マリアヨハンナさんのブログ

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高齢者の見守りと介護に関わって

2018年04月17日 | 支援

 10数年前から、知人の教会信徒の方の見守りをするようになりました。 初めは、一緒に聖歌隊奉仕と地域のママさんコーラスに参加をしているUさん(故人)が少しずつ動けなくなって、ご家族がなく一人暮らしでらしたので、少しでも練習に参加できるようにと思って練習場への車での送迎や合宿、演奏会の参加会場への送迎をしていました。 進行性のパーキンソン病でした。 次第に麻痺が進み体が動けなくなって練習にお連れするのも難しい状態になったので、練習の送迎は諦めて頂き、時々、様子を見にお宅を訪問するようになりました。

 その時に、教会福祉部(当時)の下田喜昭氏が「聖体奉仕」にいらしているのに何度か出会いました。 お宅も100歩ほどしか離れていないこともあって、氏とは連絡を取り合うようになりました。

 当時の教会の「福祉部」の中では、同じ地域に居住する高齢で体が不自由になられた方々(他の家族に信者がいない方など)を見守るために、地域ごとの「聖体奉仕者」が任命されて、お互いに顔見知りだということから、ご聖体をお持ちしたり、教会資料をお届けするようにされていました。

 7年ほど前に下田氏自身が手術などの為に身体に不安があり、また、80代になったことから、地域の聖体奉仕の役を代わって貰えないかという要請があり、主任司祭とも相談して出来る範囲でということでお役目を交代することになりました。主に、以前の旧田無教会時代からの信徒さんを中心に、氏が見守りされていた方々のお宅の訪問や資料のお届け、病院へのお見舞い、「病者の秘跡」や「終油の秘跡」の神父様への取り次ぎ、亡くなられた時には、葬儀や埋葬などの際の助言、および家族に代わって取り仕切る等。 かなり、自分の生活の許容範囲を超えているようにも思いますが、一方で学びになっていますので続けています。

 今では、当の下田氏と奥様の見守りもすることになりました。 奥様が昨年始めに病気に見舞われて体調が徐々に悪化し、認知面でも低下がみられ、頸椎の狭窄による神経麻痺が原因で昨年のクリスマスの翌々日に転倒し骨折。 その影響もあってか、元旦には誤嚥性肺炎で入院。その後、数回にわたって感染症で入退院を繰り返し、下田氏自身がその世話に追われて体調が悪化。 ご夫妻ともども苦しい日々を送られています。 氏は、それまでの見守りの経験から、このような時の為にと4年ほど前にご自宅を処分して《サ高住~サービス付き高齢者住宅》に移転引っ越したのですが、今回の奥様の病気に対応出来ない施設だというので、医師や相談員との面談、他の長期療養型病院や施設を探し見学にもお付き合いしました。 しかし、思ったような対応が出来る施設が見つからず、他人ではありますが、長年懇意にして信頼をして頂いているので、施設長に直接電話で掛け合って、なんとか、施設内の介護棟でお世話いただけないかと懇願した結果。 幸いにも方針を転換して受け入れて下さることになりました。退院後20日になりますが、介護用部屋に空きができたとのことで、今日、サ高住室から移動することに。

 この1か月ほどの間に、高齢者特有の病気や経過、施設や病院のことを知識だけでなく、実際に見てお話を聞いて学ぶことができました。 四旬節中は、「重荷を背負った感じで送り、必死に祈る時」となりました。 その間に実家の母が父の実家の菩提寺への墓参りをしたいと上京し、我が家に10数年振りで一泊、同居の義母とも卒寿の御祝をできたので、あらためて、自立が出来ている母達に感謝しました。 その代わりと言ってはなんですが、助けを必要とされている方のお役に立てて良かったなと思います。

