井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

テレビ画面で再会する「旧友」

2017年02月18日 | 日本語

今朝(17日)の早朝「暴れん坊将軍」の再放送で、亡き沖田浩之くんを見かけ、
胸が締め付けられる思いをしていたところへ、夜はまりこ(と私は呼び捨てだった)、こと藤真利子さんの
母親介護を伝える番組に遭遇で、はからずも「旧友」二人に再会した気分だった。

 

沖田くんは自死の道を選んだ。なんで? と残されたほうは無力感に打ちひしがれると言うが、
私はさほどの間柄ではなかったのだが、なついてくれてた子で、もうちょっとこっちから
アプローチかけてれば、何か一言言って上げることぐらいは出来たのになあ、という悔いは
ずっと残っている。それで彼が死なずに済んだと思うほど自惚れてはいないが、
せっかくのご縁をないがしろにしたような気持ちが後を引いた。

かつての東映時代劇スター、大友柳太朗さんも自死を選ばれた。
仕事を共にした役者さんたちを随分見送っているが、自ら命を絶たれたのは
沖田くんと大友さんである。

大友さんにはお会いしてないのだが、作品にかかるとスタッフに延々と長電話をなさると
聞き及んでいたので、覚悟していたのだが我が家の電話は鳴らずじまいだった。

私は3回、NHKの朝ドラを書いているがその一番はじめの作品「いちばん太鼓」は大阪の
NHK製作だったので、ロイヤルホテルのスイートにこもった。
大きな寝室と、居間のある部屋で、その居間が出演若手俳優たちの
たまり場となって、プロデューサーに内緒で夜みんなで飲みに出かけたりなど
していた。
私を連れ出そうと画策したのが、まりこちゃんだったような気がする。
その席に沖田浩之くんもいた。まりこちゃんのカラオケは「桃色吐息」だった。
歌手である岸田智史くんもいたのに、歌はまりこちゃんだけ覚えている。

ホテルの居間で、まりこちゃんと彼女が30歳になったお誕生のささやかなお祝いをした。
私も若かった。そういえば、まだ未成年だった三田寛子ちゃんもいて、将来の旦那さんにしたい夢の
像など聞いた。その後、夢にぴったりの旦那さんを得た。遊びのほうは夢の中に
織り込んでいたかどうかは知らない。夢の実現力のある子だと思う。
(当時からの癖で、いまだ子扱い)

まりこちゃんとは喧嘩するほど仲がいい、とジャニーズ事務所のメリーさんやジャニーさんに言われるほど、
仲良くしてもらっていた。しじゅう電話でも口喧嘩したり、私がお説教をくらったりしていた。
取ったばかりの運転免許で、自宅まで遊びにくてくれたこともある。
すき焼き食べたいというので、うちですき焼きをやったことがあるのだが、私がうっかり
家のものにそこら辺ではなく、きちんとした肉屋に出かけ極上肉を買ってくるよう
言っておかなかったもので、スーパーの肉で彼女は箸をつけず、もっぱら野菜ばかりを食べていた。
口がおごっていたのは、私もで二人共その世界で華やかの頂点にあった頃。
拙宅のリビングには何人ものスターさんたちが訪れた。

そのまりこちゃんが、「ママが倒れたの」と呟いた辺りから、徐々に疎遠になっていった。
介護施設を探す大変さも聞いてはいたのだが、私もその頃は母がまだ車椅子になっていず、
親身にはなれず聞き流していたのだ。
よく共に飲んだり食べたり映画に出かけたり、芝居を見たり、ジャニーズの子たちの楽屋に
遊びに行ったりしていたのだが、それもいつしかなくなった。
食事に誘うことも遠慮するようになり、そのうち私もいろいろとあって電話で最後に
話したのがもう5年前だろうか。

お母様にはお会いしたことがある。「万札で鼻をかむ人なの」とまりこちゃんは、そう評して
笑っていた。
華やかな方だった。まりこちゃんも働き盛りで暮らしは、豪勢だった。
貯金もさしてしてなかったと思う。
1カ月70万円の個室の入院費で、蓄えたお金が底をつきかといって仕事も出来ず、
という暮らしを漠然と察してはいたが、テレビで具体的に語られると胸をつかれる
思いをした。

