Mamy diary★☆

南国ミクロネシアからインド、そしてマレーシアへと。
学生との出会いにときめきながら、念願の東南アジアへ・・・

日記

2007-08-30 16:11:06 | ☆きまぐれ日記☆
日記を書かなくなって久しい。

日記と言ってもノートに鉛筆で書く日記
ブログではなく。

ここに来た当初は毎日書いていた日記
いつのまにか時間に追われて、を言い訳に書かなくなってしまった。

過去に考えたことも思ったことも
自分の経験とひねり出した結果
今の自分の土台

記録すること自体好きなほうだったから
毎日の楽しみのように書いていた
どんな小さなこともメモもとって

記憶はすぐに薄れる
その瞬間心に生まれた感動も
絶え間なく流れ去る時間と
生活と出来事に
すぐに遠いことになってまとめてしまう

きっと書くのをやめてしまてから
流れる毎日にしてしまった部分はどこかにあると思う

日記や授業の記録を読み返すことが増えた


そんなこともあったなぁ
あのときはびっくりしたな
あれはほんまに笑えた
こういうことは大事なんだろうなぁ
そういう考えもありだなぁ
そんなこと考えてたのか
その考えは間違ってなかったよ

過去の自分に返答するような気持ちになることもあって

ちょっとおもしろい

自分の「整理」にも
また書き出そうかな、短くてもいいから。

1週間思い起こしてみた

アパートの犬に子犬が生まれた
急にいなくなって心配して探したら
廃棄された洗濯機の隅で母親になっていた
すごい勢いで大きくなる子犬
1匹死んでしまった

皆既月食
満月の月食、はじめて見た
赤い
皆が空を見上げた夜

夜光虫、ってその名前のまま
でも海にいて
小さな小さな小さな無数の夜光虫が海中に
刺激に反応して発光する
光る砂を海全体がたたえているような
石をぽちゃんと落とす
波紋すべてが自分で発光して
宇宙の隕石みたいに落ちていく
はじめて知った
夜光虫

校長が11月まで学校に来ない宣言
選挙に出馬していた

ハリーポッターを見に行った
・・・寝てしまった

スペイン語の勉強を始める
友達のアメリカ人ボランティアのクラスに
先生、生徒。二足のわらじ。
楽しみ

やっぱりきりがない(笑)
出来事に思ったことがプラスされて
それぞれに思い入れも蓄積も深くなる

今、また日記書きたいと思う。

自分をもう一回見つめなおすために。
最近フラフラ、で脆い。

初ゲスト、日本人

2007-08-28 16:27:50 | 今日の授業
勉強始めて1週間と1日
初めてのゲストがやってきた!

ボランティア事務所の大ボスと
セカンドボス2人

狭い教室に日本人が4人

緊張がこっちまで伝わってくる
顔がコチコチのみんな
いつもはジョークをとばす子まで
なんか硬い☆

わたし以外の日本人の日本語を聞くのは
ほとんどの生徒が初めてのことだろう。
とてもいい経験になったと思う。

クラスでは言葉だけじゃなく
日本の習慣や日本人のあり方も適宜伝えるつもりだ。
自分たちから指摘してくるくらい考えていることに
日本人はよりリスペクトフルだ、というのがある。

それをここの習慣と比較して必ずしもそうだ、とはわたしは思わないが、
何はともあれ、わたしが自分のボスに対してとる行動であるとか、言葉であるとか
年長者、もしくは自分の上司に対する態度を、全部は理解できないにしても、それを実際に目の前で見られる機会はそんなにあることじゃない。

理解できる日本語はそんなに多くない中、自己紹介で名前が聞き取れたときのみんなの口元には笑みが浮かぶ
昨日勉強したばかりの「電話番号は何番ですか」
復習も込めて、ゲストに質問する出番が早速来た(笑)

ポンペイの家の電話番号は320で始まる。
基本的にこれで練習していたみんなは「さん、にぃ、ぜろ、のー・・・」はとてもよく聞き取るし、言える。
お得意の320☆
が、ポンペイでもいまや若者の必需品(?)となりつつある携帯電話。
これもやっとかないとダメだろう、と練習してた。
携帯はほぼ920、もしくは921で始まる。

