ぼちぼち日記

シニアの暮らし方や思い、猫たちのことなどをマイペースで記録しています。

防寒対策。

2022-12-19 21:32:06 | 暮らし
築40年は経過している我が家。
当然断熱材は入っていない。
熊本地震で一段と隙間ができて
冬になると外気温なみの寒さで、ストーブをつけていても吐く息が白い。
北海道?
いやいや九州ですね。
(´Д`)
で、今年は窓という窓にプチプチシートや断熱カーテンをつけてみたけれど、
効果はどうかな?
独りなら何もしないけれど、この冬は長女夫婦に加え、はじめて次女の彼も来るから、少しでも暖かくしたい。


そしたら今日、肌着がなくて半袖を着ていた母を不憫に思って、次女がヒートテックの肌着を沢山買ってきてくれた。
ありがとう!
明日から凍えなくてすむね。
(・・・・・て、どれだけ辛抱しているんだか・・・。保温は大事です)
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嬉しいことばかりの一日。

2022-12-18 22:39:49 | 家族
朝、郵便受けの中に、小さな箱が。
開けてみてびっくり。
わたあめがいた。


フクシママリコさんという方が描いた絵。
わたあめのために描いてくれたのかな、と思うほどわたあめそのものだった。
これは、娘たちが私のために送ってくれたもの。


わたあめがいなくなったことが、まだ信じられずにいるけれど、この絵を眺めていると、安心する。
天国はあって、わたあめはそこで楽しく暮らしているのだと、そう思える。

そして夜には長女からまた素敵なプレゼントが届いた。
六花亭のお菓子の詰め合わせ。
お菓子は大切に少しずついただこう。
きれいな缶も嬉しい。
今から何をいれようかと楽しみだ。



先週もとてもきれいなハーブティーのセットを送ってもらった。
寒い職場に持って行って飲んでいる。



そして次女からは美味しいランチとクオカード。

それもこれも、
わたあめのことで落ち込んでいる母を励まそうとしてくれているのかな。

ありがとうね。
感謝です。
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受け入れていく過程。

2022-12-14 20:31:41 | 家族
霊園に到着して、わたあめを待ってくれていた職員さんの第一声は、「真っ白なきれいな子ですね。」だった。

火葬までに行われた一つひとつすべての過程で、その人はずっとわたあめに語りかけてくれていた。

煙突からあがる煙を示しながら、その人が言った。
「今、幸福行のキップをもって旅立っていきましたよ。」


大切な家族を失い、嘆き悲しむ飼い主に寄り添うことが仕事であるこの人の行為は、まさにグリーフワークだ。


動物も人間も家族であれば同じように大切で、失った心の痛みは消えない。

自分が死ぬ時には葬式は要らないと思っていたが、これは死者のためではなく生者のためのものなのだ。



残された者は、折に触れ亡くなった家族を感じながら生きていく。
そしていつしか悲しみは癒え、温かい穏やかな思い出だけが残っていくのだと思う。
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家猫わたあめ。

2022-12-12 21:17:56 | 家族
昨夜わたあめが死んだ。
朝からタール便が出て、何度も血液混じりの嘔吐。
それでもチュールは喉をゴロゴロ鳴らして少しだけ食べた。
夕方、病院に連れて行って吐き気止めや抗生剤など、何本も注射をしたのに。
家についてからまた血の混じった液体を多量に吐いて。
それから30分もしないうちに、死んでしまった。


わたあめという名は次女がつけた。
綿のように真っ白だったから。

まだよちよちの赤ちゃんだった時に、交通量の多い夜のバイパスの植え込みから、出るに出られないところを、私が助けた。
暗くても真っ白な猫だからよく見えた。
ちょうど赤信号になった瞬間、マッハの勢いで車から降りて、逃げようとするのをわしづかみにして車に投げ込んだ。
その瞬間、信号が青に。

助けようと必死だったけれど、あんな危険なこと、よくやったと思う。
多分、この子は命に縁があったのだ。
私と出会うように出来ていたのだと思う。
それでも6歳と6か月で寿命が尽きた。



毎日高額の点滴をしに行かなければならないはずだった。
睡眠も足りていなかった。
「おかあさん、大変でしょ。もういいよ。」
わたあめは私を気遣ってくれたのかな。
死ぬ瞬間、とても苦しんだ。
でも、長患いをせず、トイレの失敗も殆どなく。
黙って耐えて、受け入れて、静かに死んでいった。



今まで出会ったなかで一番きれいで、可愛い猫。
最後も立派だったね。
あなたを見習うよ。

楽しい時間をありがとうね。


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「日々ごはん」 ⑫  著者:高山なおみ

2022-12-11 15:30:45 | 
涙がふき出した。
泣いたら、声が出てきた。
大きな声をあげて泣いた。
「あーん、あーん」
看病が終わって、お葬式が終わって、納骨式も無事終わって、神戸に帰ってきてまたひとりで暮らし、撮影も終わって。

その間、私のなかでずっと隠れていた小さい女の子がいきなり現れたみたいだった。
おかあさんがいない。
おかあさんがもういなくなっちゃった。
どこにもいなくなっちゃった。
ぼとん、ぼとんと、涙の粒も大きかった。

高山さんは長く入院されていたお母様を失くした後に、「母を送る」という小文を出した。
高山さんにはごきょうだいがいて、それぞれが連携しながら看病を続けた。
お母様は幸せだったと思う。
それでも、この文章を読むと、悲しくなる。
静かに悲しみがあふれてくる。
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