たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

四国旅(4/15) 全国に現存する12天守の一つ宇和島城(重文)

2019年06月03日 | 

前日の雨も上がって晴渡った空が眩しい今日の天気

先ずは朝一で宇和島のシンボル宇和島城に足を向けました 

桑折長屋門を潜り登る石段・・・何か見覚えが有る!

確かべるさんが宇和島城の記事をアップした時に紹介した石段では無かったか?

     

 

 

足元の花や咲き始めたツツジにウットリしながら・・・でも結構、疲れる~

しかし凄い石垣ですね

こうした直線的に高く積む石垣は築城の名手と言われる藤堂高虎が得意とした摘み方なのだとか

ここを登ると三の丸

此処は武器庫だったそうで郷土館が併設されています、一休みを兼ねて覗く事にしました

高野長英、村田蔵六を来藩させ積極的に富国強兵、殖産興業推進と

活躍した 8代藩主、伊達宗城の等身大のパネルです

説明によれば井伊直弼の圧力により41歳で隠居しますが、その後も幕末の政局に活躍し

福井・土佐・薩摩の藩主と並び幕末の四賢侯と称された人物なのだとか

 

 

     

誰しもが一度は耳にした事のある著名人が 勢揃いです

天守が見えて来ましたよ

規模は小さいながら均整のとれた美しい城ですねぇ

 

この宇和島城は慶長6年(1601)に 藤堂孝虎が築城したものですが

元和元年(1615)に伊達秀宗が入城して以来、9年に渡り伊達家の居城になりました

伊達と言えば仙台の伊達正宗が頭に浮かんで参りますが秀宗はその正宗の長子として生まれました

では何故家督を継がなかったのか・・・それは秀宗が側室の子で有ったから

どんなに優れた才能を持っていようと側室の子という立場は弱いものなのですね

礎石の残る広場から見下ろす宇和島湾(かな?) 

「秀宗殿、ここは仙台よりずっとステキでございます! 絵の様な美しさではございませぬか」

私がその場に居たらそう言ってやりたかったな

では威厳を放つ鎧兜2体に迎えられて中に入ってみる事に致しましょう

 

べるさんが急階段と言ってカメラに納めたのはこの階段ですね

 こうして予備知識を戴いて訪れる事が出来るのは有り難いものです

 

先ほどの広場から見た景色と同じですが、こうして引き違い窓を通して眺めますと

時代が遡る様な気がしてきますよね 

帰りは脇道に逸れ急坂を下るコースに入りました

ちょっとした広場に井戸が残されております

因みに井戸は三カ所ある様ですが、その中でこの井戸は最も重要視され

厳重に管理されていたのだとか

ムサシアブミ

馬具の鐙に似ているのでその様な名前が付けられた花だそうですがマムシグサに似てますね

木に覆われた谷間の道の石垣は苔むし何処かジメッとした空気が漂っています

雰囲気に痺れた古の道でした

コメント (10)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 閑話休題 今、庭で活き活きと | トップ | 四国旅(4/15-2) 見事な藤の... »
最新の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
越後美人さん (たか)
2019-06-05 18:05:47
越後美人さん、ご心配いただき有難うございます。
この歳になりますと、あちこちボロボロ・・・嫌になりますね。

おさんどんも何もかも雄さん頼りは情けない事ですが気持的には元気ですよ~
返信する
結果が良いことを祈ります (越後美人)
2019-06-05 15:46:34
MRIの結果が良いといいですね。
部位が部位だけに心配ですね。
何でもないことを祈っています

まあ~(40歳?)とは、ずいぶんおまけしてくれましたね(^^♪
そういう事にしておきます(^_-)-☆
返信する
「通りがかりの人」さん、こんにちわ (たか)
2019-06-04 17:50:37
通りがかりのお方、ちょっと褒めすぎです。
もう少し感性が豊かで有れば自信を持ってブログアップするのですが私にとりましてブログは備忘録に過ぎませんので、やたらめったら写しては載せる・・・それな技量しか持ち合わせていないのです。
でも、そう言って頂けると励みになります、嬉しいな!有難うございます。

「人も大好き」・・・それは生きて行く上で一番大切な事ではないでしょうか。
協調性が無いと心が狭くなってしまいますものね。

「通りがかりの人」さんのブログを拝見する事が出来ないのは残念ですが懲りずに又ご意見をお聞かせ下さいます様に。 お待ちしております。
返信する
越後美人さん、こんにちわ (たか)
2019-06-04 17:32:16
越後美人さん、とうとう病院通いになってしまいました。「脊椎の12番目に異常が有るので心配だから念のためMRIを撮った方がいいよ」と言われ午後、紹介状を持って別の病院に行って参りました。ですので今は検査結果待ちです。 と言う事でお返事が遅れてしまいました、ゴメン。

