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☆よかった、よかった☆

白血病発病。人生一転。されど、
思いわずらうことなく愉しく生きる べし!『よかった』と前向きに生きる べし!

2007-08-21 09:30:25 | 闘病記
昨日母親から電話「病院はどうやった?」
20日に行く事覚えていたのに驚いた。
帰省した時、うがい薬とコップを忘れて帰ったのが気になっていたみたい。

毎回外来が終わると、電話を入れていた。
「どーもないし。」 いつもの返答。
心配かけたくないので、悪かっても言えないが、その事も承知済みだろう。

苦労続きの母を見、私の事では煩わしたくない。良い子でいたいとやってきたが、
まさかこんな大きな心配をかけるとは・・・
健康だけがとりえの私が不治の病の代名詞にかかるとは夢にも思わなかったであろう。
きっと私以上に衝撃を受けたに違いない。

子供の頃からあまり好きでなく、最近になってお互いが丸くなり、少し理解できるようになった父親。
こちらの家に来て「申し訳ない。」と手をついて頭を下げ続けたらしい。
聞いた時は涙が出た。

本当にこんなやっかいな嫁で申し訳ない。し、すごい親不孝ものである。

入院中も母は70過ぎた老体で、電車、バスを乗り継ぎ、2時間程かかって、一人ででもきてくれた。

私には2つ上にお姉さんがいたが、赤ちゃんの時病気で亡くなっている。
子供が先に逝ってしまう辛さも体験している。
その分も私は元気に生きなければ、・・・
親より長生きしなければ・・・

時々元気な声を聞かせ、明るく生きていくことが親孝行かな。




24時間テレビ と1年前

2007-08-19 09:31:13 | 闘病記
毎年恒例の24時間テレビが放送されている。

そういえば、1年前は病院のクリーンルームでみていたよなーと思い出す。

子供が「あの日あーだったね。」とか「どこどこ行った日」と何年も前の事よく覚えてるなあと感心することがあるけれど、私は、あまり過去の事、そんなに覚えてない。旅行に行っても、細かい場所はすぐ忘れる。

でも、1番始めに近くの病院に診察に行った日からは、鮮明に残っている。
その日の同僚との会話。仕事の内容。大学病院に行った一部始終。・・・・
ちょっと不思議・・・。
24時間テレビのマラソンの最後の方少しは、子供と一緒に見たなあと思い出した。
そして、入院中、病棟の看護師さん一人一人、大変お世話になった事思い出した。

以前からよく、たくさんの人にお世話になったのだから、何か自分にできる事はないかなあと考える。

この病気は入院期間がかなり長く、色んな規制もあり、行動範囲も限られ、治療もきつい。
同じ患者さんに少しでも何か自分ができることはないかなあと。

看護師さんが喜んでくれることは・・・

私が元気でいる事かな。

今はこれしか思い浮かばない。

マルク & 教授回診 (回想)

2007-07-26 09:39:55 | 闘病記
マルク(骨髄穿刺)、教授回診、どちらも何度しても慣れることなく、先入観が悪すぎ、逃げ出したくなる。


 入院中、大学付属病院なので、毎週月曜日午後は教授回診がおこなわれた。

全然、どってことないのに、「明日、教授回診があります」と言われると、なぜだかちょっと沈んでしまう。

おりこうさん,にしていなくてはいけないからかな。

沢山の医師がぞろぞろ、ベッドを取り囲むという事はなく、部屋には、教授1人と関係医師1~3人、看護師長さん、たまに学生さんがはいられるくらいで、皆、お馴染みさん。少々緊張はするが、しなくてもいい雰囲気。
「どうです?」と聞かれ、何と答えたらいいものか悩み、大抵、「大丈夫です。」
と済ましていたように思う。
クリーンルームでは、医師は白衣を脱いで入室されるので(無菌の為)部屋いっぱいになっても威圧感はない。
怖くもなんともなく、ほんの2.3分横になってるだけなのに、・・・