私の知る華やかな女優藤真利子はそこにはいず、生活者としてのまりこがそこにいた。
きれいな子で、すっぴんも美しくずっとマイナス10歳の若さをキープしていた
まりこが、相応に年齢を刻んだ手を隠しもせず、全てをさらけ出しての介護記録だった。

そして、「私が殺した」と、まりこが泣く。何を食べさせる、どうすると在宅介護は全部自分で
決めねばならず、そういう意味で自分は主治医なのだと。自分が足りず、母を殺してしまったのだと
思いつめる。92歳の長命は大往生だと思うが、それでもママがひたすら好きだった娘は
自分を責めるのだ。

半端な慰めは、無用だと思う。

母親に虐待されていた娘さんたちからの、告白を非公開で頂く。
まりこちゃんのように母親が好きで、そして11年間という歳月を
女優の才能を捨てて尽くせた娘はしあわせではなかろうか。

天才的に芝居の上手い女優さんである。藤真利子にしか出来ない世界を
持っている人。魂の修羅場を経て、新たにどんな花を咲かせてくれるだろうか。
と言うのは、まだ早すぎて思いやりが薄いだろうか。でも結局、
まりこちゃんが生きる場所はそこだし、きっと再生も救いもそこにある。

テレビのオンエアの余波が冷めた頃、久々に電話して食事に誘ってみようと思っている。

お互いの絶頂期に華やかに付き合っていたのだが、共に相応に経験と年を重ねたぶん、
また違う深い話も出来るようになっているかもしれない。
飲んでいるうち、お互いキャピキャピしていた時代にワープするかもしれないし。

 

*誤変換他、後ほど推敲致します。

 


10 コメント

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頑張れ!藤真利子さん! (総太郎)
2017-02-18 13:41:34
先生、お気持ちお察し致します・・。

小生、昨晩残業で、「爆報フライデー」未見なのですが、お話を伺うだけで胸が締め付けられます・・。

小生も親しい映画関係者の皆様方から藤さん、大友さんの素敵なお話を沢山伺っているだけに、何と申してよいか・・。

先日御紹介した松方弘樹さんの著書「無冠の帝王」でも、大友さんの思い出を語られています。

沖田さんは、舛田利雄監督も「真面目で熱心な青年だった・・、本当に残念」と述べておられますね。

晩年、沖田さんは津川雅彦さんを慕われ、グランパパプロダクション所属でしたが、沖田さんの死去に、津川さんが「(普段、厳しい演技指導等をしていた為)もっと、優しい言葉を掛けてあげれば良かった・・、もう一度役者に生まれ変わって欲しい」旨、号泣されていたのが忘れられないです・・(~_~;)

藤さんは、小生も大ファンですので、
藤さんへの激励を込めて具体的なお話を投稿させて頂きますが、昔、藤さんがTBS「Gメン75」(太平洋大捜査網)にゲスト主演!
確か高久進先生の脚本で、ベトナム難民の問題をテーマにした作品なのですが、藤さんは全編見事なベトナム語で、共演の夏木陽介さん、森マリアさんらと堂々たる熱演!
海での危険な撮影や長時間の重労働にも、嫌な顔ひとつなさらず、素晴らしい大役を果たされました!
小生、大好きな作品で、その回の担当・内藤誠監督(梅宮辰夫さんの不良番長シリーズでも有名)から直接伺いましたが、内藤監督も「藤さんが本当に素晴らしかったお陰」と絶賛なさっていましたね(^_^)(内藤監督には昨日の放送のお知らせを失念したのですが)

他に、フジテレビの「飢餓海峡」も素晴らしい作品!
東映・内田叶夢監督版では、伴淳三郎さん、三國連太郎さん、左幸子さんらでしたが、
フジテレビ版では、若山富三郎先生、山崎努さん、藤真利子さんらで、今村昌平監督がプロデュース、石堂淑郎先生の脚本・浦山桐郎監督、恩地日出夫監督ら!
実は、藤さんの役柄は違う某女優さんで製作会見まで行われたのですが、どうやら山崎努さんらとのベッドシーンやヌード場面に難色を示されたようで、突然降板(-_-;)
スタッフが困り果てていた状況で、藤さんが快く御出演を引き受けて下さり、作品は大成功!
映画版に負けない素晴らしい完成度でした!