宇和島城は最近(?)外壁を漆喰で塗り直した様で最初、見た時には古さが感じられず何かのミニチュアの様な印象を持ってしまいましたが内部は当時の面影をそのままに留めておりました。この城は当初から襖では無く障子を使っていた様ですね。
窓から望む宇和島湾は、かなり埋め立てられたと聞きましたので、その昔は湾も広く海から眺めたお城の姿はさぞかしだったでしょうね。
明治期の写真も紹介されていましたが当時はかなり風格が有った事が伺えます。

越後美人さん!20歳と今(40歳?)とでは感じ方も違う事でしょう。しっとりとした今のお気持ちで是非また訪れてみて下さい。
返信する
べるさん、こんにちわ (たか)
2019-06-04 13:34:59
私は学生時代、歴史が嫌で嫌で仕方ありませんでした。多分それは年表を覚えたり全てが暗記の世界と言う事に在った様です。 要するに探究心も無い怠惰な私の性格からきているのかも・・・ね。
恥ずかしながら宇和島城の城主が伊達家の長子で有った事さえ、べるさんのブログを拝見するまで知らなかった事でした。
でもこうして歴代の宇和島城主にスポットを当ててみますと、その人の生き様をもう少し掘り下げて探ってみたくなるものですね。
そして、何故?どうして?それから?と言う連鎖が果ては伊達正宗まで行きつき、その人物の知らない部分にまで目を向けてみたくなって来ます。 歴史は学ぶ事により物の見方を豊かにしてくれるのだと言う事を今更に感じる様になりました。

べるさん! 四国は自然と歴史の宝庫ですよ。 一ヶ月くらいかけて回っても足らないくらい興味深い場所だと思いました。
返信する
こんにちわ、イケリンさん (たか)
2019-06-04 13:04:20
そうでしたね、イケリンさんも四国一周の旅では宇和島城にも行かれたのでしたよね。
私も未だ数年前の中部&近畿の旅ですのに色々な所を廻りすぎた事も有るのでしょうが時が経って記憶が断片的になってきております。 ちょっと早過ぎですかね (^_^;)

歴史は余り興味を覚えなかった教科でしたが、こうして自由に旅に出られる様になった今、自分なりにその土地の風土や歴史を調べてみる事で授業では得られなかった部分が見えて来ます、すると もう少し掘り返してその先その先が知りたくなってきてしまいます。可笑しなものですよね。

井伊直弼も同じ境遇に在ったのですね。 当時、士農工商と言う身分制度が在った様に武家社会にも自分の意思が通らない制度と言う今の世の能力社会では考えられない仕組みに縛られていたのですね。
そう言えば高松で訪れた平賀源内も身分制度と言う格差社会の中で翻弄されながら生きた一人だった事を思い出しました。 
返信する
さすがです! (通りがかりの人)
2019-06-04 09:17:57
さすが、このような(仕事→絵画 筝曲指導 )方が撮られると
画像全てに物語性があり素晴らしいですね。センテンスは勿論。
私など共通点は「人も大好き」ぐらいかしら・・・。
失礼致しました。
返信する
良いお城ですね (越後美人)
2019-06-03 20:06:35
小振りながら引き締まった良いお城ですね。
私も二十歳の時に訪れましたが、ほとんど忘れていました。
たかさんの記事を拝見して、あらら!こんなに見所いっぱいのお城だったんだなあ~と、
ささっと見て回ったのことを残念に思いました💦
やはり勉強するつもりで見学しないと勿体ないですね。

たかさんはべるさんの記事で予習ができて良かったですね。
私も今度訪れる時には、しっかりと見学出来そうです。
返信する
こんばんは (ベル)
2019-06-03 19:29:06
たかさんよく調べてますね
地元の私より詳しい
天守閣以外は残ってない場所ですが山そのものは
昔のままなので古い石垣が残り天守閣へ通じる石段
など昔の雰囲気を残してますね
天守閣から見る宇和島の街と港の風景
西向きなので夕方はもっと綺麗なんですよ
宇和島これと言って観光地はないのですが
古い物や自然の好きなたかさん御夫婦に楽しんでもらえてよかったです
返信する
宇和島城 (イケリン)
2019-06-03 17:44:13
たかさん
宇和島城は私も行ったのですが、断片的にしか思い出せません。
たかさんのお写真で、一部思い出が蘇ったところがあります。
伊達秀宗は政宗の長子として生まれても、側室の子であったために家督が告げなかったようですね。

8代藩主、伊達宗城は井伊直弼の圧力で隠居させられたということですが、
その井伊直弼も側室の子として生まれ、14男という立場ながら、彦根藩の藩主となるのですが、
運命のいたずらとはいえ人の一生はわからないものですね。
様々な歴史を秘めた宇和島城。よい勉強にもなりましたね。
返信する

コメントを投稿

」カテゴリの最新記事