 マルクはこの病気にはつきもの。
もう何度も経験しているのに、前日夜より、緊張でいっぱいになる。

これより、痛い、我慢しなくてはいけない処置は他にいくつかあるのに、
マルクはまだ、ましな方かもしれない。
手順もよく知っているのに、いまだに何故だか怖い。

これをしただけで夜、熱を出していた。
身体も神経も必要以上にくたくたになってしまう。

今の主治医には言えないが、麻酔に‘貼るシール,を使ってもらった事がある。
30分前に貼っておいて、一番はじめのチクリが感じなくなる。
超怖がりの私に、大変ありがたかった。
本来、子供用に使用するものらしい。

何度もきつい治療でとことんやられ、その度、自力で立ち上がってきた、骨髄。
えらいやつだ。もう何もしないでと言いたくなる。






告 知 (回想)

2007-07-13 10:22:23 | 闘病記
「白血病です。」と言われたら、普通は、頭の中真っ白になって、泣いて、落ち込んで・・・となるものかな。

私は、あまり、病気の事で悲観的になり、泣くことはなかった。

急な入院で、家の事、仕事の事で頭がいっぱいだった。

主治医より、「昔は不治の病とされていたが、今は、治りますよ。
     元気に退院されますよ。」と言われ、

<なったものは仕方ない。とっと治して、仕事に戻るんだ!。>と、

春になれば、また元気にスキップしまくれる。
平均寿命が80歳として、まだ、倍以上の年数が生きられる。
自分は、絶対、治れる!と、ずっと信じていたからだ。

速く終われるように、治療もできるだけ、詰めてしてもらった。
移植も退院せず、そのまま続けてしてもいいと言っていた。
これは、精神的にきつくなり、最終治療で強引に退院さしてもらい1ヶ月間自宅にて療養。

抗がん剤の副作用は人によって様々。
むかつきもなく、パクパク食事できる人もいれば、ひどい人もいる。
熱も全然でない人もいる。私は、きちんと、手洗い、うがいをし、毎日シャワーで清潔にしていても、毎回高熱、トラブル発生。「治療」の「ち」を聞いただけで、気持ち悪くなっていた。早期発見であったが、そんな事関係なかった。
辛かった。月日がかかってあせった。けど、きっと元気になると信じ乗り越えられた。

たくさんの人のおかげである。

先生は私の性格をよく理解されてたのか、そんなに不安にさせる事なく、いつもにこにこして、お互いよく笑って話していた。
よく元気に退院された人の話もしてくれた。その中に私の居た会社に入社がする人がいるという。大学生時、移植されCRでがんばってレポート書いてたそうだ。
会って話してみたいな。

長い入院生活の中、何人も人が残念な結果になったのも見てきている。
この前まで、普通に歩いて元気にされてたのに・・・
自分もいつ、そうなるかもしれないとは解かっていたが怖くはなかった。それは、病気でない人でも、誰でも同じ。いつどうなるかなんてわからない。
生かされているんだ。と
生存率は移植をして倍になったが、決して多くない。
自分がどちらに入っているのかわからないが、今生きているみんなもそうである。

私は、発病してすぐ健康診断があってよかった。
  口内炎がいつになくひどく歯医者に行って、親知らずを抜く事になっていたが、その少し前に病院に行ってよかった。
 病棟の先生、看護師さん、同室になった人、みんな、良い人ばかりでよかった。
 移植ができてよかった。
 ドナーが血縁者、フルマッチ、同じ血液型でよかった。
 子供達がいい子に育ってくれててよかった。
 ありがたい事いっぱいだ。
 
みんなに感謝して、これからも生きていく。







長い夜(回想)

2007-07-11 10:55:59 | 闘病記
今は、毎日、朝6時までに目が覚め、夜9時には眠たくなる。
入院中、消灯時間は9時
テレビドラマもこれから見たいものがあるというのに。
大人で夜9時に寝る人は少ないと思うけれど。
病室は毎日21時真っ暗になる。 長い夜のはじまりだ。

