逆移住編:マレーシアから日本へ、驚き桃の木どうする気。快傑ハリマオ

ジイの毎日新発見伝!暮らしの中の再発見、人生いろいろあるけどあったけど今をゆっくり前向きに生きていきたいな。

④野口英世の博物館に行って来た。野口英世の生家にも。世界を駆け抜けた医学者

2022年12月12日 | 町・街の旅とお店

           

          

PVアクセスランキング にほんブログ村

 

④野口英世の博物館に行って来た。野口英世の生家にも。世界を駆け抜けた医学者

 

入館料が800円だったけど、一度は日本の偉大な医者・学者の彼の

生家も見ておかねば。館内で彼のロボットがいろんな質問に答える

 

1876年(明治7年)に福島県猪苗代に生まれた野口英世は、1歳半の

左手に大きな火傷を負ってしまった。後に左手手術に成功した

ことにより、彼の医学に対しての興味向学心が沸き起こりアメリカ

に渡り、そして、世界で活躍した。

 

今回の東北の旅で思い出したけど、ワタクシが子供の頃、野口英世

伝記の白黒の映画を観た記憶が蘇ってきた。

 

その中では、確かに囲炉裏の火に手を入れてしまったのだった。

彼は、1928年(昭和3年)に西アフリカで黄熱病の研究中に感染して

51歳で亡くなった。・・・ノーベル賞の候補にも挙がったのです。

 

手前の数個の質問ボタンを押すと、それについて、身振り手振りで

英世が答えるという仕組みだった。室内に入ったら、右の女性が

熱心にボタン、押しまくっていた・・・・

 

 

館の隣にあるこれが彼の生家で、そのままに保存されています。

 

田舎の昔懐かしい「厠=トイレ」ですね・・・歳がバレる・・・

 

こういう大小のトイレは、田舎では普通だった時代。紙が固くて、

貧乏で新聞紙も使わねばならず、クシャクシャにして、、し過ぎて

、・?新聞紙の破れた穴から指が、、指が、、、、、、、うッ・・

 

 

 

 

 

 

 

アメリカに残した妻の「メリー」さん・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

小学生の頃、英世の記念館に行った気になっていましたが、やはり

初めてだったのかなぁ~・・・

彼の姿は、現在の1000円札の肖像に使用されていて、英世のロボット

1000円の顔に選ばれたことへの質問に、本当は1万円札にして

ほしかった、でもいいのです、1000円の方が庶民的で沢山の人に頻繁

に使われるので、私としては本望ですみたいな回答だったよ。笑。

 

参考資料として::

News&Topics | 公益財団法人 野口英世記念会 (noguchihideyo.or.jp)

野口英世について : 野口英世アフリカ賞 - 内閣府 (cao.go.jp)

 

 PVアクセスランキング にほんブログ村

有難う御座います励みになってますよろしければポチクリを嬉しいです。

      

          

 

コメント    この記事についてブログを書く
« ③落石、土砂崩れで通行止めで... | トップ | ⑤会津若松の有名店の「ラーメ... »
最新の画像もっと見る

町・街の旅とお店」カテゴリの最新記事