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☆よかった、よかった☆

白血病発病。人生一転。されど、
思いわずらうことなく愉しく生きる べし!『よかった』と前向きに生きる べし!

食べれる幸せ

2009-06-21 13:23:28 | 闘病記
入院中、病院で出された食事は、ほとんど食べれなかった。
治療が始まると、副作用で気持ち悪くなって10日ほど食べれない。

全然大丈夫な人もいれば、吐き気止めの薬で落ち着く人もいる。

私は、食べる気力もなく、配膳時に断り続けた。
たいへんもったいない。せっかく作ってもらったものを。

薬が効いて、血液検査の数値が下がってくると、毎回高熱を出し、また食べれない。

スポーツ飲料もしょっちゅう飲んでいたら、その味が気持ち悪く感じて飲めなくなり、ペットボトルのお茶も味にあきて、種類を変えていかないと飲めなかった。
何か食べないとと出してもらった、プリンやゼリーも初めは美味しく食べれても、ずっと続くと食べれない。
加熱食の入れ物を見ただけで、味がよみがえり食べれない。

数値が立ち上がってくると、元気になりやっと普通に食べれるようになるが、すぐ次の治療が始まる。
その間に1回外出許可をもらって、外食するのがとても楽しみだった。

その繰り返しで、病院の食事は、お盆を見ただけで嫌になるようになった。

今、家で食べる食事は美味しい!
美味しいと感じ、幸せに思う。
同じような献立の繰り返しでも、家のは、全然あきない。

おいしい。おいしいと食べるものは、一番身体に効いていることだろう。

ポーカーフェースは何処に・・

2008-09-18 13:23:20 | 闘病記
入院中「あれっ?」と意外だったのは、私はすごくなんでも『顔に出る』らしい。
むくみも足を押すより顔をみるだけでわかるし。
調子が良いか悪いか一目瞭然。
看護士さんと楽しくおしゃべりしてても、少し不安材料を感じると、いっきに心配モードになっているらしい。
『マルク』と聞けばたぶん顔はへの字にゆがんでるのだろう。いつも主治医は笑う。
自分では全然わからない。むしろ感情を抑えてる方だと思ってるのに・・・・。

丸ものはけっして四角いと言えない、お世辞も無理。素直(?)な性格だが。
隠れ負けず嫌いでいつもポーカーフェースを装ってる気でいてた。
おかしいなあ・・・?

普段日常もイライラしたり、ムッとくる時(あるの?とも言われるが)しっかり顔に出てるのかもしれないなあ。

できるだけ、おもしろい事、おいしいもの考えてましよう。

今年日記まだ付けてない

2008-01-06 21:05:36 | 闘病記
ブログがあるからいいんだけど。
記入するダイアリー帳がないことに気づいた。
次回マルクの結果大丈夫だったら3年日記を買おうかなあ。
一緒に入院していたTちゃんがつけていたんだ。

昨年のスケジュール帳を見てみる。
 <1日 初詣禁止!と云われたので(主治医)私は家で過ごす。
     今年も無事のりきる。これしかない  >
                          と記している。
どんな感じで過ごしたのか覚えていない。
3年前も4年前も・・・。
あまり過去のこと記憶に残せない。

でも2年前のことだけは鮮明によみがえる。

ちょうど白血球が立ち上がってきてお正月2泊3日外泊許可がおり家に帰れた。
1日1回のCVヘパロックに病院に行きながら。
まだ治療1回終えただけなのに、速く仕事に戻らなければとあせっていた。
治療の日程もできるだけつめてして速く終わらせたかった。
どんなに過酷な未来が待っているか、病気の怖さ、治療のきつさをなにも知らず。

人によって、それぞれ違うと聞いていた。
全然むかつきもなくパクパク食事をとる人もいるし、骨髄抑制時も熱も全然出ない人もいるし。
私の場合、抗がん剤は思いっきり効いて、あとのお薬(抗生剤、解熱剤、吐き気止め・・等)は全然効かなかった感じ。
毎回、高熱やトラブル発生。
自力で白血球が立ち上がると解消される。
白血球はえらいやつだ。
今はかつてない正常値内、たっぷりある。
これが心強い。
2年前の色んな人とのやりとり、感情もはっきり覚えている。
夢の中にいるようだったことも。     

