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☆よかった、よかった☆

白血病発病。人生一転。されど、
思いわずらうことなく愉しく生きる べし!『よかった』と前向きに生きる べし!

ドナーとレシピエント

2008-02-21 11:22:13 | 骨髄移植
骨髄移植をした方がいいと言われ、適合するドナーを見つけるのにまず血液のHLAの検査をすることになった。
病院から特定非営利法人の研究所で調べてもらった。
弟がフルマッチでドナー、命の恩人となった。
その時兄の子供二人も調べてと言ってくれたが、お断りした。
結構お金がかかるというのもあったが、もし、候補になったら困るというのがあった。善意を無にして大変申し訳ないことだが。
娘も万一合うかもしれないと調べたが、どうぞ合いませんようにと願った。
一人でも多くの方にドナー登録を呼びかけられているのは、皆わかっているし、まして身内が患者なら、さしたいと思う、ありがたいことだけど。
自分がレシピエントとなると、本気で遠慮してしまう。
私のために、貴重な身体、時間、人生を使ってほしくないと思った。
反対にもし、自分の身内が患者になればドナー探しに必死になるだろう。
兄夫婦、姪、甥にちゃんと謝らなければと気がついた。
まだ移植でやられっぱなしの身体、やってよかったと思える時がくれば、何か自分にできること、同じ病気で苦しむ人のために何かできればと思う。

ごほうびシール → でたよシール

2007-09-07 15:21:36 | 骨髄移植
移植のため入院してまもなく、移植の先輩Kさんから、キティちゃんのシールと卓上カレンダーを頂く。
シールは、ぷくぷく膨らみがあり、ラメっぽくって、色んな形、大きさのキティとハートがたくさん、とてもかわいらしいものだった。

「しんどいけれど、いつまでも続くことはないしね。
 1日過ぎれば貼っていく事。
 ごほうびシールが全部貼り終えた頃には、きっと回復してるよ。」 と。ありがたい。

それから、毎日、一日の最後にシールを貼るのが、日課となった。
1日、1日、良くなる事と信じて。

長い1日も夜になれば、必ず朝がくる。
明日が迎えられるささやかな喜びを感じながら毎日貼っていた。

キティちゃんのがなくなれば、家にあるシールを持ってきてもらって貼り続けた。

退院しても、先が見えない不安を抱きながら、1日1日貼っていった。

そして年末になり、カレンダーがなくなった。

なぜか、それは、トイレの年間カレンダーに移行する。
今や数字の上にポムポムプリンがぎっしり並んでいる。
貼ってない日は、出なかった日。調子が悪く何度か行けば、その回数だけ重ねて貼っている。
でたよシールとなり、健康のバロメーターの1つとなっている。

きっと、いつまでも、喜んでシールを貼り続けるのだろうな。

「間宮兄弟」  GVHD

2007-07-16 10:26:21 | 骨髄移植
DVD『間宮兄弟』を観る。

原作者の江國香織さんが大好き。あこがれる女性である。
映像の方もなかなか楽しめた。
ほのぼの、非常におだやかな気持ちになれた。
<あの人誰だったかな?見たことあるし、知ってる人だけど・・・・> と、
印象的な存在だったのが中島みゆきさんだったのも驚いた。
雰囲気がとてもあっていた。


(上記とは関係ないけど)


GVHDについて

拒絶反応=GVHD(移植片対宿主病)
8ヶ月も入院にていると、今まで知らなかった医療関係の事、覚わってくる。
GVHDは移植者には必須である。
 ドナーのリンパ球が、ある日突然、今までの身体と違う事に気づき、攻撃してくる。免疫反応だが、皮膚、腸、肝臓などの正常な細胞もこわしてしまうのである。
これが、重篤になる可能性になり致命的な反応になる場合もある。
でも、軽く起こるには、白血病細胞も殺す力があるのでいい面もあるらしい。

