マリアヨハンナさんのブログ

♪昨日は 今日のために・・・今日は 明日のために・・・♪
♪人々の愛、出逢い、支え合い、未来の平和と幸福を願って♪

『キャロリング 25』のご案内 クリスト・ロアのクリスマス・イヴ

2013年10月31日 | ママさんコーラス

クリスト・ロア宣教修道女会からのお知らせ

クリストロア幼稚園卒園生、保護者、旧田無教会関係者の皆様へ

 秋が少しずつ深まってまいりました。

 初の試みとして、今年のクリスマス・イブ(ミサ)の後にキャロリング(クリスマスキャロルを歌う)をいたします。

多くの皆様のご参加をお待ちしています。

日 時: 2013年12月24日(火)

     クリスマス(降誕夜半ミサ) 午後5時30分~  司式;カトレット神父様(イエズス会)

     キャロリング         午後7時~7時30分

  曲目:きよしこの夜、 あらのの果てに(グロリア)、ランファン オー タンブー(ランパンパン) など

場 所:クリスト・ロア修道院 お聖堂(西東京市)

   事前練習をしています。 こちらにも参加をお待ちしています。

    火曜日 10時30分~11時45分 11/5・19、12/3・17 (さくら)

    土曜日 14時00分~15時15分 11/16・30、12/7・14* (すみれ)

          *12/14は合同練習

 練習には、参加できる日にいつでも来て下さい。 イブの当日には、参加できなくても、練習だけに参加するのもありです。ただし事前にそう申し出て下さればアルトとソプラノのバランスをとるのに役立ちます。幼児連れでの参加は、安全面が心配なので無理とのことです。(11/1)

ちらしは、こちら? 「caroling.pdf」をダウンロード

お問合せは  042-465-8620

 

                    


『人という字を良く見れば、支へられたり、支へたり』

2013年10月28日 | ブログ

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生花当番でした。グラジオラス、ユリ、バラ、オンシジウム、紫おんに庭の葉らん等を足しました。

今週は予定がいっぱい詰まっています。

 29日大学の同窓会支部の会議、30日聖歌隊練習、1日大学(短大)100周年(40周年)記念行事参加、2日《死者の日》ミサのオルガン当番、同日に追悼祈願に参加する高齢者の方2人を送迎、3日高校の文化祭に同窓生として参加、4日恩人の追悼「歌で送る会」参加。

 生きて活動をしていれば、多くの方たちと知り合い、学び、助け合っている事をつくづく感じます。 いろいろなことがあります。 いいこともたくさんあります。 もちろん、嫌なことも・・・。 でも、不思議と嫌なことって忘れちゃいます。 いいことばかり思い出されます。 そして、一緒に過ごしてこられたことに感謝でいっぱいになります。

 人は何時か死にます。 それが何時になるかなんてわかりません。 ただ、のんべんだらりと日々の過ぎるのを待つという生き方もあるでしょう。 けれど、”生きているんだ”ということを実感できるのは、何かしら他の人々と共に、手を取り合って活動をしている時のように思います。 ちょっと、覚悟がいるのは、必ずどこかでぶつかり合ったり、いやな思いをするかもしれないということです。 自分が犠牲になってしまうかもしれないことも・・・。 それでも、殻に閉じこもって、家の中にいて、傍観だけをして生きるよりも意義があると思います。 自分自身が成長できます。 特に、嫌だなっと思うことや、自分が犠牲になって働かされてしまったことのほうが、より成長できると思います。 多くの知識や対処法も知ることもできます。 さらに、それらの知識を他の人に伝えて助けてあげることもできます。 それにより、さらに他の方が感謝して下さることも・・・・・。

 亡くなった父方の祖母が良く歌を詠んでは(朝日歌壇にも良く入選)、短冊などに書いていました。 幼い子どもの頃に目にして何度も言われた中に、『人という字を良く見れば、支へられたり、支へたり』とありました。 人という字を分解すると、長い”ノ”と短い”丶”が支え合って文字が出来ている。 人と人は、お互いに支え合って、助け合って生きていくんだよ・・・・・って。 子どもの時には良くわからなかったが、そういうもんなんだと思って生きてきました。 結構、お嬢様でわがままな”おばあちゃま”だったらしいけれど、世の中のことをしみじみと思いながら、長年、一人で91歳まで仙人のように生きていました。 父は、祖母が亡くなった同じ年に後を追うように47歳でくも膜下出血が原因で亡くなりました。

