鳴っていた。

看護師さんが慌てて様子を見に来る。

あぁ...どうなるんだろう。不安が募った。

 

 


サプリを握りしめて。

2017年11月04日 | 日記

腎瘻を付ける予定だった五日の朝....

朝の七時半ころに医療センターから電話。

手術の時間を早めたいのでこれからすぐに来ていただけますか?

あぁ....もう迫っているんだなっと思った。

急いで駆けつけると....手術の担当の先生と院長先生の二人の先生のお世話になっている

のだがどうも意見が違うらしい。

若い方の先生はすぐにでもやりたいと思っていた様だ。

院長先生のお話があった。

前にも話しましたね。腎瘻を付けたからと言っても.....

ここまで聞いた時点ですべてが分かった。

このとき娘も息子もまだ来ていなかったので自分の判断で先生にお願いするしかなかった。

前回もちょっと触れましたから重複しますが....ちょっと詳しくまた書いてみます。

お願いします。分かってはいます。ダメだという事も....

私の我儘かもしれませんが尿を出してあげたいんです。

このまま何もしないで死だけを待つことは出来ないのです。

お聞きしたいのですが.....腎瘻を付ける手術って本人の負担は大きいのですか?

部分麻酔でやるのでそうでもないですよ。

それならお願いします。....こんな会話だった様な気がする。

娘と息子が来たので母の判断は正しかったのか聞いてみると

それで良かったよっと言ってくれた。

先生にお願いしてくれてありがとうと言われた。

次の日の六日は寝て起きると意識障害が起きてしまっている様だった。

尿の毒素もすでに回っている様だったから仕方が無い事でもあった。

話の内容は仕事に行って来たと言うことだった......パパさんここは病院だよ。

それでもまだ話が出来ていたので嬉しい事だった。

息子が一度家に帰って来て病室に戻って来た。

手にはサプリがしっかりと握り絞められていた。

これを飲んで少しでも元気になって欲しい。

目には涙が浮かんでいた。

その真剣な息子の姿を見て...泣けた。

お父さんが可哀想.....このころからだったかもしれない...

息子は泣き続けた。この泣き方が半端じゃなかった。

だから私と娘はもらい泣きはしてもしっかりしなくてはと思っていた。

この日の夜ゆうじくんが来てくれた。(まさきとともやは小学生なので面会は出来ない)

じいちゃんパパさんはちょっと笑顔になった。

孫の力は大きいと実感した。