歌手としても藤さんは沢山の曲を発表されていますが、寺山修司先生作詩の「花がたみ」は特に名曲!

恐れ入りますが、是非、先生から小生の感動・激励のメッセージをお伝えして頂ければ幸いですm(__)m
(内藤誠監督も応援なさっていると思います、ついでにお父上の藤原先生も御尊敬し、藤原先生の小説・新宿警察が大好きな事も(^^))
私達ファンは、藤さんの元気な復活を応援していますと!
きっと、藤さんも井沢先生からの御連絡があれば、どれだけ、喜ばれ、大きな励みとなるか!(^_^)

そして、先生と藤さんとのまた素晴らしい新たなお仕事も実現すれば・・と願わずにおられません。

藤さんの御健康と御多幸を心よりお祈りしております!
つい、熱くなり私的な文章、思い入れ、失礼致しましたm(__)m
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Unknown (風鈴)
2017-02-18 17:25:37
藤真利子さんを初めて拝見したのは「文子とはつ」というドラマでした。香野百合子さんの気品溢れる美しさとともに藤さんの本当に野菊のような可憐な佇まいが今も記憶に残っています。

その後と~~っても活発な方でジャニーズの方と楽しく夜の街で遊んでいると自分で語っておられて「女優さんだなぁ」と感じ入ったことがあります。

しばらくお見かけしないので「気に入ったお仕事が無いのかな」と思っていたのですがお母様の介護をなさっていたのですね。。

自分の経験や周囲の方の意見を聞いておりますと
懸命に介護なさった方でも「私は十分やった、思い残すことはない」と言い切れる方はあまりおりません。
むしろ「よくなさったわ・・」と感心する方ほど「もっとしてあげられることがあったのでないか」と自分を責めることが多いように思うのです。


お母様のために使われた時間は決して無駄にならず藤さんの女優としての資質に寄与することと思います。
再び花と咲く日も必ずくることでしょう。

和服姿のうなじの美しい方です・・。
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追記 (総太郎)
2017-02-18 18:27:23
風鈴様の御言葉が嬉しくなりました!

「ふみ子とはつ」、TBSポーラテレビ小説でしたね(^^)
香野さんも藤さんも素敵でした!

藤さんへの思いは、きりがないので、一区切り致しますが(^_^;)、つい、風鈴様の御言葉に熱くなり追記してしまいましたm(__)m。

改めて、藤さんの御健勝をお祈りしております。
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泣きながら見てました。 (mai)
2017-02-18 21:04:51
昨晩の番組ですよね。
私も最期は自宅介護からの緊急入院で看取った亡母との思い出と重ねながら拝見してました。
藤さんのお母様の「おかえり、まり」で涙が止まらなくなり・・・・。
私は母の死後自分を責める日が一年余りも続き、それが原因だったか胃潰瘍になり、ついでに医師の先生が「ピロリ菌の検査をしましょう」とおっしゃるのでして頂いたら、やはりピロリ菌キャリアだったということで除去治療をして現在に至っております。
これまで生きて来た中で一番悲しかったのが母の死でした。
今でも毎日仏壇の母に、写真の母に話しかけております。
父は私が20代の時に亡くなったので、私と姉はもうみなしごになってしまいました笑
母親の存在は太陽と同じ。
晴れてて当たり前。曇っていれば「なんで今日曇ってんの。バカ?」
こんな感じで介護中でさえもずっと母に実は依存し甘えて来た自分の傲慢さが母の死後、私を逆襲したのです。
「お母さんごめんなさい。」が「お母さんありがとね。」に変わるまで3年くらいかかったでしょうか。
でも薄紙をはぐように心は次第に暖かく軽やかになって行きました。
どうか、先生もしばらくぶりで藤さんにお会いになられたら、きのう爆笑問題の太田さんがおっしゃっていたように「お母さんきっと感謝してるよ」と言って差し上げてください。
私の母は今でもよく夢に出て来てくれます。
夢の中で私は母と、ある時は大げんかをしたり、ある時は母をしっかりと抱きしめたりしています。
生きている時は好きだったり嫌いだったりした母ですが、今ではいつもいつも大好きな母が仏壇で笑って見守ってくれているような気がしております。
藤さんが番組の終わりの方で新しいドラマに出演してらっしゃいましたね。
お母様の最期を看取られ、ご立派に一仕事を終えられた藤さんのこれからのご活躍を心からお祈りしております。