 父が早く亡くなったので、長女の私は、なんだか責任を持って母と高校生の弟が社会に出るまでは支えなくてはと思い、肩ひじ張って頑張って生きました。 弟が社会に出たら、今度は好きな音楽(大学受験が弟の高校受験と重なったので短大英語科に行ったので)を勉強したいと専門学校に行ったり、ヤマハの指導者グレード試験の勉強をしたり、職場の合唱団のボイストレーニングにのめりこんだり・・・。 大学に編入したり。

 会社の人はいい人が多かったけれど、一番身近にいた一回り年上の女性先輩には虐められました。 口が達者な方で、自分の言いたいことだけ、自分の側からの一面的に見た感想、しかも自分にとって都合の悪いことや面白くないことだけを、毎日のように浴びせかけられました。 よほど私が良くないみたいなことを言われて、一時期周りの目がとっても気になりました。 そのうち、ノイローゼの一歩手前で、会社に行くのが嫌になりました。 朝、会社の建物が見えると、胃が急にキリキリと痛み出して、当社拒否みたいな感じになりました。 近くでそれを見ていた男性の先輩が、「なんだか、姑みたいだねぇ。すごいねぇ。」「○○ちゃんも頑張ってね」なんてそっと応援してくれました。 同期も気遣ってくれました。

  自分に自信が持てなくなり、どうして対処したらいいのか分からなくなって、知り合いの修道女に話したら、系列大学の心理学のカウンセリング(卒業生のための)をしている姪御さんを紹介してもらいました。 数か月そこに通って、「自律訓練」とかいうのをしました。 私の症状はとても軽い方で、話を聞いてもらうだけで気が楽になりました。「自律訓練」というのは、自分の心をリラックスさせるために、テープを聞きながら、嘘発見器と同じ原理の機械に手を置いて、それを繰り返すことによって、緊張状態をなくしていくものでした。

 でも、そのお姉さまがあまりに大声で赤筋立てて叫んだりするので、周りの方に迷惑かかって申し訳ないと思って、上司に素直に理由を言って移動を願い出ました。 「前任者からは、聞いていたけれど、君の方から特に申し出がなかったので、様子を見ていたんだ」って言われました。 結局、同じ部内なら好きなところにどこに行ってもいいって言われたので、中の良い友達がいるところに移動させてもらいました。

 この時に経験したことは、後々まで一番役に立ちました。 なによりも、いつでもリラックスできるようになりました。 私の場合は、なんと「お祈り(主の祈り、天使祝詞)」している時が一番リラックス状態になりました。 当たり前といえば当たり前。 子どもの頃から祈っていたのに、こんなに効果があったなんて・・・。 そして、後で行った大学で心理学の勉強をたくさんしたきっかけもこの事があったから。 精神的な病気のほかに、人格的な異常や障害などのある人のことも知ることが出来ました。 そういう人たちがどんなふうに物を捉えて、どのように理由付けをし、考えるか等々。 世の中の多くの人が一番悩みに思うことって、「人間関係」なんですね。 その時にどのように対処できたかによって、一つの経験として通り過ぎる事が出来る人もいれば、さらに坩堝にはまって、ノイローゼになり、やがてはうつ状態になり、ひきこもりにも・・・。

 私の場合は運が良かったのかもしれません。 知り合いがたくさんいて、すぐに助けてくれる知人友人が多かったです。 私自身も自分の中だけで溜め込まない性格だったので、いろいろな方法を試して、解消できました。 で、この結果、同じように悩みを持っている人たちの話し相手や、心から共感して解消方法を伝える事ができました。 自分が体験していない人が、いくら「こうしたら~ああしたら~」っていうよりも、同じ体験をした人の言葉の方がより役に立つんだなって思います。 いまでもちょっと心残りなのは、職場にいた短大の後輩が人間関係で悩んでいて、何気に声を掛けられたのに、その時は、それほど深刻なものとは知らず何も出来なかったことです。 この後輩は自殺をしてしまったというのです。

 カウンセリングに行くっていうのは、当時は、とっても話しにくいことでした。 でも、軽いうちに行った方が良いとよくわかりました。 カウンセリングといっても、結局、同年代の方だったので、おしゃべりしにお茶しに行っていたみたいでした。 母校の歴史の本(70年史?)とかを紹介してもらい、借りて読みました。 それが、遠因(見えない糸)かどうかわかりませんが、創立100周年募金委員というのを5年前に頼まれて今月いっぱいでお役が終わります。 母校の先生方や卒業生には、本当にお世話になっていますし、今後もお世話になります。

