まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

惑わせたり惑わされたり

2004年08月10日 20時48分00秒 | 日々雑感
人は見かけじゃないなんてことが建て前としてもまかり通っていたのはもうずいぶんと昔。

今は誰もが人は見かけだということをわかっている。

テレビのタレントは低年齢化し、より若くより可愛い子が求められている。

ただ、見かけだけじゃ駄目というのもまた多くの人が思うことだ。

わたしは若い娘や男の子が好きだがそれは人として好きなのではなく

可愛いペットを見るような気持ちで好きなのだ。

そこにあるのは対等な人間関係ではない。

まあ向こうもこっちを「おばはん」と思ってるかもしれないからそれはおあいこね。

見かけは大事とは思うが、時に見かけバカというかおしゃれバカになってる人がいて呆れる。

10代から20代前半くらいの子に多いが、異常に鏡が好きな人。

バスに乗ると前の席で女の子が大きな鏡を取り出し前髪を直し始める。

その時間がものすごく長い。

いつまでもいつまでも直している。

でもさ、前髪なんてバス降りてちょっと風に吹かれたらすぐ崩れるんだよ?

無意味だと思わない?

そしたら道端でまた鏡を出すんだろうか。

出すんだろうな。

で、その子はようやく鏡をしまう。

と思ったら1分くらいしてまた鏡を取り出して前髪を触る。

ひょっとして病気?

こんな子いっぱいいる。

なんなんだろうね、これは。

そこまでこだわるのは他人に対してなのか自己満足なのか。

見かけといえば昔の不良はよく「見た目や服装で判断するな」みたいなことを言ったので笑ってしまったけど。

だって、じゃあなんで不良っぽい格好をするんだろう。

単に好きなファッションというにはあまりに思想を持ったファッションである。

すなわちどっからどうみても不良っぽい。

不良っぽく見られたいからそういう格好をしているんだろうに。

今でいうなら金髪で下着のようなキャミソールでジーンズから半ケツ見せてる娘が

「派手って思われたくないし、いやらしい目で見ないで」って言うようなもんだわ。

ああ、こういう娘いるかも。

一体みんな、どんな風に人に思われたくてあんな格好をしているんだろう。

人なんか関係ないわ、自分のしたい格好をしてるだけというのはあり得ない。

だって必ず人に見られることを意識しているはずだから。

ぜんぜん関係ない話になるけど、この前テレビを見ていたら

障害のある犬と障害のある子供たちの交流の様子が流れていて

わたしはこういう感動ものは好きじゃないんだけど

「どうして犬と子供たちはこんなにも打ちとけられるんでしょう」と聞かれて犬の飼い主が

「犬は人間のあるがままの姿を受け容れるからです」と答えたのを聞いてはっとした。

以前に、もしも怪我や病気で顔にひどい傷を負い、

人に凝視されるか目をそらされるかという状態になっても

犬や猫は(その他の動物も)まったく気にせず接してくれるんだろうなと思ったから。

なんでそんなことを考えたかといえばいろいろな事情で

顔の形が変わってしまったりひどいやけどを負った人たちの写真を見たから。

まあ、動物だから気にしないのは当たりまえっちゃ当たり前なんだけど。

そもそも最初っから容姿の判断などしてないし、できないし。

わたしは障害のある人を差別したりいたずらにかわいそうがったり好奇の目で見ることはしない。

ただ、差別はしなくてもやはり区別はしていると思う。

足の不自由な人、知的障害の人、健常者とは違う・・・と。

その区別に悪意はない。

目がある以上、仕方のないことだと思うんだ。

美人とそうじゃない人を区別するのとなんら変わりないのかもしれないし。

その区別もどうかと思うが。

容姿なんて気にしなければ自分も楽になれるのにね。

動物のようにはなれないね。

※でも求愛のときには動物もさまざまに自分をよく見せようとするので

やっぱり彼らも容姿はある程度気にかけてるのかもしれない。