トラウマ 11月末

2007-11-25 12:58:07 | 闘病記
2年前の今日、大学病院入院した。
1年前の11月末、ノロウイルスが流行っていて、ひどい胃腸炎に罹っていた。

今年は、もう何も起こりませんように・・・
『良い子にしてますから、どうぞお願いします・・・』

家にいても、気をつけていても、何をしても、なる時は成る。
運のようなものである。
神さま、仏さまに祈るしかない。

昨、昨年前、延ばし延ばしにしていた、病院行きを、何を思ったか、24日、仕事の途中で、「今、行こう」と突然きめた。
3日後には、歯を抜く予約になっていたが、それまでで、本当に良かった。
弟とHLAが一致したのも、
今、元気でいるのも、
ありがたいことに運がよかったとしか思えない。

神にも仏にも見放されたと思った時期もあったが、今は、ただ感謝のみ。

「がんばらない、がんばらない」と言い聞かせながら仕事している。
ちょっとビビリ気味の今日この頃。

まずはこの1週間無事に過ごしたい。

生き残ったもの

2007-11-13 17:50:44 | 闘病記
今朝、新聞で師匠の訃報を知る。
ショック。残念でならない。

移植後、腸を患い半年以上何も食べれない状態だった。
前回面会に行った時、「昆布茶をのんでみた」と少しずつがんばってみるって。退院後の家事のこととか話をしていた。

知り合った同じ病気の人2人共亡くなられ、私だけが生きている。

お二人とも「クリスマスまでには帰る」「年末までには退院する」と言ってたのに・・・。
しっかり希望を持っていた。それが私にも心強かった。
たまたま、それぞれ1月前に会いに行っている。
次の外来の時は何故かやめておいた。(たぶん会えなかっただろう)

ヘロヘロでも生きているのと、死んじゃっているのとは、えっらい違いを感じる。

「もうしんどいことはないね。ゆっくりやすんでね。」としか言葉がない。
また、美味しいもの食べに行こうと約束していたじゃない。

人間って弱いもんだよ。辛さは薬では治らない。
我慢しなくていいよと言われてもお医者さんにも治せないものがある。
自分で奮い立たすしかないんだよな。
めちゃくちゃに何度もなりながら、強くなる。ならざるおえない。

たくさんの人に迷惑をかけ、かなりたくさんのお金を使い、めっちゃめちゃしんどい治療を何度もしてまで生きなければいけないのか。

生き残った使命・・・、
いやもう、楽しく気楽にやっていく。
長い、短いを問わず。




希望あるイメージを

2007-11-06 09:30:07 | 闘病記
一番最初、今の大学病院へ診察に行った時、
即、『白血病』の告知を受けたが、「大丈夫。治って元気に帰られますよ。」
の先生に一言で、
なんでか、頭の中に
 <スキップしながら病院の玄関を出て行く姿>が浮かんだ。
それは、入院している間何度か現れ、意識することなく、脳の奥にインプットされたものであった。

実際には、ふらふらの這出た状態ではあったが、無事、退院できた。

今は、奥底に<再発を言われたら、かなり落ち込むだろうなあ>というのがある。
でもこれは、今より封印する。

新しい明るいイメージを持っていたい。
ん、ん・・・
いつかまた、もっと元気になって、本当の普通に戻って、夜の外出も可能になって、昔の同僚とめっちゃ美味しいお店に連れて行ってもらって、わいわい、飲んで、食べてしている姿がいいな。
これがいい。

白血病め 負けないよ!

2007-10-17 16:55:47 | 闘病記
白血病はもう今は「不治の病」ではないとは聞いたが。
長期に亘る過酷な治療。
骨髄移植をしても再発の可能性はあるというしつこい病気。
今、元気でいることを「奇跡的だね」と言った人がいるが、まさに運がよかったようなものかもしれない。
日本中で、たくさんの人が元気に完治されているのだろうが、
私は実際に出会った人は1人だけである。
たった1人ではあるが、この人の存在が大変心強い。
まったく普通で、それも激務をこなされている。
入院中、時々声をかけてもらっていて、今となればもっと細かい事とか聞いとけばよかったと思うが、私が退院する時言われた事、「笑っていって下さい。免疫もアップします」
おもしろいこといっぱい感じて、できるだけ笑って過ごしていたい。
今も病院に行って姿を見かけるだけで嬉しくなる。
優しい優しい先生である。
「僕たちが頑張るから、患者さんはがんばらなくてもいいよ」と言ってもらった。
私は、何もできないが、先生みたいに元気になって、辛い闘病中の人に希望を持ってもらえるようになりたいな。

師匠、絶対、がんばれー!

