先日のこと。
体調を崩していると聞いていたおばあさん。
安否確認に訪問したところ、病院を受診するためにちょうど息子さんの車に乗りこむところだった。
そこまで深刻な様子ではなく安心する。
少し時間がずれていたら会えなかった。
電話しなきゃと思った瞬間その人から電話がかかってきたり、
何をしているのかなと思っているところに手紙やメールが届いたり。
そんな不思議な偶然は、皆少なからず体験しているのではないだろうか。
昨日は週末に亡くなったおじいさんの家に行ってお別れをしてきた。
よく転び、失禁の毎日で、奥さんはおじいさんを憎むことさえあったし、私も主治医とうまく連携できずストレスの日々だった。
でもそんなおじいさんの体調が、誰もが予想出来ないほど急激に悪化していった。
そして緊急搬送先の担当医と家族が相談した結果、延命治療はせず看取りを選択することになったのだ。
亡くなる数日前。「小言ばかり言ってごめんね」と言ったら、奥さんの手を強く握ってニコッと笑ったそうだ。
借家の決して広くはない一室。でもそこには不思議な静かさと穏やかな空気が流れていた。
おじいさん、怒られてもいつも笑っていた。
きっと奥さんを大切に思っていたのだろうな。
あまりにも急展開の現実に戸惑を隠せず、もう一度遺影に目をやると、「起きることはみな予め決められている。だから心配はしなくていいよ。」というおじいさんの声が聞こえたような気がした。
帰り道。いちょうの葉を踏みしめて歩いていたら、なぜか安心感が胸に広がっていた。
健康のことやお金のこと、この先の自分の生活や、娘たちのことなど。
そうした不安が消え、いつのまにか穏やかな気持ちに。
抗わず、素直に、今を生きるだけ。
ことが起きる前から心配したり不安になったりするのではなく、今この瞬間を大切に生きよう。
あらためてそう思った。