ゲストお三方には何もお願いしていなかったが、ちょうど一人が携帯番号を答えてくれた。

一瞬耳がダンボになった生徒たちだったけれど、
目をぱちぱちさせながらも、素直に
「もう一度、お願いします」と言って突然の難関もくぐり抜けていた。

とてもよく出来ました^-^

今日から電気が切れた。
学期始め早々に切れるのはめずらしい。
いつ復活するのやら。

まぁ、でも慣れた(笑)
こんなの序の口と思えるようになったところが1年の時間の経過なのかもしれないなー。

嬉しい悲鳴

2007-08-27 15:25:23 | 今日の授業
持ちクラスは3
Junior(高校2年生)にJapaneseⅠを2クラス
Senior(高校3年生)にJapaneseⅡを1クラス

選択科目とは言いながら、割り当てのクラスはあって
だいたいの生徒はそのまま受ける。
変えてでも違う科目を勉強したい場合は申請する。

ところがこの申請に「日本語Ⅰ」がたくさんあがったのだ。
嬉しいけれど、教室に入りきらない。

すでに片方のクラスで40人を超えた。
いすも足りない。

例年、日本語は3クラスでやってきた。
実際、赴任してすぐの去年(1年目)で4クラスあったら、わたしは体力的にも精神的にも
やっていけなかったと思う
2年目を迎えた今、もう一クラスくらい増やせなくもない
だが、わたしが帰った後、後任としてやってくる新しい先生のことも考えると
現地人の先生が見つかってまもなく、その指導もあるのに安易にクラス数を増やすのは危険とも思えた。
第一自分自身、新しいことが目白押しの中で
はじめたけれど、中途半端にしかできなかった、というのだけはしたくない。

結局、選んだ結論


クラス数を増やす、だった



「日本語を取りたい」と
希望して申請用紙を持ってきた生徒に断ることはできなかった


今日、取れるかどうかを聞きに来た生徒に
OKをだしたとき

「Thank you,Teacher!」

オフィスに向かって走り出ていった一人の生徒
彼のほっとしたようなにっこりした笑顔に
打たれてしまった。

「ここで日本語勉強するってナンだろう」

ずっと持ち続けた疑問

「わたしのすること、意味あるのかな」

自分で自分を否定するのがずっと怖くて
「あるに決まってるよ」って
言い聞かせていた問い

そんなのをすべて浄化してくれるような

学びたい生徒は全部受け入れたい
できることはここでして帰りたい
多少大変でも、もともと苦労してもいいと思って希望したこの仕事じゃない

思い直して

不安もためらいも
これから起こる楽しい出会いと時間を想像して
消し去って
知り合えることになったまだ見ぬ新しい生徒と
1年を創っていきたい

勉強することの楽しさとか
話せなかった言葉が通じる喜びとか
今までなかった概念も考えも
起こさせることができたらな、と
思って

さて、今日もよく寝てよく食べて
明日からのクラス増加に備えよう
体力1番!
少々太っても、いっか(いいわけ?笑)

2年目の授業

2007-08-23 15:04:02 | 今日の授業
もともと緊張するタイプ
人前に立つのは得意じゃないし、
赤面もする

なんで先生なんてしてるんだろうって
思う
人生、わからない

いまだに人前に立つのは得意じゃない
生徒の前でも緊張する

挙動不審になってるんじゃないかって
不安になる

「3年はやってみないとね」

大学のときの、言われた言葉
まだ1年

でも見方は変わった

自分は絶対向いてない
そう思いながらここまで来た

今日もいつも通りの授業



楽しすぎる!

まったく緊張しないかっていったら嘘になるけど
生徒が楽しんでくれている反応とか
楽しんだ上で覚えてくれているのとか
教室に溢れる笑い声とか
それが日本語でわたしの授業で引き起こされているのとか

反省は毎日尽きないけど
反省ばかりして落ち込んでた去年とは違う

失敗もして「ああ~、こうしとくべきだった」もたくさんあるけど
去年の失敗から学んできたことも活用できてる

新しい現地人の先生が来てくれて、現地の先生だからわかる
生徒のこととか
英語や現地語との差とか
指摘してもらえて、そのポイントを押さえて教えることもできて

やっぱり2年目は違う
1年目で泣いてきた分
ぶつかってきた分は
自分の肥やしになっていると思える

それがまた自信になる

少し去年とは違う自分を感じている
始業2週間目のとある1日

創立50周年記念の今日

2007-08-22 15:23:38 | ☆きまぐれ日記☆
50周年Anniversary

昨日告げられた事実
なんで前日連絡なんだ・・・(いつものことか^^;)