 学んできた音楽も、今も、私の支えになっています。 15年くらいは、家で近所の子どもたちに教えていました。 並行して、教会では、オルガン奉仕を25年くらいしています。聖歌隊も・・・。 コーラスも50年以上しています。 その音楽を通して知り合った人々ともず~とお付き合いをさせていただいています。
 全てしてきたことは、何も無駄になっていません。 生きているということの証しだと思います。 そして、目に見えない力が何時も助けて下さっていると思います。 これを「神」か「霊」か「亡くなった親族、知人、恩人の魂」かわかりませんが、いつも見守っていてくれることを強く感じながら生きています。

 人間だから失敗もあります。 間違いもあります。  肝心なことは、私自身が、自分の得する為だけに生きているのではないと堂々と言える生き方をしていること。 素直な思いで、周りとのバランスを考えて、祈りつつ生きていれば、必ず道が開けると判りました。


子どもたちを育てる人のこと

2013年10月22日 | 人生

 昨日(20日)、近所の修道院が経営している養護施設の施設長をしていた方の追悼ミサのオルガンのお手伝いをさせていただいた。 声楽家でもいらしたこの方。近藤 巌さん。

 なんでも、NHK東京放送児童合唱団の元代表をされていらした方とか。 同時に並行して・・・もう40年も前から、この養護施設の子どもたちに合唱を教えていらしたということです。 子ども達の心が判る人でないと、指導者は長く務まりませんね。

 ミサの最後で、ご本人の歌う「千の風になって」のCDが流れました。 とても温かく、優しい歌声でした。 伴奏は多分、この方の長男(晃司さん)か長女(真豊子さん)でピアニストの方だと思います。 ミサ後に少しだけお二人とお話しをさせていただきましたが、とても優しく温かい心のお二人で、きっとお父様もこんな方だったんだろうなあと思いました。

 長男、長女の方は、御父様の跡をついで、合唱の指導を続けてされているようです。  お話の中に、施設にいる女の子の話がでました。 この女の子は、とても人見知りで、最初に児童相談所に、各施設の施設長が集まって、引き取りについて話してた時に、「こっちにおいで・・・」と、このお父様が言ったら、他の方にはいかずに、この方の膝に座ったので、そのまま引き取って来たということです。  ちょっと太って、はにかんで、片目が不自由なこの女の子は、とても美しい声をしているのだそうです。 それで、特にお父様が、それを慈しんだそうです。 施設の合唱にも参加しているのですが、リーダーの子と気が合わないらしくて、なかなか、輪の中に入れないでいると言う話をしていました。 なんとかならないかと気をもんでいるところだとも・・・。

 すると、その時に、当の女の子が、亡くなった先生とご家族のために、感謝の気持ちをこめて是非歌いたいから、聴きにお聖堂に来て欲しいというシスターのお話し・・・。 私は、その時初めて伺ったので遠慮させていただきましたが・・・。 亡くなられたその方が何時までも子どもたちを見守って下さっていると感じました。

 いつか、この女の子が、他の子ども達と心が通い合って、一緒に美しいコーラスが出来るように祈りながら・・・帰りました。 


♪荒城の月♪(滝廉太郎作曲)ってこんなとこにも?!