私の場合HLAは大変まれな型だが、ありがたい事に弟と一致し、彼がドナーとなった。
真面目な姉とやんちゃな弟、性格は正反対。兄弟でもえらく違う(あたり前だが)
弟の骨髄液が入り、身体中の血が弟のものに変る。
「仲良くしようぜ」と言いたいが、徐々に『兄弟げんか』が開始される。
いつのまにか終わったところもあれば、今なお続くものもある。
身体のあちこちに黒いアザができたが、こんなになるということは、身体の中では、激戦が繰り返されたことだろう。

GVHDを抑えるのに免疫抑制剤が使われる。
少ない免疫を抑制する。感染には要、要注意となる。
徐々に減らしていくが、さじ加減が難しいらしい。
半年位から服用していない。
この薬、ネオーラルとイトリゾール(真菌感染治療)が重複してた時は結構高額になった。

強烈な治療によるダメージと移植によるGVHDで、今、身体は、ボロボロ。
これでも、この病気の最善策がとられ、順調に回復している。
身体はあちこち痛いが、少々はあたり前のこと。
たぶん、元気!である!! と、しなあかんのだろう・・・。






移植~ つづき

2007-06-27 10:30:37 | 骨髄移植
2006.7~8
 白血球が3桁になると案の定、高熱が出た。 そして案の定下がらない。
 これは、今までの治療より想定されてたので、抗生剤、バンバン作戦が開始された。慣れっこになってるはずの「血バイ」しんどい時に特には痛く感じる。「血バイはよっぽどでないと出ない」と聞いた事があるが、私は何度か出てる。よっぽどか? 体中が薬だらけになってる感覚。立つのも歩くのもしんどい。白血球が上がるまで我慢。神経まで麻痺してる感じで抗生剤の点滴を減らしてもらう。肺は大丈夫か何度もCRにポータブルレントゲンが登場。大きい機械を運んでもらって申し訳ない。
 8.2 WBC(白血球数)100
 8・7 WBC     6000  好中球43.5%  クリーン解除になる

 今回は5dayよりグラン(白血球を増やす薬)開始
   これはありがたい点滴。数値が増えるのが楽しみだった。
 
 血小板輸血 7回位
   途中アレルギー止め追加しても発疹が出て何度か中止。
   大変高価で貴重な成分なのに、もったいないが重篤になる可能性があるので破棄される。
   でもこいつは、折角入れても寿命が短くすぐまた数値減る

 胃内視鏡検査、組織生検
   初めての胃カメラ体験
   吐き気が続くので渋々受ける。
   やはり予想通り、泣きたくなる検査。しんどかった。
   途中で管を引き抜きたい思い、どこまで胃長いのだーと葛藤。
   もう二度としたくない。
   結果は心配する事特になし。

 50day 4人部屋へ移動
      やはり、ひとりぼっちじゃないのがいい。
      古巣に戻れた感じでうれしい。
      いつも、同室の人はいい人ばかりでありがたい。
      今回も知っているメンバーで気楽で楽しい。
      血液検査の数値はどうだったとか言い合い、しんどい時は何度も助けてもらい、
     良いことがあれば共に喜んでくれ、
     おいしいものを一緒に食べるのがとても幸せだった。

 9.16 退院 (今回はちゃんと先生の許可がおりてから)
      大きなGVHDも出ることなく、順調に回復

 (9.14 WBC 2900 Hb 7.0 Plts 16.7 好中球 66%)

 GVHD(ずっと続いたがいつの間にか解消)

   ・熱 ・下痢 ・吐き気 
   ・唾液が出ない ・味覚障害  ・皮膚 黒いしみ (生検)
   ・肝機能、腎機能(血液検査より)

現在 1ヶ月1外来
   処方箋 胃薬、バクタ(週2)、うがい薬 
   菌を避け、普通に家事をして生活している。
   元気

移植~

2007-06-22 09:35:05 | 骨髄移植
 大量の抗がん剤とTBIの副作用でかなりやられている。
 そこへ新たな骨髄が入り、新しいやつと前からの体が、なんか変だぞって闘ってる。生着までの辛抱