もちろん井沢先生にも!
お二人ともご健康でますます頑張ってくださいませ!微力ながら遠くからいつも応援しております!

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母のこと (マユババ)
2017-02-19 08:39:22
番組は見ていませんが、亡母の事を思い出しました。それまで母はとても健康で私が小学生の時盲腸で入院した以外寝込んだ記憶はありませんが、ちょっと体調がと、1ヵ月の検査入院の間に亡くなりました。
祖母に抱き締められ横で私はただ突っ立っていたと思います。22歳でした、母47歳、祖母は69歳。
ベッドの横の引き出しには手帳が入っていました。借金、貸し借り無し、法事などしなくてよいから兄弟仲良くするように、お祖父ちゃんお祖母ちゃんを大事にしてあげてください、赤ちゃんの布団は固い綿が良いです、等々。
祖母は、親が子を思う気持ちと子が親を思う気持ちとどっちが大きいのだろうねと泣き崩れました。
私は葬儀の時もその後しばらくは涙も出なかったと思います。数年後やっと母はこの世に生まれて幸せだったのだろうか、何のために生まれて来たのだろうと考えるようになり、涙が止まらなかった時期がありました。

小学生の頃は腸が弱くよく学校を休んでいたのに母の年はとっくに超え、見せてあげられなかった孫二人は父親になっております。両親や祖父母が見守っていてくれているのでしょうね。私も子や孫の幸せを祈っているから、そうだと思います。

井沢先生の発信からは、日々の生活の流れをふと止めて、心思い巡らす時が与えられます事を感謝しています。
沈黙の話題ではコメントするのにはまとまらないほどあれこれ思わされ、遠藤周作の晩年の深い河を読み直したりしました。
これからも、平凡な私の道とは異なる道を歩かれている井沢先生からの発信を楽しみにしています。
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お返事 (井沢満)
2017-02-19 15:27:59
総太郎さん

まりこが作詞をしていたのは知ってますが実は歌は初耳で、動画をはじめて見たりなどしました。寺山修司作詞、まりこらしいマニャックワールドですね。




風鈴さん

犬と並べるのも気がひけるので書かなかったのですが、犬たちは息を引き取る最後まで見届けられましたが、介護が足りない、自分の至らなさのせいで寿命を縮めてしまったと悔いが未だ残っています。
その悔いから逃げようとは思いません。
日々詫びながら生きています。


maiさん



一度きりですが、死者と交信したことのある私は、あの世で守ってくれている・・・・はすんなり信じています。


マユババさん


いずれあちらの世界で再会なさるとき、土産話がたくさんできるよう、こちらでどうぞ十分お暮らしください。


上記にも書きましたが、お母様との交信が途切れているわけではありません。
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有り難うございます (マユババ)
2017-02-19 21:53:03
井沢先生、お言葉有り難うございました。お土産話がいっぱいできるように暮らしていきたいです。