なかなか寝付けない。
どれだけ、一生懸命ひつじを数えても眠りまで到達できない。
お昼にやっていたロジックの数字が頭で渦巻く。
痛い時しんどい時じっと寝ているのが苦痛になってくる。
やっと眠れても、静まりかえった病棟に小さな音でも響いて目が開いてしまう。

相部屋の時、よくごそごそして申し訳なかった。
お互い様と許してもらっていたが、治療の時は24時間点滴がつながったままで、
夜中もゴロゴロ音をたててトイレに行く。ポンプのブザーが鳴り響く。
仕方ないのだが、大変気をつかってしまう。

眠たい時に寝ればいい! お昼でもいつでもいいや。と、思ってみても
夜が長すぎる。

元気な時はちゃんと熟睡もできていた。
一番最後の治療の時は、気が狂いそうだった。
しんどくて極めつけ、麻薬系の点滴をしてもらった。そうすればすっと眠りにつけた。あまりしてもらう事はできないが、最後の方には「お願いです。半分の量でいいからあの点滴、して下さい」と点滴が大嫌いな私が訴えていた。
治療の点滴はかなり強烈に効き、解熱剤、抗生剤、吐き気止め、腸を動かす点滴はどれも効いているのかわからない感じで、繋がれっぱなしがかなりストレスになりっていた。
強い点滴もだんだん頼れなくなり、白血球が増えてくるのを待つしかなかった。

入院中、いい事もたくさんあった。でも、
毎日毎日、朝の起床時間がくるのがなかなかで、夜、暗くなるのが憂鬱。
この思い出が強すぎて入院がすごく嫌なイメージとなる。

最近は、夜中何度か目が覚めるが、腕の痛みで寝られなくなる。
でも、家では、寝られない苦痛はない。これが嬉しい。
気を使わなくていからかな。




入院中の食事

2007-07-09 09:39:52 | 闘病記
「栄養は点滴でいくらでも入れられるけれど、自分の口から食べるのは、すごく大事」とよく言われた。

わかっているけど、しんどくてできない。食べない方が楽に思えていた。
ほとんど何も食べない状態が多かった私は、胃も腸もあまり動かない、身体の機能の働きも弱り、体力も激減。ベット生活が長く、使わなくなった筋肉がおち、ふと、見た足が棒のようになっていたのには驚いた。

白血球が減っている時は、菌による感染予防に加熱したもの、レトルト食品など制限がある。
アイスクリームなどは、ハーゲンダッツのような密閉されたもの。お菓子類、個袋包装されたもの。果物は皮のむけるものか缶詰。生物、乳製品(OKな牛乳はある)豆類はダメ。
他、色々。

病院食は「加熱食」となる。
1つずつ、頑丈にラップでくるまれている。
よーく加熱されている為、緑色のものは深緑以上になり、野菜は細かく切られ、具だくさん。手間のかけられたものであるが、どうしてか食べにくい。
普段は食べない、インスタントラーメンやレトルト食品、レンジでチンして食べるものを常備しておく。どうも化学の味がして好きでないが、こちらの方が食べやすかったりする。

白血球が正常値まで上がる事のない私だが、ある程度で、「普通食」となる。
何品かの中で自分で選択でき、同部屋の人と食事の度「私はこれ食べるの」と言い合ったりして、美味しく食べれた。
入院にて2カ月程して、4人部屋に移動した時、初めて完食できた。一人で食べるのと全然違う。
普通食が食べれるのは短い期間だが、半年以上続くと最後はこれも食べたくなくなった。

月1回、血液検査を見て外出許可がで、自宅や外食でパワーを補給する。
「おうちごはん」がやっぱり一番だ。
ふりかけ、コーヒー、お茶漬、インスタント、3時のおやつ、食料を買い込み病院へ戻る。