2007-10-10 15:18:04 | 闘病記
同じ病気で一緒の部屋に入院していて、私の半年後、移植された方がいてる。
私にとって編み物の師匠。とっても上手にされる。
ずっと音信不通のままで、気になっていたので、思い切って電話をしてみた。
メールを送って、返事が返ってこないまま、数ヶ月、電話をしてもいいものか悩んだが。

師匠は、治療の時は、しんどいながらも順調で、しっかり食べて、動いて、感心させてもらっていた。
移植は、しようか、すまいか迷っておられたが、ドナーもみつかり決意された。
色々質問され、心構えをされていたが、私は移植のしんどさは、全く言えなかった。元気な姿ばかりをアピールしていた。

移植後、腸に大きくダメージを患われていたが、今もなお、闘っておられる。
声を聞けて、いろいろお話できて、すごく嬉しかった。
私に「よかったね。よかったね」と言ってもらえたが、なんと言ったらいいのか、返す言葉がみつからず「ありがとう」としか言えなかった。
辛さは痛いほどわかる。けど、本人はそれ以上に辛い。
何かしてあげること、できることはない。
はやく治りますよう、祈ることしかできないのか。

私が元気いっぱいにしている事。これしかない。
今やっているクロスステッチが出来上がったら、プレゼントしに行ってみようかな。


健康診断(過去)

2007-10-07 17:16:07 | 闘病記
あちこちに『すすき』が見られ街は秋の風景に移ってきた。

部屋の整理をしていたら、以前の健康診断の結果表がでできた。

過去4年間分(それ以前はずっと受けていなかった)
すべて、「要医療」 血液と検尿でひっかかっている。
発病1年前は、会社から人間ドックも受けていた。
これといった事はないのだけど、白血球は基準値以下。
若い時から少なかった。
今さら、どうでもいいんだけれど、その気はあったのかなあ。
白血病は白血球が多いとばかり思っていたので、全然関係ないと気にしてなかった。

検査日 平成17年11月11日
 白血球数 1300

「えっ、えー!」
   
それだけが要因ではなかったが、少なすぎる

いや、この方面詳しくなかったんで・・・
かっなり少ない。
病院の加熱食、病棟以外外出禁止ラインであった。
11月24日、病院に行く(元気だけど、紙もらっていたので)まで、よく普通にやっていて、なんともなかったものだ。
びっくりした!

骨髄移植をして、今は、白血球数は4000以上になった。
かつてない数字。
これだけあれば、どんとこい!だ。って思ってしまう。
心強い! 

手と手  痛みに (回 想)

2007-08-22 13:44:47 | 闘病記
入院時、痛かった事のNO1は、気胸になった時。

麻酔の針が肺に刺さってしまい、穴から空気がもれる。
いつもとなんか違うような?・・・・なんかおかしいような?・・・
と、いう間にぐったり、
レントゲンを撮りに行き、脇に管を入れられ、何かと繋がっている。


いつものベットが何故か幅が狭く低く感じる。
眼鏡を外して見えないので、何がなんだかよけいにわからない。
非常にしんどく、痛い
夜中、再びレントゲン撮影。相部屋にポータブルだが、大きな機械がゴトゴト持ち込まれる。

やっとウトウトできた時。「太い管に変える。」と手術室のようなところに連れて行かれる。
<お願い寝させておくれー>と心の中で叫んでいた。が、またもや痛いおもい。
レントゲンを撮りながら処置される。
<もう嫌だようー。>と言いたいがしんどすぎて泣けない。
たくさんの先生がおられた。
初めての主治医のミスの応援に。
一人の先生がずっと私の手を握っていてくれてた。
これがすごく心、落ち着く。
まさに、『手当て』のパワー

これで肺は回復していく。

病室に戻ったが、より痛みが激しくなる。
何度もナースコールを押してしまった。
急いで担当医が痛み止めの薬を持ってきてくれた。
が、その時の水が入れられたコップを見て。「これ、きれい? 大丈夫?」と心の中での葛藤。
ずっと湯沸し室に置いてあったのと同じだった為、一瞬躊躇してしまった。
申し訳ないが、こんな事態の時でも、潔癖症が顔を出し驚いた。
がんばって飲んだが効果なし。

やけくそでいたら、疲れはて、座ったまま少し眠れた。

看護師さんにベットにひもを付けてもらい、それをひっぱって起きていた。
動くと痛いのでトイレもできるだけ行かないようにしていた。

はれて管を抜いてもらった時はびっくりした。
「なんという太い管が入ってたんだ

この後遺症はずっと続いた。
治療で骨髄抑制される度痛む。
絶対どうかなっているのではと疑ってならなかったが、先生はそんなはずないと言われる。CTでも確認してもらった。
神経がいかれてたのだろう。
何ヶ月もかかったが治まった。

人生で一番痛い思いだったが、あの手を握ってもらった感激は、忘れない。