いつもの入浴タイムは、ぬるめの半身浴で頭から汗が流れるほどキンドルでの読書タイムを楽しむのですが、今日は活字が頭に入らず、ずっと父や母の事を思い出していました。
母が亡くなった2年前に父は癌で亡くなりました。故郷を離れて学生生活を送っていた私は夏休みに帰省していた時が父との最後の時間でした。学校に戻る日、父を見舞い病室を出ようとすると、水の溜まったお腹で父は起き上がりカルピスを入れてくれました。縦のものを横にもしない何でも母に任せっきりだった父が、私は胸がつまりありがとうも言わず、またねと言って病室を出ました。もっと父の顔を見ておけばよかったと悔いのみが残っていますが、冬の寒い朝弟と競って新聞を取りに行き早く取ってきた来たほうが父の布団に入れてもらえたという楽しかった事なども思い出し、喜んだり悲しんだりしながら多くの普通の人間がこの社会を造り上げているんだなあ、この社会を日本を絶対に守らなければと、今日のブログ記事に思いが飛んだり、です。
母はあの時代にワッフルやドーナツを作ってくれていました。たらいにブドウを一杯入れ手でぶちぶち潰しぶどう酒を作るのを手伝わせてくれました。パリパリに糊のついたシーツを引っ張りあって伸ばすときわざと滑って転がる私を笑っていた母も思い出しました。昭和は貧しかったけれどもよき時代だったなあと思います。
古い映画で、病気の夫と乳飲み子を抱えて懸命に働いている若い母親に、見かねた民生委員の人が、少しはお役所に頼ったらどうかねと声をかけると、バカにするんじゃないよ、貧しくても誰の世話にもならず自分の手で家族を養ってるよ、と言い返している光景があったのを思い出しましたが、時代は変わってしまったのかなあ?こんな母親に育てられた子供はどんな苦労も乗り越えられるだろうなと思うのは、ただの郷愁に過ぎないのかなあ、と、次々と昔を思い出す夜となりそうです。

善き日本が守られますよう、戦争ではないけれども、闘いを今の日本人はしなければなりませんね。
返信する
改めて、藤さんに激励です (総太郎)
2017-02-20 00:04:03
先生、皆様方、こんばんは。
mai様、マユババ様らの大切な思いに頭が下がりますm(__)m

小生も自身の体験を皆様方に御報告しておりますが、
大切な思いは必ずや天上に伝わっている筈と信じておりますので、小生も皆様方の御家族・お母様方の安らかな眠りを心よりお祈りさせて頂きます・・。
藤さんには、決して御自身を責めないで頂きたい思いですので、先生からもくれぐれも私達ファンの思いをお伝え頂ければ幸いですm(__)m

あれから、藤さんの情報・wiki等、確認させて頂きましたが、「あれも良かった!(^^)これも良かったな!(^_^)」と改めて思い出す素晴らしいお仕事の数々!(^^)
(昨日は素の記憶で投稿致しましたので(^^;)

藤さんも和服・着物姿が似合う素敵な方ですよね!
フジテレビ「江戸の激斗」(雪の名なし橋)も忘れられないせつない作品。

「いちばん太鼓」「外科医有森冴子」ゲスト等、先生ともゴールデンコンビですし、
日本テレビ・土曜グランド劇場・水谷豊さん主演「あんちゃん」も忘れられない名作!
水谷さんが自ら主題歌も歌われ、奥様・伊藤蘭さんの御結婚のきっかけとなった共演作品ですが、
実家がお寺で跡継ぎながら、東京で女子プロレス団体マネージャーの仕事をされていた水谷さんが、お父様の急逝と共に田舎の実家にUターン。
地元で"あんちゃん"と慕われる水谷さんを待ちわびていた個性的で素敵な友人・仲間達!
藤さん始め、岡本富士太さん、三浦洋一さん、寺田農さん、ピーター(池畑慎之助)さん、
東千代之介さんに村田英雄さんも!
水谷さんのお母様が淡島千景さん、妹が伊藤蘭さん(^^)
毎回、色々な騒動が巻き起こりながら、心暖まる反面、人間の悲しい場面も見せて下さるヒューマンなホームドラマ。
松田優作さん、山下真司さん、阿藤海さんらもゲストで登場する豪華ぶり!
藤さんが素敵なヒロイン・存在でしたが、最終回は大友柳太朗さんをゲストに迎え、尊厳死・安楽死問題がテーマの「ブルートレイン、極楽行き!」
余命を悟った孤独な老人・大友さんに寄り添い死を看取る水谷さんの姿には涙が溢れました・・!
金子成人先生の脚本・吉野洋さんの演出でしたが、雨宮望さん、高井牧人さんらも参加されて
いて、出来れば、是非、井沢先生にも参加して頂ければ理想でしたね・・。

