続き
上芳賀邸は芳賀家の筆頭分家で文久元年(1861)に分家し本家と同じく製蠟業を営んでおりました
内子の木蠟生産は明治から大正にかけてが最盛期であり当時内子市街地の製蠟業者は23件にのぼり
日本一の生産量を誇りました。 生産された木蠟は海外にも多く輸出されました (説明書より)
木蠟で財を成した芳賀家のお屋敷は主屋、離れ、土蔵、木蠟生産施設など10棟が
1300坪の敷地に軒を連ねておりました
座卓の隣に小さな炬燵 商談しながら手を温めたのでしょうか
意識的に行ったと思える襖の切り張りにも装飾性が有りますよね
しかし、さすが豪商のお屋敷 凄いものです
でも、ちょっと気になった事があります 此処には雨戸が有りません
いくら庇が長くせり出しているとは言っても台風の時などどうしていたのでしょう??
ここは主屋の二階です 当初、座敷とする計画だった様ですが
間仕切りや造作が造れないままで小屋組みが剥き出しになっておりました
この炊事場は30坪の広さがあり屋敷の使用人や職人の食事もここで賄っていた様です
今日は障子の張り替え作業中でした・・・人形では有りません
蠟のしぼり小屋だそうです
どの様にして木蠟が生産されるのかその過程が一目で解るように説明されております
(クリックで画像は拡大できます)
こうして栄えた時代も大正期に入り安価なパラフィン蝋や電機の普及により需要は激減してしまいます
内子では大正13年を最後に全ての製蠟業者が廃業し木蠟産業は終焉を迎える事になってしまいました
街歩きに続きますのでコメント欄は閉じました