車寄せを出て枯山水風の庭から中門を潜りますと
西側の棟が来客を持て成す為の公的な洋風建築に対して
東側はガラリと変わった一部、客間も設けられていますが居住者が私的に使う
和風建築となっております
この棟は二間続きの客間で襖を外すと49畳という大広間になるそうです
近くの利根川河川敷から離発着する飛行機を眺めながら
どんな会話が交わされたのでしょうね
丸窓のある和室の襖に沁みが見られますが此れは S・22年のカスリーン台風で
利根川が氾濫した時の浸水あとだそうです
下の和室の床が畳ではなく絨毯が敷かれているのは
戦後の一時期、米軍家族の住居として使われていた名残と言う事でした
敗戦という屈辱的な歴史を物語る物として貴重な証しとなりますね
サッカーや野球も出来そうな庭にヒマラヤ杉が2本ありました
かなり巨大なヒマラヤ杉ですが建物はそれに負けないドッシリとした構えです
客間の棟の右奥に建つのは一階が仏間と両親の部屋
2階が知久平氏の生活の場所として使われていた様です
上は洋間からの続きの部屋、下は内玄関でしょうか
今は取り壊されましたが、この左にはバーとダンスホールが在ったそうです
再び車寄せのある庭に戻ります
山茶花の向こうに見える棟は玄関ロビーの西側にある事務所兼書斎でしょうか
手前はトイレに続く廊下です
屋敷神社殿の後ろには竹林が有りその中に太い切り株が見えますので
存在して居たら印象も大分、違っていた事でしょう
最後の写真は再び①の中庭ですが庭らしい体裁を残しているのは此処だけでした
奥に見える部屋は女中部屋との事です
最後を守ったお姉さまは障子が綺麗に貼られている所をみますと私の想像ですが
ここで生活をして居たのかもしれませんね
建築費約100万(S・5年)これを今の金額に換算するとどの位になるのか分りませんが
同時期に完成した大阪城の復興天守が約47万と言いますから推して知るべしですね
そして今年は中島飛行機を立ちあげて丁度100年
株SUBARUはどんな企画で100周年を祝うのでしょうか
それも楽しみです
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それにしてもこの邸宅はすごいものですね。
一代でこれだけのものを作り上げられたのですから、
財力も想像を絶するものだったことでしょう。
ダンスホールまであったというのですから驚きです。
当時の金で建築費100万円は、今の貨幣価値でいくらぐらいになるのか想像もつきませんね。
玄関の御影石は4・8mの継ぎ目のない石を、柱の部材は柾目で節の無い物をという吟味された石や建材が使われたと言う事です。
とにかく陸・海軍から間に合わない程の大量受注が有ったという事ですから国を動かす仕事という物は・・・って言う事なのですね。
面白い話を聞きました。戦中、中島飛行場も米軍の爆撃を受けましたが、その時に吹いていた「空っ風」に
投下された爆弾が東側に逸れ工場の一部が壊れただけで済んだというのです。嫌な空っ風が神風に変わった奇跡。 どこまでも付いている方なんですね。
楽しみにしていました。やはりすごいです。
当時の大卒の月給が73円で、初任給の単純計算で、
1141年分。
金相場が当時、1.36円今5088円ほど、ですので
3741倍になって、総工費、37億4千万位・・・・・・!
国の予算が、15億6千万円ですから、
すごい財力ですネ。
全部手作り、職人の数も半端なく、広大な土地と言っても、すごい。
端正な外観の造りが好きです。
いいものを拝見しました。
歩いて40分くらいの所に、実のなる大きなヒマラヤスギが一本だけあるのです。
ひとつ ひとつが上品で 良い意味な贅沢が施されていて、とても素敵な目の保養をさせていただきました。
スバルって、今でも良い技術力で素晴らしいと評判らしいですね。(車会社トップの研究職が褒めていましたから<笑)
付いている方は、何処までも付いているように思います。ソレは、人知れずの努力と先天的に守られている何かがあるのでしょうか?
さっそく今の金額に換算して下さって・・・その額にビックリしてしまいました。国を動かす人のやる事は半端ではないのですね。 イッチョやりますか?とよさん!
生活の場にしていた棟だけを観ましても写真では分からない奥行きが有りますので坪数がどのくらい有るのか見当もつきません。
さぞや掃除が大変と考えてしまうのは下種の考え、女中さんの数も相当の人数だったのでしょう。
何故、独身を通されたか・・・謎の部分が残ります。
でも、外観も内部も雰囲気は質素で、これでもかと財力を見せつけていないところに、
精神的な余裕と知性が感じられますね。
一時代を作ったと言っても過言ではない実業家、会社を立ち上げてから100年ですか。
日本人が世界に誇れる実業家であり会社ですよね。
100年祭はいったいどんなことになるのでしょうね。
楽しみですね~(^_-)-☆
調べてみましたら「乾燥すると下部の鱗片が落ちて残った部分が丁度バラの花の様に見える」と有りました。
不思議なものです。
この辺では余り見かけないヒマラヤ杉ですが何処かで防風林として家の周りに植えていた家が有ったのを記憶しております。
木もれ日さん、たくさん拾えるといいですね。
しかも開放されるや国の重文でうものね。
スバルは国内のみならず雪道に強いという事で海外でも爆発的な人気なんですってね(今回、汚点を残しはしましたが)
でも技術力が凄いと絶賛されているという事は知久平氏の技術が今に生きているという事なのかしら!
群馬の誇りです。
ただ使用している建材が落ち着きと重厚感を出しているのでしょうか。
飛行場が米軍機に狙われた時にこの邸宅が残ったのは本当に奇跡でした。これは群馬県人としてとても喜ばしい事です。
会社を立ち上げて100年、知久平氏の魂は今も生き続けているんですね。
富士重工の設立から64年ですが母体となった中島飛行機をSUBARUは忘れていませんもの。