 下の写真は、施設側が、奥様の着替えを全てして下さるにあたって、骨折した側の腕が上がらないので被りのものは着せ替えにくいとのことで、前開きの下着、洋服を用意して欲しいという要望でリフォームした下着。 手持ちの長袖前開きの枚数が相当あるので購入するのは避けて、出来る限り今あるものだけで良いというご主人のお話でしたが、これから夏に向かって半そでも必要と私自身の考えで、数枚お預かりして手縫いで半そで肌着を前開きに。 前中心で裁断し、縁カガリとレース付きバイアステープを付け、合わせ部分にマジックテープ(丸型)を付けました。

自動代替テキストはありません。

 この件のほかにも、昨年11月に高齢者施設に入られたもう一人の方の設備の購入や設置(タイルマット、テレビとブルーレイ+レコーダー、ポット他)などもしていました。 ご主人が一昨年秋に帰天後に転倒し上腕骨を骨折。 入院中は、なるべく寂しくないようにと教会の知人の方々にお見舞いに行っていただくように連絡。 私も1~2週に1回程度に行っていろんなお話をしました。 お一人で暮らすには心もとない感じでしたので、生前にご主人が高齢者施設に入られるようにと話されていたということから、強くお勧めして施設に入所。 とても人が良くって騙されやすいので、家の設備の業者に高い見積もりで工事を勧められたり、宝石詐欺にあったり、諸々のことを見守りするには問題が大きいと感じました。 ご本人は納得できなくって、暫くは、自宅に戻ることを希望されていましたが、同施設内に信徒さんが数名いらして、お一人とは平日ミサにもご一緒(送迎)し、お話も出来るようになったことや施設職員のケアを見て、腰を落ち着けようと思えるようになったとのこと。 時々、自宅に戻っては家の整理や必要なものを持ってきたりしているようです。 実は、施設は我が家から非常に近くって何かあったら自転車で5分程で行けるので好都合。

 

 『情けは人の為ならず』なんてことわざがありますけれど、人の為にその人が望んでいることに沿うように何かをして助けて差し上げることって、結局、自分自身にとっても学びになるし、いざという時の準備にもなります。 自分や自分の家族の事の為に色々とするってことは当たり前の事なんだけれど、キリスト教的には、他者のために多くの事をすることを『犠牲』と考えるのではなくって、『喜び」であり、『天の為に宝を積む』ってことになるのではないでしょうか?

 もっとも、私の場合は、自分の周りのこと(具体的には家事~特に整理)が完璧に出来ないので、きちんと自分の事をこなす方には、「自分の頭のハエも追えないのに…」なんて言われそう。 いろんな生き方があるのでしょうけれど。 私は、どうしても目の前で大変そう(苦しそう)にしている方を放っておくことはできない性分なんです。 少しでもお手伝い出来ることがあればって思ってしまう。

 この世では、”人間は一人では生きていけない”って思いませんか? 食べ物も、着る物も、暮らしていくものも、全てを自分だけでは調達しきれないし、誰かのお世話になっているんです。 お金を稼いで払っているから・・・って。そのお金は何処からやってくるの? 働く場所は誰が提供してくれるの?

 ちょっと笑える話ですけど・・・・。  選挙の啓発活動をしていた時、ある宗教団体の人達が近所のコミニティセンターで休んでいました。私が、「投票には棄権をしないでいらしてくださいね」っていったら、「私たちは、独自の考えから一般世間の事には関わらないようにしていますから」って言われました。  可笑しいと思いませんか?

休んでいるその「コミニティセンター」って、一般社会の皆様からの税金で建てられて運営されているんです。

 


《復活節第2主日*いつくしみの主日》 生け花で祈る

2018年04月10日 | 信仰と祈り

《復活節第2主日*いつくしみの主日》の祭壇生花当番

画像に含まれている可能性があるもの:花、植物、テーブル

土曜日にどんなお花が届けられているのか行くまでわからない。

お花だけを届けていただくようにいつもしているので、自宅庭の満開のドウダンツツジを”枝もの”として持って行くことを数日前に決めて、行く直前に庭から切って行きました。

いつくしみの主日ということで、淡いお花が沢山で神様(キリスト)の優しさや慈しみの心が溢れた花々。白い小花のドウダンツツジと雰囲気が合ったので良かった!!