半月位は、GFOを溶いた白湯で薬を飲む以外、ほとんど食べず、飲まず。
お茶もしんどくて飲む気がしない。
なのに、嘔吐と下痢が続く。
赤ちゃんの離乳食のようなものから少しずつ食べ始める。
味覚がおかしい。唾液が出ないのでパサパサするものはムリ。
梨がおいしかった。(生ものは禁止だが皮をむくものはOK)
食欲がでてくると、食べれないのに「食べたいものリスト」をつけていた。

GVHD予防のため免疫抑制剤の点滴
 メソトレキセートは強烈口内炎ができるので、氷を口に含んでいなくてはいけない。
 冷やして、麻痺さすのかな。治療の時も氷含みがあり、途中から氷は見るだけで
 吐き気をもよおすようになり、アイスパットですると言うが、絶対氷でないとダメと泣き泣きする。涙と鼻水と嗚咽・・・でぐちゃぐちゃ。3日間30分が大変苦痛であつた。

 経口投与に変更になるが、異様な銀のカプセル。変な臭い。
 ネオーラルも飲みにくい薬だった。
 
移植先輩KさんTさんより色々アドバイス、貴婦人ご用達品の差し入れありがたかった。

皮膚、粘膜、が超ヤワになっているので、トイレットペーパー、ティッシュは上質の柔いもの。タオルよりガーゼ。部屋がHEPAフィルターですごく乾燥。リップクリーム、保湿クリームはかかせない。
 うがいは、しょっちゅうしていた。お守りのように。

しんどくても一日一日元気になっていくと信じて


2006.7 血縁者間骨髄移植実施

2007-06-20 11:48:53 | 骨髄移植
2006.7.20
 7:00~ シャワー  (毎日朝一、病棟の浴室へ。CR脱出)

 8:00~(14:00~) 吐き気止めの点滴 

 9:00~ (15:00~) TBI(放射線全身照射)最終
               行きたくないが、車椅子で連れて行かれる。
               行きは、知っている人に出会うと手をふって大丈夫アピール。帰りはぐったり。
               自分のすきなCDが聴けるので友達から借り最中はこれに集中。
               部屋に戻り唾液線をアイスノンで冷やしまくる。
 17:20~ 移植開始

 11:30  無事終了     新しい体に生まれ変わる
               ドナーとなってくれた弟をはじめ皆みんな
                に感謝 
 
 

2006.7 骨髄移植まで

2007-06-19 09:55:51 | 骨髄移植
AML(M2) 寛解にはなっているが移植はしたほうがいいと言われる。
HLA 弟とフルマッチ

  迷った。移植したら完治というわけでもなく、しなくても再発しないかもしれないし、治療時、人の3倍たいへんだったらしい私、次は何倍が襲うか不安でいっぱい。
「ドナーがいるという事は神様がしなさいという事」と言われ決意。

移植に備え、退院して1ヶ月、自宅療養

2006.7.3 入院(クリーンルーム)
       
       歯科、眼科、耳鼻科、婦人科にて事前検査
       マルク、肺機能、心エコー、ダブル心電図、
       腹部CT、レントゲン

 1回目の治療時の肺炎の跡が小さくある。これが、今回再発しないか要注意とされ、以後何度もX線撮影あり。

    CVカテーテル挿入
       これがNO1怖くてしかたない。
       今回のはダブルになったやつ。

3つの仕事(これだけは絶対するよう言われた)

   ・きちんと薬をのむ
   ・うがいをしっかりする 
   ・シャワーも毎日する
       
 7.15 前処置開始
       大量のエキドキサン抗がん剤投与  2日間
         これが人生最後の抗がん剤であってほしい
         やはり吐き気でかなりしんどい。
         しばらく何も食べれず、カロリー点滴
        
       全身放射線照射    3日間
         放射線科の人も大変親切でありがたかったが、
         これももう二度と御免だ。
         船酔いのように気持ち悪い、嘔吐
         唾液腺がやられる。唾液が出ない
         
       自己管理表 しんどいが一日の行動を記録
             体温、食事、飲量、排出量、など記入

       さすが、骨髄をからにさすだけあって、かなりのダメージ
       まさに命がけの治療である。

                      (続きは次回)