2013年10月19日 | 信仰と祈り
 関町教会には、前主任司祭の所蔵していた約1000組(2000枚あまり)ほどのCD、DVDが寄贈、保管されている。
 2009年12月4日に亡くなった金井久神父様は、カトリック司祭の中でも無類の音楽愛好家で、日本の合唱指揮者や作曲家の皆様に教会音楽の講義をしていらしたと伺っている。毎年、「教会シリーズ」といって、カテドラルで演奏会(ミサ付)も行われていた。
 亡くなった後に、その所蔵CDを預かっていた他教会の方が、保存に困って東京教区内で引受先を探していたところ、たまたま、教会委員をしていた時に分類をして保管管理をできないかと現主任司祭から相談され、うっかり「出来ます」・・・と一番借りそうな予感もしたので答えてしまった。
 当初は、大学生の息子のPC入力の速さを当てにして、実際、数日で50枚ほどを入力したので、これはいけると思って夏までを目標に始めたところ、その後あっさりと”忙しくなったから出来ない”と言われて焦ってしまった。 段ボール箱15個位あっただろうか? その中は、CD/DVDだけでなく、録画VTR,録音テープ、CD-Rコピーなどがいっぱい詰まっていて、その仕分けだけでも大変なことになってしまったと思った。
 それを見ていた、他の信徒の方が、その前の主任司祭藤岡神父様にその話をしたら、「私のも持って行ってほしい」と言われたと、横に積み上げられてしまった。 内心「なんてことを頼まれてきたんだろう」と思った。ただでさえ教会委員の仕事(奉仕)で忙しくて、目の前のCD他の山も処理できそうもないのに・・・と。
 結局、2月の終わりに搬入されたものが、夏になっても片付かないのを見た他の委員が早く何とかしないと・・・と焦りだして、手伝いを申し出てくれた。
 まずは、箱の中身をいったん出して、簡単に仕分けもしないといけない。 とある一日(主日ミサ後)に、事前に聖歌隊と音楽好きの信徒の方に声を掛け、ドイツ語やフランス語、英語と音楽の内容を少しは判っていると思われる人にも大体の分類方法を説明して、ホール一杯に分類別にテーブルコーナーを作り、箱から出したものをそれぞれに積み上げる作業を設定。 保管できそうなCD・DVDとVTR、テープと、そのほかの私製のものや保管に向かないもの(これは廃棄処分に)を大まかに分けてもらった。
 多分、全てを合わせたら3000組くらいあったのかも・・・新品のCD-RやVTR・テープは、バザーで格安販売することに・・・。同じCDで、きっと、どなたかにプレゼント用に用意されたと思われる封を切ってない物も大量にあり、これも、バザー販売用にすることに。
 入力しても保管する棚がないので、購入して置き場所も決めないといけない。新築して間もない信徒会館には、スペースはまだあるので、そこに、大きなCDラックを購入して保管することに・・・。展示用にガラスケースもどこぞの教会が寄付して下さったので、そこに置こうと話したが、多分重みに耐えられそうもないので、ほんの一部のみ展示ということに・・・。
 急ピッチで、二人で少しずつ自宅に持ち帰って手分けして番号付けと入力作業をした。何しろ愛煙家だったので、古いCDはケースがかなり汚れていて、その掃除をしながら、中のCDも傷んでいたりケースは破損していたり、自宅にある使っていないCDケースに入れ替えたり、同じCDが大量にあり、仕分けの時に異なる分類に入れられたりしているので、同じものがあることを後で確かめて番号を記した付箋紙をつけたり、単純な入力作業だけで終わらなかった。
 なんとか、入力作業を一周忌までには間に合わせる事が出来た。今では、信徒の皆様に貸し出しをして好評である。私も、合唱団の次の演奏会の選曲が決まると、必ず、そこから借りて、同じ曲をいろいろな演奏家(指揮者)のものを選んで、聴き比べなどをしている。やっぱり、私が一番借りているかもしれない・・・。
  ところで、後で追加で持ってこられた藤岡神父様のCDは・・・・・というと、そのまま何も手つかずで2年間箱に入ったまま倉庫に置かれていた。 委員の任期も分類が完了した年に終わったので、仕分け義務もなくそのままになっていた。
 たまたま、高校の先輩が、新委員でCDの管理の担当になっていたので、皆様が借りやすいようにとホールに展示用に選んでほしいと言われたのでチェックをしていたら、忘れ去られている箱が目に入ってきた。 このまま置いといても誰にも聞かれずに終わってしまう。かといって、金井師所蔵のものと一緒にするわけにはいかないので、先輩に委員会で処理方法を検討していただくように頼んだ。その結果、欲しい人に格安で分けようと言うことになった。
 またまた、処理を頼まれた。
 藤岡師も金井氏同様のヘビースモーカーなので、CDの周りは煙草の煙(ニコチンやタール)による汚れで、触っただけで手が汚れる状態。入力前にひと作業を覚悟して自宅に持ち帰った。 全てのケースを、市販の油汚れ用のウェットシートで3~4回拭き、何とか汚れが手に着かない状態にするのに丸一日かかってしまった。
 やっと数を数える事に・・・100枚(組)ほどあった。その中にグレゴリオ聖歌などヨーロッパの修道院の録音の聖歌集を8枚見つけた。 現主任の稲川神父様も音楽が大好きでグレゴリオ聖歌に関心のある方なので、此の分は、神父様用にとっておいた。それを教会の受付当番の時に持って行って、受付や事務作業をしながら、中跳び等がないかをチェックするために聞いていたら・・・・・♪♪♪♪その中の一曲が始まったとたん♪♪♪♪♪
  アレ~???  これって「荒城の月」じゃないの???  一緒の部屋で事務作業をしていた若いママにも聞いてみた。
やっぱり、荒城の月に似ている曲だよね~
  っていうか、まんまじゃないですか~ ってことに。(@_@)
 階下に降りていらした、神父様にもお話しして、どうも荒城の月のメロディーの讃美歌があるんですと伝えると、「滝廉太郎の曲は有名だったから、もしかすると修道院でメロディーに歌詞をつけて作ったんじゃないのでしょうか?」ってことに・・・・・
 それで、ネットで検索したところ、ありましたありました。
ウィキペディアに「ベルギーにある、シュヴトーニュ修道院Monastère de Chevetogneで、山田耕筰編曲版が聖歌として歌われている」という記述が・・・
 