今日で50歳を迎えたこの学校
長い歴史

今日は午前中まで
11時からは式典

マラマル(わっかの冠)やレイ(首飾り)
各州で、呼び名も形も変わるけれど
おしゃれやお祝い事には欠かせない南の島のアイテム
「全員身につけてくるように」
昨日連絡があったそのお達しが完全に守られることはないけれど
それぞれにきれいなマラマルを身につけてやってきた
とてもほほえましいお祝い事の光景
男の子も女の子も大人も子どもも
みんな頭にかぶって
そしてとっても似合ってる

朝から学校全体が
きれいでカラフルで楽しい
生花でつくられてた冠から
貝を組み合わせて編み上げられた保存のきくもの
ハワイで首にかけてもらえそうな大きな花のモチーフのもの
とてもいい香りを放つイランイランの葉だけでつくられたシンプルなもの
マラマルになっても頭に咲き誇る、赤いハイビスカスの豪華なもの
縦に筋になった平たく長い葉の編み上げにアクセントに紫の花をあしらったもの
タオルをねじってつくったもの

おかあさんがつくってくれた
自分でつくってきた

みんな自分たちの周りにある身近な材料で
小さい頃から慣れ親しんできた一番ポンペイらしい光景

男の子も女の子もきれいに飾りこなして
今日ばかりは制服も鮮やかに見える
みんなも嬉しそうに見える

ひとつひとつ違うマラマルをみてるだけで飽きなかった

肝心の式典はといえば、全員会場に入りきらない(笑)
中はすし詰め、外に群がる生徒
さすがポンペイ一の人口密度になるというこの全校生徒の数

1学年でいっぱいになってしまうカフェテリアに
全校の人(4学年+先生や来賓、スタッフ)が入ろうなんてのっけから無理な話で
さらにあまりの熱風サウナ状態に降参したわたしも
途中で出てきてしまいました(笑)

とはいえ、50周年はおめでたいこと
歴史を聞いていると確実によくなっていると思う
より良い教育を目指して
これからもこの学校PICSが進んでいきますように☆

画期的な一歩

2007-08-20 20:30:02 | 日本語をおしえる
確実な一歩
確かな一歩

今日、カウンターパートの先生の転任がほぼ完了した。
まだ油断は出来ないけれど、これは大きな大きな大きなステップ
確かな前進
私はそう信じる
異文化理解教育の要素が高いここでの日本語教育
本気で学びたい生徒
なんとなく割り当てられてやってきた生徒
40人に近い人数がクラスにひしめく
語学の世界ではありえない人数
学校側の要請と現状と
少数ながらもある希望と
調整も難しく
目の前のことなのに打破できず
どうあるべきか、どうすればいいか
葛藤し続けた1年間だった
そして過去の8人の先輩たちも
きっと抱えていた同じ悩み
そんなニーズと現状の隙間を埋めてくれる
希望の星、現地人の先生マグさん
今日まで、他のボランティアの協力して
大きな助けを得ながら
人材発掘からトレーニング、交渉、転任まで
たくさんの壁と、不安と向き合いながら
失敗を繰り返しながら今日の日を迎えることが出来た。
本来自分たちでCPを探すなんて私の属するボランティア組織の
理念ではありえない。
それでもここまでこぎつけることができたのは
偉大な先輩たちが培った信頼、努力、
「存在を認識されている」揺るがない土台
途切れることなく受け継がれてきた生徒への想い、愛情
惜しみなく力をかしてくれた先輩ボランティア

そんな努力が形を成した今日のこの日

マグさん
彼女は本当にいい人で
日本にも日本語にも日本人にも
興味と親しみを持っていてくれる
それなりに覚悟が必要だったはず
こんな前例もない「ローカルの日本人の先生」なんて仕事に
今までの安定した職を手放してまでついてきれくれた
心から出逢えてよかった
これからが私たちの始まりだけど、
今日まで一緒に来た道も平坦じゃなかったから
ひとまず今日まで
ありがとうです

マグさん、これからもどうぞよろしく

15年以上続いてきたここでの日本語クラスの歴史にとって
大洋州地域で考えても

画期的な一歩
わたしはそう思うんです

おしえられること

2007-08-18 07:11:16 | ☆きまぐれ日記☆
自分の国の将来を
正しい今の現状を
把握しようとしている子がどれだけいるのだろう

仮に思いをはせたところで、それに自分をからめて考える、
ことができる子がどれだけいるのだろう

ここに赴任してからそう思ったことが多かった
大人でさえも自分のことが中心
目の前のことが大事
楽をすること お金を得ること
もちろん私だって自分のことが中心
それはもちろんだれしも一番身近で当然のこと