藤さんのアルバム「狂操曲」は桁外れに豪華な顔触れで驚愕致しました!(未所有でしたので)
辻井喬(堤清二)さん、沢田研二さんらで、藤さんの人徳でしょうね(^_^)
小生、先生とは逆で、あれだけ藤さんが作詩を担当されていた事を存じあげず驚愕(*_*)
萩原健一さんの作品・アルバムは所有していたので存じていましたが。

最近は直ぐにネットで調べられるので、確かに便利になりましたね(^^;
昔なら、図書館・資料検索も一苦労。
一昨晩の「朝日ジャーナル」もたまたま、小生の記憶・印象が強く、尚且つ直ぐに自宅で見つける事が出来ましたが、小生も蔵書は膨大で何処に何があるやら、不明も度々(苦笑)

山口敏夫さんの経歴、当時のお立場・詳細もヒ素ミルク事件被害者の皆様方のホームページで
確認出来たのが幸いでしたが、ネットがなければ中々、誤りに気付きにくかったですm(__)m

それだけに、井沢先生がwikiの記載の在り方を仰るのは当然ですね(-_-;)。

寺山修司先生の奥様・九條今日子様にも生前暖かい御言葉を掛けて頂き、生涯忘れられない思い出です。
寺山先生の思い出話に花が咲き、「寺山を総太郎さんに会わせてあげたかったわ(^_^)」
持参させて頂いた小生のつまらないプレゼントを笑顔で開けて下さり、お会いした際の小生のスーツや服装まで褒めて頂き、恐縮するばかり・・(^_^;)
天上で寺山先生と再会されておられるだろうか・・、お優しい笑顔が忘れられないです・・。

寺山先生も藤さんのファン・サポーターのようなお気持ちだったと思います。

どうか、先生には藤さんの大切な御友人・理解者として、末永くお側にいてあげて下さる事を心より願っておりますm(__)m
藤さん、頑張って下さい!
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総太郎さま (マユババ)
2017-02-21 21:53:23
総太郎さま、わざわざお声をかけてくださり有難うございました。
この世で、お会いもしたこともない方がお祈りくださっていることに、出会いの不思議さと有り難さを感じました。
今日もまだ余韻が続き母との思い出があふれ出ています。
薄すぎるカルピスはケチ臭いけど濃過ぎるのも下品よ、と言われたことなど思い出し、笑ってしまいました。子供に何を言ってるのでしょうね。

これも、井沢先生の言われる、母との交信でしょうか。
総太郎さま、井沢先生、お礼まで。 
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マユババ様へ (総太郎)
2017-02-22 09:35:21
こちらこそ、ありがとうございますm(__)m

マユババ様を残され、旅立たれた御両親もどれだけ無念だったか・・(~_~;)
お母様が残されたメモはせつないですね。

しかしながら、きっと天上から見守ってらっしゃると思います!
先日御紹介した松方弘樹さんの遺稿集「無冠の帝王」ですが、
松方さんのお母様・水川八重子さんが御逝去後、東映京都で撮影中の松方さんが、必ず決まった時刻になると殆んど金縛り状態で、台詞が出てこなくなる異常な現象が収まらず、悩んだ松方さんがスピリチュアルの方に相談。
「お母様が心配され、当時私生活でもトラブルを抱えた松方さんの傍を離れられない状態」との霊査結果。
除霊なさり解決したそうですが、その現象が起きていた時刻はお母様の御逝去の時刻!
松方さんは霊の存在を絶対に確信され、以後、御両親の亡き御霊の為にも俳優としての奮起を改めて決意なさったそうです!(涙)

小生もお慕いしていた亡きお方の事を片時も忘れた事はありませんし、そのお方に必ず再会した時に、「総太郎さんはよく頑張っていたね!見ていたよ!」と言って頂けるように、頑張りたい気持ちです!

マユババ様もどうかこれからも、大切な方々の為にも、御自身の幸せを大切に充実した生活をおくられるよう願っております(^_^)!

井沢先生のお陰で、こうして皆様方と暖かいやり取りが出来るのも一つの御縁の筈・・。
これからも宜しくお願い致します。

先生、場をお借りして失礼致しましたm(__)m
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