  やっぱり、そうだったんだ・・・・・
 
  
改めて、滝廉太郎ってすごい作曲家だったんだって、思い直した次第。
そのうちに、神父様の講座か何かで案内されるかもしれませんね~。

 来月11月は、カトリック教会では≪死者の月≫と言われています。 11月2日には、《死者の日》ということでミサが行われ、その中で亡くなった方々の追悼祈願をします。前述のホールのCDの展示も変わります。『レクイエム』を各作曲家、演奏家のものを並べる中に、金井神父様の追悼の意味で、定例的に行われていた「歌をきく」という講座の中で案内された曲のCDも展示するそうです。
   中古CD100枚余りを、関町教会のバザーで販売します。
   日 時 :11月10日(日) 9時半ミサ後(11時半ころから)
   1枚300円くらいです。 売上金は災害支援金他になります。
   もう一つの思い出 
 30年も前に、スペインに旅行した時のこと、アルハンブラ宮殿だったかと思いますが、広い野外ステージがありました。その”中央で話したり歌うと良く響く構造”になっているというガイドさんの説明があり、「誰かここで歌ってみてください」と突然言われました。そのとき、バス内で♪シェリトリンド-Cielito Lindo♪を私が歌っていたのを皆が覚えていて、強く推薦されて歌ったのが、♪荒城の月♪でした。もともと、声が大きい私なのですが、野外でも気も~ち良~く歌えたので、やっぱりかなり響いていたみたいですねぇ。
 

同窓会支部活動

2013年10月07日 | まち歩き

大学同窓会の市内の支部活動で、≪秋の懇親会≫というのがある。ここ4年ほどは、市内(西東京)以外の近隣支部(東久留米、小平、北多摩)と合同での活動になっている。

市内に数百人の卒業生がいるらしいが、参加者は20名程度。もっとも、働き盛りの若者はでられるはずはない。 専業主婦でボランティアをするだけの私は、勉強にもなるし、町ですれ違い助けていただくこともあるので、「一期一会」の気持ちで出来るだけ参加させてもらっている。

今年は、「平櫛田中彫刻美術館」~「四季亭(昼食)」~「小平市ふれあい下水道館」であった。

平櫛田中という彫刻家のことを、ここに行くまで知らなかった。

国立劇場のホールに大きな「鏡獅子」(故6代目菊五郎)の等身大の彫刻がある。これを製作した人である。

東京美術学校(現東京芸術大学)の教授で、107歳と長寿の方であったという。

詳しくは、小平市のHPをご覧ください。http://www.city.kodaira.tokyo.jp/kurashi/000/000122.html

美術館と同敷地内の旧邸宅(アトリエ)を見学した。そこから、徒歩10分足らずのところにある「四季亭」という京懐石料理のお店へ、玉川上水沿いをゆっくり散策して移動。写真はそこで提供されたものの一部。美味しくて、おしゃべりに夢中でメインディッシュを撮り忘れてしまった。

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食後、再び玉川上水沿いを15分ほど散策しながら、次の見学地へ・・・。

ふれあい下水道館では、下水の処理は、微生物がするようになっているとか。講義を受けて、微生物を電子顕微鏡~プロジェクターで観察し、資料展示室の見学をゆっくりした。
地下5階の下水道の中に入る(見学する)こともできる。あまりの臭いに、とても長い時間は居られなかった。普段は水深30cm程度とか、ゲリラ豪雨などでは、数メートルになるとのこと。

江戸~東京の汚水処理の歴史など、興味深い資料が多くあった。 
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 東京の地層、地下9メートルまでは、関東ローム層の赤土。
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 その下は、大きな石や貝殻など(海底)の地層を目で見る事が出来る。館内の階段の中柱が、東京の地層というのも面白い。