かもしれない

一生懸命な生徒がいる

彼のお母さんはもう手の施しようがない状況で
今 病院にいる
毎日毎日学校が終わったら母親の
枕元へ向かい、
かたい床に寝転がって共に夜を越す
大部屋に並ぶいくつものベッド
痛みに苦しむ他の患者さんの泣き声で眠れないことも
彼のお母さん自身も、医者の判断の遅れでもう
効く薬がない
沈静に使えるのはもうモルヒネだけ。

勉強を好きという子が少ない中で
純粋に知識欲を持って
自分の将来を見つめて
出来る限りの授業をとるその生徒
8コマすべてをうめて、熱心に勉強をする
週末は教会の勉強に行き、年下の子にも聖書を説く
教育の重要性を一番理解し、
何事も経験も自分を培う力になるとわかっている
生徒会もクラブ活動も、どんな機会にも
何でも積極的に参加し、
誰よりしっかり話をする

大人がしてしまう間違ったことも
ポンペイが抱える問題も
見つめて考えて
知識欲求が果てしない

そして
きちんと先をみて
自分の行く先をみて

お母さんの現状にも負けず
父親の力にも屈せず
自分の生い立ちに腐らず
時間を見つけては勉強し
こつこつ地道に

礼儀正しく優しい心を忘れない

自分勝手は決して言わず
誰でも助け、偏見を持たない

生徒をみて、見習わされることも多い
特に彼からは
何歳も年上なのに
心根からも
考えさせられることが多い

ここには
大きなことさえ望まなければ
平和で 安全で 笑って過ごせる暮らしがある
暖かい気候 豊富な実り
刺激的な毎日ではないけれど
大切な家族と、たくさんの親戚と、
ただ集まっておいしいものを食べておしゃべりをする
そんな時間と雰囲気は、ある

それだけじゃない時代に 世界に
もう入ってるけれど
何年経ってもきっと変わらないものは、ここにある
変わらないだろう、って安心感も、ここにある

いろんな人がいて子どもがいて
1日があって
毎日が 生活があって
彼のような背景の子はいっぱいいる

生徒を知って
友達を知って
知って知っていくうちに

何が幸せで、優先で、生きることで、あるべき姿なのか
価値基準も何もかも
今までの自分にあったものを
ひっくり返して
しまう

身近な人の
毎日の生活

そこから知る新しいこと

私の中の、財産

今年も変わらないのね

2007-08-16 13:40:13 | 今日の授業

シニアの授業はお昼明けすぐ6時間目
今週はシニアにか授業がなく、来週月曜日からジュニア以下全校生徒が登校する。
1学年しかいない学校はまだ静かだし、人も少ない

今週の私は1コマしかない
午前中は教室で授業の準備をしたり、提出物をチェックしたりする。
後は、たまにやってくる生徒と世間話をするくらい。

朝から滝のような雨が降った今日
きっと遅刻が多いんだろう、なんてのんきに考えていたいつもの午前中だった。

授業の開始は12:40
生徒は大抵
いつも12時すぎには早めにきてのんびりしているのに、今日は誰も来ない
いつも12時半にはぞろぞろやってくるのに、今日は誰も来ない
ベルが鳴らないのはよくあることなので、いまさらなんとも思わないけれど、40分を過ぎても誰も来ない。
むしろ学校自体が静まり返ってる・・・。
まさか・・・
もしや・・・
今年度最初のあれですか・・・?

45分になったところで、教室を出て下に降りてみた。

物音一つしない校内
一面の静寂
そして誰一人いない・・・

メインゲート近くの木の下
生徒が座って特に何をするでもなく過ごす場所
そこにやっと2人、学生を発見

「何があったの?」
「みんなお葬式に行ったよ」
「・・・そうかー」

出ました、ポンペイお葬式

そして何の連絡もない
急なスケジュール変更(略して急スケ変)と短縮授業

今年も健在
「健在」してもらったら困るけど顕在

お葬式なんて、急に決まったことじゃないでしょ。
せめてブリテン(あらゆる連絡事項が書かれたプリント。朝配布される)に載せようよ。
もしくは何とか連絡をまわしてください・・・
もちろん生徒も知らなかったはず。
でも「学校(授業)がなくなる!」系の話は音速より早く生徒に知れ渡り、
疾風のようにみんな家路へと去っていく。

知らなかったのはおそらく私のみ

たしかに葬式があるけど、行くか?とは聞かれたけれども!