神父様に伺って、復活祭の飾りの片脇に置くようにと言われて活けたのですけど、残念ながら、ミサ後すぐに復活飾り(写真下)は撤去されてしまいました。移動した時にちょっと左前のお花が倒れているのに気づかずに写真だけ記録として撮りました。 これも、今日は聖歌隊の練習後すぐに撤収。 先週までは高温が続いていたので、お花がすぐに傷んでしまうからです。聖歌隊の皆様にお持ち帰りいただきました。

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、室内

こちらも初金曜日ミサのために、お花の活け替えを仲間と二人でしたあとの写真。この倍以上の豪華なお花をお花屋さんが置いてくださっていました。でも、気温の高い時はすぐに腐食がすすんでしまいます。こまめに水替えや活け替えはどうしても必要ですね。今年は枝の主日から聖週間~聖なる過ぎ越しの3日間~復活の月曜日~復活第2主日までの2週間同じ飾りつけの上に少しづつ足されて行きました。祈りが増していく感じですね。神父様の思いが込められています。



どんな生き方をしたいか?

2018年04月01日 | 人生

いつも考えていることです。

大好きだった父が47歳と若くして他界。 それ以来、父の生き方を振り返り、母をどのように支えていくかを考えて40年余り。

そして、先に亡くなった親しい人たちの生き方や考え方を思い起こし、出来るだけ良いと思える部分を学びとしてきました。

父が亡くなった時には、落胆しかなく、自分の人生が呪われているのかと思いましたが、今、還暦を過ぎてみると、全ての悲しみは喜びにつながっていると思えます。 多くの人の悲しみを気遣えるし、支えることが出来ます。 苦しみや悲しみを知っているからこそ、他の方のためにも祈り、心を分かち合えます。

今、教会の高齢信徒6人の方の見守りをさせて頂いています。

今までに、2名の帰天をされた方の見守りや葬儀~埋葬までもさせて頂きました。 高齢者施設もいくつか訪問して、知らなかったことが沢山あることに気づかされました。 また、実家の母や同居の義母のためにも役に立つ情報となりました。 得た知識は、今の見守りをしている方達にも役になっています。 さらに、新しいことを知るにつけ、見守りをしているということは、自分自身も(神様から)見守られていることを実感します。

自分の境遇や思うようにいかない身体の不調を嘆き悲しむことはたやすいことです。 しかし、自分が一体何を望んで今まで生きてきたのかを思い返してみると、今ある自分は、実は、自分が臨んだ(招いた)ものだったのかもしれないと思うようになりました。

「こうあるべきだ」とか、「あらねばならない」というような自分も他人も狭い世界に縛ってしまわないで、今あるがままを感謝し、”あったこと”を”なかったこと”よりも意味のあることだと思い、自然体で受け止めるようにしたいと思います。

人は全て同じ(考え方、生き方)ではないのです。

得意なこともあれば、不得手なこともある。

ある人にとって正しいことが、他の人にとっては正しくないこともある。

ただ、お互いに場を見ながら協力して現在をより良いものにする努力を惜しまないことも大切です。

人は一人では生きていけません。誰かに助けてもらって今の自分があります。勿 論、誰かを助けていることもありますね。 その助けてくれた誰かは、もしかすると傍にいなかったかもしれないと思ったら《感謝》する・・・ですよね。


Pope Francis - The Easter Vigil 2018-03-31

2018年04月01日 | 信仰と祈り

Pope Francis - The Easter Vigil 2018-03-31

 

主の御復活おめでとうございます!

今年の四旬節中もいろんなことがありました。

見守りしている高齢のご夫妻の奥様が入退院を繰り返していらしたので、その送迎や病院関係者との面談に付き添ったりして勉強ができました。 考えることもいっぱいありました。