先に挙げた雛人形が飾られていた臨江閣です(見学無料)
この臨江閣は明治17年、当時の県令「か取素彦」の提言により建てられた
迎賓館ですが明治天皇はじめ多くの皇族が滞在された歴史も有ります
(建物は明治43年に建てられた別館)
大正ロマンを感じさせる茶房も有りますので庭園を眺めながら
一時を過ごすのもいいでしょうね
回遊式庭園をそぞろ歩けば
お茶会に招かれて何度かお茶を戴いた「畊堂庵」
このお茶室も明治17年に建てられたものです
この入母屋の建物が迎賓館である本館で、此処にお雛様が飾られておりました
因みに本館の玄関の扁額は「か取素彦」の書によるものです
(「か取」の「か」は木偏に口・耳ですがパソコンで探せませんでした)
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ネコヤナギ サンシュユ マンサク 多肉植物 サボテン
(クリックで拡大)
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臨江閣の向かいに建つ前橋ドームで「花展」が催されておりましたので
覗いてみました
しっとりした臨江閣庭園から一転、豪華な花の会場
丹念に育てた作者の意気込みが感じられた薔薇コーナーでした
最後にアンケートに応えてくれたお礼にと
桃の花2束を戴きましたので早速、床の間に飾りました
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この建物は現在のお金に換算しますと、おおよそ6000万位と言われます、それと後に建つ別館を合わせれば気が遠くなる様な額になった事でしょう。
臨江閣の名は利根川を臨む素晴らしいロケーションから付けられました、が今はドームが建てられ、その一部しか臨む事が出来なくなっております。
表門からは直接、建物ですので、この方が、ゆったりした気持ちでがお雛様を鑑賞する事が出来ると思ったからです。
所々に建つ東屋に腰を下ろして眺める庭は見る位置で景色も変わり、その都度 和庭園の落ち着いた雰囲気を味わう事が出来ました。
秋には此処で大茶会が催されるんですよ。侘びに徹した「畊堂庵」の一服は野点や各部屋での一服とはまた違った落ち着きにしたる事が出来て私の好きな茶室です。
桃の花は戴いて来たままの投げ入れですが、それでも部屋がポッと明るくなりました。
松陰とか取素彦と言えば、こんなエピソードが有りますね。「か取」が生糸を直輸出する時に妻の寿が「兄、松陰は太平洋を渡る事が夢でした。兄の魂でも有るこの刀と共に渡米して頂けないでしょう」と、か取にお願いしたのだそうです。 その時の形見の短刀を託す銅像が前橋公園内に建てられております。
その「か取県令」にスポットを当ててみますと高崎に在る県庁を前橋に移そうと提案を下したのが「か取」の先ずの仕事でした。
その事が高崎市民に打撃を与え大問題に発展した訳ですが「何れ高崎に戻す」と言う名目を突き付けられ高崎市は承知した訳です。が結局は戻る事も無く群馬の県庁は前橋に置かれる事になってしまいました。ですから今でも「か取県令」を好ましく思っていない高崎市民は多い様です。
とは言え、蚕糸業や各分野の学校建築などに力を注いだ功績は群馬の発展に寄与したと言えるのでしょうね。
イケリンさん、「か取」の「か」の字、良く見つかりましたね。TMEパッドの手書きでも私は探せませんでした。
格調高そう
>明治天皇はじめ多くの皇族が滞在された・・
そうでしたか
建物は 歴史が有って 落ち着いた雰囲気
そして
素晴らしい庭園に 癒されますね
建物も庭園によくマッチしていて、さすが国の重要文化財と思います。
丁寧に整えられていて、大事にされている様子が良く分かります。
お茶室も現役のようで、こうして使われ続けていることが素晴らしいですね。
重要文化財ですのに一般に公開して無料とは、文化度の高さを感じます。
桃の花を二束も頂いてラッキーでしたね。
床の間が一気に華やぎましたね(^_-)-☆
臨江閣は、池泉回遊式の庭園を取り囲むように建てられた本館や別館に畊堂庵と
明治の面影を残す素晴らしいものばかりですね。迎賓館として使われただけのことはあります。
先人が残した建物や庭園が、今も大切に保存されていて、実際に使用もされているとは素晴らしいことです。
調べて見ると楫取素彦は初代群馬県令を務め、創成期の群馬県を創ったお方のようですね。
また、吉田松陰の盟友であり、幕末の長州藩を支え、倒幕を実現させるために尽力した人物でもあるようです。
吉田松陰の妹と結婚しているとのことです。意外な繋がりがあるのにも驚きますね。
花展でいただかれた桃の花が、たかさん宅に春を呼び込んだようです。
暖かさを感じます。