500mlのペットボトルは、何本も運んでもらっていた。が、よく熱を出し、そればかり飲んでいた為、スポーツ飲料もお茶も同じメーカーのものは味にあきて飲めなくなった

同室の人と「どこどこのお店が良い」とか「あれが美味しい、これがいい」
とよく食べ物の話を聞くのが楽しかった。

一人部屋の時はグルメ番組を見る事が多く食べたくなったものをノートに書き並べてた。

「食べるたのしみ」は味わっていたな・・・。
今は「食べれる楽しみ」「美味しく食べれる悦び」を感じている。



入院中の趣味 あれこれ、

2007-07-04 13:35:23 | 闘病記
あまり、何もしなでいるのが苦手で長い入院中いろんな事して過ごしていた。

・本を読む   
             いつも何冊かは手元置いていた

・ねりえ  
              これをやっている人初めてと言われる。
              メンタル面でも良いらしい。

             子供が使っていた色鉛筆、36色で
              (ピンクや黄色、肌色は短く、暗い色は豊富)

             病院の売店で購入した子供用のぬりえ(これしかなかった)
             真っ白の紙に好きな色をつけていく。
             髪の毛も洋服も好きな色に仕上げていく。 濃く塗ったり、薄くしたり。
             結構難しいが、おもしろい。
             ブームになった「おとなのぬりえ」も挑戦。
         これは、見本通り塗ればいいのであまり考えないでできる。
         

・デコパージュ
          読み終えた雑誌の写真を切り抜く。大きくても2㎝角まで。
         小さい切り抜きをたくさん集める。(人物以外)
         空き箱に全面のりで張り重ねていく。
         よく見ると色んなものがまじっていて、綺麗でおもしろい。出来上がると自慢気に置いておく。
         治療点滴の時など気がまぎれてよかった。

・あみもの

      帽子、アクリルタワシ、あみぐるみ等
      同室の人と一緒にやっていた。
      かぎばり編みが手軽でよかった。
      実用的。

・ロジック
      
      今も継続して毎月「おえかきロジック」購入
      景品応募しているが、まだ当選したことはない。
      時間を忘れ集中できるのがいい。
      何度も「ほどほどにするように」令が出された。
      これをしてると大丈夫と調子のバロメーターになっていた。
      マス目の多いものができると優越感にひたれる。

・リボン刺繍

      フェリシモよりキット購入
      小さなフレーム付き、花刺繍
      CR(クリーンルーム)でやっていて、出来上がると相部屋に見せに行き
      プレゼントしたり子供部屋へ
               
・消しゴムはんこ、絵てがみ

      退院後挑戦
      あまり上手でなく、続かなかった。
      でもまた、やってみたい。

どれも時間があるからできた。なんでもしていいよと言われ、ありがたかった。
何かして気をまぎらわせていたかった。
でも、いろんな人とのおしゃべりが一番楽しかった。

プロローグ   発病

2007-06-13 11:38:45 | 闘病記
何の症状もなく、元気いっぱい忙しいが充実した日々を過ごしていたのに、突然、入院生活6ヶ月。人生何が起こるか解からないものだが、まさかのまさか・・・
思い出せば、貴重な体験、ありがたい人との出会いもいっぱいある。治療はかなりきつかった。何より沢山の人に迷惑かけた事が辛かった。身も心もヘロヘロであったが、それでも生きるべし だった。

2005.11 職場の健康診断での血液検査で病院行くように言われ近くの病院で再検査
     大学病院紹介、白血病かもしれないと言われる。
       「仕事忙しいし、ちよっとだけ片付けて行きます。」
       「ダメ。ここで紹介状書くの待つてすぐ行くように。」
          ~全然元気なのに、何、何、何?って感じ~
     大学病院へ 紹介状見ただけで、即入院
             仕事、明日から特に忙しいのに。スポ少の当番。図書館のクリスマスおはなし会でサンタ役頼まれてた。                え~そんなー

(入院時 WBC1200、Hb9.5 Pits8.1)