マリアヨハンナさんのブログ

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Do Not Stand at My Grave - The History - RE-REMIX

2015年08月22日 | 同窓会・地域情報
Do Not Stand at My Grave - The History - RE-REMIX

♪”千の風になって”の英語版です。

大学時代の同期生が亡くなったという連絡が来た。
そんな年齢になったんだなっと言う感想を持つ友人が多かった。
悲しいのは、お母様がご健在でいらっしゃること。
きっと、誰よりも悲しいのではないかしら。
お嬢さん(孫)が一緒に住んでいらっしゃるのは良かった。

同期の住所やメールをまとめている私は、いつものように皆にこの悲しい連絡をメールで流し、弔電をお花とともに送った。

悲しいし淋しいけれど、何時か私も同じ様にかの国に行くのだと思い、既に、亡くなった父や親族、先生、友人達と会えることを願っている。


そう、高校時代の友人は、最初は高校2年生の時、体育の授業の後で、友人に付き添われて保健室に行った。
それが彼女を見た最後。くも膜下出血だった。まだ10代。
この時ほど泣き明かしたことはなかった。

その次は30代の時。そして40代でもそれぞれ2人が旅立った。
癌だった。親しい友人以外には明かさずに、静かに逝った。
50代の時は1カ月くらいの間に2人が脳溢血で…。
どちらも一人暮らしだった。

癌という病気に罹った友人達は、本当に悲しい心の内を秘めて、一部の親しかった友人だけにそっと伝えて亡くなることが多い。
苦しい病気だと思う。


息子の同期のお母様が40代の終わりに亡くなった。
元気で保護者会に来ていた。
その後、たまたま息子が、その家の友人が体育授業で転んで腕を骨折したというので、しばらくしてお電話をした。
お姉さまが電話に出られて、「母子ともに元気です」と言われた。
「え!」聞き違いかと思った。

数日して、彼女から電話があった。
本当に親しい友人にもとても話せないでいたが、私にならいいのではというお姉さまのアドヴァイスがあったという。
キリスト教徒なので、教会関係者はそういう人への寄り添いが出来るのではないかということで・・・。
アメリカに住んでいたことがあって、多くのアメリカ人の友人達からもそう言われたと・・・。

私にとっては初めての経験。
とっても重い感じがしたが、「直接的に貴女の助けになれるかどうかわからないけれど、命が何時までと病院で言われても、本当にいつ迄なのかは、神様だけが知っていること。私は、できる限り貴女に寄り添うことしかできないけれど、苦しいことがあったら何でも話してね。」
ということで、その日から彼女と電話やメールをやり取りし、近所に越してきたこともあって、時々、教会の道すがら寄ったり、時にはお弁当とデザートを抱えてお邪魔して、長い時間話しこんだり・・・
子どものこと、人生のこと、病気の経過のこと、家族のこと、生い立ちなどを話して・・・。
彼女は病気に対してとっても積極的に治療をしていた。
まだ中学生の子ども達二人を残すのが心苦しいので、出来る限り元気に普通の生活を送る為に、放射線治療、自然療法、免疫療法など、ありとあらゆる情報手段で、新しい治療法を得ては、全て試してみていた。
私よりも本当にしっかりとした生活をしていた。

結局、余命半年と言われたのが、3年半生きることが出来て、彼女は日々を感謝していた。
転移がますます進み、もう何もできない時になって、痛みとの闘いがあった。
ホスピスを探して、早目に入ることができた。
子ども達もしっかりと覚悟ができているし・・・と。
思い残すことはないとも・・・。
ホスピスからの最後の電話は静かだった。
モルヒネで痛みは全くないから苦しくはないし・・・と


色々な人生がある。
私の父も47年と短かった。
その時は、本当に悲しかったし、何故、こんなに早く亡くならなければならなかったのかと、神様に問う日々だった。

今は、人それぞれの命はいつまでと判らないけれども、生物である限り必ず死はやってくる。
それぞれの人生が、全て価値のあるものだったし、私達の小さな生活に何かしら良い影響を与えてくれたことに感謝したい。
そして、残された私達は、亡くなった人達の思いを代わりに持って、今度は廻りにその良い影響を与えて生き続けて行くのだと思っている。


別バージョンで・・・
Do Not Stand At My Grave And Weep - K. Jenkins ( Captioned )