こうして一人寂しく教室で待ちぼうけをくらったのは去年を合わせたら何回目か。
めでたくも今年1番の急スケ変は、シニアしか始まっていない始業4日目にして即発生。

先が思いやられる・・・。

そのスタンスで行くならいいんだけど、規律・勤勉・勤労・改革路線をうたうなら、校長先生、その辺りからお願いします

ボホールへの移動~フィリピン3日目~

2007-08-15 15:33:32 | ☆きまぐれ日記☆
ボホール島タグビラランに着くまで、かなりのサバイバル

マニラから南部へセブ、そのすぐ南の島ボホール島へ移動の日
国内線に乗って約2時間
フィリピンの国内線はとても発達していて飛行機も選択肢が多い。
安い線を選んだのはよかったけど、少し心配になるくらい、安い。
削れるとこ、削ってるんだろうなっていうのがよくわかる。
でも・・・冷房強すぎ!
私たち出荷前の生鮮野菜ですか、と言わんばかり
冷気が噴気孔から白くなびいている
長袖着ても苦痛・・・
その中でポロシャツの制服のお姉さんが機内ゲームを始めた。
それどころじゃなかったけど、粋なサービスなのかもしれないな~

セブからボホールへは高速船で。
港までタクシーにふっかけられ、なんとか到着。
ちょうどいい便がなく2時間空いた。
ドライマンゴー食べ比べ。
フィリピン代表的なお土産、ドライマンゴー
甘くてしっかりした味
結構飽きないで食べられる

そしてこの高速船の中も寒すぎる・・・。
フリースでも厳しいこの冷房。
外の暑さもいまや恋しい温かさに感じる・・・。
窓から少しうらめしく見上げた暗い空には遠雷
雨、降らないといいな。

港からホテルまで、タクシーにまたふっかけられてうんざり。
ここで活躍したのがトライシクル
これもフィリピンの楽しい乗り物の一つ
モーターバイクのサイドに人が座れるように席を設けてある
中は大人が並んで座ったらきついくらい。
あとは運転するおっちゃんの後ろにも乗れる。
3人の客でいっぱいかと思いきや、地元の人は5人も6人も乗る。
中国雑技団状態で人が絡まって乗っているのも目撃
どこまでも何でもあり

すでに暗い街中を走る
ホテルへの道すがら、屋台と商店・ごはんを食べる人々、笑顔と笑い声
古い建物にカラフルな看板・夜のにぎやかさ
もっとごたごたごちゃごちゃしてて落ち着くし楽しい

夕飯に街へ繰り出す
屋台群を見つけておいたので、トライシクルでそこへ。
「タタタターーーーッ」
軽いタップを踏むのようなエンジン音
すべるように快適に進む
オレンジの光の繁華街
その範囲は狭い
一本裏に入ればだいぶ静か
でも人の生活してる気配と、
見えないけどたくさん生きてる空気だけは感じられるかた不思議

港の脇の広場は、露店が立ち並ぶ場所で、
おそらく地元のバンドであろう、ライブ演奏も行われていた

セクシーな動きのマッチョなおかまさんが、お兄さんを誘っていた
とても陽気な彼女は断られても一人でも楽しそうに踊っていた

すでに10時も近かったけれど、その場で焼いてくれる甘いたれの焼き鳥
本場サンミゲル
温めなおしてくれたパンシット
つまみながらぼーっとする
若い人のグループは、ライブ演奏に合わせて踊ったり歌ったり

フィリピンに来てから感じ続けていたことだったけれど、
国際結婚のペアが目に付く
まだ結婚してないかもしれないけど
結婚もしないのかもしれないけど

そんな中で
かごを抱えた3、4人の小さな女の子
お姉ちゃんに連れられて、テーブルを順にまわる
親に言われて机を片付ける子
店番の子
お盆いっぱいのビールを運ぶ子
ブロックの上に不自然に曲げた体を抱えるようにして眠る男の子

子どもが目立つ
こんな時間に

あの子達はいつまで
手伝いをするんだろうか