井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

麻生発言に思うこと

2020年01月14日 | 食べ物

 

「日本は同じ民族が同じ言語で同じ王朝を築いた」という麻生太郎氏の発言が問題になっている。

 以前ラジオを通じて「日本は単一民族の国」と発信したことがある私に批判する資格はないが、言い訳すれば、「アイヌ民族支援法」成立の遥か以前の発言であり、当時の日本人が抱いている感覚ないし概念は総じて単一民族であったし、ラジオ局から注意を受けることもなかった。麻生太郎氏にはこう発言したら、こう批判を浴びるという想像力が、その立場にしては希薄、その場の勢いで後先考えない発言があり、擁護はしないが、今回の発言がまるで的外れかというと、それはない。大和民族が、2000年に渡って一つの言葉を用い、同じ王朝を築いた」というのは事実である。

麻生氏は、「同じ民族が」と言わず、「大和民族は」とすればよかったのかもしれないが、それでも食いつきたい人たちはいるのだろう。しかし初代神武天皇以降一系でつないできたということは日本人の[〈基幹としての〉精神性の矜持を語るには外せないところではあるまいか。

なかんずく同じ言語の共有が大和民族の特性と一貫性を語るには必須だとも思われる。記紀以前に存在したとおぼしき古史古伝にある神代文字を勉強し始めている時なので、より私にはその思いが深いのかもしれない。他民族排除論ではない、ラグビーのワンチームには共感を寄せたし 矢作先生たちの「歴史を含めた日本への敬意を抱き、価値観を共有出来るなら、日本人として受け入れるにやぶさかではない」という意見に私は与する。

属する国籍や民族の次元ではない。

 

余談だが「神代文字にはコード(暗号)として情報が封じ込められている」と矢作先生たちはいう。さらには、以降は突飛ともとられかねない大胆な説だが、神代文字は銀河系宇宙から降ろされた文字である、とも。したがって神代文字は地球の成り立ち、あるいはそれ以上の情報をも含む、と。上皇陛下の手術に携わった医学博士というお立場からして、つくづく勇気のある発言だと思う。東大病院は去られたが、口をつぐんで名誉ある経歴に安住できるお立場なのに。きっと何か、やむにやまれぬ思いに背中を押されてのことだろう。私はとりわけ鳩山由紀夫氏を代表格とするスピ系の人たちのこの三次元の厳しい政治外交を等閑視した「平和教」のごとき思想がとかく根拠なき理不尽な日本叩きへと傾くのを良しとはしない。自らサイキックな資質をお持ちだとお見受けする矢作先生たちの発言に素直にうなずくのは、GHQや国際連合という名の実態は戦勝国連合による日本貶め、中韓の理不尽な言いがかりに対しても、はっきり否を表明していらっしゃるからだ。

ちなみに時の施政者による改ざんがいくらかあるとはいえ、古事記の序文には「『先代旧事本紀』や『帝記』を参考にした」とある。では記紀に先立つ古史古伝は何語を用いて書かれたのか」ということであり、そこからも神代文字存在の可能性が導かれる。

矢作先生たちによれば 神武天皇は高天原という宇宙の高次元とつながった元来平和主義者であり

「征伐」というごときことはなかったとおっしゃる。私も高天原は三次元の具体的地名ではないと思う。神話の言語は、形而上言語であり形而下のそれではない。

神々とつながっていたのが縄文人であるという矢作説によれば、日本人とは縄文人から霊的DNAを受け継ぐ存在である、とも規定されるのかもしれない。

大陸から来た者たちとの合体が弥生時代を作り、縄文人たちの作り上げた文化が格落ちして現在に至る・・というニュアンスでの発言も矢作先生にはある。世界のあらゆる文明は日本発である、とも。神々の別名は「地球外生命体である」という意味のことも述べられ、目をはじかれる思いをすることがある・・。太古神々が日本に降りた、として観察者の意識によって結果が変わる量子力学をベースに語られてもいて、物語を読み明かすような知的高揚を伴う面白さもある。

しばらく矢作先生を筆頭にこの近年続々と登場した知的グループの発言をしばらく追いかけてみたい。グループには霊能者も含む。矢作先生自身が霊能者に近い感受性をお持ちだと思うが。

文中の不備については後ほど、ということでご寛恕を乞う。